ピカチュウな俺と引きこもりのアイツ
夢は現実に壊されるためにあるらしい
 ポケモンだけの世界でパートナーを探そうと、まず上げっぱなしの拳と視点を元に戻そうとした、その時。

『……そこで一体、何をしているのですか?』

 背後から聞こえてきたのは、落ち着いた男の声。恐らく、いや絶対にここのポケモンだろう。もしや探す前に向こうから来てくれたのか?
 バクバクと鳴る心臓をなだめながら振りむこうとするが、緊張からか首が上手く回らない。まるで錆びついたロボットになったかのようだ。いくら頑張っても回らないので、もう体ごと回転させることにした。
 風と共に切り替わった視界に飛び込んできたのは、黒っぽい体に口の部分が金色のチャックになっているポケモン、ジュペッタ。おおう、こいつが俺のパートナーか。こういうやつの定番と言えば御三家やロコン、俺と同じ種族のピカチュウだというのに珍しい。
 まあ、全てが全て定番だったら何の面白みもないからな。これはこれでアリなのかもしれない。そんなことよりも、振り返ったものの一向に話しかけてこようとしない俺にジュペッタがまるで不審者を見つめるような目を向けているぞ! このままではこの世界のジバコイルさんに急行されてしまう!
 あらぬ誤解を招く前にと、ガチガチに固まった口をこじ開けて言葉を捻り出す。

『……佣、寄寓庋!(……よお、奇遇だな!)』

『きちんと言葉を話して下さい。音だけ聞くときちんと話しているように見えますが、文字だけを見たらまるで外国語なので。最悪文字化けしている可能性もありますよ?』
『何だと!? 危ない危ない、このまま話していたら見えない観客の皆様を混乱の世界に招いていたところだったぜ……。ありがとな、ジュペッタ!』
 ジュペッタの一言でちゃんと言葉を話しているようで実は違ったという事実に気づかされた俺は、ニッコリと笑って彼に感謝を述べる。そんな俺を呆れた目で見つめていたジュペッタは、小さくコホンと咳払いをすると真剣な声音でこう尋ねてきた。

『それで、先ほども問いましたがあなたは一体何をしているのですか? ここは私の主人であるヒナさんの家の庭なのですが……』

 なるほど、ここは俺の幼馴染であるヒナの庭なのか。そこで俺はなぜかピカチュウになり、こうして彼女の手持ちであるジュペッタと出会ったと。そういうことか。ジュペッタは確か名前があったはずだが、ちょいと思い出せないからしばらくこのままでいいか。
 それにしても、まさかここが異世界ではなかったとはな――。

『――って、はああぁぁぁぁ!!!???』

 いや、俺も薄々はそうじゃないかと思っていたよ? 何か視界の端に見覚えのある家の壁や塀が映っていたし、大きくなった(いや、細長くなった?)耳にはポケモンの声に交じってトレーナーと思われるやつの声も届いていたし!!
 視界や耳から入ってくる現実を認めたくないから地面や空、そしてジュペッタに視線を合わせていたというのに、まさかのジュペッタから現実を突きつけられるとは思わなかったよ!! もう少し俺に夢というやつを見させてくれよ!!
 もしや、夢というものは現実に壊されるためにあるというのか!? そんな、無情すぎる!!! 頼むから、夢は夢のまま存在させてくれ!!!
 地面に膝をつき、ダンダンと(実際にそんな音は出ていないが、雰囲気としてはそんな音が似あう)地面を殴っていると、ジュペッタが完全におかしなやつを見るような目を向けてきた。
『あの、本当に大丈夫ですか? もしよかったらヒナさんに頼んでポケモンセンターに連れていって貰えるよう、かけ合ってみますが……。ああ、しかしあなたの場合は精神的なもののようなので、そこへ行っても治るかどうか不明ですが』
『心配しているのかバカにしているのかわからないやつは止めろ! 地味に、いやかなり傷つくから!! あと、お前ポケモンなのに人間であるヒナと話せんのか!?』
 俺からすればショックの連続で頭が追い付いていなかったが、これだけはハッキリとしていた。ポケモンは人間の言葉を理解できるが、逆はできない。前者は地味に突きつけられていた現実から目を背ける際に、後者は人間だった頃に実感したから間違いない。
 エスパータイプであればテレパシーを使えるだろうが、ジュペッタにエスパータイプは入っていなかったはずだ。筆談ができれば状況は違うものの、アイツ、ヒナの幼馴染である俺にはわかる。
 もしジュペッタが筆談をしようと紙に文字を書いて渡したら、ヒナは内容よりもまず彼が人間の文字を書いたという事実に喜び、最低でも数十分、長くて数時間はそのことにしか注目がいかない。内容をしっかりと読み始めるのはその後だ。
 こちらとしては早く会話をしたいのに相手がそれでは筆談をしている意味がない。ジェスチャーをした方が早く感じるくらいだろう。ヒナは我が道を行く、究極のマイペースに近い性格だと知るのに時間はかからなかったぜ……。
 アイツが引きこもってからは時々しか会っていないが、恐らくその性格はあまり変わっていない。逆に全く違う性格になっていたら、ゴーストタイプにでも憑りつかれたかと疑うところだな。
 そんなことを考えていると、ジュペッタが軽く鼻を鳴らした。コイツの鼻ってどこにあるんだとか、そもそも鼻なんてあるのか? なんてことは言ってはいけない。
『何を言っているのですか。私がヒナさんと話せるわけがないでしょう? 筆談はしても時間の無駄なので、気合で伝えるのですよ』
 ……気合でどうにかなるものなのか? 気合だけで物事をどうにかできるのであれば、俺は今すぐにこの世界ではないところで新しい人生をエンジョイしたいです。神様、今からでも遅くないので俺に異世界転移の能力を下さい。
 青い青い空を眺めながらこの近くにいるかもしれない神にそう頼んでいると、片腕をクイと引っ張られる。何だ何だと視線を移すと、そこには俺の片腕を引っ張るジュペッタの姿が。
『突然どうした?』
『いえ、先ほどから会話らしい会話を続けられていないので、もう問答無用でヒナさんのところに連れていくかこのまま追い出そうかと』
 何!? それは困る! 異世界ではないとはいえ、人間からポケモンになってしまったのだから今までの常識はほとんど通用しない。ポケモンにはポケモンなりのルールというものがあるはずだ。非常に情けないが、ポケモン初心者の俺がこのまま野生で生きていけるとは思えない!!
『前者はともかく後者は止めてね!? このまま追い出されたら俺、どうやって生きればいいかわかんなくなるから!!』
 必死にそう告げると、ジュペッタは何を思ったのか目を丸くする。
『……あなた、見た感じ野生のポケモンですよね? 今まで一体どのような生活をしていたらそんなセリフが飛び出すのですか?』

『そりゃ、昨日までバリバリ人間でしたから!!』

 ちょうどいいタイミングまで黙っていようと思った言葉が、勢いに任せて口から零れ落ちる。その言葉を聞いたジュペッタの目が更に丸くなり、掴んでいた俺の片腕を急にパッと離した。
 相手はまだ何も言葉を発していないが、反応を見る限りこれは不味い展開か? もしや、ポケモンの間には人間がポケモンになると周囲に災いが降りかかる、みたいな言い伝えでも存在すると言うのか!?
 だとしたらヒナのところに連れていかれるでも追い出されるでもなく、この場で倒されるという最悪のルートが浮上するかもしれないってわけか! え、どうすんの俺。この体の動かし方は理解したけど、技の出し方とかはチンプンカンプンだぞ!?
 脳内で様々な文章が飛び交う中、ジュペッタは俺に視線を合わせると恐る恐る口を開いた(チャックがあるから本当に開いているかはわからないが)。

『声や言動からもしやと思っていましたが……。あなた、メグル君ですか?』

 何ということでしょう、彼は俺の声と言動だけで正体を見破ってみせたのです! いや、それはともかく突然バトルが始まらなくて本当によかった! このまま理不尽バトルが始まって早々にゲームオーバー、なんてのはシャレにならないからな!!
 というか、声や言動でもしやと思っていたって。俺ってそんなにわかりやすいやつなのか? それに「もしや」と思いながらもあの質問をしていたのだとしたら、コイツ結構性格が悪いぞ!?
 人間だった頃は言葉がわからなかったからそう思わなかっただけで、もしかすると今まで会った時もこういう言葉をかけられていたかもしれないな。そう考えると、これまで浴びせられた視線はどこか相手をバカにするようなものだった気がしてきた。
『くっ、この野郎! ずっと俺をバカにしていたというのか!!』
『誰もそんなことは言っていませんよ。被害妄想もほどほどにしておきなさい。それと、否定されないということは、やはりあなたはメグル君なのですね? でしたら、なぜ私の名前を呼ばないのですか? 会うと毎度の如くいじってきたでしょうが』
 はて、俺は彼の名前をどういじっていたというのだろうか。まさか名前を忘れてしまったというわけには言うまい。もし言ったら「は? あれだけいじってきたというのに忘れてしまったのですか? バカなんですか?」と言われてしまう。
 どう切り抜けようかと視線を彷徨わせていると、ジュペッタは小さくため息を吐く。
『いえ、よく考えればそのような姿で名前を呼ぶと私の警戒心を高めるだけですね。まさかメグル君ともあろう方が名前を忘れたなんてこと、あるわけないでしょうし』
 すみません。そのまさかです。とは一言も出せないまま、「ずっと突っ立っているわけにも行きませんし、とりあえず家に入りましょうか」というジュペッタについて行く。
 どうやら俺の正体がわかったことで、「追い出す」選択肢は消えたらしい。この先のことを考えると少し不安を覚えるが、今はアレコレ考えるより流れに任せる方が上手くいく気がする。
 何で俺はポケモンになったのか、ヒナの部屋には上がっても大丈夫なのか。脳内に残る色々な疑問を全て無視して、ジュペッタの案内により無事(?)ヒナの家へと上がり込むのだった。

 続く

雪椿 ( 2019/04/12(金) 15:04 )