きっかけはいつでもそこにある
クラウド団の下っ端をぶっ倒してから数日後。いつものようにポケモンフーズを食べていた俺達に向かって、ヒナは真剣な顔で口を開く。
「……ロニさん、ピカさん。聞いてくれる? わたし、近いうちに旅に出ようと思うの。パートナーはもちろん、ロニさんとピカさん」
旅に出る? それはまた急だな。長年引きこもっていたヒナが、旅に出るのか。それはヒナの両親も喜ぶだろうな――って。
『え、旅!? 旅って、一定の年齢になった少年少女の大半がやるあの旅か!? 足にはくやつじゃなくて!?』
『……メグル君、食べながら話さないで下さい』
驚きのあまりポケモンフーズを食べている最中に叫んでしまい、自分の皿を抱えたロニに後ずさりされてしまう。お行儀が悪いものな。ごめん、ロニ。心の中でそう謝りつつ、残りのものを一気にかきこんでかみ砕く。
ちなみにロニとは共にエルレイドを倒している間に友情が芽生え、敵から仲間に……なんてことは起こらず。クラウド団の下っ端が帰った後にしっかりとバトルをして、しっかりボコボコにされた。やっぱり冷静な時だと俺はポケモン初心者だった。
ロニはそれですっきりしたらしく、こうして俺に話しかけてくれるのだからあの日の痛みにはそれなりの価値があったのだと思う。俺もモヤモヤを抱えたまま過ごさなくていいしな。
「ご、ごめんなさい……。いきなりこんなことを言ったら、驚くよね。実はわたし、ロニさん達とクラウド団? が戦っているのを見て、バトルってこんなにすごいんだと思ったんだ。……少し、一方的すぎな気もしたけど」
ほお、あのヒナ曰く理不尽極まりないバトルを見てすごいと……。思うな、それは。二対一だったとしても、普通ならエルレイドの方が勝ちそうと思うものな。俺だけがそう思っていて、他は違う可能性も捨てきれないが。
あと、一方的だと思ったのは正解だ。あれが普通だと思われたら、今後のヒナのトレーナー生活が心配で手持ちとしての将来に不安しか見えなくなる。
「それでわたしもバトルをしてみたい。トレーナーになってみたいって思って。メグルも旅に出たらしいことも散歩に行く前にわかっていたから、後を追ってみたいって思った」
……俺の家出はいつの間にか旅へと進化していたのか。普通、家出は家出のままだと思うんだが、この際あまり気にしないことにしよう。気にするのはもう何日も前に出ていた情報をあの日の昼に知るヒナのマイペースさだ。
「実は、あの日の短冊に書いたことなんだだけど……。本当は少し、違ったの。わたし、このままじゃダメだから、変われるきっかけが欲しいって思っていた」
俺が今のヒナじゃいけないと思っていたように、ヒナもそう思っていたのか。……きっかけが欲しいって思っていたのか。俺はヒナが変わるきっかりを作りたい、そう思いながらも何もできていなかったからな……。
「でも、きっかけって短冊に書いて叶えて貰うようなものじゃない。そうわかってはいたんだけど、『ロニさんやピカさん、メグルがわたしの「今まで」を変えてくれますように』って書いちゃった……」
つまり、あの日ヒナが言っていた「ピカさんともっと仲良くなりたい」は嘘だったというのか……。ショックは少なからずあるが、今言ったことをそのままあの日に言ったらまるで俺達を短冊で操って利用しているみたいと思われると考えたのかもしれない。
「……あ、あの日に言ったことは短冊には書いていないけど、嘘じゃないよ! 本当にわたし、ピカさんともっと仲良くなりたいって思っていた。そうしたら、翌日ピカさんが本物のピカチュウになっていて。思っていたのとは少し違うけど、願いが叶った。そう思ったの。本当に、嬉しかった」
願いが叶ったと言った時にヒナが見せた笑顔。あれは心の底から思わないとできない顔だったからな。あれまでが嘘だと言われたら、俺はこれから何を信じて生きていけばいいのかわからなくなる。
「でも、ピカさんが本物になっても何も変わらなかった。ピカさんが勝手にきっかけを与えてくれるって思いこんでいた。叶えて貰うようなものじゃないって、わかっていたはずなのにね」
一度願いの片鱗が叶ったと思ったら、残りも叶えてくれるんじゃないかと期待しちゃうよな。わかる、わかる。
「そうして『いつも』を過ごすうちに、やっぱり与えられるのを待つんじゃなくて自分から行動してみようという気持ちが大きくなっていって。それを実行したらその日にピカさんとロニさんが変な空気になって、クラウド団? の人とバトルしていて。あとは、最初の方で言ったような感じ」
あの日は珍しく外に出たと思ったら、そんな気持ちでやっていたのか。それなのにロニとバトルになりかけて……、ううむ。申し訳ない。とはいえ、それでトレーナーになりたいと思えたのだから、結果としてはいいのだろうか。よくわからん。
「……それで、やっと気が付いたの」
闇夜の髪の向こうに見える海のような目が一瞬だけ揺れた後、今までとは比べ物にならないほどに強く、しっかりとした輝きを放つ。
「きっかけはいつでもそこにあって、それをきっかけにするかどうかは他でもないわたし自身なんだって! だから、わたしはこれをきっかけにして『変わる』の!!」
その言葉は、俺に確実に変化をもたらした。具体的に言うのであれば、探していたパズルの最後のピースが見つかったような。穴が開いた壁にすっぽりと何かが収まったような。忘れてはいけない大事な記憶を思い出したような。……例えはいくらでも挙げられるが、とにかくそんな感じだった。
「……もちろん、口だけじゃないよ? お母さんやお父さんにもちゃんと言って、あの日から準備をしてきたんだから。後は、邪魔になった前髪を切るだけ。……話が長くなっちゃったけど、こんなわたしでも一緒に来てくれる?」
『もちろんですよ』
『おお、もちろんだ!』
ヒナが前髪に手を伸ばし、俺達が同時に返事をした。ヒナの声はした割にはロニの声がしなかったが、俺と同じく心の中で色々と言っていたのだろうか。そう思った時だった。俺の体が、まるで突然電池が切れたロボットのように倒れたのは。
「ピカさん!?」
『メグル君!?』
驚く一人と一匹の声が聞こえるが、それも次第に遠ざかっていく。床だけの視界もどんどんと暗くなっていく。動きの鈍った脳みそで一所懸命に考えてみるが、原因は一向にわからない。一体何がどうなっているんだ!?
混乱の中でもしっかりと薄れていく意識。小説などでは定番の展開だとは思うが今はやめて欲しい。そう心の底から願うが、ジラーチはもう寝ているようで願いが叶えられることはない。
理不尽に対する怒りで埋め尽くされた意識が消える直前、俺の目には確かにこちらにむかって微笑むジラーチの姿が映し出されていた。……この状況のせいでぶっ飛ばせないのが本当に残念だ。
*****
――メグル君、メグル君。
ああ? 誰だよ。人がせっかく気持ちよく寝ているっていうのに……。まだ朝早い時間だぞ。時計も何も見えないけど。
――すまない、起こしてしまったかな? でも、私は今器を戻すための狭間の時間に話しかけているからね。昼も夜も関係ないし、君がここで聞いたり話したりしたことは何一つ覚えていない。私も覚えて貰っていても困るしね。
それじゃあ、話す意味がないじゃねえか。というか、本当に誰だよお前。俺はこんな声の知り合いを作った覚えはないんだが……。
――おやおや、私と君はある意味既に知り合った仲だよ? あれほどまでに私をぶっ飛ばしたいと思っていたじゃないか。とはいえ、この時間の内側では声しか存在できないからどちらにしても私をぶっ飛ばすことはできないが。
俺がぶっ飛ばしたいと思ったやつ? 俺が今のところぶっ飛ばしたいと思っているのはジラーチだけだけど――って、お前まさかジラーチなのか!?
――ああ、そうだよ。私はジラーチだ。ジラーチとはいうが、私は君達が知るように千年に数日しか起きてはいないのだがね。
マジか。つまり願いを叶えて貰い放題だったっていうことか? どうしてヒナの願いをあんな形で叶えて、俺の願いは叶えてくれなかったんだよ。
――簡単に言うけどね。願いを叶えるまでの間どんなに力を使うのか、君は考えたことがあるのかい? 意外と大変なんだよ。
へえ……。だから普通は千年も眠っているのか。じゃあ、お前はどうやって力を蓄えているんだ?
――まあ、色々とね。今はまだ優しい方だけど、時が進むにつれて酷いことになるかもしれないな。それはそうと、君はどうして彼女の願いだけをああいう風に叶えたのかを知りたいのだろう?
あ、ああ。例え忘れる運命だったとしても、聞けるのであれば聞いておきたい。
――わかった。私はね、願いをそのまま叶えるのではなく私が叶えた願いをきっかけに、自分の力で願いを叶えて欲しかったんだよ。って、何回願いと叶えるって言えばいいのだろうね。
……前者については詳しく聞きたいが、後者についてはノーコメントだな。
――そうしてくれると私も嬉しいよ。私は今まで願いをそのまま叶えてきた。だが、それでは相手はすぐに堕ちていってしまう。私は私のせいで堕ちていく者を見たくない。
だから、少しだけ方向を変えた。そういうことか?
――理解が早くて助かるよ。あまりにも壮大な願い事だと、どの範囲までやれば自分で叶えられるのかわからないからね。あまたもの願いの中からやりやすい願いを選んだ結果、たまたまその主が彼女だった。それだけだよ。
つまり、俺の願いは壮大すぎたということか……。それなら仕方がないな。
――まあ、彼女の場合は短冊に書いていない願いを叶えたから、あんな形になってしまったがね。さすがの私もぬいぐるみをベースに人をポケモンにする、なんて発想は全くなかったからアレは偶然の産物だ。
確かに、ヒナが短冊に書いたらしい願いには、俺をピカさんにして欲しいとかピカさんと動かして欲しいというのはなかったな。それで、あれは偶然だったのか。自分の力でも完全にコントロールできるわけじゃないんだな。
――そういうことだ。そして、予想通り彼女は私が与えたきっかけから、本来の願いを叶えてみせた。しかし、私にとって予想外なこともあった。それは君達もきっかけを得て願いを叶えたということだ。
きっかけはいつでもそこにあるからな。今回はたまたまお前が叶えた願いがきっかけのきっかけになっただけだ。
――なるほど、君がそういうのであればそうだと思うことにしよう。さて、聞きたいことはもうないかな?
俺やヒナに関して聞きたいことはもうないが、お前自身に対して聞きたいことが一つだけある。
――私に対して? 答えられるものであれば、なるべく答えようとは思うが。
お前は最初、自分は他とは違って千年眠らずに活動し続けている、みたいなことを言っていたよな? どうしてそんなことになったんだ? 伝えられている話を思い出しても、自然にそうなるとは思えない。何かきっかけがない限りそうはならないだろ。
――遠い昔にした約束がきっかけだった気がするよ。もっとも、昔すぎて内容までは覚えていないがね。時が進むにつれてきっかけすらも忘れ、私はどんどん元の私じゃなくなっていく。そんな気がするね。
お前は、それでいいのか? 約束を忘れて、元の自分を忘れていいのか!?
――これは私が私自身の願いを叶えた代償だからね。どうしようもないんだよ。恐らく、私は自分の願いを叶えると代償が発生することすらも忘れていくのだろうね。
ジラーチは他人の願いは叶えてもいいのに、自分の願いは叶えたらダメだなんて……。そ、そんなのってあまりにも悲しすぎだろ!?
――大きな力を持つ者には、それなりの制限がつくものなんだよ。さて、もうそろそろ限界だな。この時間もあとわずかで終わる。君はここでの会話を全て忘れ、次の一歩を踏み出すことになるね。
ちょ、待ってく――
――さようなら、メグル君。君や彼女達があの館に来ないことを祈っているよ。
続く