機械仕掛けの海
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 この日のホウエンはあるニュースでかなりの賑わいを見せていた。なんせ、数々の大企業から期待されるほどの研究をしていた二人の博士が相次いで失踪し、片方の博士の研究所ではポケモンや人間の遺体が見つかったのだ。これで黙っていろと言う方が難しいだろう。
 二人の過去を知っていた者は言った。

「やはり、どれだけ立派な地位にいてもアクア団はアクア団だったか。恐らく光を浴びるのも汚らわしい研究をしていたに違いない」

 二人の過去を知らない者は言った。

「あの二人、すごい研究をしているって聞いたけど後ろめたいものでもあったのかな。いや、種類と違えど変人と呼ばれていた博士の元で助手として働いていた人間が、後ろめたくない過去を持っていないわけがないか……」

 様々な噂が飛び交う中、博士が消えた研究所は閉鎖させられ、研究内容もひっそりと闇に葬られた。片方の博士の家族は悲しみと噂に耐え切れなくなり、別の地方に引っ越したという信憑性のない情報が掲示板に流れた。これには悪意に満ちたコメントが連日のように書き込まれている。
 更にもう片方の博士の家では複数のモンスターボールから世にも珍しい人間の言葉を話すイーブイの進化形が発見され、とある研究所で実験体となっているという真実味ない情報も掲示板に流れていた。こちらには真正面からガセネタと決めつけ、無意味に騒ぎ立てるコメントで溢れかえっているらしい。
 そして、このニュースや情報とほぼ同時期に流れた「ポケモンが人間を殺した」というニュースにより、それまで一部を除いて忘れられかけていた「ポケモンは人間の友達である」という概念は完全に否定されることになる。
 ポケモントレーナーは特殊な機械を手持ちに取り付け、何があっても自分を襲わせないようにする、というルールが新たに追加された。ボスコドラやハガネールなど暴れると人間に被害を及ぼす可能性のあるポケモンは捕獲することを禁じられ、既に捕獲していた場合は人間のいる場所からは離れた環境に放つは施設に預けることになった。
 もしトレーナーが機械を取り付けようとしなかったり、捕獲を禁止されたポケモンを捕まえたり、逃がそうとしなかったりした場合はそのことがわかり次第警察がボールを破壊し、強制的にトレーナーと隔離される。
 ポケモンを使って抵抗する意思が見られた場合は状況によってはトレーナー、もしくはポケモンにそれ相応の罰を与えられることになる。
 野生のポケモンは住んでいる場所から出られない、または人間が興味本位で入らないよう、特定の地域にはポケモンや人間を通さないだけでなく、物理攻撃や特殊攻撃、状態異常技や技を使わない攻撃すらも全て吸収し無効化する特殊なバリアが発生する機械が設置された。
 なお、硬くて火に強い金属で厳重にコーティングされた機械は、作動させている間はメインのバリアと同時発生しているステルスバリアにより普通の状態では見えないうえ、専用の道具をいくつか使わなければ停止させることができない。なお、このステルスバリアはメインのバリアに透明化の機能を追加したものだが、境目がわからなくなるといけないので対象は機械のみとなっている。
 このことから、想定外の事故や概念が完全に否定されたとしても僅かながらに残っていた、「機械の設置を快く思わない者」に壊される心配は絶対に近いほどあり得なかった。
 もし乗り物などを使った空の移動や「穴を掘る」などを使った地中の移動、テレポートなどの空間移動でバリアをすり抜けようとしても、自動で発せられる特殊な電波(種族により微妙に変化するもの)が対象者の意識を操作していつの間にか元いた場所に戻る、もしくは技を使おうとしても発動する前にキャンセルさせる機能も備わっている。どちらかがバリアを超える可能性はゼロと言っても過言ではなかった。
 こうして、ホウエンのニュースをきっかけにして世界は更に「人間にとって」とても住みやすい環境へと変化していった。なお、この環境へと変化するまでに様々な失敗作が生み出されては「海」に棄てられ、ある巨大組織は利用可能範囲を広げるため更に海を埋め立てることを発表したらしい。
 いよいよカイオーガやジガルデなどのポケモン達が妨害しようとするのでは、と心配する声もいくつかあがったが、複数の組織が事前に妨げとなりえるポケモンを倒していたためそれは杞憂であることがすぐに判明する。
 また海という貴重な水源をなくしてもいいのか、と騒ぎ立てる者もいたが空気から安全な水を作り出すことが当たり前のようにできる時代だ。何をバカなことを言っているんだ、という多くの声でその騒ぎはあっという間にかき消されてしまった。
 程なくして発表通りに残された海は着々と埋め立てられ、遂には本来の海と呼ばれた存在は完全に姿を消した。大地の広がりに希望を見出した者はライフラインが整い次第移り住み、余ったスペースには古くなったものをどんどんと捨てていった。
 本物ではない「海」がその広さを拡大していた頃。自然を完全に奪われた水タイプのポケモンや草タイプのポケモンが、枯れ果てた大地の上でゆっくりとその灯を消していったことは、もう誰も気にしていない。
 何てことはない。子供がジュペッタに何回も同じようなパターンで驚かされ反応が薄くなり、遂にはその内容に飽きて反応すらしなくなったのと同じことだ。
 今のホウエンや他の地方では突然ポケモンが発狂、またはトレーナーの元から逃げ出す事件が連日のように流れているが、それもすぐ誰も気にしなくなるに違いない。
 なぜならある会社がこれまでにいたポケモンの見た目、能力などを全てリアルに再現した「アプリ」を発表したのだから。タッチ一つで実体化し、呼び出し主の命令に忠実に従ってくれる。実際のポケモンのように命令した途端悲鳴をあげ、全力でその場から逃げ出すなんてことはまずない。
 「アプリ」はポリゴンのような人工的に作られたポケモンと似ているようだが、自我の有無という点では大きな差があった。「アプリ」には自我がない。自我がないから呼び出し主を襲うことはありえない。
 バグにより暴走することもたまにはあったが、その場合はすぐにデータを削除し新たにダウンロードをすればいくらでもどうにかなった。データごとに能力差があればそれも躊躇(ちゅうちょ)されただろうが、ダウンロードできるデータは全て同じで「個体差」というものは存在しない。
 技はダウンロードしなおす度に選びなおす必要があったが、ほとんどの使用者はランダムに選んでいたので特に不満の声があがることはなかった。
 「アプリ」が広がるにつれポケモンセンターはアプリメンテナンスセンターへと変化し、各地方のジムやポケモンリーグは一時「アプリ」同士を戦わせるジムやアプリ・リーグへと変化したが、数ヶ月も経たないうちに世間から姿をくらました。
 今や様々な策を練りながらポケモン(この場合はアプリのこと)同士を戦わせることに意味を見いだせなくなってきた者達にとって、ジムやリーグは存在していても訪れることのない施設になっていたのである。

― ― ―

 とても便利な「アプリ」の登場により、トレーナーのポケモン達は人間にとっての存在理由を完全に失った。元トレーナー達の「邪魔者」は、見つかり次第生態系が崩壊し生き残った強者のみが歩き回るバリアの向こう側に追いやられることになる。
 そのことに、彼らの中で長年積りに積もったものが遂に爆発をした。始めにアルセウスが野生のポケモンとトレーナーの手持ちだったポケモン達に呼びかけ、未来のない生き残りを賭けた争いをピタリと止めさせた。
 次にソルガレオやルナ―ラなどのポケモン達の手により、大半のポケモンは異世界へと姿を消した。続いてギラティナの手により、かなり崩壊はしているものの異世界に行くよりはマシだと判断したポケモン達が裏側の世界へと姿を消した。
 最後にこの世界に残ったポケモン達は自分達の持てる力を全て使い、「歴史」そのものを変えようとした。彼らは最初に本物の森が消えたと同時にこの時代を見限り、別の時代に飛んだセレビィと何とかコンタクトを取ろうとした。
 無謀とわかっていても、彼らにとって身近な「時を超えられるポケモン」はセレビィしかいなかったから、諦めるわけにはいかなかった。
 しかしどう頑張っても時の壁を越えてコンタクトを取れるはずもなく、絶望に飲み込まれていく。そんな中名乗り出たのは、セレビィと同じく「時を超えられるポケモン」であるディアルガだった。
 思いもよらぬポケモンの出現に半ば絶望していたポケモン達は歓喜し、すぐにディアルガの力を借りて世界がこうなってしまう前の時代へと飛んだ。
 彼らがこの世界や時代から姿を消す少し前、奇跡的に一匹だけ生き残ったアブソルがある「災い」を感じ取ってひと鳴きした。
 しかし、バリアの向こう側には一ミリたりとも伝わらない。今やポケモンを通さないだけでなく、鳴き声までも吸収する機能がついた水色の壁の前では、こちら側で何を言おうが全て意味のない行動へと成り下がっていた。
 そのことをわかっていたアブソルはニヤリと口元をつり上げると、他のポケモンと一緒にルナアーラの背に乗って、空にぽっかりと開いた穴の向こう側に消えていった。

* ― ― * ―

《ザザー……ザザー……》

 電気タイプを含む波音を好むポケモンや最初の頃にいた物好きな人間も消え、誰もその姿を見に来なくなった「海」。
 見渡す限り広がり続けるその「海」は、今日もただ静かに波音を発している。何百回目かの波音がひび割れた地面に砕けて吸い込まれていった時、突然「海」の一部が崩れ落ちてガシャンと大きな音を立てた。
 そのことが何を表すのかを知る者は、もうここにはいない。誰にも聞かれることのない「声」を発した「海」は、これから起こる出来事を知っているかのようにザザッと歪な笑いを零した。

* ― * * * ―





 この世界は、もうすぐ終わる。





「遐エ貊の海」 終わり


雪椿 ( 2018/10/07(日) 22:54 )