第二部 ワタル
2.4
 ポケギア越しに聞こえてくる声は、いま世間から最も注目を受けている男、ワタルであった。ワタルは私が出て挨拶が済んだあと一番に、セキエイから離れているみたいだが。と私に尋ねてきた。私は別に隠すつもりも無かったので恋人と海に来ていると答えると、もうすこしお前にポケモントレーナーとしての執着心があったのならば、俺はもう少し早く引退出来たのにな。と返事が来た。その声からワタルの別の真意をはかろうと思ったが、やはり私には、お前がポケモンに対する執着心さえあれば、簡単に自分を越えられるのにとしか言っているように思えなかった。
 とはいえ私は逆に、執着心が無かったからこそここまで来れたのだと思うし、逆にポケモンバトルにいれこみすぎるほど私自身の引退が早まったのではないかと思っていた。だから私はワタルの言葉に、そうかもしれないな。と返事をした。視線を上げると、太陽が輝いていた。体中から汗が噴き出しシャツが汗で濡れている事に気付き、私は一刻も早く海で泳ぎたいと思った。私の口がワタルからきょう連絡を入れた理由を聞いていた。ああ、今日お前に頼みたいことがあって連絡したんだ。私は特になにも考えずにその頼み事の内容について聞いていた。――今回のポケモンリーグ、恐らくは遅くなるだろうがきっとお前と対戦するときが来ると思う。その時に俺に引導を渡して欲しい。ここで私は恐らくそれは出来ないと言いかけたが、ワタルは私の言葉を入れさせる間もなく続けた。――俺は今回引退をすると発表したが、自分自身でこの決断が正しかったのかどうか未だに迷っている。正直なところ俺のポケモンも衰えが見えてくるが、それでも並大抵のトレーナー、いやジムリーダーでさえ軽く捻り潰すことが出来る自信がある。……だからもし、……もし今回のポケモンリーグで優勝してしまったら、世間が俺を引退させてくれないし、俺自身がポケモントレーナーを引退出来ない。だからどうか、お前の手で俺を倒してくれないか。私は少しだけ考えて、それは他の四天王にも頼んだのか。と聞いた。お前だから頼んでいるんだ。と言われて、私はそれは約束出来ない。と言うわけにもいかず考えてみるよ。と答えてしまった。きっと海でこの会話をしていなかったらこの件は無かったことにしてもらっていただろう。
 通話を終えるとエリカが既に水着を選んでおり私たちは着替えて夏の海で泳いだ。彼女の水着は砂浜で一際輝いているように見えた。浜辺で休憩している際にエリカに誰からの通話か聞かれたので私はワタルで、優勝してくれと言われたよと続けた。サトシ君は彼に勝てるのと聞かれて。
私は分からない。としか言えなかった。彼女はそうよね。と答えて、でもワタルの後を継げるのはあなたしかいないとみんなは思っているんじゃない、もちろん私もその一人なんだけどな。エリカからそう言われて少しだけ考えてみようと思ったが、それは私自身が決める事ではないような気がした。結局海に言ったにも関わらず、ワタルの言葉だけがずっと気がかりで私はあまり海で楽しむ事が出来なかった。ただ、私自身の中でポケモンリーグでワタルに勝たなければならないという重圧がただひたすらにのしかかっていた。ひどく、私は疲れているように感じた。
 ポケモンリーグが開催されたのはそれからまもなくの事だった。各地からトレーナーが集いその力を試そうとしていた。シバから注目のトレーナーは誰か。と聞かれて私はワタルだと答えた。シバは聞いたぜ、倒してくれって言われたんだってな。私は特に否定する材料も無かったので、ああ。とだけ返事をした。あいつはきっと、ピカチュウが死んだ時の対応ですっかり悪くなってしまったお前の印象を、自分を倒す事で払拭してほしいんだろうな。この言葉を聞いて、私はエリカにワタルの後を継げるのはあなたしかいないと言われた時に感じた言葉を思い出した。そう、ピカチュウが死んでしまって悪くなってしまったと言われる自分の印象も、自分自身がワタルの後を継いでカントー地方を牽引していく事も、すべて自分自身が決める事ではなく他人が決める事なのだ。私はシバにそう伝えると、後は控え室のモニタよりポケモンバトルの様子を眺めていた。そこで私が考えていたのは、ここで戦闘不能になってしまったポケモンが三年後ふたたびこのポケモンリーグの闘技場に足を踏み入れる事が出来るか、という事だった。恐らくそれは出来ないと予想した。
 ポケモンリーグは全部で七日間の日程で、初日から三日間が第一予選、四日目が第二予選、五日目から本戦となり本戦では二つの予選を勝ち上がった十五名のトレーナーとカントー地方のジムリーダー、それから四天王に別の地方の招待選手数名を含めた合計三十二名がその腕を競い合う。私は四天王なので、つまらなく言ってしまえば五回勝利すれば良いだけなのだが、これは随分と都合の良い立場にいると自分でも感じる。一度立場を手にしてしまえば、それを守るのは随分と簡単になってしまうものだ。その代わり、立場を手に入れるまでには随分と苦労しなければならないし、そして捨てるにも随分と苦労しなければならない。
 ポケモンリーグの第一予選、第二予選が終了して残すは本戦のみとなった。四天王で唯一大型ポケモンを扱うワタルが引退を表明したからか、今回のポケモンリーグでは大型ポケモンを携えたトレーナーが多かった。恐らくは、ワタルの抜けた穴を埋めようと考えているのだろう。しかしながらそのようなトレンドに乗っかったトレーナーの殆どが予選の段階で姿を消す事になった。やはり大型ポケモンを扱う事はそれだけで大変なのだと実感した。

氷飴 ( 2013/07/06(土) 02:00 )