1.5
警備員の男に院長のいる部屋へと案内された。育て屋の内部は良い意味で私の期待を外れていた。先程の男の会話の中での発言から、育て屋の内部は環境的にはポケモンが住めないのではないかと危惧をしていた。しかしながら実際の内部は十分にポケモンの事を考慮している環境のようにも見えたし、またこれならば下手にポケモンの扱いの悪い飼い主に面倒を見てもらうよりも数段よい環境にも思えた。
此処ですよ。それでは仕事に戻るので、私はこれにて。警備員の男は私を院長室の前まで案内すると、それだけを残して逃げるように足早に去って行った。
部屋をノックすると、どうぞ。と部屋に入るよう促された。その声は私にピカチュウの死を知らせたあの声だった。部屋の中には警備員の男と年齢は同じくらいだろうか、しかしながらどことなく疲れた顔をしている白髪の男が座っていた。この男が院長であることには間違いがなさそうであった。院長は私の姿を見ると、君がピカチュウの飼い主の方ですか。男の問いかけに返事を返すと、いやあ、お待ちしておりましたよ。口では確かにそのようなことを言ってたのだけれど、瞳は全くそのような色をしていなかった。確かに預けたポケモンを死なせてのこのこと現れるのは確かに気持ちの良いものではないのでしょうがないのだが、それでも私は少しばかり不快感をあらわにしてしまった。もしかしたら院長も気付いたのかもしれない。
院長の男は私がピカチュウの飼い主だと分かると、いくつかの形式的な質問を私にした。質問、というよりはそれが正しいのかどうかを口頭で確認していただけなのだが。質問の中にはピカチュウの出生日や、身体的な事も聞かれた。その中には私の知らない質問もあったが、私はすべての質問に対して、そうです。はい、間違いありません。と答えた。特に私を困らせた質問は、ピカチュウの名前に関することだった。私はてっきりピカチュウには名前をつけていないものだと思っていた。普段からピカチュウと呼んでいたと思っていたし、それにピカチュウに名前だなんて考えたこともなかった。なのでこの質問の回答を答えるのに少し窮してしまった。
一通りの質問が終わると、それではピカチュウの埋葬をしましょうか。それだけ言うと何も言わずに席を立ち部屋を出た。私はよく分からないままであったが、ついてこない私に対して、どうかしましたか。と言われたので仕方なしについていった。男は歩きながら、ひとり言のような話をしていた。
いやあ、サトシさんはそういう事はないと思うんですけれどね。うちは直接此処に来なくてもポケモンを預けられるようにしているんですけれどね、そのシステムをしている所為かどうもね、飼い主の意識が悪いらしいんですよ。こう、うちに預けるときは、パソコンを使ってどんどん預ける割に、引き取る時はねえ、いつもこんな風なんですよ。別に悪いってわけじゃないんですけれどねえ。ポケモントレーナーとしての意識としてそれは正しいのかと。別にねえ、サトシさんには流石にそういう事が無いと思って会話をしているんですけれどねえ。中には預ける前のポケモンの名前すら忘れているトレーナーがいるから困ったものなんですよ。うちはお金さえもらえば経営は出来るんですけれどねえ、これは間違ってますよ。ねえ、そうは思いませんか。そうは思いませんか。――ええ、そうですね。
私はこれだけしか返事をすることができなかったのは、この男の言っていることが私にも当てはまっていたからだった。男の会話はまだ続いていた。
いやあ、サトシさん、気をつけた方がいいですよ。サトシさん程のトレーナーなら、このような出来事はすぐに広がってしまう。此処はマスコミは入れないように警備員さんにお願いしているんですけれど、外に出たらくれぐれも気を付けてくださいね。周囲の人が皆、サトシさんの事情を知っているわけではないんですから。
院長はそう言ってはいたが、既に事実がどこからか漏れている以上、私にはどうしようもない事のように感じられた。それから会話の中からいくつかの施設も案内された。どの施設も綺麗に整備されており、ポケモンを預ける分としては申し分がないのは確かだった。しかし、放されているどのポケモンの瞳もこの院長と同じようにどこか虚ろな色をしていた。
こんな物、此処には無い方がいいんですけれどねえ。と言いながら、院長は目の前の表情なんても微塵も感じさせない焼却炉の扉を叩いた。それは立派な焼却炉であった。これならば、預けている最中に死んでしまったポケモンを処理する分にも問題が無いように感じられた。では、準備はすでに整っておりますので、始めましょうか。院長はポケギアを手にすると、ポケギアの相手に向かって、準備が整ったので××君を持ってきてください。××。こう言われると実感がわかないのだが、それは確かに昔の私が以前ピカチュウにつけていたはずの名前であった。それだけを伝えると視線を私の方に向け、後はここで最後の挨拶だけです。心の準備のほうはいかがですか。と、それはまるでピカチュウがこれから死ぬみたいな言い方で質問してきたので、私はどう返事をしていいのか分からずに戸惑ってしまった。だから私は、いえ、結構です。と答えることしかできなかった。それでは××君の顔はもう見なくても良いのですか。少しだけ不満げに顔をゆがめて再度聞いてきたので、やはり言いなおそうかと思ったが、どうしてもピカチュウの顔を見る事が私にはできなかった。
まもなくして、ピカチュウが中に入っていると思われる棺桶が運ばれ、すべてが決まっていたかのように焼却炉の中に入れられた。扉を閉める前に、本当に××君の顔を見なくても良いのですか、と聞かれた。しかしながら私の気持ちは変わらなかった。それならばせめて、と焼却炉のスイッチを押してくれ、と頼まれたのでそれだけは渋々私も了承した。
焼却炉の前には、私と、院長と、ピカチュウの棺桶を運んできた育て屋の飼育員が二人。それから興味本位で来たのだろうか、先程の警備員の姿も見られた。しかしながら、それ以外の人の姿は見られなかった。そこで私は昨夜エリカとカスミの言っていた、ピカチュウがまだ私の手元でポケモンバトルをしていたころの会話を思い出していた。確かにピカチュウは昔、私の所持ポケモンの中でも抜群の素早さを誇っていたし、私の名前を聞くとピカチュウの事を想像する人も多数いることを知っていた。そんなポケモンが、今静かに、こんなポケモンバトルだなんて縁のないようなほんの僅かな人間に見守られながら形を喪っていくのだと考えた時、その時初めてピカチュウのことが申し訳なく感じた。しかしピカチュウのことを考えたのはそこまでだった。どういうわけだか知らないが、次の瞬間で押さなければ、もう二度と焼却炉のスイッチを押すことができないと思ったからだった。
次の瞬間スイッチを押したのだが、そのボタンの感触は思い出せない。ただ、ボタンを押した次の瞬間にごうごうと全てを呑み込む炎の声が聞こえた。そこで確かな終わりを私は感じた。
しかしながら、その時間はあまりにも長く感じられた。まるで凍てついてしまったかのように。
その時間の中で、私はピカチュウと共にバトルをしていた。いつだっただろうか、あれはポケモンリーグで四天王の長であるワタルとのバトルをしている時であった。大型ポケモンを好んで使用するワタルは、攻撃は中々効かない上に、一撃がとてつもなく大きい、私にとって最も苦手な相手の一人だった。普通の大型ポケモンであれば、小回りの良さを生かせるのだが、流石に四天王相手となるとそうも上手くはいかせて貰えなかった。しかしながらあの時は、互角かそれ以上に戦えていたのは確かだった。それはピカチュウの主力の攻撃が電気技であり、直接攻撃してダメージを与えるよりも効果的であったこともあったのだが、その上に長い間の中でピカチュウは電気技と自身の持つ素早さを最大限に生かせる技、“ボルテッカー”を使用できるようになったのが大きかった。しかしながらこれはピカチュウにも多大なる負担をかけていたのは間違ってはおらず、事実格上のワタル相手にはその技を中心として戦略を組み立てていたのは確かだった。そしてそこで私が見たのは、ボルテッカーの指示を受け、攻撃をしようと移動を始めた瞬間にバトルフィールドに崩れ落ちたピカチュウの姿と、どうして負担のかかる技ばかりを指示したのかという理事長から叱責されている私の姿であった。
私は自分自身を責めた。そしてピカチュウに謝ろうとした瞬間――
サトシさん。サトシさん。大丈夫ですか。私の名前を呼ぶ声で我に返った。そこには院長と警備員、それから棺桶を運んできた飼育員の姿も見られた。どうやら私は昨日眠らなかった所為か、ピカチュウの火葬中に眠ってしまったらしかった。皆、口には表さないが、私に向けられた瞳は警備員が言っていたあの希薄な意識を持ってポケモンを預けた者へ向けられる軽蔑の眼差しに変化していた。もうどうしようもなかった。
それからの事はよく覚えていない。もしかしたら私はまたも居眠りをしたのかもしれないが、していてもしていなくてもそれは変わりのないことだった。
すべてが終わったのは、昼過ぎのことだった。今日は一日休みを取っているし、これからセキエイ高原に帰って一日眠て忘れよう。そう思い、メタモンをエアームドに変身させようとした瞬間、私はメタモンが花柄の便箋を持っていることに気がついた。
メタモンから便箋を預かり、私は中身に目を通した。便箋には短く、“折り返しの連絡を待っています。”と便箋には線の細い文字で書いてあり、それから次の行ににポケギアの番号と思われる連絡先が書いてあった。しかしそれ以上は何もなかった。そして、差出人の名前もどこにも書いておらず、私は最初悪戯ではないのかと考えた。それでもその連絡先に連絡を入れたのは、私が今日の件のことを誰かに話したい気持ちがあったからという事もあるし、また誰でもいいから今日のことを弁明したいからでもあった。
ポケギアに便箋に書いてあった番号を入力すると、一つ目のコールが終わらぬうちに相手が出たようであった。
もしもし。あの、もしかしてサトシ君かしら? やや控えめに私に訪ねてきたその声の主はどうやらエリカで間違いがなさそうであった。どうしてメタモンにメールを持たせたのかという事も聞きたかったのだが、それは出来なかった。何故なら軽い挨拶の様な会話をいくつか済ませた後に、エリカが申し訳なさそうに私に訪ねてきたからだ。
――……もしよかったら、これから私と会ってくれないかな。
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