M-14 時空の渦に要注意
サファイアは先頭に立ち、ハーブがいる親方部屋のドアをノックした。
「ん、誰?」
ハーブの声が聞こえる。朝っぱらから相変わらず呑気そうな声だ。が、まだ寝起きの声でないだけましなのかもしれない。
「エスターズです」
「おっけー。入って!」
ハーブに許可を得て、言われた通りサファイア達は部屋の中に入る。
部屋の中は、呑気な声とは裏腹に、綺麗に整頓されている。きっとマロンがやったんだろうな……と思うと、せっせと棚や机を楽しそうに磨くマロンの姿が浮かんだ。断じてマゾではない。掃除が好きなだけなのだ。
「それで、何の用件です?」
「あなた達、探検隊ランクアップテストのことは知ってる?」
「……!」
三人はすぐに思い出す。数日前、イルマスがやめろだの何だの言っていた、あの試験のことだ。
とうとう来た。訪れは予想よりも随分と早かったけれど。
「……はい」
「なら話は早いわ。ブロンズランクからシルバーランクにアップすると、未開の地への探検依頼が来たり、指名での依頼があったり、まあその他いろいろ特権があるの。ただ試験に合格さえすれば、の話だけどね。で、あなた達は、試験を受ける気はある?」
三人はこう言われて、少し考えた。
イルマスは、どうやらエスターズの試験を止めさせたいらしい。
もし受けるとなると、奴らの妨害は避けられない、かもしれない。
それでも。
「……受けます。ね、エレッタ? ミラ?」
相談したわけでもないのに、サファイアの答えに二人は賛同してくれた。
もし合格すれば、それだけ受けられる依頼の範囲が広がる。もしかしたら、宝石の情報も集まるかもしれない。
それに……
(あんな奴らに、負けるもんか!)
声には出さないものの、みんなそう思っていたのだ。
どうせこれはギルド内での試験、イルマスもこのギルドに所属している探検隊だ。そんなに表立って妨害はしてこないだろう。
「了解! 試験実施は明後日。それまでどう過ごすかはあなた達の自由にして。当日の朝試験の説明をするから、その時にはまたここに集まってね。はい、説明終了! それじゃ、探検いってらっしゃい!」
そこまで言うと、ハーブは書類の山から的確に紙を引っこ抜き、自分の仕事に戻ってしまった。
サファイア達も、依頼掲示板に向かうべく親方部屋を出ていった。
その入れ違いに、部屋にマロンが入って来る。
「あら、マロン。聞いてたの?」
ハーブはそれを予想していたのか、大して驚いてもいない顔をマロンに向ける。
「聞いてまずい話ではないでしょう。それより……」
マロンは一旦言葉を切って、ハーブの耳にボソボソと何らかの言葉を吹き込んだ。
途端、ハーブの表情が少し曇る。
「分かったわ。私は探検隊に連絡しておくから、情報収集を続けて」
「分かりました……」
マロンは一礼すると、ゆっくりと親方部屋から出ていった。
ハーブはそれを見届け、すぐさまため息をつく。
「あーあ、また仕事増えちゃった……ふあ〜ぁ、眠い」
欠伸混じりの声でそう呟くと、首から蔓の鞭を伸ばして紙を一枚取り、ペンでさらさらと文字を書き始めた。
〜★〜
一方のサファイア達は星クズ草原で迷子救助の依頼を終え、すぐには帰らずダンジョン内を散策していた。
もっとも、敵が近づいてくれば攻撃しなくてはならないので、散策、というのは少し違うかもしれないが、このダンジョンは日差しも穏やかで気持ちがいいのだ。
「あ、階段みっけ!」
四階にて、奥地へ続く階段を見つけ、いつもの通りたったと上った。
そして、奥地もこの前来た通り、爽やかでいい場所――の、はずだった。
「え? 何あれ……?」
だが、サファイアが奥地広場の隅に何か変なものがあるのを見つけ、エレッタ達に話を振った。
「サファイア? 何か見つけたの?」
「そこに、変な渦っぽいのがあるよ? この前来た時は、あんなのなかったはずなのに……」
サファイアが指す方向を見ると、確かに何やら黒紫色の渦らしきものが地面に出現しているのが見える。
好奇心たっぷりのサファイアとエレッタは迷うことなくその方に走る。しかしミラは何を思ったのか、物体に近寄ったサファイア達の様子を遠くから伺うだけで、紫色の渦には一定以上近づかなかった。
「なんだこれ?」
紫色の物体は、まるでブラックホール――サファイアは本物のブラックホールの形を知っている訳ではないが――のように、渦を巻いていた。
「なんでこんな変な渦が……ここに?」
エレッタが手を伸ばし、無意識に渦の最外淵にちょんと軽く触れた、その時だった。
ズゴゴゴゴと聞いただけで危険と分かるような音がして、渦の巻き方が一層強くなる。
「え!? 何……うわわっ!?」
「ちょ、エレッタ!?」
なんと渦はエレッタが軽く触れた瞬間肥大化し、渦の中心へ強い風が吹き込み始める。そして……
近くにいたエレッタが、渦の中に吸い込まれそうになってしまった――
少し離れているサファイアでも、渦に吹き込む強風に負けないよう必死で立っていなくてはならないほどの風。それが、容赦なく奥地の葉や枝をさらい、黒い渦へ送り込む。
それよりも渦に近いエレッタは、風を凌ぐことすらままならない様子で、今にも渦の中に吸い込まれそうだ。
なんとか近くの草に捕まって堪えているが、あの草は細い。もう長く持ちそうにないのは明らかだった。
(くっ……すごい風……エレッタを助けなきゃ! でもこれ以上近付いたら、私まで……っ!)
何とかして電光石火を使ってエレッタを助けたいが、ここで足を上げたらサファイアもろとも吸い込まれそうだ。
こうしている間にも、エレッタが掴んでいる草は次々と切れていく。
繋がっている草は、あと三本。
「エレッタ! もう草が……別のを掴んで!」
「無理無理無理! もうどうにも……」
そうこうしている内に、草が、一本切れた。
あと二本。もしあれが全て切れたら。
エレッタは、あの中に吸い込まれて……
「サファイア! どいて!」
突然、後ろから聞いたこともないような鋭い声が聞こえた。
声につられてサファイアが咄嗟に斜め後ろに跳ぶが早いか、サファイアのすぐ横を同じく黒紫の球体が凄いスピードで飛んでいった。
「うわっ!?」
ミラの放った紫の球体"シャドーボール"は渦の中へ入って行き、中心部で渦は小爆発を起こした。エレッタもその爆発に巻き込まれかけたものの、爆発が起きた瞬間から少しの間、渦へと続く強風が凪ぐ。
後ろにいたはずのミラは、そのタイミングを逃さなかった。
風が弱まった一瞬のうちにエレッタに近づくと、手を引っ張ってエレッタを渦から引きずり出したのだ。
「み、ミラ!? 一体何が……」
サファイアが叫ぶと同時に、またあの風が先程のように強まった。
そのまま視線を横にずらすと、もう渦に引き込まれはしないであろう位置に、無傷で済んだらしいエレッタと疲れたようなミラが立っていた。
「ミラ! あ……ありがとう! でも一体何が……」
サファイアは風に吹き飛ばされないよう、注意深く二人のもとに歩み寄った。
それにしても、あの渦は、一体何なのか。サファイアは注意しながら、渦の観察を始める。
「あ、危なかったぁ……ミラ、ありがと……でもあの渦って、一体何なの?」
「正体も分からないモノに安易に触れるなんて、無用心すぎる」
質問をミラにそっけなくあしらわれ、エレッタは黙り込んでしまった。だがまさにその通りなのだから、文句は言えない。
「まずは、あれを掃除しなきゃ……シャドーボール!」
ミラの手からシャドーボールが作りだされたかと思えば、それは三つに分裂して放たれ、渦に衝突した。
渦はまたも三つの爆発を起こしたあと、少しずつエネルギーを放出するかのようにどんどん小さくなり、やがては渦自体が溶けるように忽然と消えてしまった。
辺りには風で折れた小枝が散乱しているだけで、もうここに何があったのかは分からない。
「……で、あの渦は一体何?」
「時空の渦、っていうもの」
「ふぇ?」
この即答ぶりから察するに、ミラはどうやらあの渦のことを知っているようだ。
「時空の渦は……ああいうタイプのは、"世界"が不安定な時によく発生して、何らかの力を加えると活性化する、って言われてる。さっきエレッタが触れたように、僅かな力でも反応して、さっきみたいに周りのものを吸い込む」
「……もし吸い込まれたら……どうなるの?」
ミラは少し考え込むと、言うのを躊躇するように話し出した。もしかしたら、あまり話したい訳ではないのかもしれない。
「二度と……生きて戻って来ることは出来ない」
「え…………」
辺りに重い沈黙の空気が流れる。
「たまに、吸い込まれたポケモンが渦の中から出て来て、近くを破壊して回ることがあるの。攻撃して倒せば暴走を解くことは出来るけど……どのみち、助かることはないらしい」
ミラはもともと渦があった場所をぼんやりと見つめた。
要するに、引き込まれたら一貫の終わりということだ。
吸い込まれてどうなるかは、誰にも分からない。
しかし、何故ミラがあの渦のことをそんなに知っているのだろうか。
そして、あの渦。サファイアは、あの渦に見覚えがある気がしていた。
――何だろう? 私はあれを見たことがある……気がする。いや、絶対に見たことがある!
それって、私がニンゲンだった時のことと関係あるんだろうか……?
「サファイア? 騒動も収まったし、帰ろうよ。また何かあっても困るし、そろそろ夕食も出来上がったんじゃない?」
エレッタに急かされ、サファイアはふと我に返った。
今は、宝石に賭けるしかない。記憶が戻れば、必ず謎も解ける。そのことを期待しながら、サファイアはバッジを掲げた。
〜★〜
エスターズが帰ると、ふらわーぽっとは何やら騒がしくなっていた。
「なんかあったのかな? こんなにガヤガヤとポケモンが集まるなんて」
気になったエレッタは近くにいたラフレシアに話し掛け、二、三言ほど会話を交わし戻ってきた。
「親方直筆のお知らせ新聞が貼り出されたんだって。セントラルホールにあるらしいよ」
サファイア達がホールに着いた時は、もうみんな記事を見てしまったのか、さっきのガヤガヤの割に意外と空いていた。
目の前の掲示板に、紙が貼ってある。
『エスパーの狩人現る』
という文字が、はっきりと書かれている。
内容はざっとこんな感じだ。
ミステリージャングルでエスパータイプのポケモンだけが蒸発したあの事件は、どうやら人為的なものらしい。しかもその犯人とおぼしきポケモンが、今度はジラーチの住む"星の洞窟"に現れた。
ただ今回は、いなくなったのはジラーチのみ。他のエスパーポケモンがいなくなることはなかったらしい。
引き続き情報求む。
ついでに、おまけのような形で時空の渦のこともさらっと書いてある。
見たら近づくな、と。
「あぁ、またあのポケモンが……?」
エレッタがぶつくさと言い始めた。どうもこの事件が気になっているらしい。後ろでサファイアはそんなエレッタを見て、溜息をついた。
――全く、いくら私が何も分からないからって、エスパー狩りといい、時空の渦といい、訳の分からないことが多すぎる――
部屋に戻ろうとするエレッタとミラを先に行かせ、サファイアは一人でギルド内の本や書類が集められている資料室に向かった。
時空の渦のことを調べるために、だ。懐かしさは感じないけれど、見たことがあるあの渦が、どうしても気になって仕方ないのだ。
だがしばらく粘って探してみたものの、結局満足する資料は出てこなかった。
(こういう大事な目的に限って見つからないんだよね、本って)
サファイアはふっと苦笑すると、資料室を後にし、部屋へ戻った。
しかしサファイアのもやもやは、その日なかなか晴れることはなかったという。
その日の、真夜中。
サファイアとエレッタがぐっすりと眠っている横で、ミラが何か小さく呟いている。
「時空の渦、もしかして、また増え始めた……?」
前にも、こんなことがあった。確か――七年前。
……もしかして、まさか……ミラのぼんやりと霞がかった予想が確信に変わるのは、まだまだ先のことだ。