この星の中心と一つになりたくて
 この星の中心と一つになりたくて(約9500字)




【一】雲


 どうして雲というのは、お互いに縺れ合うのだろう。
 朝空に少年は投げかけた。ハクタイシティ、町はずれの高台。小学校がおやすみの日は、おうちのポケモンと一緒に町をお散歩して、東のテンガン山を眺めるのが少年の日課だ。バラ色の空に描かれた遥かな稜線を見ていると、まるでそれが現実から切り離された世界にあるのではないかと錯覚する。青白い輪郭は吐息のように淡くて。ゴーストポケモンみたいにぼやけて色褪せた存在なのに、なぜだろう、安心感を与えてくれる。
「テノ、休もっか」
 ベンチの近く。隣を飛ぶポケモン――ガーメイルのテノに声をかける。つなごうとのばした手よりも早く、そよ風はテノを抱きとめて。ちらちらと光を反射して遠ざかっていくその背中を、少年はぼんやり見つめていた。斜めに射し込んでくるお日様は、まだ山々を逆光の中に横たえているだけなのだけれども。繊細な色調を帯びた陽光の中で、うろこ雲の群れが広がっているのがわかる。ふわふわと複雑に絡み合いながら。気まぐれに空を覆って、頷くようにたなびいていた。
 丸裸の山脈の岩壁をすっぽり包む靄。瓦屋根の町並みを多彩に魅せようと、半目になって快活そうに笑いかける朝日。そして奥にいくほど明るさと淡さを増す峰々。うろこ雲はそれらを目指していた。無限に移ろう気ままな旅路の中で、あるときは靄の青白さに、またあるときはお日様の光のバラ色に包まれて、やがては遠くの山の透明な色彩へと行きついた。悠久の世界にあって届きそうにないけれど、彼方の峰は、いつだってそこに存在しているもの。空とはなんのつながりももたない少年に安らぎをもたらしてくれるもの。そこに辿り着くのに、どうして雲はお互いに入り乱れ、ぶつかり合わなければならないのだろう。



「難しい問いだな」
 高台の麓。行きつけのお豆腐屋さんの前。店主のおじさんが、一匹のマスキッパに牙で頭を噛み付かれ、葉っぱの手で体を羽交い絞めにされながらリヤカーを磨いているところ。明るくなり始めたら、ガーメイルのテノを連れて訪れる。ここにはテノのお友達がいるから。喜色満面のマスキッパに食べさせるポフィンをポケットから取り出すと、おじさんは眉をひそめて続けた。
「野生ポケモンとのいがみ合い、か。人間が介入して解決できるような問題じゃあないし、まして望んだところでなくなるわけでもないしな。な、ギブラ」
 がぶり。お名前を呼ばれたおじさんの手持ちポケモン――マスキッパのギブラちゃん。朝ごはんのポフィンにかぶりつく。勢い余っておじさんの髪の毛まで噛み千切っているのに、ちっとも気に留めていない様子。ものすごく懐いているようだ。見ていてこっちが照れちゃう。
「要はだ」
 リヤカーにのぼり旗を立て、おじさんが目を合わせてくる。少年にも、その頭の上で朝ごはんのハチミツトーストを咥えているテノにも。
「坊主としては不安なんだろ? 進化して、野生のミツハニーたちと喧嘩するようになったテノくんのおやになれるかどうか」
「うん。ガーメイルのテノは、小さいときからうちで一緒に暮らしているポケモンなんだ。ミノムッチだったときはほかのポケモンと喧嘩したり、いがみ合ったりなんてことはしなかったんだけど、最近進化してから変わっちゃって。町でミツハニーを見つけるとひどく強張った顔をするんだ。昨日なんて、野生のメスミツハニーに危うく怪我を負わせてしまうところだった。だから、ちゃんと注意した。でも、いざ今日になって、ちょっと言いすぎたかなって思うようになって……。ほら、今日で僕、10歳になるでしょう? 今日からやっとテノのおやになれて、うれしい気持ちも、もちろんあるんだけど。どうしてテノはミツハニーたちといがみ合うんだろうな、って考えちゃって。何よりこれからテノとうまくやっていけるか、ちゃんとテノのおやになれるかわからなくなって、それで」
 不安な気持ちもあるんだ。少年が続けた言葉とは対照的に、ポケモンたちは2匹ともほくほく顔だ。美味しそうにポフィンをもぐもぐして、粉砂糖とチョコチップで汚れた口元に唾液を垂らしていくマスキッパ――ギブラちゃん。そのほっぺをおじさんが撫でてあげるたびに、辺りに甘い香りが立ち込める。むしとりポケモン、マスキッパ。甘い唾液を出すことで知られる種族。鼻腔をくすぐる、というようなお上品な表現すら似つかわしくなくて、嗅いでいると自ずとよだれが出てきてしまいそうな、あるいは目を瞑ったままそれを発しているものに鼻先を近づけてみたくなるような、そんな気の緩みを許してしまうほど心地いい。甘党のテノの大好きな匂いだ。誘惑に屈したのか、頭の上でずっと羽を休めていたテノが飛んでいって、ギブラちゃんの牙に口づけ。蛍光色の瞳が笑っていた。ミノムッチの頃から変わらない無邪気な表情、なのだけれども。
「ミノガポケモン、ガーメイル。ミツハニーの集めた蜜を横取りしてしまうとされるポケモンだったな。坊主も知ってるとは思うが、特にハクタイの近くには大きな森があって、ミツハニーたちも多く生息してる。ガーメイルという種族は、ここいらじゃあ野生ポケモンの目の敵にされやすいからなあ。自分の大切なポケモンであれば、いがみ合って、喧嘩して、傷ついてほしくないし、そして何よりほかのポケモンが――ミツハニーたちが理由なく傷つくのだって耐えられないよな」
 頭をかくおじさん。彼の言うとおりだ。少年は思う。喧嘩するほど仲がいいとはいったものだけれど、それはガーメイルのテノとミツハニーたちとのいがみ合いには当てはまらない。彼らは町や森の中で会うと、理由もなく睨み合い、傷つけ合おうとするのだ。テノが実際にミツハニーの集めた蜜を横取りしたわけでもなければ、報復としてミツハニーが群れのボスを引き連れてテノを襲う、なんてことをしたわけでもないのに。青空に揺蕩う雲の層か、はたまた土の中の根っこのように縺れ合おうとする。それが少年には不思議だった。
「まあ聞いてくれ、坊主」
 ほっぺを寄せ合う2匹を横目で見る。
「なぜほかの存在と縺れ合い、いがみ合わなければならないのか。突き詰めれば難しい問いなのは疑いようもないだろうが、それは、木の根っこが地中から養分を吸い取ってくる理由を尋ねるのと同じくらい素朴なものでもあるよな」
 静かに頷く。
「根っこをのばした木は、ほかの植物のそれとの縺れ合いを経て、ときには養分を奪い合うこともある。生きるために必要だから。うちの子――マスキッパのギブラもそう。今はこんな顔してるが、甘い香りのする唾液で獲物をおびき寄せて食べてしまうとされるポケモンだ。おかげさまで、今まで何度野生のポケモンとドンパチやってきたことか。テノくんとミツハニーたちがいがみ合うのも同じで、それぞれが種族として生き延びるため。個として見た場合、互いに縺れ合う理由はないのかもしれないが、種として刻まれた防衛本能みたいなやつが種族全体の対立を生むように仕向けているのかもしれないな。とにかくだ。坊主の問いに対しては、豆腐屋のおじさんのへにゃへにゃで空っぽの頭じゃあ、『生きるため』っていう月並みな回答しかできないのが現状よ」
「じゃあさ」
 遮るように続ける。
「縺れ合いを繰り返す根っこは、雲は、なんのために生きて、あるいはそこに存在しているの? ほかの存在――ミツハニーたちと縺れ合い、いがみ合いながら生きて、結局テノは何を思い描いているの? おやになる僕はどうしてあげればいいの? テノと、これからどう向き合っていけばいいの?」
「……明確な答えなんかないだろうに」
 ふっ、と満足げな笑みをこぼすおじさん。青さが増した空を尻目に口角を上げてみせた。つられて少年も視線を上げる。彼方のうろこ雲が、テンガン山の峰の青白さと一つの基調をなすように色づいて見えた。
「今日一日、テノくんとハクタイの町を歩いて、坊主なりに考えてみな。と、その前に渡したいものがあるんだった。おじさんについてきなさい」



 畳の上に大の字に横になってのびをするガーメイルのテノ。そのそばに体育座りして、お煎餅をぼりぼりかじりながら朝ドラを見るマスキッパのギブラちゃん。お豆腐屋のおじさんの家は2匹の遊び場だ。
「まあ、受け取ってくれよな。おじさんから、ささやかなプレゼントさ」
 お茶菓子と一緒におじさんが持ってきてくれたのは、小さな赤い花束だった。グラシデアの花だ。誕生日や記念日のときに両親が贈り合っているのを見たことがあるから、すぐに合点がいった。
「おじさん、どうもありがとう。テノもきっと喜ぶよ」
「ああ、いいってことよ。改めておめでとうな。10歳の誕生日、か。坊主にとっても、テノくんにとっても今日は特別だからなあ。もう買ってあるのか、モンスターボールは?」
「うん。お父さんが買ってくれたんだ。今日で10歳になって、モンスターボールが使えるようになるからって。学校の友達も今日の夜、みんなでうちに遊びに来てくれて、それで」
 テノのおやになれる。小さいときから一緒に暮らしてきたポケモンとのつながりのカタチが生まれる。ずっと夢見てきたことにはちがいないのだけれども。
 ポケットに手をのばす。確かな感触――新品のモンスターボールがあった。窓に映るテンガン山のどの峰よりもはっきりとしたカタチがあるもの。これからこの場所に、ポケットの中にずっと存在しているもの。たった一つだけのカタチを、多彩な光に包まれた彼方の峰々にかざしてみせた。




【二】町


 二人で一つ。テノとギブラちゃんの仲睦まじい様子を追っていると、そんな言葉が頭に浮かぶ。今日はお誕生日。多くの人がそうするように、ポケモンを連れて町を散策する穏やかな休日。お豆腐屋さんに寄った後は、テノの友達のギブラちゃんも一緒に連れていくのがこの頃のルーティーン。ガーメイルの白い両手と葉っぱでできたマスキッパのそれとをつなぎ合わせ、お互いに顔を見合わせたまま、くるくるくるくる体を回転させて前を行く2匹。どちらも宙を舞うポケモンだ。地上で優雅なワルツを踊る男女というよりは、磁場に浮かんで延々と回る磁石コマに近い。きゃっきゃとはしゃいで少年の目線よりも遥か上を進んでいくものだから、町行く人とぶつかりそうになって、テノとの距離が遠く離れてしまいそうになる。見失うことすらあった。そのたびに探した。人波にもまれながら行きついたのは、塀のない民家の連なる路地。裏口の前には、植木鉢がお見合いをするみたいにずらりと並んでいて。そこに咲いた花にテノが鼻先を近づけている。香りを楽しんでいるのだろうか。人様のものを勝手にいじったら大変だ。もう少年は目もくれない。縁側でお茶を啜るピンプクにも、簾に張り付いたままこちらを見つめるドータクンにも、そして道のど真ん中で丸くなって眠るブニャットにも。ぐにゃり。靴裏に覚えた柔らかな感触が、上向いていた眼差しを静かに誘う。あ。三丁目のおじいさんのとこの。尻尾を踏まれたブニャットが、今にも飛びかからんと大口を開いて唸っているではないか。逃げるように踵を返す。少年が声をかけるよりも早く、テノとギブラちゃんは前を飛んでいて。手をつないだままの2匹が立ち止まっていたのは、路地をすぐ抜けたところ。出桁造りの駄菓子屋さんの前。パチリスやポッチャマのお面が覗くテントの下、木製のショーケースは原色パッケージの知育菓子で彩られていて。それに混じって、一匹のリーシャンが重たそうな石を頭上に浮かせながら跳ねていた。揺れるたびに響く澄んだ音が、何とも心地いい。りんりん、ぱちぱち。そばでテノとギブラちゃんが手を叩く。するとリーシャンの奏でる音色も一層大きくなる。石の中から紫色の影――ミカルゲがにゅるっとのびてきて、うれしそうにけらけら笑い声を上げる。いつの間にか路地のポケモンたちも店先に集まっていた。綺麗な鈴の音を聴いてすっかり上機嫌になったのか、尻尾をピンと伸ばしたブニャットが、ぬゃぁああぁぁ、と一鳴き。りんりん揺れるリーシャンにほっぺをすりつける。お髭と鈴紐の先っちょがお顔にちくちく。何だかくすぐったそう。けれどもすっかり仲良しさんの2匹。そんな彼らに混ざろうと、お腹のポッケからまんまるいしを取り出すピンプク。ちっちゃな指でごしごし磨いて、ブニャットにプレゼント。それはささやかな友好の印で。大きな肉球で撫でられたかと思ったら、地面の上をころころ。ブニャットの『ねこのて』で転がされた石を少年が拾い上げてみる。甘い香りがした。きっとギブラちゃんの『あまいかおり』が繰り出されたのだろう。テノの大好きな匂いだ。展示された駄菓子を物欲しげに見つめているテノに石を手渡してあげる。受け取ると、大事そうに抱っこしたまま、隣のギブラちゃんの上をひらひら。喜びの『ちょうのまい』。そうやって小躍りするテノの様子に頬を緩めたギブラちゃん。葉っぱの手でピンプクの頭をわしゃわしゃ撫でてあげる。にぱあっと花が咲いたように笑ったピンプクが、少年の足元をちょこちょこ歩き回る。もうポッケは空っぽ。新しく入れておく石を探さなくちゃ。そんなことを考えている気がして。一緒に見つけてあげようとしゃがんで、後ろを振り返ってみる。疎らに自転車が通り過ぎるだけの狭い通りの上、ドータクンとミカルゲが何やら駄弁っていた。ラジオ体操みたいに片鰭を上げて体を横に曲げたドータクン。赤い目を光らせ、『サイコキネシス』。周囲に手ごろな大きさの石がいくつか集まってきた。それらめがけて、ミカルゲのかなめいしの亀裂から細い影がにょきにょき。石の角を削る『かげうち』こうげき。すっかり丸くなった石の一つがピンプクのポッケに無事収まる。見事な連携プレー。よかったね、よかったね。大事なもの見つかって、よかったね。ドータクンがうねうね踊る。楽しげに揺れる鈕孔から、高く昇り始めたお日様が笑いかけるように覗いてきて。大喜びで通りを駆け出すピンプク、追いかけるブニャットやテノたち。こうして少年も続いていった。皆で一つの列をなして練り歩く。
 むかしを いまに つなぐまち。そう呼ばれるだけあって、ハクタイは昔ながらの建物とモダンな雰囲気との調和が取れた町として知られている。瓦葺の切妻屋根の住宅街を通り、神話上のポケモンを模した銅像の鎮座する公園を突き抜けた先は、この町でもとりわけ古い商店街。ガス灯と木造の三軒長屋看板建築が特徴的。道幅こそ広めだけれど、人通りが比較的疎らな分、お店のお手伝いをするポケモンたちの姿も目立つ。黒暖簾の下のトリデプスが、『ラスターカノン』を放ってガラス張りの格子戸をピカピカにしてくれている質屋さん。唐破風屋根の上の桃色トリトドンが、煙突から立ち昇る黒煙を『しろいきり』で除去している銭湯。ショーウインドウの向こう側からこちらを見下ろすマンムーが、瓶詰の桜田麩を『フリーズドライ』で冷凍乾燥している老舗の佃煮屋さん。『どくばり』を片手にシャッターの前に胡坐をかいたドクロッグが、靴職人から革の縫い方を教えてもらっている町工場。人とポケモンは手を取り合って暮らしていた。昔からこの地に根を下ろしてきた人々の営みが、今を生きる多彩なポケモンたちのそれと溶け合っていた。昔と今をつなぐこの風景をポケモンたちと一緒に眺め歩くのが、少年の何よりの楽しみだった。
 こんこん、かちかち。軽快な音。前の方からだ。先頭を歩くピンプクがくるりと振り返る。笑っていた。小石を2つ、両手で一つずつ持っていて。それらを打ち付け、かちかちと音を鳴らしながら。最初は、雑踏の音と低く縺れ合って聞こえたのだけれども。りんりん、ぱちぱち。ピンプクの後ろ、ブニャットの頭の上に乗っているリーシャンが揺れて。その頭上を飛んでいるテノとギブラちゃんが手を叩き始める。ぱちんっ。そんな彼らの合奏に加わろうと、少年はブニャットとハイタッチしてみせた。ごめんね。さっきは痛い思いをさせて。けれども手のひらは今、一つに重なってくれている。それがうれしくて顔を綻ばせた。後ろを歩いていたドータクンとミカルゲがぬっと前に出てきた。そのまま大ジャンプするミカルゲ。石畳を離れたかなめいしで、ドータクンの身の中心部を打ち付ける。突然の『ふいうち』こうげき。それはさながらお笑い芸人の蹴りツッコミのような勢いで。ごおぉぉぉん、という除夜の鐘のような重厚な音色がドータクンから響き渡る。今は雪解けの季節。これから春が始まるのに。おかしくてみんなで笑い合った。なんだなんだ、楽しそうだぞ。子どもたちが一行の周りに集まってきた。近くにある神社の境内で遊んでいたらしい。男の子のグループと女の子のグループが一つずつ。少年よりももっと小さな子たちで、お互いに何も知らない。けれども気づけば一緒に遊んでいた。ドータクンが『ジャイロボール』でくねくね踊って回ってみせて、男の子たちにベーゴマの回し方をアドバイスしてあげたり。ミカルゲが108個の魂をぐるぐる回して女の子たちとお手玉したり。それからブニャットとリーシャンを鬼にして空き地で缶けりして、走って、みんなでほっぺを同じ一つの朱に染めて。お昼には駄菓子屋さんに詰め掛けて、ギブラちゃんとピンプクが店主のおばあさんにきなこ棒の作り方をレクチャーしてもらって。畳の上にみんなで円になって食べて、その中心にはやっぱりテノがいて。こういう時間がもっともっと続いたらいいのにな、とぼんやり考えていたときだった。

「ミツハニー」
 神社の境内の裏。表の方では、ドータクンを中心にほかの子どもたちが除夜の鐘ごっこをしているところ。昨日テノとすれ違ったあの子――メスミツハニーは標柱の上で羽を休めていた。肩の上のテノの蛍光色の瞳が、木陰の中で煌めいているのがわかる。
 心臓が早鐘を打つ。昨日ならもう、お互いにワザを繰り出して攻撃していたタイミングだ。
 遠巻きに聞こえる喧噪の音は雑多だった。少年よりももっと高くてよく通る子どもたちの声。ミカルゲがかなめいしでドータクンを殴るときの神聖な音色。リーシャンの捧げる諧調。そして肩を離れたテノが優雅に宙を舞い、翅がこすれ合うときの何とも繊細な響き。お互いに入り乱れ、ぶつかり合うこともあったのだけれども。耳を澄ませば、それらは一つのハーモニーを目指していた。手を当てれば、どの声音もどの音色も、この胸の中心に流れている気がした。黄金の木漏れ日の中で一瞬、テノが見せてくれた穏やかな表情がそれを裏付けていて。多様で多彩な表情を見せるものが一つに溶け合う瞬間を、何気ない休日の散策を通じて感じ取ることができたと確信した。だから、張り詰めた顔のミツハニーに少年がかけたのは、こんな言葉だった。

「キミも一緒に遊ぼうよ」




【三】木


 花というのは、どんなにきれいな色の蕚にその身を委ねるのだろう。
 少年は感嘆した。ハクタイシティ、町はずれの小川。あまいかおりのする木の生えた小さな畔。太い根を伸ばした木がほかにも数多く生育しているのが特徴的。遊び終わってみんなとサヨナラバイバイしたら、ここで一休みしてから帰るのがお約束だ。隣で手をつないだまま一緒に夕焼けを眺めたり、蕾をつけた野花を観察したりするテノとギブラちゃん。岸辺に腰かけて、水の中まで垂れ下がっている木の枝を見つめる少年。初めて会う子ばかりだったのだけれども。やっぱり最後はいつもどおりの光景。今日はたくさん遊んだ。ミツハニーも、仲直りといえるのかはわからないけれど、嫌な顔しないでついてきてくれた。純粋な子だった。みんな甘い香りが好きだ。テノもギブラちゃんも、そしてミツハニーも。ギブラちゃんの『あまいかおり』か、はたまたお豆腐屋のおじさんが持たせてくれた花束の香りが一つに結び付けてくれた。あまいかおりのする木が色々なポケモンを惹きつけ、呼び寄せるように。この花には何か不思議な力があるのかもしれない――木の根元に生えた新芽を横目に考える。少年の手には小さな花束があった。夕べの残照を受けた雲のように赤く色づいた花冠が、蕚の緑の淡さを際立たせているようで。一点の迷いも曇りもないほど透き通ったそれに支えられて、この花は不安な心を開いていた。
 テノは、蕚。ふと思い出す。「くさきのミノ」のミノムッチの体を包む葉っぱは、まるで花の蕚みたいだ。だから、そう名付けたのだった。とすれば、少年は蕚に支えられた花びら。無数の繊細な脈をつけたそれを受け入れてくれるのが、テノという存在。無邪気で、純粋で、いつも一緒にいてくれて、澄んだ色の蕚。それを見ていると、自分なりの答えが見つかったような気がした。ときにはほかの存在と縺れ合い、いがみ合いながら生きるこの子が、何を思い描いているのか。そしておやとしてテノとどう向き合っていけばいいのか。

 ぶつかり合ううろこ雲は、テンガン山の最奥の峰の色彩に溶け込んでいった。
 縺れ合う木の根は、無限の中にその存在を広げていった。
 この地方の中心と――あるいは、この星の中心と一つになりたくて。
 どれもこれも、調和を目指していた。衝突の果てに調和があった。何かと一つになることにそれほどまでに大きな意味があるのだと悟った。

「ここにいたのか、坊主」
 振り返る。雲間から出たばかりのバラ色の光が、新芽の上に流れ込んでいた。隣にしゃがみ込むと、お豆腐屋のおじさんは頬を緩めて続けた。
「いやあ、今日はうちのギブラも行くからな。坊主の家の誕生会に。おじさんは仕事で来られないが、坊主の家族や友達みんなでお祝いした後、テノくんをボールに入れる大事な会でもあるからなあ。夜遅くまでかかるだろうし、ちょっくら様子を見に来たわけよ」
「ギブラちゃん、今日も元気いっぱいだったよ」
「そうかい。そいつは安心した」
「ねえ、おじさん。僕、わかったよ」
「ん?」
「テノにはね、大好きって、いつもありがとうって、いっぱい伝えることにした」
 ぴくり。水面に手をのばしていたテノの触覚が動く。ビロードのように翅を煌めかせ、少年の頭の上に跳び乗ってみせた。とてもくすぐったい。
「ほら、進化したってテノはテノだもん。そうすればきっとさ」
 テノの気持ちと一つになれる。少年との交感を思い描いているからこそ、テノはついてきてくれる。家族の気持ちはいつも一つだ。そう信じることにした。
「坊主らしい言葉じゃないか」
「だって僕、今日からテノのおやになるんだもん」
 ね、テノ。そう言いかけたときだった。頭の上を離れたテノが目の前を飛び回るではないか。長く伸びた影は入り乱れ、少年のそれと複雑に絡み合ったのだけれど。再び頭の真上に来たとき、2つの影はやっぱり一つになってくれた。思わず上を見た。寂しげな樹冠の隙間、空は藍に染まり始めていて。その中心で輝くものがないか、探してみようと思った。けれども星の代わりに張り付いていたのは、テノの頭上で大口を開いて笑うギブラちゃんで。重なった3つの影が行きつく先――あまいかおりのする木のある方へ視線を戻した。根元にポケモンたちが集まってきているところだった。チェリンボにミノムッチ、ケムッソにヘラクロス、そして数こそ疎らだけれど、中にはミツハニーの姿も。ある者は暗い葉むらから、またある者は洞の闇の中から躍り出てきて、木を囲むように一つの円をなしていた。
「あの木が、ポケモンたちのおうち代わりなんだね」
 つなごうとのばした手が重なって。
「さ、テノ。帰ろっか。みんな待っているよ」
 待ちきれずに萌え出る新芽の道を、少年は駆け出した。


セイ ( 2021/09/20(月) 14:37 )