変わった者と選択肢(エド視点)
全身を覆う疲れのせいで、一言も口にする気になれない。冷たい床が気持ちいい。俺が、いや俺達がこうなっている原因は今もぶつぶつと何かを言っているナギの電撃にあるが、元を辿れば後ろで黒焦げになっているであろうガブリアスにある。
メアが出ていった後、しばらく黙っていたガブリアスは目の色もあるし何か後ろめたいことがあるから出て行ったのだ。そう言って嗤った。そんなことはないと俺達は反論したが、会って間もないくせにアイツの何がわかるとぶつけてきた。
……正論だった。ガブリアスの言う通り、俺達はメアのことを何も知らない。知っていることと言えば、種族と名前、なぜかスキルなしで迷宮の敵を倒せること、この世界のことを全くと言っていいほど知らないことだけ。
俺達はまだ、メアの表面しか知っていない。知っていることだけを信じたら、怪しいことこのうえない。正気を疑われるのも納得だ。スキルなしで迷宮の敵を倒せる、という事実に焦点を当てると俺達の敵である可能性も否めない。記憶の件は俺達を騙すための演技かもしれない。
それでも、俺はメアをサザンクロスに入れるべきだと思った。森で感じた使命のようなものがあるから、というのはもちろんあるが、メアは敵ではないと感じ始めていた。
もし敵だったのなら、記憶喪失に近い状態を演じる意味がわからない。組織に馴染めるようにだとしても、怪しい要素の一つをすぐに見せる必要はない。そんなことをすれば警戒されるのはすぐに考えつくからだ。
……それに、演技をした敵だったのなら。怪しまれることを覚悟していたのなら。ガブリアスに言われた後、あのような顔をするはずがない。絶望を目の当たりにしたような、暗く悲しい顔を。
俺が考えたことを伝えると、ガブリアスは顔を真っ赤にして俺や組織について色々と言いだした。段々とエスカレートしていく内容に、便乗して日頃の不満をぶちまけていた他のポケモン達はドン引きした。
ドン引きしたのは他のポケモン達だけじゃない。俺達もそうだった。俺なんかはガブリアスを見ながらアイツ、あんなに怒りやすい性格だったっけ、と本気で考えたものだ。俺の記憶が正しければ、以前は比較的穏やかな性格だったはずだが。
俺が我慢の限界を迎える前にナギが限界を迎え、最大出力の電撃を放ち幕は無理やり下ろされた。もっとも、ガブリアスはタイプの関係もあって、あまりダメージは負っていないだろうが。
ガブリアスはともかく、俺含め大勢の被害ポケモンのダメージは計り知れない。うめき声すら聞こえないということは、うめく体力すらないということか。実際俺達もうめいてはいないから、その考えで合っているのだろう。
そんな俺達を放っておかず、医療キットを取りに行ってくれたヒメには感謝してもしきれない。メアは場所を知らないし、ナギは頼むに頼めない。リアは……、わからない。その中でメアを追ったことで無事だったヒメが向かったのは、ある意味必然と言えば必然かもしれないが。
これで残る心配は、ヒメが医療キットを取って戻ってきてくれるかどうかだ。いや、別にヒメが取りに行くふりをして逃げるとか、そういうのを心配しているわけじゃない。彼女はそんなことをしないだろう。
ただ、ヒメは少し、いやかなりドジだから取ってくる前に使いきらないか心配しているだけだ。ちなみに彼女がどのくらいドジかというと、ギルドから出てどこか近場の迷宮に行くまでに疲れ果てるレベル。もはや一種の才能と言ってもいいかもしれない。
もちろんリアのサポートもあってちゃんと戻ってくる可能性はあるが、自然回復の力に頼ることになる可能性も考えておかないといけない。……どちらかというと、後者の方が現実的な気がするが。
どうかリアのサポートがヒメと俺達をいい方向に導いてくれますように。そう祈っていると、いつの間にか会議室や廊下に充満していた臭いがかなり薄れていた。どうやらメアが開けた窓にちょうどいい風が吹き抜けているらしい。
これで見た目が黒焦げプラス鼻が麻痺する、という事態は避けられたと喜んでいると、一仕事終えたメアが視界に入ってきた。とはいっても倒れたままの姿勢では目に入るのは手足くらいだが。
「……エドさん、話せる?」
疲れからずっと黙っていたので、話せなくなっているのではと思われたらしい。確かに今は話すのも疲れるが、話せないわけじゃない。大丈夫だと口に出すと、メアは今聞くようなことじゃないのだろうけど、と前置きをしてから質問してくる。
「僕は名前を知らないから種族名で認識していたけど、さっきナギちゃんも彼を『ガブリアス』って呼んでいたよね。……もしかして、ここでも名前があるポケモンとないポケモンがいるのかい?」
ああ、そのことかと俺は重い頭を上げた。視線が移動し、やっとメアの顔が視界に入ってくる。
「そうだ。あった方が何かと便利だが、別になくても支障は出ないからな。名前がない、または必要ないってポケモンはそのまま呼ぶようにしているんだよ。元いた世界のアレコレもあるし、そこら辺は結構自由だな」
「へえ……」
前置きをするくらいだからどういうものだろうと思っていたら、意外と普通なことだったな。まあ名前があるのが普通の世界にいたのなら、名前ありと名前なしの環境に驚くのも無理は――。
いや、待て。メアは「ここでは」ではなく「ここでも」と言った。つまりメアは以前ここと似たような環境にいた、ということになる。とはいえ、名前があるなし両方だった世界のポケモンは少なくない。むしろ全員に名前がある方が珍しいと言えるだろう。
きっと、メアはここまで名前のあるポケモンとしか会っていなかったから、いきなりの種族呼びで混乱したのだろう。だったら別に気にしなくてもいいか、と頭を切り替える。
頭を切り替えても、まだまだ全身を覆う疲れは消える気配を見せない。このままヒメが来なかったら寝て回復するしかないかと思っていると、遠くの方から騒がしい足音が聞こえてきた。時折小さく悲鳴が聞こえ、それを助けるような声が続く。
……本当、遠くからでも誰だかよくわかるな。メアも耳をピクリと動かすと、ほっと息を漏らす。恐らく、俺と同じようにこれを聞いて安心したのだろう。悲鳴が聞こえている時点で安心していいのかと言われそうだが、助けられているのだから安心していいと思う。
「お待たせしまし――、キャアァァァ!!」
まだかまだかと廊下の先を見つめていると、いきなりどこか傷が増えた気のするブースター、ヒメが勢いよく廊下をスライドしてきた。後ろの方からメアとは違うタイプのキュウコン、リアが早足でこちらに向かってくる。
「最後にやや大きなアクシデントがありましたが、医療キットは無事です。早く治療してしまいましょう」
リアはあっという間に俺達の前に来ると、証から十分なほどの医療道具を取り出し始める。……不思議なことに、いつかどこかで聞いたトレジャーバッグみたいに色々と入るんだよな。エーテルの欠片は本当に謎に溢れている。
*****
リアの的確な治療から、俺達はすぐに動けるようになった。メアが固まっていたのは、リアがすごすぎて入る隙がなかったからだろう。現に、手伝おうとしていたヒメは完全に置物と化していた。
「アタシが大丈夫だからって、周りを考えずにやっちまって……。すまなかったね」
悲惨な現場と化した会議室を掃除している最中、すっかり元の状態に戻ったナギが俺達に向かって口を開いた。俺達、というのは俺とルカのことだ。他のポケモンには目もくれず、声も俺達だけに聞こえるようになるべく抑えられている。
ナギにとって謝るべきは俺達だけで他は謝らなくてもいい、ということか。それはどうなんだと言いたいが、浴びせられた言葉の数々を思うと注意しにくいものがある。ナギも頭ではわかっていても行動に移せない、といった感じなのだろう。
周囲から視線の雨がナギに注がれているのがわかるが、普段聞いても言おうとしないのに便乗して言葉を投げつけたのだから、相応の結果が出たと考えるべきだろう。俺は視線を遮るように移動してから口を開く。
「それじゃ、結構片付いたし話し合いを再開するか」
そこからメアや今はちょっと出て貰っているガブリアスについて……というよりも、ほぼガブリアスについて話していく。どうやら皆、最近のガブリアスの変化には思うところがあったようだ。
ヒメがこれ以上酷くなるようなら、本格的に出て行って貰った方がいいのでは、と言ってくる。ナギもその意見に賛成し、ルカも少し考えるようにしながらもその方が平和かもしれないぞと続いた。
戦力が減るのはよくないが、組織の環境を思うと出て行って貰うことも考えないといけないかもしれない。そう思っていた時。
「それで、ゾロアークさん。キュウコンさんのテストはいつから始めましょうか」
突然、リアの声が割って入った。話題となるには十分な内容だが、もう少し話の流れを読んで貰いたかったものだ。思えば会議室での発言も流れに沿っているようで沿っていない気がしたから、今更かもしれないが。
とはいえ、あのままではしばらくガブリアスについて話し続けていただろう。ちょうどいいと、俺はメアに視線を移す。メアはどこか遠い目をしていたが、俺の視線に気が付いてすぐにこちらを見た。
「メア。リアの言葉である程度は理解していると思うが、サザンクロスに入るにしてもお前の実力やらポケモン性を確かめるにしても、テストをする必要があるんだ。……俺としては入ってからテストでもいいんだが、それだと納得しないポケモンもいるだろうからな」
そのいい例が、あのガブリアスだ。……本当、前は真っ先に反対よりも真っ先に賛成するやつだったと思うんだがな。メアもすぐに彼の様子を思い出したのか、特に意見をすることなくコクリと頷く。
問題は内容だ。いざテストをする、と言っても全然内容を考えていない。内容を考えていないのは、内容が毎回同じだと事前に突破口を見つけられて正しい結果が出ないことがあるため、毎度新たに内容を考えているからだ。
お陰で誰かが入ろうとする度に悩むことになるが、それによってちゃんと結果が出るので面倒と言っていられない。入ってすぐに誰かが出ていくことがほとんどなくなったのが、結果の信用性を表している。
メアはどのようなものが言い渡されるのかといった顔でこちらを見ていたが、俺達の雰囲気からやがてこの場で考えたものを出されると気付いたらしい。どこか不安そうな目を向けていた。
……すぐに思いつくのはバトルだが、それで実力はわかってもポケモン性がわかるとは限らない。バトルをして友達になるのは描かれた世界だけのように思う。仮にそれでポケモン性もわかったとしたら、ここに来るのは全員戦闘狂になってしまう。
ナギやルカ達も思いつくのは似たようなものばかりなのか、時々耳に入ってくる言葉は「戦い」や「バトル」だけ。たまに「パズルゲーム」や「脱出ゲーム」というものも聞こえるが、どうやって用意するつもりなんだ。
俺達の様子にいよいよメアが一緒に考えようかと言い出してきた時、端でじっとしていたリアが口を開いた。
「では、こういうものはどうでしょうか。一つは時狂いの森でのテスト。少し前に見つかったばかりなので危険度は不明ですが、どこまで挑戦できるかで実力がわかります」
なるほど、いきなり迷宮に挑戦というのはキツイかもしれないが、実力を知るという点ではいいかもしれない。あの森にいるのは多くが草タイプだから、一部炎技を封印して戦って貰うかもしれないな。
「もう一つは町でのテスト。そこでキュウコンさんには様々なポケモン達に話を聞いて貰い、悩みがあれば解決して貰います。これならポケモン性がよくわかることでしょう」
話しかける時の様子や解決するまでの行動で大体どんなポケモンかわかる、というわけか。悩みがあれば解決する前提で話しているが、もしも一匹では無理なやつだったらどうするつもりなのだろう。いや、そこも含めてテストなのかもしれないが。
「それならいけそうだな。メアもそれでいいか?」
念のために聞くと、メアは問題ないと首を縦に振る。視線を滑らせると、他の皆も特に反対はなさそうだった。……そういえば、今までのテストの内容はほとんどリアが提案していたな。反対する必要がない、ということか。
「じゃあ、準備ができ次第すぐにテストとしよう。メアはどっちからやるつもりだ?」
別にどれを先に選んだからといって内容が変わるとは思えないが、メアにも挑戦しやすいテストがあるだろう。テストなのだから気持ちは自然と重くなるだろう。やりやすい方を選ぶことで、少しでも重くない気持ちで挑んで欲しい。
メアはしばらく視線を下に彷徨わせて悩んだ後、すっとこちらに視線を合わせた。
「僕は――」
続く
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次の話は森と町、どちらを先に選ぶかによって少しだけ内容が変わります。続けて読むと混乱を招く可能性があるため、ご注意を。