アクロアイトの鳥籠










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1章
1.彼女と僕とそういう関係

 街中に反響する音楽が、三時を告げた。

 おぉお、と小さな感嘆の声と共に僕は真上を見上げる。さして長くもない炭色の髪が重力に従って首に掛かった。頭に巻いている白布の端も髪と一緒に流れる。少し、首が痛い。見上げれば見上げるほどに地に足がつく感覚が鈍くなり、平衡感覚が破綻する。
 目の前にそびえるのは煉瓦造りの聖堂。荘厳なるそれに豪奢さないが歴史を感じさせる佇まいはある。歴史学的にも貴重な研究資料となるらしいことは、そこの看板に書いてあった。さらにさらに(ここ)からでは見えないけれど、中に入れば壁に施してあるステンドグラスがとても綺麗なのだとか。時間さえあれば是非見てみたいなと思う。ただ、今はそれどころじゃない。

「……ここじゃ、なかったっけ……」

 首の骨をこきぽき言わせながら僕は辺りを見回す。行き交う人は数あれど、求める人物は見当たらない。三時に、と聞いていたのに。地面すれすれにまで裾の長いドレスを引きずりながら女性が二人、通り過ぎて行った。

「こことは違うのか……な?」

 再度、呟く。いやでも確かに彼女は僕に『三時にこの街で一番大きな時計塔の前』と言ったはずだ。そして、この街にある五つの時計塔のうち一番大きいのは町の中央に位置するこの聖堂。照り付ける太陽に熱を帯びた時計の針が光る。

「……あ、でも聖堂か」

 一人、その可能性に気づいた僕は声を上げる。時計塔と聖堂。微妙なニュアンスの違いだけれど、そうかもしれない。納得しかけて、いや待て待てと僕は自分自身を止めに入る。この街の、四隅と中央。それぞれに設置された五つの時計塔は全て聖堂の付属品のはずだ。それ以外に『時計塔』と称される建物はこの街にはない。つまり僕が間違えていないとすると彼女がどこかで油でも売っているのだろう。彼女は他人のミスには壮絶に突っ込むが、自分のミスにはとことん甘い。典型的な“世界は自分を中心に回っている”なお嬢様。見た目も声も性格もその表現がこれ以上なく良く似合う。……あぁ、僕はそういう言い回しができるのか。覚えておこう。

「とりあえず一周してみようか」

 大きな建物だからもしかすると、こことは違う所に居るのかもしれない。僕がいるところが時計塔もとい聖堂の正面なのだから彼女がこの時計塔、もとい聖堂周辺のどこかにいることはほとんど期待はしていないけれど。
 敷石は綺麗に均されて、建物は一様に煉瓦造り。煉瓦色の建物が並ぶ光景は街全体の雰囲気をどこか柔らかくさせていた。ポニータやギャロップの引く馬車が、ひずめの音を響かせて左へ右へひっきりなしに駆けて行く。人の往来もそれなり。彼女曰く、この街は他に比べて比較的近代化の進んだ街らしい。確かに僕が今までに見たこともないようなものがこの街には多くある。尤も僕が知らないということが近代化しているという話への裏付けにはならないだろうけれど。
 ただ、そんな僕でもとても大きな街だなということくらいは思った。正方形に近い形をしたこの街は四方および中央に立派な聖堂を持つ。どの聖堂もその時代ごとに信仰を集め、今現在に至るまで脈々と受け継がれて現存している。そしてその五つのどれもが建造物としても街のシンボルとしても価値の高いものばかりだろうけれど、その中で一番大きく歴史が長いのが中央の聖堂に当たるのだ。
 聖堂にはそれぞれ時計塔と呼ばれる建物が付随されていて、三時間ごとに音楽を奏でる。が、時を告げる音がこの街は独特だ。僕は大きな鐘でも突くのかと思っていたけれど、そうではなく使われるのは五つの楽器。五つの聖堂で使う楽器は異なり、それぞれが音を鳴らし、五つで一つの曲、音楽として機能する仕組みになっている。この街で時の音は『音楽』なのだ。街中に聞こえるようよく考えてあるのだろう。昨日初めて聞いた時は驚いたし、反芻するそれぞれの音色がとても気に入った。この街に着いてから目に入るもののほとんどが物珍しくて面白いのだけれど、その中でたぶん一等気に入っているだろう。三時間ごとそれぞれで奏でられる音楽が違うのも良い。僕はもう一度頭上を見上げ針を刻む時計を眺めた。
 街並みを眺めながらぐるりと歩く僕。時折物珍しそうな顔で僕を見、また指を差して笑う人がいるのが目の端に映る。それは僕の毛色の違う見た目のせいかそれとも行動のせいか、いまいち判断はつかない。いや寧ろどちらもなのかもしれない。まああまり気にしていても仕方がないのだろうけれど。周りの視線は無視して、僕は街の景色を楽しむ。垣間見えた裏路地は窓から窓へ洗濯物が吊るされ、生活感あふれる状態なのに表通りに面した窓には花なんかが飾ってあったりするものだから、見ていてどこか微笑ましい。
 大きな街だということを裏付けるように、街行く人の様子もまた様々だ。男性はかなり人ぞれぞれの格好だけれど、つい自分の格好を見下ろすくらいには時代が進んでいる。いや、ただ単に身分や裕福さ具合によるものなのかもしれないけれど。自分の格好は質素、それ以上に特筆すべきことはない。一方、流行なのか女性は色とりどりで裾の長いドレスが多い。
 そうこうしている間に聖堂を一周していたらしい。さっきまでいた場所に舞い戻ってしまった僕は“ずっとここに居ましたよ”と言わんばかりの顔でそこにいる人物につい顔を引き攣らせた。
 肩に掛かった柔らかなコーラルの髪は耳のあたりで左右一房ずつ小さな三つ編みを作っている。大きめの瞳はヘーゼル。髪色よりももう少し明るい桃色をした服は、街で見かける女性たちの様な裾の長いものではないけれど、きっとドレスに当たるのだろう。焦げ茶のショートブーツが見える程度に丈は調節してあるそれは、しかし決してそれは旅する人間の格好ではないと僕は何度見てもそう思う。この感覚は間違っていないはずだ、多分。

「……ルノア」
「あら、遅いわ」

 蕩けるような声色と満面の笑みで僕を迎える彼女――ルノアに僕はできうる限りの白い目を向ける。時計の長針は二十分を回っていた。流石の僕でも怒っていいと思う。

「それは、君のことじゃないかなって僕は思うんだけど? ルノア、待たされた身にもなってよ」

 溜息をつきながら僕は不満をルノアにぶつける。ただ彼女は僕の言葉には答えず、薄ら笑ったまま僕に向かって歩いてきた。躊躇いなく歩を進める彼女になんだなんだと僕は狼狽える。この笑顔はいつもの心底楽しそうな笑い方とは違う。完璧にルノアに“刷り込まれ”ている僕は彼女の表情に恐怖を感じずにはいられない。ぐいと顔を寄せてくるルノアにぼくはその分たじろいだ。頭に巻かれた白い布が耳を擦って髪とは違う方向へ揺れる。そしてそれは彼女の三つ編みも同じ。僕の世界の音が、彼女の声だけで満たされる。

「ねえ、ラウ。わたし、言ったわよね?」

 幼げで、しかし纏わりつくような甘さと凛とした響きを持つ声と言葉。それに何を、と聞きかけて気が付いた。ああ、そうだすっかり忘れていた。

「……ごめん、いやあの、すみません」

 理不尽で暴虐で僕に不利な気しかしない彼女との『賭け』のことを。
 言い直す僕にルノアは満足げに微笑む。その微笑みだけを見れば彼女は立派な『お嬢様』だ。その微笑みだけを見れば。

「構わないわ。さあ、行きましょう。わたし、とても面白そうなものを見付けたのよ」
「……信用していいの……んですか」

 嬉しそうに楽しそうに笑うルノアに僕はちっとも笑えない。彼女のこういう表情にいい思い出がないのだ。タイムリーな話題としては……やっぱり盗賊の巣で寝泊まりさせられた事だろうか。だが、ルノアは僕の表情など気にも留めない。ただ楽しそうに笑い、ステップを踏むように軽やかに歩く。ドレスのすそ踊って、敷石が音を鳴らした。

「あら、当たり前じゃないの。ほら、あの建物よ。見えるでしょう?」

 含みのある笑みで、華奢な白い指が真っ直ぐにどこかを指差す。その街の雰囲気からどこか外れてしまっている堅牢で巨大な建造物を眺めつつ、僕はつい零した。

「……どうして僕は、君の傍にいるのかなあ……?」
「もう、ラウったら。言葉、気を付けて頂戴。この場合はあなたって言ってね。……でも、決まってるじゃないの。ラウ」

 彼女は笑った。僕の疑問に対して、とてもとても楽しそうに。
 そして彼女が答えるであろう答えを僕はもう知っている。そう、君はこう言う。わたしが、

「わたしがそう、望んだからよ」


■筆者メッセージ
お初にお目にかかる方もいらっしゃるかもしれません。その方ははじめまして。ご存知の方はこんにちは。

本当は鳩さんところの黒美ちゃんおよびロキ君とクロスオーバーさせて頂いていたのですが、そこの部分はカットしてあります(徹底にはそのバージョンが載っています)
森羅 ( 2014/10/22(水) 02:36 )