アクロアイトの鳥籠










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7章
破損記憶[

 昔々のお話です。
 あるところにいた『子供』はあるとき突然『従者』の前から姿を消してしまいました。
 『従者』がどんなに嘆こうと、悲鳴を上げようと、自分を責めようと、『子供』が応えることは無くなってしまいました。
 なぜなら『子供』は永遠に失われてしまったからです。

 『子供』はとうとう最期まで『従者』に恨み言を言うことはありませんでした。痛いことも、恐ろしいことも、何も知らないまま、ただただ笑っていたのです。
 血を吐く『従者』を見降ろして『子供』は笑っていました。無根拠な万能感は、それでも強がりなどではなく。『子供』は良かれと思って無造作にそれを選びました。

「……? あ、えっ。……私は、おれは、きみは。貴方は? ぼくは。僕は? ……僕は、誰?」

 ぺたぺたと顔を触り、身体を見下し、周囲を見渡し、水に姿を映して。
 何者でもなくなってしまった、『子供』だったものはぼんやりと見知らぬ自分の姿を眺めました。
 『従者』が結んでくれた白布は解けてしまって、
 『従者』の引いた手にぬくもりは残っていなくて、
 『従者』が願った過去も未来も失われてしまって、
 『子供』はこみ上げてくる笑いを抑えることが出来ませんでした。
 何もかもがわからなくて、何もかもを覚えていなくて、自分が誰かも知らなくて、もうそれだけしかできなかったのです。

 昔々のお話です。
 あるところに『従者』を失った『子供』がおりました。
 『子供』は、あまりにも無邪気に、あまりにも容易く、あまりにも安直に、何かを確かに選んだのです。

 けれど『子供』は。
 自分が何かを選んだことさえも、もうわからなくなっておりました。

   *

 昔々のお話です。
 あるところに主を失った『従者』だったものがおりました。
 主を失ったのは、『従者』でなくなったのは、主である『子供』を失ってしまったからです。

 それはとても、そう。『従者』の世界にとって起こり得ないと切望していた出来事のはずでした。なぜなら『従者』は『子供』を護ろうと必死で策を弄したのですから。『従者』にとって『子供』は『従者』の世界に居るべき存在で、『子供』が居ないということは『従者』が失態を侵したからに他ならないのですから。それなのにその『子供』はもう『従者』の傍には居ませんでした。
 『子供』が失われたことで、『従者』は『子供』の付き人たちからたくさんたくさん、言葉を浴びせられました。
 たくさんたくさん、たくさんたくさん、山のように降り注ぐ言葉のすべてに『従者』はわかりませんと答えました。何もわかりませんと、何も覚えていませんと。何百回も何千回も同じ言葉を繰り返し、それだけの時間考えて。
 一つの決意を固めたのです。

「分かりません。分からないのです、何も分からないのです」

 『従者』は最後まで『子供』の幸せを願って、そう答え続けました。

 昔々のお話です。
 あるところに、『子供』の遊び相手に選ばれた『従者』がいました。
 『従者』は最後まで『子供』を守ることは出来ませんでした。


森羅 ( 2018/05/05(土) 17:55 )