アクロアイトの鳥籠










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5章
破損記憶X

 昔々のお話です。
 あるところにいた『お嬢様』はあるとき『子供』に昔話を語りました。
 それは、品行方正な夫婦が困難を乗り越えて幸せに暮らすという、とてもありふれたお話です。

 『子供』は『お嬢様』が語るその話に耳を傾けていましたが、いくら考えてもそのお話のどこが良いのかさっぱりわかりません。けれど『お嬢様』は、そんなお話をとても楽しそうに語るのです。優しい声と、蕩けるような笑顔を浮かべて。

「とてもとても素敵でしょう?」

 そう問われれば、それに答える言葉を『子供』は一つしか持ちませんでした。『子供』は『お嬢様』の遊び相手であり、『子供』の世界は『お嬢様』によって廻っていたのですから。
 『お嬢様』を見上げ、答える『子供』の頭を『お嬢様』は微笑みながら撫でました。その手がくすぐったくて、幸せで、『子供』は『お嬢様』が言うのだからその話はきっととても素晴らしいものなのだろうと思ったのでした。

 『お嬢様』は最後まで“どうしてこの物語が好きなのか”その理由を『子供』に教えませんでした。

   *

 昔々のお話です。
 あるところにいた『従者』はあるとき『子供』から昔話を聞かされました。
 それは、働き者で仲の良かった夫婦が困難にも負けず幸せになるという、どこにでもありそうなお話です。

 『子供』は静かに拝聴する『従者』に対して嬉しそうに物語を語ります。とてもとても素敵なお話だと、そう声を弾ませ、口元を緩めて。けれど、『従者』は相槌を打ちながら、心の中で困った顔をするしかありません。『子供』のいうほどそのお話は素敵なものには思えなかったからです。

「ええ、とても素敵ですね」

 それでも『子供』から相槌を求められれば、それに対する『従者』の選択肢は一つだけでした。『子供』は『従者』の主人であり、『子供』の世界は『従者』を必要としていたのですから。
 肯定する『従者』を見ながら無邪気に笑う『子供』に、『従者』は頬を緩めました。『従者』が笑ってくれるのが嬉しくて、幸せで、『子供』はこの物語のようにきっといつか誰もが幸福になれるのだろうと思ったのでした。

 『従者』は最後まで“この物語のどこが良いかわからない”という真実を『子供』には言いませんでした。


森羅 ( 2015/01/27(火) 01:51 )