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寝ようか寝まいか迷ったが、結局その夜は全員眠ることはなかった。本来ならば私だけ起きていればよかったのだが、一人だけ眠らせないのは悪いと皆が気遣ってくれたのだった。ピカチュウの葬儀の日に遅れると周囲が何を言うか分からないからな。とタケシは言った。それから朝食を食べた後にメタモンを昨夜此処に来たようにエアームドに変身させてニビを後にした。私と同じくメタモンも昨日十分に休養をとることができなかった為か、疲れが抜けきってないようであった。ニビからハナダの間の距離はそれほどでもなかったが、ハナダへ向かっている途中に眠っていなかった為か私は少しうとうとしてしまった。恥ずかしながら他の飛行ポケモントレーナーから声を掛けられてそのことに気がついた。そのトレーナーは私に疲れているのかい。と僅かに微笑みを含ませながら問いかけてきたが、私は出来ることならば私自身の正体に気づかれてしまう前にこの場を離れたかったので、そうです。とだけ答えてメタモンにもっと速く移動するように指示を出した。
数年ぶりに来た育て屋の景観は私の思っていたものとまるで違っていた。これには私がピカチュウを育て屋に預けてから長らくこの場所に来なかったことがあった。またハナダシティの郊外にあるせいか育て屋を見つけるだけにも時間をかけてしまった。
育て屋はハナダシティ南部の土地を丸ごと回収して様々なポケモンを預けることができるように作られた広大な育成施設であった。最近では様々な街の郊外でポケモン育て屋あるが、カントー地方で最初に作られた育て屋ということでわざわざハナダまで出向いてピカチュウを預けたのだ。結果的にはそれがピカチュウの死に目にも会えなくなる要因になってしまったのだが。
育て屋に入ろうとすると、用事がある方かね。と入口の前で警備員らしき人に声をかけられた。警備帽子を深く被っている為か見た目の年齢はよく分からなかったが、声は明らかに還暦を迎えていてもおかしくないくらいのしわがれた声をしていた。私は問いかけに対して返事をすべきか迷ったが、そうですが。とだけ答えた。そこでその初老の警備員の男は、もしかしてピカチュウの所有者の方ですかね。と思い出したように聞いてきた。他に返す言葉もなかったので適当に相槌を返した。いやあ、確かサトシさんでしたかな。今日はまだ受付時間じゃありませんよ。と警備員の男から申し訳なさそうに言われたのでしばらくどこかで時間をつぶそうかと思ったが、警備員の男が暇でしたら此処で話でも聞かせてくれませんかね。四天王の方と会話をする機会なんてそう滅多にあるものじゃないですし。別に聞かせる話などはなかったが、私自身暇だったので構わない。と言った。するとその警備員は私を育て屋内に招くと、恐らくはいつもこのようにして受付時間まで待つトレーナーが休憩するためと思われるベンチに腰をかけるように促された。私が座ると、警備員の男も隣に座ったので、こんな事をしても大丈夫なのか。と聞くと、私の仕事は此処に来たトレーナーの話を聞くことですよ。と言った。そのまま警備員の男は、院長は怒ってられましたけど、サトシさんの気持ちもわかるよ。とやけに頷きながら、私が話す前に喋り出した。警備員の男が口にした院長というやけに耳慣れしない言葉が私の頭から中々離れなかったのは、私自身がもつポケモン育て屋のイメージと、実際のポケモン育て屋のイメージが異なるからであった。育て屋ではポケモンを育成するだけでなく、怪我などの故障で戦闘に出られなくなったポケモンのリハビリを行う側面も持っていた。院長という言葉はそこから生まれたものだとは思うが、どことなく私は違和感というものを感じた。警備員の男が続ける。うちの院長みたことありますかな? 私はね、あの男にポケモンの面倒を見てもらってはいけないと思うんですよ。いや、此処だけの話ですがね。警備員の男は院長には内緒で、私の首が飛んでしまう。と耳打ちで言っていたが、どこまで本気なのかは分からなかった。院長というのは恐らくは私にピカチュウが死んだと連絡をよこした男で間違いがなさそうだった。私はその院長の顔を思い出そうとしてみたが、よく思い出せないでいた。しばらく私が考え込んでいると警備員の男が、やっぱり院長にあったことありませんか。此処に来る人間の殆どは自分の所持していたポケモンが死んだときに顔を出しに来るのさ。この話には興味があったので聞いてみた。
警備員の男が話すには、この育て屋は直接ポケモン育て屋に出向かなくても、パソコンを利用してポケモンを預けることができるようにしているらしかった。ここで警備員の男は私に、貴方のピカチュウもこうして預けたんでしょう。と聞いてきたが、私が答える前に、いや気持ちはわかるんですよ。四天王の方がわざわざハナダに来てまで手続きを済ませてポケモンを預ける余裕はないでしょう。と付け足した。ピカチュウをどのように預けたのかは覚えていなかったが、おそらくは概ね正しいと思ったので私は頷いた。ですがね、私は思うんですよ。警備員の男は、この“ですがね”という言葉を強調しながら続けた。ですがね、預ける人の顔も知らない、施設も知らない。そんな所に自らが愛するポケモンを預けてもいいものかと。そりゃあ私はこの年になってもポケモンなんて育てようとは思いませんが、そのような希薄な意識の元にポケモンを預けるんだから、そのポケモンの後は知れていると思うんですよ。実際此処に訪れるポケモントレーナーはポケモンを預けに来るのではなく、自らのポケモンの葬儀をしに来る方が多いのですから。この警備員の話は面白かった。それからまたこの育て屋の内部についても随分と詳しく知っているようであった。警備員の男がやけに特徴的な話し方だったので、何気なく出身地を聞いてみると、男はホウエン地方から来たのだという。言われてみれば確かにそのような方言を感じられる部分が会話の中にもあった。
一通り会話が終わると、警備員の男は一息つくように煙草を取り出した。君も吸うかね。と聞かれ、お言葉に甘えて。とだけ答えると彼は少しだけ嬉しそうにして煙草を渡した。彼は一つ煙を吸った後に、こんなこと、ポケモンを持ってない私が言うべきことではないのかもしれないけれどな。と言って私の返事を求めたが、私はなにも返す事が出来なかった。
男の話を聞いて思い出した事がある。私はピカチュウを預けてから長い時間が経過していた為忘れていたのだが、ピカチュウを預ける際、実際に育て屋に立ち寄ることはなく、パソコンを使って手続きを済ませていた。だから育て屋の場所が分からなかったし、育て屋の景観に違和感を感じたのであった。だから確かに男の話は間違っていなかった。少なくても私は確かに希薄な意識の元にピカチュウを預けていたし、そのことは私だけではなく他のトレーナーにも言えることらしかった。
しばらくそうして互いに無言でいると、突然警備員の男が、ピカチュウの最後の姿は見なくていいのか。と聞いてきた。私は見るべきか、それともそのままピカチュウの姿を見ないまま葬儀しようかどうか迷ったが、悩んだ末に結構です。と答えた。警備員がなにかを言っていたが、次の瞬間鳴り響いたベルの音にかき消された。どうやらそれが育て屋の一日の開始を知らせる合図らしかった。