目次
わたげ通り
 わたげ通り(約3800字)




「すべての命は海から生まれた」
 ミナモシティにいるとふとよぎるのは、そんなリーダーの言葉だ。少年は思う。履き慣れない私服の短パンの裾を伸ばしたり、水平線に沈む夕日に手をかざしたりしながら歩いていった先は、灯台のある岬。俗にわたげ通りと称される道。真っ白な綿毛でできたかまくらが、原野の果てまで続くように両側に並び立っているのが特徴的。だから、町民の間ではそう呼ばれるようになったのだとか。ずらりとそびえる雪室ならぬ綿室は、野生のポケモンたちのおうち代わり。日中はナゾノクサやドクケイルといった夜型のポケモン、夜間はスボミーやアゲハントといった朝型のポケモンが中にいることが多い。伸びきった雑草にむず痒さを覚えるたびに、少年の足元に綿室のポケモンたちが寄り集まってくる。ひょこひょこと草を揺らす音を聞きつけ、しゃがんで、目線を合わせてみれば。幼いスボミーのきょうだいが、重たい露で濡れた草の隙間から顔を覗かせていた。不安げだった。風で目まぐるしく動く雲のために落ち着きを失った光が、幾重もの影を草むらに落とし込んでいた。「大丈夫だよ」と、柔和な声音でスボミーに伝えてあげる。閉ざした頭の蕾を撫でたり、なけなしのポロックを食べさせたりして。雪洞ならぬ綿洞の中で過ごす野生ポケモンたちの世話をして回ったら、岬の突端へ。寄せて来ては砕ける波音に耳を澄ませる。眼前を覆うのは、荒涼とした岩場と断崖絶壁を打ち付ける水飛沫。べっこう飴のような光沢を放つ暮れの海に黙祷を捧げる。それが少年の最近の日課。アクア団が解散してから続けてきたことだった。
 海こそがすべて。海を増やすことで新たなポケモンを誕生させ、ポケモンたちのために自然を取り戻す。身寄りのない少年にとって、アクア団の掲げる理想はたいそう魅力的に映ったものだった。たくさんのポケモンたちに囲まれて暮らす世界こそが望ましい。そんな信念を胸に、元団員として時には略奪さえも厭わなかった。けれどもアクア団はあまりにも多くのものを奪ってしまった。陸地に住むポケモンたちの住処も、その命さえも。カイオーガ――大雨を降らせて海を広げたとされる超古代ポケモンの一種――を目覚めさせたことで、ホウエンに未曽有の大災害をもたらした。人やポケモンたちの、時計のように正確に回り続けていた生活の歯車を狂わせてしまったのである。ああ。海は与えるはずの存在だったのに。少年は西日に改悛の念を馳せた。命を与え、育んできた海。それは家族のように温かな響きで。どこから吹いてくる風にも、どこから聞こえる声にもアンテナを張り巡らせ。この世界を一つにつなげようと、海はあらゆるものを受け入れ、その存在を広げるのだと信じて疑わなかった。それなのに、アクア団は海に――命を与えることを役目としてきた存在に奪うことを強いてしまった。与えることが海の役目だとしたら、同時に海は、満たされなければならないのに。与えただけのものを埋め合わせるようなものが必要だ。奪うことでは満たされえないなんてわかりきったことだったのに。海は何によって満たされるのだろう。
「今日も来てたのか、坊主」
 岬の突端から踵を返し、ぶらぶらとわたげ通りを歩いているときだった。横のかまくらから声を掛けられた。灯台守のおじさんの声だ。わたげ通りに足を運ぶようになってから何回か話したことがあるからすぐにわかった。「驚かせて悪かったな」と、綿洞の中から出てきたおじさんは苦笑を浮かべた。
「今日もありがとな。ポケモンたちの世話してくれて」
「このくらい、当然のことだよ」
 頭上を飛ぶドクケイルたちを見上げながら続ける。
「ここにいるポケモンたちは、あの大雨――アクア団の招いた災害で本来の住処を奪われた子たちなんでしょ? 嵐で森が荒れて、移住を余儀なくされて。そんなの、ほうっておけるわけがないよ」
 それに、と言いかけたところで口を噤んだ。自分が元アクア団の団員だというのは公にしたことがない。話す必要もないと思っていた。「坊主は偉いな」と、押し黙る少年の頭をおじさんは撫でてみせた。
「ここをつくったあの子もきっと喜ぶだろうよ」
「ここをつくった……あの子?」
「ああ、そういや紹介したことがなかったな。ここにある綿毛のかまくらは、何も最初からあったんじゃない。野生のポケモンが作ってくれたのさ。ホウエンでは珍しいが、ワタシラガっていうポケモンだ。おーい、出てきてくれるか?」
 呼びかけるおじさん。先程彼がいたかまくらの中から、一匹の小柄なポケモンが出てきた。わた飴みたいな綿毛を頭に載せた植物系のポケモン、という印象。潮風に吹かれてふわりと舞い上がる。頭の綿毛を揺らすと、目の前の草地にぴょいと着地。丁重にお辞儀してみせた。
 わたかざりポケモン、ワタシラガ。滋養効果のある綿毛の種を風に乗せて飛ばすことで、大地や草木やポケモンたちに栄養を与えてくれる種族。ミナモシティにわたげ通りなる道を築き上げたのも、ほかならぬ野生のこの子。カイオーガが目覚めたあの日、強風に飛ばされて遠くの地方からやって来たワタシラガは、岬へと続く原野に綿毛のかまくらをいくつも作ってくれたのだという。森から人間の町に避難してきたポケモンたちが安心して過ごせるようにと、“わたほうし”を出してくれて。その後も時折ポケモンたちの様子を見に来ては、自分で餌をとりに行けない子たちに種を食べさせて回ったり、灯台の周りに生えた草花を元気にしてくれたり。仕事の合間、そんなワタシラガに毛づくろいならぬ綿づくろいをしてあげることもあるのだと、灯台守のおじさんは頬を緩めて話す。
 海のようなポケモンだと思った。夜の帳が下り始めた原野、蝋燭の光でライトアップされた綿毛のかまくらの道をワタシラガは漂い歩いていく。空ではドクケイルたちが活動を始めるために飛び交い、アゲハントたちが住処に帰ってきて羽を休める時間帯だ。綿洞の中からひょっこり顔を覗かせたアゲハントを見つければ。すぐさま駆けつけて、その前でぺこりとお辞儀してみせるワタシラガ。頭の綿毛から種が舞い上がる。それをアゲハントがストロー状の口で絡め取って、ナイスキャッチ。月明かりを受けて爛々と顔を輝かせる。よほど美味しい種なのだろうか。喜びの“ちょうのまい”を踊ったり、その勢いのまま“かぜおこし”をしてみたり。アゲハントの起こした風に乗って、ワタシラガの種はさらに遠くまで飛んでいく。ポケモンたちの声のするかまくらへ、あるいは灯台の光に照らされた宵の海へ。海のように風に敏感で、声に耳聡くて。海のように恵みを与えてくれるワタシラガ。そんなこの子の目の前に、藍に染まった空から一匹のペリッパーが舞い降りてきた。欲張りな性格なのか、嘴の中には餌の木の実がいっぱい。よく肥えた野生のペリッパーだ。ぶいぶいと両の羽を揺すって、何やら種を欲しがっている様子。けれどもワタシラガは知らんぷり。わたげ通りをすたすたと通り過ぎていく。どうして種を与えないのだろう。訝しってワタシラガの後ろをついていく少年に、隣を歩くおじさんはこう言ってみせた。
「あのワタシラガは、物欲しげな者には何も与えないからな」

 海と同じだと思った。与える存在だ。命を生み育む海も、栄養満点の種を飛ばすワタシラガも。けれどもあの日――カイオーガが目覚めた日の荒れ狂った海と同じで、ワタシラガは無意味に与えることを嫌っていたのだった。それはきっとこんな理由からなのだと少年は考えた。つまり、与えることを役目とする者は、与えただけのものを補い、埋め合わせる必要があるから。恵みを与えてくれる温泉は、それを満たす源泉がなければ枯渇してしまうのである。何がワタシラガを満たしてくれるのだろう。

「ワタシラガ」
 気付けば名を呼んでいた。くるりと振り返るワタシラガ。燭の火で途方もなく伸びたその影に入り込むようにしゃがむ。「キミは偉いね」と、頭の綿毛を撫で回しながら少年は続けた。足元の雑草は尖っていて、冷ややかに肌をつついてくるけれど、できるだけ丸みのある声音で。
「こんなに立派なかまくらまで作って、ほかのポケモンたちに種を食べさせてくれて。本当に優しい子だよ、キミは。でも、キミだってちゃんと栄養をつけなくちゃいけない。キミがほかの子たちにそうしてくれたように、ね。だから、これをお食べ」
 口元にポロックを近づけてあげる。するとワタシラガの視線が動く。暗い葉陰をさまよい、隣で破顔して見守るおじさんの上を滑った後、やがては少年に向けられた。食べてくれた。淑やかな表情はそのまま。けれどもほっぺを寄せてくれて。さわさわと頭から飛び散る綿毛の感触が、何とも心地いい。
「もしかしてワタシラガ、坊主のポケモンになりたいんじゃないのか?」
「えっ、そうかな?」
「ああ。坊主とワタシラガ、合いそうな気がするからな」
「そうだったら嬉しいよ」
 ありがとう、ワタシラガ。そう笑みをこぼせば。今の自分が注げるだけの愛情で、この子を満たしてあげられるだろうか。
 りくちの さいはて うみの はじまり。この場所から、新たな生活は始まるのだ。少年はワタシラガを撫でる手つきを強めた。海のように、あるいは海に負けじと。舞い上がる綿毛が、もっと、もっと、その広がりを見せてくれるように。


セイ ( 2020/05/29(金) 19:02 )