機械仕掛けの海 - 機械仕掛けの海
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 数日後、博嗣がフカフカのベッドで目を覚ました時には全てが終わっていた。彼が目覚めた時すぐ傍にいた敬一によると、マツブサとユウキによりアクア団は「解散」させられ、マグマ団も表面上は解散となったが別の組織として活動は続けるらしい。
 今、博嗣達がいる場所は敬一の自宅だという。敬一は、本当は博嗣をアジトのベッドで休ませたかったらしい。だが、マツブサやユウキが消えた後大勢のマグマ団員が攻めてきて、休ませるところではなかったという。
 確か敬一の自宅はアジトに近かったはずだ、と思った博嗣はその近さに感謝した。気絶した大人を一人で運ぶのは想像以上に大変だ。もし敬一が運ぶのを諦めてアジトに置いて行かれていたら、博嗣はマグマ団に捕まるなど碌な目に遭わなかったに違いない。
 思わずほっと息を吐いた博嗣に、一所懸命にベッドに登ろうとチャレンジし、やっと登ったピカチュウがすり寄ってきた。いつの間にモンスターボールから出たのかはわからないが、その姿に安心する。頬袋から漏れる電気に少し顔が痺れるのを感じたが、それを指摘することなく頭を撫でる。
 ピカチュウは嬉しそうに目を細め、ちゅうと鳴いた。尻尾もゆらゆらと一定のリズムで揺れている。
 その光景を見てふっと頬が緩んだ博嗣は、ふと敬一のパートナーであるイーブイがどうなったのかが気になりだした。
「そういえば、イーブイは? 大丈夫だったのか?」
 博嗣の言葉に一瞬ビクリと体を震わせると、カタカタと小刻みに震える手で傍に置いてあったモンスターボールを手に取った。やっとのことで開閉ボタンが押されると同時に、敬一の口が開かれる。

「……っ! イーブイは、イーブイは―――!!」
 
 敬一の言葉に、緩んでいた頬が自然と引き締まった。
 ……イーブイは、敬一を自宅に連れて来た後ポケモンセンターに連れて行ったものの、アクア団の恰好をしていたことが仇となってか、治療を頼む前に追い出されてしまった。
 慌てて自宅へと引き返し、今度は私服で向かったのだが運の悪いことにそこのジョーイさんに顔を覚えられてしまっていた。そのせいで姿を見せただけでイーブイ共々外に放り出されてしまう。外からイーブイの状態を訴えてもまるで聞いてはくれなかった。
 イーブイを抱えたままポケモンセンターを前に立ち尽くす敬一に、一連の出来事を眺めていたらしい少年が大きな声でこう言った。

「ばっかじゃねぇの? ポケモンセンターがわざわざホウエンの敵だったやつの手持ちを治すわけねぇじゃん! たかがバトルの怪我ごときで騒ぐんじゃねぇよ、うるせえ」

 聞き捨てならない言葉の数々に、敬一は小さく黙れと言って睨みをきかせる。しかし、睨まれていることに気付いていないのか度胸があるのか、少年の言葉は止まらない。

「それにイーブイが、イーブイがって言っていたけどさぁ? ぶっちゃけオレ達は他人のポケモンのことなんか、どうでもいいんだよ。存在するだけで近所迷惑になるんだから、さっさとこの町から消えちまえ!!」

 他人のポケモンなんか、どうでもいい。その一言が、敬一の心にできた傷を更に深いものへと悪化させた。ふらふらとした足取りでミナモシティから出ると、声を振り払うようにただただ道路を走り抜け、気付いた時にはヒマワキシティのポケモンセンターの前にいた。
 またアクア団だったことを理由に追い出されるのでは、と内心ビクビクしながら入るも私服だったお蔭か特に文句を言われずに手続きが終わり、やっと治療を受けられることになった。
 しかし、骨だけではなく体全体に強い衝撃を受けたため、治療をしても骨が十分に癒合しない、または変形した状態で癒合する可能性があるらしい。
 何回か治療を繰り返して、ちゃんとリハビリをすればまた歩けるようになるのでは、と言う敬一の考えをあざ笑うかのように、ジョーイさんはこう告げたと言う。

「イーブイは遺伝子ポケモンと言われるだけあって、遺伝子がとても不安定なポケモン。そのせいか何度もやると体が『治療を繰り返される』という『環境』に反応して、進化した時に不自然な箇所な箇所が生まれたり、最悪の場合進化ができない体になったりしてしまうらしいの。専門のポケモンセンターであればそのリスクを抑え、安全に治療できるらしいけど――」

 そのポケモンセンターの場所を教えて下さい! と言う敬一に、ジョーイさんはかなり言いにくそうにしながらも、残酷な事実を告げた。

 ――そのポケモンセンターは、技術が技術だけに治療は一般のポケモンセンターのように無料ではなく、受けるためには敬一ではとても出すことのできないくらい、莫大なお金が必要になると言われている。
 チャンピオンや四天王、ジムリーダーなどはその地位から免除され、ポケモントレーナーも将来性がある場合は半分以下の額になるらしい。
 しかし、トレーナーがもし過去によくないことをしていた場合は、センターに入る前に特別な許可を得て設置された顔認証ゲートではじかれるとか――

 その事実に敬一は言葉を失い、装具と補助具を付けて貰ったイーブイをボールに入れ泣きながら帰ってきたらしい。
 ボールから出され、不思議そうに装具や補助具を眺めるイーブイを見てただ涙を流す敬一の姿に、博嗣は自分達の所属していた組織を恨みそうになった。しかし、組織を恨む「原因」を作ったのは居場所を奪ったマグマ団と、友とそのパートナーを深く傷つけたユウキだ。
 更に言えばアクア団であったことだけで、本来誰もが受けられるサービスを受けられないポケモンセンターも原因ではあるだろう。
 だが己の正義のために動いていたとはいえ、その行動から「敵」としか認識されていなかったアクア団に対するポケモンセンターの反応は、第三者から見れば当然すぎるほど当然のことだった。そのうえ、あの施設の背後にはホウエンのポケモンリーグという恐ろしく巨大な後ろ盾がついている。
 攻撃をしかけてこちらが光溢れる世界に立ち続けられる可能性がゼロに近い以上、一時の思いで膨れ上がった恨みをぶつけるにはリスクが高すぎた。
 博嗣は色々と考えた結果、動きを妨害するという意味も込めて先にマグマ団に、素性がわかり次第ユウキに復讐することを決意した。

― * ― ― ― ―

 アクア団が「解散」してから、何年が経ったのだろう。あの時敬一のイーブイに大怪我を負わせたジュカインのトレーナーであるユウキこと立原 祐樹(たちはら ゆうき)は、このホウエンのチャンピオンとなりリーグを盛り上げているらしい。
 一方、別の組織となったマグマ団では組織ができてから一年足らずでマツブサが突然の引退をしてからは、代わりに中村 正司(なかむら しょうじ)という男がトップに君臨していた。彼がトップになってから、このホウエンの環境は目を見張るほど変わり始めたと言える。
 マツブサだった頃も変化はあったのだが、それは世間の予想の範囲を出ない変化だ。中村がトップになってからの変わりようは、ついさっきまでぴちぴちと跳ね続けていたコイキングが突然ギャラドスに進化して暴れ回り始めたのかと思うくらい、とても大きなものだった。
 その結果博嗣達が好きだった海はどんどん埋め立てられ、今やその姿はほとんど見ることができない。すぐ見ることができるのは、機械により一面が埋め尽くされた悲しい光景だけだ。最初に海の一部を埋め立てることを提案したマツブサも、まさかこうなるとは思っていなかっただろう。
 その光景から「機械仕掛けの海」と呼ぶのがふさわしい。そう言ったのは一体誰だったか。もしこれがカラクリで動き海を演出する、一種の見世物だったらどれほどよかったことだろう。

 ある日、博嗣達はある目的のため「機械仕掛けの海」の目の前に来ていた。灰色の雲の隙間から滲む光に照らされた「海」は、ただぼんやりとその姿を晒している。

《ザザー……ザザー……》

 聞く者によっては不快の感情しか生み出しかねない「波音」が、いくつも博嗣の耳に入ってくる。埋め立てられた海の悲鳴と考えても、あながち間違いはないだろう。
「ひぃっ、た、助けてくれ……!」
 ふと、やや掠れた人間の悲鳴が聞こえた。博嗣が面倒くさそうに頭を掻きながらも、その方向に視線を移す。だが、そこには両手両足縛られて転がっている男性……中村がいるだけだ。口は「あえて」縛っていないうえ目隠しもさっき外したためか、反応がいちいちうるさかった。
 中村の周りでは、先日新たに博嗣の仲間に加わったザングースと、敬一の仲間に加わったハブネークが睨みをきかせている。それより少し離れた場所ではピカチュウとイーブイが仲良く眠っており、博嗣はジェスチャーで静かにしろと中村に言った。
 しかし、それで中村は静かになるどころかわあわあと喚き散らす。その声が原因か、ピクリとイーブイの耳が動いた。
「ハハハ! うるさい、とてもうるさいやつだ!」
 博嗣の傍でずっとイーブイの様子を眺めていた敬一が、スッと立ち上がるとケラケラと笑いながら中村に向かって蹴るような仕草をする。仕草だけで実際には蹴られていないのだが、中村はひぃと小さな悲鳴をあげた。
 悲鳴をあげる中村を見て更に笑う敬一を見て、博嗣はふと複雑な感情を覚える。……あの後、いや正確にはイーブイの大怪我があってからか。敬一はおかしくなってしまった。
 風の便りによると、あの出来事以外にも両親の突然死、敬一が連帯保証人となっていた知り合いが莫大な借金を抱えてそのまま行方をくらませるなど、不幸な出来事が起き続けたらしい。
 そのせいか一時「神経衰弱」だと判断されたようだが、今の様子を見ると「神経衰弱」はほとんど直っていると見ていいだろう。だがよく見ると目の焦点が合っていない敬一を見て、博嗣の心にふつふつと「チャンピオン」への怒りが蘇ってくる。
 どうせなら「チャンピオン」への復讐も果たしたいところだが、今の博嗣では逆に返り討ちに遭って警察に突き出されるのが関の山だ。拳をぐっと爪が皮膚に食い込むほど握りしめた博嗣は、スッとザングースに視線を送る。

「た、助け――」

 機械の波音の他に、耳を澄まさないと聞こえないほど小さな波音が加わった。

― * ― ― ―

 敬一の自宅にて。突然敬一から呼び出された博嗣は、リビングのソファーに座りながら膝の上に座るピカチュウを撫でていた。視界の隅に映るピカチュウの尻尾が、ゆらゆらと一定のリズムで揺れているのがわかる。
 何もない空間を見ているふりをしながら、ちゃっかりこっそりピカチュウの尻尾も眺めていると、時間になったのか点けっぱなしのテレビからニュースが流れ始めた。
 ある組織のトップが突然の失踪をし、新たなトップが指名された、との声が壁と同化したテレビから流れる。博嗣が片手を動かして静かにテレビの電源を消していると、イーブイを優しく抱えた敬一が真剣な顔で博嗣がお邪魔していたリビングに駆け込んできた。
「博嗣、急に呼び出してすまない。実は、このクソみたいな環境を変える勝負をしたいと思っていてな」
「は?」
 突然の提案に博嗣が固まっていると、向かいのソファーにゆっくりと座った敬一が「焦点がはっきりと合った」目を向けてくる。それを見て、博嗣は彼が「正常」に戻っていることを知った。
 これは真剣に話を聞いた方がいいな、と思った博嗣はピカチュウを撫でる手を止めると、敬一と同じように真剣な顔になる。彼らの膝に乗っているピカチュウやイーブイがのんびりくつろいでいるため、それほど真剣そうに見えないのがアレではあるが。
「なるほど、その『勝負』とやらのために俺を呼び出したのか。で、どういう内容で何があれば『勝ち』なんだ?」
 その問いに一瞬ピタリと動きを止める敬一。そんな彼を見て「もしかして、完全なる思いつきだったのでは?」と博嗣が少し不安を覚えた時、彼の頭上に「!」いわゆるエクスクラメーション・マークとチョンチーが浮かんだのが見えた。見えた気がした。
「最近本物の海がなくなってきたせいか、少しずつではあるものの水タイプのポケモン達がこのホウエンから姿を消していっている。あの美しい本来の海を取り戻し、人間達のエゴに巻き込まれた彼らを救える『何か』を見つけることが『勝負内容』で、それを世間に認められたら『勝ち』というのはどうだ?」
「……随分と曖昧な勝負内容と判定だな」
 何か、って何なんだ。と博嗣が心の中で突っ込んでいるうちに、敬一の中ではことが決まったらしく、早速準備をしなくてはとイーブイをそっと抱えると駆け足でリビングから姿を消してしまった。
 恐らく早くしないと自分に負けるかもしれない、という思いがあったのだろうと思った博嗣は苦笑いを零す。だが、敬一に先を越されたら嫌だという思いが芽生え始めたため、ピカチュウを抱えると彼も駆け足でリビングを出て自宅へと向かった。

雪椿 ( 2018/10/07(日) 22:41 )