1.2
力強くドアをノックする音で、私は意識を取り戻した。瞼を上げると夕闇に姿を隠そうとしていた燃え盛る西日が眼球に突き刺さり、私は思わず左手で遮った。そうして一息つこうと思っている間にもまだせわしなくドアをノックする音が聞こえたので仕方なく、用件は? と聞いた。するとドアの音は止み、俺だ。という返事が返ってきた。私は声の主である男――シバを部屋に招き入れた。
シバは部屋に入って私の様子を見るなり、また寝ていたのか。と用件も言わずに苦言を呈された。私も寝起きな上に別に仕事を放っておいたわけではないので言い返してやろうと思ったが、まあお前らしいな。と日頃のシバからは思いもかけない返事に拍子抜けしてしまった。言い返そうにもこのような言い方をされては埒が明かないので、そのまま用件を聞いた。初め私はポケモン同士の手合わせかと思い、腰に当ててあるモンスターボールを手に当てていた。が、そのような私の思考と反して彼は、お前のピカチュウが死んだんだってな。私の中で血の気が一瞬だけ引いた。なぜそれをお前が知っているんだ。私は出来るだけ取り乱さないようにして聞いた。ラジオで聞いたさ。シバの口からラジオという言葉を聞いた時に嫌な予感がした。ラジオ? なんだ。ラジオでピカチュウが死んだことがニュースにされたのか? ああ、そうさ。しかし惜しい奴だったよな……。それからシバがまだ何かを話していたが、それは私の耳には届いていなかった。そして私の耳にはピカチュウを預けていたあの育て屋の抑揚のない声が頭の中に流れていた。
……俺はな。別にお前を咎めようと思ったわけじゃないんだ。お前はピカチュウをずっと育て屋に預けたまま死に目にも会えなかったことを気にしているのかもしれないがな、仕方のないことなんだ。それに、お前のピカチュウが左足に怪我をしていた事も知っている。そうだったよな? シバが促すように聞いたので、私はそのまま肯定して返事をした。ああ。そうだったな。仕事柄戦闘に十分に参加できないポケモンを四天王が扱うわけにもいかないからな。俺だってそうやってずっと一緒にやってきた相棒と顔を合わせなくなったこともある。ピカチュウもそうだったよな。と聞かれ、私はよく思い出せないままだったが、そうだ。と頷いた。明日埋葬するんだろ。ちゃんと行ってやれよ。ああ、その為に明日は休みをもらった。そうか。そこでシバは一つ呼吸を置いて、一つバトルをしてもらえないか? と言った。私はとても眠かったので、断るつもりで返事をしようとした瞬間、彼がモンスターボールに手を出すのが見えた。
シバは格闘タイプのポケモンを扱うのが専門であった。格闘タイプは世間一般的には比較的初心者トレーナーにも入手しやすい飛行タイプが弱点である為マイナーなタイプとされている。しかしシバは四天王になる以前から自らの肉体と共に鍛え上げることができる格闘タイプのポケモンを好んで愛用していた。
そっと気づかれないようにシバの視線を見た。彼は椅子に座っている私の足下を見ているのが分かった。これは彼のポケモンバトルの癖であり弱点であった。シバはポケモンを繰り出す時に、必ずモンスターボールを地面にぶつける場所を一瞬だけ見る。他のトレーナーにもこれは当てはまるのだが、シバはこちらも注意してみていないと気付かないほど一瞬の間だけであった。私はこの癖を知っていたで彼がどのようなポケモンを出すのかが簡単に予想できた。私はさらさらポケモンバトルを行う気はなかったが、これさえ分かれば充分であった。私は彼が先制攻撃技であるマッハパンチを用いることができるエビワラーを出現させると踏んだので、腰に巻きつけてあるベルトからプリンのモンスターボールを手にした。私の専門はノーマルタイプのポケモンを扱うことにあった。これはどの四天王でも自分の専門とするタイプをあらかじめ設定しなければならないというポケモンリーグの規定であった。つまるところあらかじめから専門タイプを一般トレーナーに公表することによって、タイプによるハンディで実力差を埋めようとしたのだ。私も四天王になった際に、専門のタイプを決めなければならなかったので、一番スタンダードに戦うことが可能なノーマルタイプを選択した。ノーマルタイプを選択した時に理事長が不思議そうに私を見ていた事を覚えている。君のような華のある人間が最も目立たないタイプを選択するとは思わなかった。とでも言いたそうな眼であった。
エビワラーは素早さ不足と言われる格闘タイプの中で彼が好んで用いるポケモンである。私の専門とするノーマルタイプ的に相性は悪く、私の中では出来れば戦いたくない相手の一人でもあった。しかしながら出すポケモンにある程度の予想がつく以上、こちらとしてもいくつかの作戦を立てることができた。シバの放ったモンスターボールが床に着地する瞬間、私もモンスターボールをちょうどエビワラーの攻撃の進路と重なるように投げた。
そこまでは私の予想通りであったが、次の瞬間シバのモンスターボールから出てきたのはエビワラーではなく、彼の所持するポケモンの中でも抜群のパワーを持つ、四本腕のポケモンであるカイリキーだった。ついで私のプリンもモンスターボールから登場したが、私は咄嗟に作戦変更の合図として指を鳴らした。……が、それよりも先に私のプリンがあらかじめ攻撃すると決めてあった技であるカウンターを外し、体勢を崩した。
相手に先制攻撃を許してしまうが、基本的に私は相手より先にモンスターボールを出すようにしている。理由は先程の述べたとおり、モンスターボールを放つ瞬間に相手の見ている場所を見ていれば、どのような攻撃方法を持つポケモンが出現するかあらかじめ予想ができるからであった。もっともこの戦法をとっているのは、バトル中に指示を出すと相手にまで作戦が聞こえてしまうのを嫌っているということもあった。これはどのトレーナーにも言えることで、四天王であるトレーナーは皆、なんらかの方法を用いては自らの命令を相手に気づかれることを避けていた。
私の作戦はこうであった。
エビワラーが繰り出すであろうマッハパンチをプリンの長所である丸い体でダメージを受け流し、攻撃力の低いプリンでも敵の攻撃を利用することで大ダメージを与えることができるカウンターを決めるつもりであった。が、この作戦は私がシバと対戦する時に度々用いてはシバの出鼻をくじいていたので、そう上手くいくはずもなかった。シバは体制を崩したプリンを見てにやりと笑うと体勢を崩しているプリンを腕でつかみ、軽々と持ち上げた。が、ここまではカウンターで作戦を崩された後の想定としては予想通りに進んでいた。カイリキーの技はシバの他のバトルを見てもある程度は想定ができるものであった。抜群の攻撃力を持つカイリキーはその一撃が大ぶりな故、小型ポケモン相手では攻撃がよけられやすい分普段なら敬遠して他のポケモンで対応する所である。だが、ここでカイリキーを出現させたところをみると、どうやら相手の狙いは敵よりも攻撃が遅れてしまうが、その相手の攻撃を利用して確実に攻撃を当てる技、当て身投げで間違いがなさそうであった。
次のタイミングでプリンが勢いよく床に叩きつけられが、そのやわらかい体と反してプリンは床から跳ねず、そのままぬいぐるみの様にぴたりと動かなくなった。プリンの表情を見てシバの表情が変化した。どうやらここで、シバが今攻撃した相手が偽物のプリンであることに気がついたようであった。基本的に私はプリンを後出しで戦闘に出現させる場合は、主にカウンターで相手に大ダメージを与えてすぐさまバトルを終わらせる戦い方をしていたので、カウンターを外した場合の作戦というものも決めてあった。カウンター攻撃を失敗した場合、体勢を立て直すために自分の残りの体力を用いて自分の分身を用いる技である身代わりをよく使用するよう、プリンにあらかじめ指示を出して覚えさせておいた。しかしながらシバ相手には先程のカウンター戦術をよく用いた為、身代わりはシバとの戦いではこれまで使う事は殆ど無かった。
普段から身代わりをしようとしなかったこともあるが、大柄なポケモンであるカイリキーの陰に隠れて身代わりを使用したのが見つからなかったのがバトルの形勢をこちらに向けたのかは分からないが、カイリキーの陰に隠れていたプリンがそのままカイリキーの身体を上り、カイリキーの頬に天使のキッスを決めた。そこで勝負は決していた。
突然何をするんだ。私がプリンをモンスターボールに戻した後に不満げに私が言うと、シバは一つその顔に不似合いな微笑みを見せ、つくづくお前はタイプの不利がないとしか思えないな。とシバが言ったが、どちらかと言うと私は大型ポケモンとのバトルが得意なだけであった。しかしながら私が大型ポケモンとのバトルが得意な理由はこのように頻繁にシバと対戦を行うためでもあったのだが。
お前があまり落ち込んでいなくてよかったよ、とシバは言った。結局のところ彼は私がずっと共にしてきた相棒を喪ったことに対しての励みではなく、落ち込んでいる私に喝を入れるためにポケモンバトルをしようとしていたらしかった。
埋葬は明日だったが、起こされた上にポケモンバトルを一度行ったあとでは流石に再び眠れそうになかった。そしてそれならばいっそこのまま外出しようとも考えた。その旨をシバにも伝えると、シバはすまなかったと一言詫びるなりそのまま私の部屋を出て行った。
私も自室の部屋の窓を空けた。あたりはもうすっかり暗くなっていた。私はモンスターボールからメタモンをモンスターボールから出現させる。このポケモンは基本的にシバとの対戦では用いないが、一般トレーナーとのバトルではこのポケモンも頻繁に用いていた。メタモンを大型の飛行ポケモンであるエアームドに変身させ、私はセキエイの夕闇の中に姿をかき消した。