M-19 不思議訓練所
サファイア達は、特訓のためにフロールタウンの外れにある訓練所にやってきた。
……はずなのだが。
「ねえ、ここだよね? 訓練所って本当にここで合ってるんだよね?」
「うん、そのはずなんだけど……何だこれ」
訓練所という建物の前に来た時、サファイア達はその様子に絶句し、念入りに地図の正確性を確かめた。
というのも、訓練所という宙吊り看板の先にあるのは、どう考えても廃墟寸前のおんぼろ建造物。ドアは一応ついているものの、ちゃんと開くかさえ怪しい状態である。押した瞬間前のめりに倒れようものなら最悪だ。
「でも訓練所とは書いてあるんでしょ? 矢印の向きからしてここしか……」
そう言ってエレッタがドアの持ち手に手をかけた時。
「はあぁぁぁぁぁあ!!」
……と、百歩譲っても安心して聞ける声ではない、もとい、明らかに狂ったような奇声が聞こえてきた。
「……ど、どうするの……これ……?」
「嫌なら帰ればいい。ダンジョンだとちょっと効率悪いけど」
ミラにざっくり言われ、恐る恐るエレッタはドアを押した。これはもう道場破りじゃたのもー! なんて言える状況ではない。
「……え!?」
ドアの隙間から中を覗き見た途端、エレッタはその恰好のまま固まってしまった。サファイアがそんなエレッタを押して中に入ると。
そこには、手入れの行き届いているであろう、見ていて感心するレベルの綺麗でだだっ広い空間があった。
「……何、これ……」
「おや、探検隊の皆さん?」
聞き慣れない声に思わず後ろを振り返ると、およそサファイアの目線より少し高い位置に、いつの間にかポケモン――ムウマージがふわふわと浮いていた。
「私はレイシア。ここの訓練所の管理人よ」
ムウマージ――レイシアは地面近くまでゆっくり下降すると、サファイア達をじっと見つめる。
「よくこんなぼろっちい所に入ろうと思ったわね。感心感心」
「えーと? あの……これは一体どういうことですか?」
状況を上手く飲み込めないサファイアがレイシアに尋ねる。
「この訓練所は、探検隊の気合いを試す為に、私の念力でわざと外壁をボロボロに見せているの。外壁だけ見て、気味悪がって帰るような探検隊は、強くなりたいと思う気持ちが足りない。でもあなたたちは、そうではなさそうね」
レイシアは一人で感心すると、近くにあったパネルをヒラヒラを上手く使って操作し始める。
「で、話を戻すと、ここでは敵のタイプ別のプチダンジョンで修業するのよ。出て来る敵は全員私の念力でちょちょいと特殊仕様を加えた幻のようなもんだし、全力で倒して問題ないけど、あなたたちはどの部屋に挑戦するの?」
「タイプ別?」
首を傾げるサファイアに、ミラが答えた。
「指定のタイプ以外のポケモンは出ないってこと?」
「そう! 後はダンジョン内で拾えるものはオレンの実や穴抜けの玉くらいで、道具は持ち込めないわ。それ以外は普通のダンジョンと同じね。さあ、部屋を選んで!」
レイシアはパネルからサファイア達に視線を移した。サファイア達は、今日は一人一人各自で修業することにしている。
「じゃあ、私は適当に炎の間、かな?」
「ならあたしは草の間に行ってくるよー!」
「了解。炎と草ね。ポチッとな」
レイシアはそれに答え、パネルの"炎"、次に"草"を押した。すると、訓練所のとにかく広い空間に穴が2つ開き、それぞれ赤と緑の入口を作り出した。
「よーし、行ってくるよ!」
「お互い頑張ろうね!」
サファイアとエレッタは、穴に触れるとその中へ吸い込まれて行った。おそらくプチダンジョンとやらの一階にワープしたのだろう。
「さて、あなたはどうするつもり?」
レイシアは、一人残ったミラに話しかける。ミラの方も決まったらしく、おもむろに口を開いた。
「わたしは……ここにする」
サファイアが入った炎の間は、出て来るポケモンは全てポニータだった。防御力はそんなに高くなく、電光石火を当てられれば基本的に一撃だが、足がとにかく早い。レイシアは幻のようなものだと言っていたが、敵はきっちり技を放ち、実体もあり攻撃されれば普通に痛い。
「むぅ、いきなり来るから危ないなぁ……っと!」
サファイアは、右から来る敵の気配に気付き、地面に穴を掘って隠れた。同時に、穴の上をポニータが駆け抜けたらしく、風が穴の中にまで吹き込んで来る。
「逃がさないよ! 電光石火!」
サファイアは穴から素早く出ると、向きを変えるためにスピードを落としていたポニータに勢いよくぶつかった。
横を向いていたポニータはバランスを崩し、そのまま倒れて戦闘不能になった。
「よっし! このままなら大丈夫そうかな」
その頃、草の間に入ったエレッタはというと。
「アイアンテール!」
「十万ボルトー!」
次から次へと出て来るナゾノクサを力で薙ぎ倒すように進んで行った。
(それにしても、敵が一度に襲い掛かってくると辛いよねぇ)
エレッタの思う通り、いくら周りを一斉に攻撃できる十万ボルトがあっても、大勢の敵に気をとられて後ろからの接近に気付かず、状態異常を引き起こす粉をばら撒かれることもある。その種類もご丁寧に毒、麻痺、眠りと全種類揃っていた。
時々ぽつんと部屋の隅に落ちているオレンの実が、ここでは唯一の回復手段だ。部屋・通路に分かれているところや、階段を降りて進むということは普通のダンジョンと何ら変わりはない。
(……よし、階段見っけ)
「ただいま……あれ、いない」
しばらくして、何もなかった訓練所の空間にまた不思議な穴が空き、サファイアが一番早く五階分のダンジョンを抜けて帰ってきた。
「あら、お帰りなさい。意外と早かったね」
レイシアは少々驚いている。シルバーランクでこの早さなら、なかなか上出来だそうで。
「後二人はまだ帰ってきてないんですか?」
サファイアは辺りを見回し、エレッタやミラがいないことを確かめた。
「ええ。実力が同じなら、ピチューの子はもうちょっとで来ると思うわ。ただ……ラルトスの子は……結構時間かかると思う」
「な、何でです?」
サファイアの頭に、一瞬嫌な予感がよぎる。チーム内で一番の攻撃力を持つミラが一番遅くなるとはどういうことだろうか。
「あの子、ゴーストの間に入っちゃったのよ」
……予感、的中。
自分で部屋を選択できるというのに、何故初っ端から難しい部屋を、と思っていると、レイシアは更に続けた。
「ゴーストタイプのポケモンは、壁をすり抜けて近付いて来るものが多いの。だからいつ襲われるか分からない。そう言って止めようとしたんだけれど、あの子はむしろそれでいいって応じなくて」
その頃のミラはというと、敵の弱い四階までの部屋を楽々と突破し、既に五階にいた。
レイシアが忠告してきた通り、壁を抜けてくるゴースは確かに厄介だ。だが、通路はさっと抜け、部屋を通るときは壁に寄らなければ、もっと言えば常に周囲に気を配れば、気配に気付くのは難しいことではない。
ミラ自身、昔からダンジョン内での警戒心は強い方だ。どこぞの誰かさんのように、はしゃぎながら探検なんて正直ぞっとする。
(……! 来た!)
ミラはさっと横に跳び、向かって来る怪しいエネルギー体を回避した。さっきまでいた場所に不気味に光る紫色の球が当たり、地面にぶつかって消えた。
「あれは"催眠術"……それなら!」
ミラは後ろに向き直り、マジカルリーフをそこにいたゴース三体に向けて飛ばした。
軽く捩りを加えた葉は、突き刺さるせいか見た目よりも威力は高いようで、五枚程当たれば相性が悪いゴースも倒せる。
目の前にいたゴース達も、葉を当てられて全て倒れた。
あとは階段を目指すのみ。
「……いた!?」
その直後、ミラはまだ後ろに他のゴースがいたことに気付いた。素早く威嚇用程度のシャドーボールを作りだし、ゴースにぶつける。シャドーボールは溜め時間が少なかったせいでかなり貧弱なものが出来上がってしまった。
あくまでフェイント程度のつもりだったのだが、それに当たったゴースは慌てて逃げて行った。
(……え? あの程度のシャドーボールで……!?)
不審に思ったミラ。必中のはずのマジカルリーフに流れ弾は出ない以上、ダメージになったのは今の一発のみ。
それならこれはどういうことなのか。
「……な!! これって……」
突然、ミラは何かに力を大量に奪われたような感覚に襲われた。
この変な違和感の正体は、『呪い』。相手にじわじわとダメージを与える代わりに、自分の体力が半分削られる技だ。
ミラが気付かないうちに、さっきのゴースに呪いをかけられていたようだ。こう推測している間にも、ミラ自身の体力はどんどん奪われていく。このままだと呪いが解けるまで、体力がもつかどうか分からない。
……もし、ここで他のゴースに襲われたら。弱点を突かれると、もともと体力のないミラでは危ない。
「……仕方ないか、これを……」
ミラはバッグからさっき拾ったオレンの実を取り出し、周りに誰もいないうちにさっさと食べてしまった。一方、呪いは長くは続かずに、それ以上体力を奪われることはなかった。
「思った以上に、結構危ない……早く、階段を見付けて降りなきゃ……」
「はぁ!? ゴーストの部屋に!?」
レイシアの予想通り、エレッタもそれから少し経ってから帰ってきた。話し振りからいって、粉系以外の技にはそこまで苦戦しなかったようだ。
「まあミラのことだし、倒れてはいないだろうけど……」
サファイアはさっきに比べ、少し落ち着いていた。おそらく、今頃シャドーボール撃ちまくってるんだろうなと思うと、若干だが安心できたのだ。
「まあ……無事に帰って来れれば上等なんだ……け……」
レイシアの言葉が、途中で途切れた。
何もなくなっていた空間に紫色の穴が空き、中からミラがひょっこりと現れたからだ。
「あ、ミラ! お帰りなさーい」
サファイアは明るく手を振ってミラを招く。それに答えたわけではないだろうが、ミラはサファイア達のいるパネル付近へと戻ってきた。
勿論、レイシアは驚き、というより感心している。
「へえ、ゴースの軍団の中を突破するなんてね。エスパータイプの技で蹴散らしてやったの?」
「……いえ、シャドーボールです」
ミラはちらりとレイシアを見て、またふいと目を逸らしてしまった。そういえば、ミラが何かエスパータイプの技を使うところを、サファイアもエレッタもまだ見たことはない。
「まあ、時間がアレだから今日はもう終わりにして、明日またいらっしゃいな。これから七日ぐらいやるんだっけ? 頑張ってね!」
そういえばもうそんな時間だ。既に日が西に傾いている。これはもう一度訓練に行く時間はなさそうだった。
「そうだね……じゃ、また明日お願いするよ!」
サファイアはレイシアに礼を言うと、訓練所から出て行った。ギルドに向かうフロールタウンの通りの中でサファイア達が明日の計画について話していると、広場を突っ切っていくアルビスの二人の姿が目に入った。
「あ、サファイア達! 会えてよかった! ちょっと連絡があるから聞いてもらえる?」
タウンの中にしては結構なスピードで飛んでいたライルはサファイア達を見付け急ブレーキをかける。その後に、トレジャーバッグからヨウナが紙切れを取り出し、サファイアに渡した。
「これ、親方様からの注意事項ね。一応読んでおいて」
「分かった。そういえばハーブは、フィールドワークについて何か言ってた?」
アルビスは、ハーブに申し込む等のフィールドワークの手続きを全て済ませてくれた。何故そうしてまで、シルバーランクのエスターズを誘ったのかは未だ分からない。
「あー、笑顔で快諾してくれたよ。将来性のあるチームの組み合わせだねって」
「し、将来性……?」
ハーブはそんな風にサファイア達を見てくれていたのだろうか。確かにあの昇格試験は、当時ブロンズランクだったサファイア達には難しいものだったらしいが、それと何か関係があるのだろうか。
「じゃ、また七日後ね!」
「うん、ありがとう!」
伝言を終え嵐のように去っていったアルビスを見送り、サファイア達もギルドの中へと戻る。明日も、その次の日も、おそらくこんな風に過ごすのだろう。
せめて、アルビスの歩みを妨げることにならないよう、頑張らなければ。
口にしたわけではないが、全員の思いは一致していた。