M-01 波間の祈り
――こぽり、と。
耳の近くで、泡が水の中で弾ける音がする。
少しずつ、口の中の空気が泡となり、夜の海の中へと消えていく。
閉じた目に、海水が染み込んでくるせいで痛くて目を開けることが出来ない。
"彼女"はこれ程までに自分が泳げないことを嘆いたことはなかった。これまで泳ぐこととは無縁の生活を送ってきたから、無理はないけれど。
もうどれだけもがいても、水面には辿り着けそうもない。
息が、苦しい。きっともう、限界が近い。
苦し紛れに、彼女は手の中にある"大切なもの"を、ぐっと握り締めた。
――このまま……?
ここで、死んでしまうのかな……?
こんなところに来てまでやり遂げたかった、私の使命を。
それを、何一つ果たすことも出来ずに――
「誰か、助けて……」
寄り頼むべきものに小さく、しかし心からそう願った時。
手の中にあった、青い宝石が光り出した。
そして、その青く優しい光があっという間に全身を覆い――
"彼女"は、まるで魔法にかかったように、この海の中から姿を消した。
光がなくなった後に残ったものは、彼女が今まで"そこにいた"ことを示す、小さな泡のみだった。
"彼女"が光と共に消えた、すぐ後のこと。
黒い影が、この地点のすぐ側の崖に降り立った。
"彼女"がいたはずの水面を目を凝らして見るものの、追っていた者の姿はもうどこにもない。
その影はふっと空を見上げ、まるで思い出したかのように呟く。
「主を守るための能力か……馬鹿なことを」
それから、影はすっと後ろを振り向いた。
その視線の先には、近寄ったら吸い込まれそうな気味の悪い黒い渦がある。
影は満足したように頷き、渦にゆっくりと近づいて行った。
「……いいだろう。あいつがその気なら、向こうの世界で勝負してやる。向こうの世界では、どちらが有利かなど、分かりきっているがな」
その声の主は、やがてその黒い渦の近くへ来ると、まるで当然のことのように迷いなく、渦の中心へ飛び込んだ。
「許せ。全てはあの世界のためなんだ」
そんな声を残し、影はやがて渦に飲み込まれて消えていく。
渦は飛び込んだものをあっさりと引きずり込み、そのまま何事もなかったかのように不気味な紋様ををゆるゆると描いていた。
そうして、彼女達が"移された"……その世界で、今冒険が始まろうとしていた。