破損記憶[
昔々のお話です。
あるところにいた『子供』はあるとき突然『従者』の前から姿を消してしまいました。
『従者』がどんなに嘆こうと、悲鳴を上げようと、自分を責めようと、『子供』が応えることは無くなってしまいました。
なぜなら『子供』は永遠に失われてしまったからです。
『子供』はとうとう最期まで『従者』に恨み言を言うことはありませんでした。痛いことも、恐ろしいことも、何も知らないまま、ただただ笑っていたのです。
血を吐く『従者』を見降ろして『子供』は笑っていました。無根拠な万能感は、それでも強がりなどではなく。『子供』は良かれと思って無造作にそれを選びました。
「……? あ、えっ。……私は、おれは、きみは。貴方は? ぼくは。僕は? ……僕は、誰?」
ぺたぺたと顔を触り、身体を見下し、周囲を見渡し、水に姿を映して。
何者でもなくなってしまった、『子供』だったものはぼんやりと見知らぬ自分の姿を眺めました。
『従者』が結んでくれた白布は解けてしまって、
『従者』の引いた手にぬくもりは残っていなくて、
『従者』が願った過去も未来も失われてしまって、
『子供』はこみ上げてくる笑いを抑えることが出来ませんでした。
何もかもがわからなくて、何もかもを覚えていなくて、自分が誰かも知らなくて、もうそれだけしかできなかったのです。
昔々のお話です。
あるところに『従者』を失った『子供』がおりました。
『子供』は、あまりにも無邪気に、あまりにも容易く、あまりにも安直に、何かを確かに選んだのです。
けれど『子供』は。
自分が何かを選んだことさえも、もうわからなくなっておりました。
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昔々のお話です。
あるところに主を失った『従者』だったものがおりました。
主を失ったのは、『従者』でなくなったのは、主である『子供』を失ってしまったからです。
それはとても、そう。『従者』の世界にとって起こり得ないと切望していた出来事のはずでした。なぜなら『従者』は『子供』を護ろうと必死で策を弄したのですから。『従者』にとって『子供』は『従者』の世界に居るべき存在で、『子供』が居ないということは『従者』が失態を侵したからに他ならないのですから。それなのにその『子供』はもう『従者』の傍には居ませんでした。
『子供』が失われたことで、『従者』は『子供』の付き人たちからたくさんたくさん、言葉を浴びせられました。
たくさんたくさん、たくさんたくさん、山のように降り注ぐ言葉のすべてに『従者』はわかりませんと答えました。何もわかりませんと、何も覚えていませんと。何百回も何千回も同じ言葉を繰り返し、それだけの時間考えて。
一つの決意を固めたのです。
「分かりません。分からないのです、何も分からないのです」
『従者』は最後まで『子供』の幸せを願って、そう答え続けました。
昔々のお話です。
あるところに、『子供』の遊び相手に選ばれた『従者』がいました。
『従者』は最後まで『子供』を守ることは出来ませんでした。