1.3
ピカチュウを預けていた育て屋はセキエイから東に一五〇キロのハナダシティ郊外にある。このままエアームドに変身したメタモンに乗っていれば、夜中には到着する予定であった。このまま夜中のうちにハナダシティまで行こうかとも考えたが、それならばタケシの所で食事をして今晩はそこに泊まろうかと思った。私はメタモンにハナダシティではなくハナダシティよりも位置的には近いニビシティに向かうように指示を出した。
タケシは私が初めてポケモンリーグを制した時に、ニビシティでジムリーダーとして名を馳せていたトレーナーであった。現在では元ジムリーダーという肩書の下に宿泊店を経営しており、ジムリーダーをやっていたときに知り合ったトレーナーと食事を交わすのが彼の趣味でもあった。彼の宿に入った私の存在に最初に気がついたのは、エリカだった。店内には彼女とタケシの他にもカスミの姿もあったが、二人は店の入り口に背を向けるようにして座っていたので私が店内に入ったことにはまだ気づいていないようであった。疲れた表情をして入ってきた私に、あれ、サトシ君だよね。とアルトな声で話しかけてくれたところで、タケシとカスミも私が店内に入ったことに気がついたようであった。タケシとはこうして何か用があるたびに泊まらせて貰っていたし、カスミもよく同期のジムリーダーと言う事でこの店に来ていたので会う事はあったのだが、エリカとはずいぶん長い間会うこともなかった為、私は話しかけられた時に彼女のことをエリカと認識するのに時間がかかってしまった。また彼女も私と同じことを思っていたらしく、先程の私の名前を呼ぶ声にも少し疑問符がかかっていた。
三人とも現在では既にジムリーダーの職からは引いており、それぞれ違う道を進んでいた。基本的にジムリーダーや四天王などのポケモンバトルを職業にするトレーナーは仕事で生計を立てられる期間が非常に短い。トレーナー自身の年齢も理由の一つに挙げられるのだがジムリーダー等の職業は、手持ちのポケモンの寿命で自ずと引退の時期が決められるのであった。ポケモンを育成するには相当な時間がかかるという事もこの傾向に拍車をかけており、事実、私が四天王に就任する前に四天王の仕事を務めていたカンナという名の女性トレーナーは度重なる所持ポケモンの寿命による戦力の低下で四天王の職を離れた。がこれはポケモンバトルの世界においてはいわば一般的なもので、ここにいる三人もその事が原因でジムリーダーを辞めたのであった。私もポケモンバトルで生計を立てる身であった為、手持ちのポケモンが怪我等で戦線離脱しないように日々手入れは事欠かなかった。また、それを未然に防止する為に四天王を目指すようになってからは、怪我をしにくいようなポケモンを一から育て直したりもした。私の手持ちは全て四天王を志すようになってから入手したポケモンであった。
主役の登場か。とタケシは私の姿を見るなり言った。最初なんのことか分からなかったが、ピカチュウが死んだんだってな、と付け加えるようにして言われた所で漸くその言葉の意味を理解する事が出来た。
シバが私に伝えた通り、ピカチュウが死んだ事実は此処にいる三人とも知っているようであった。しかしそれ以上に驚いたのは、私が育て屋にピカチュウを預けきりにしていた事実を咎める人がいなかった事だった。私はピカチュウを預けきりにしていた事はどうとも思わないのか。と言いそうになったが、かわりに空いていたエリカの席の隣に座った。お久しぶりね。サトシ君。と柔らかみのある声で挨拶をくれたので、私も少しだけ微笑みを作って挨拶を返した。まるで相槌のように何が食べたいかと注文を聞かれたので、脂っこい肉料理が食べたいと答えると相棒同然だったピカチュウが死んだのに平然としているんだなと言われた。
でもサトシ君のピカチュウって脚が悪かったんでしょう。ああ、そうだよ。私はよく覚えていなかったが、その事を思い出す気力よりも今は空腹に対する意識の方が勝った。しかしながらカスミは続ける。三年前のポケモンリーグの時だったよねピカチュウが怪我したの。そこで私はふとピカチュウが私の手元から離れた経緯を思い出した。ワタルさんとのバトルの時だよね。そうそうあの時のバトルはサトシ君惜しかったね。とエリカとカスミがそのまま会話を続ける。
しかしながら、当の私はその会話の内容がよく思い出せないでいた。どうやら会話は私が四天王になってから最初のポケモンリーグの話題らしかった。このポケモンリーグはよく意味が混同されがちだが、私たち四天王とバトルをするポケモンリーグとは少し意味が違う。こちらは純粋に全てのポケモントレーナーが参加し、カントートレーナーの頂点を決める戦いであった。私達四天王と戦う事もポケモンリーグと呼ばれているが、こちらは最強トレーナーを決めるというよりも、最強のポケモンジムという意味合いの方が強かった。無論、四天王はカントー地方トレーナーの最も強いトレーナーが四人集まる為、四天王を全員倒せば最強トレーナーを名乗る事ができるのだが。
私は八年前この二つのポケモンリーグを両方制覇した。その時の事は鮮明に覚えている。制覇したと言っても四天王などのトレーナーはハンディを持っての勝利だった。しかしながら私自身が一人のトレーナーてしてカントー地方全体認められたのは純粋に嬉しかった。私の隣にはピカチュウの姿もあった。そしてその時の印象が強い事もあってか、それ以降のポケモンリーグの記憶はあまりなかった。これは私がこのポケモンリーグ以来優勝出来ていないという事実もあったが、私が四天王に就きために所持していたポケモンを殆ど手放したという事もあった。カスミとエリカの問いかけにも、生返事をする位にしか出来なかった。カスミが冗談のようにもしかしたら覚えていないんじゃないの。と突くように言われた。返事に少し窮したが、そこでタケシが手料理を持ってテーブルに戻ってきた。まああまり良い記憶ではないよな。ピカチュウが怪我したんだから。そうよ、カスミもサトシ君の気持ちも考えてあげないと。そこでポケモンリーグの話は終わった。
それからも、私たちの会話は途切れる事は無かった。久々に会うことになったエリカが今なにをしているのかという話から始まり、次第に今している仕事についての話題に変化していった。私が驚いた事は皆、また再びジムリーダーとして復帰したがっているということであった。手持ちのポケモンが死んでも、ジムリーダーを続けることが出来るくらいの意志はあるのか。と私は悪戯っぽく聞いてみた。それが出来ないから今お前に料理を作っているんだ。なるほど。そうだよな。そうよ、私だったらピカチュウのようなサトシにとってかけがえの無いポケモンが死んでしまったから今こうしているの。あなたもそうでしょう。ね、エリカ。……そうですわ。ええ。エリカは返事を返したが、料理に口を運ぶ私の顔をぼうっと見るばかりであった。そんな様子に堪えかねてどうしたのかと聞くと、エリカが顔を綻ばせながら、サトシ君のポケモンがみたいなあ。唇に指をあて、まるで私に合図するかのように彼女はそう言いながらウインクをした。私は彼女が何を伝えたいのか分からなかったが、タケシやカスミに見つからないようにそっとウインクを返した。タケシやカスミも、私のポケモンが見たかったそうなので、此処に来る際に連れてきた手持ちポケモンを一匹ずつ紹介した。
私はプリンとメタモンの他にポケモンを三匹所持していた。一度見たことのある技なら殆ど模写する事が可能なポケモンドーブル。それからオオタチと、自らの体を周りの風景と同化させることが出来るポケモンカクレオン。
カクレオンは元来カントー地方に生息しないポケモンだが、地方間の四天王交流の際に記念としてホウエン地方側の四天王から貰った物であった。卵のまま貰ったので最初は孵す事も億劫で乗り気では無かったのだが、いざ育ててみるとこれが中々興味深いもだった。ある程度大きくなったポケモンを飼育していた私にとって、新しい刺激にもなった。またピカチュウが戦列を離れた後に丁度譲り受けた事も私の所持ポケモンの中に入る要因となった。しかしながら経験不足は否めず、公式戦で使用する機会はそれほど無かった。私の五匹の所持ポケモンの中で三人の目を引いたのはやはりメタモンだった。一度見た事のあるポケモンの姿形を完璧に真似る事の出来る他にも、一度見た事がある人間の姿も真似る事が出来た。最初にカスミが冗談まじりにタケシに変身させてみてよと言ってきたので、メタモンに指示を出した。体の構造が単純なポケモンならば一瞬で変身できるのだが、人間などの複雑な構造を持つ物に変身するには少しばかり時間がかかるのが難点であった。なのでポケモンバトルの際はあらかじめ変身させておくことによって対応する場合もあった。数秒後、私の隣に座っているタケシと姿形が全く変わらぬ姿にメタモンが変身した。これにはタケシは少し自分と同じ姿のメタモンを見ながら、こんな顔していないと言っていたが、既にどちらが本物か分からない状態であった。カスミもエリカもその様子を見ながら笑っていた。それからカスミがまた別のだれかに変身してくれと言い、メタモンが次から次へとあらゆるものに変身した。しかし途中でメタモンに変身をやめさせたのは、明日の朝もメタモンを利用してハナダシティまで行かなければならなかったからだった。カスミはメタモンの変身をまだ見たいようであったが、エリカとタケシは私の言い分に同意したようだった。エリカはウインディに変身したメタモンの頭をそっと撫で、お疲れ様とメタモンを労い、私のほうを見てウインクを一つした。その意味がよくわからなかったのだが、メタモンを戻してほしいという合図であるということに違いはなさそうだったのでメタモンをモンスターボールに戻した。モンスターボールの中のメタモンは変身を行ったこともあり少し疲れているようであった。
それからも私たちは会話を続けた。私の他の所持ポケモンのこと。エリカやカスミのポケモントレーナー時代の話。それからジムリーダーを辞めた三人が今はどのようなポケモンを育成しているかという話もした。たがいに久しぶりだったので会話は弾んだ。それがとても楽しかった。誰かが眠い。と欠伸混じりに行った時には既に外の景色が仄かに明るくなり始めていた。