ヒメとリア(メア視点)
ついてこい、と言っておきながら完全に僕達を置いて行ってしまったエドさんに苦笑いを零しつつ、僕達は彼が待つ場所へと急ぐ。僕やナギちゃんは早々悟ってスピードを落としていたから大丈夫だったけど、ルカ君はそのままで突っ走っていたから傍から見ても大丈夫じゃなさそうだった。
ナギちゃんが大丈夫かどうか問うと、ルカ君は何とか笑顔を保ちながら「これくらいではへこたれないぞ……」と返してきた。十分へこたれているように見えるけど、ここは彼の名誉を守るために黙っておくとしよう。
ルカ君に合わせながら歩いていくと、耳をペタリと下げたゾロアーク、エドさんが建物の前で立っていた。恐らく僕達を置いて行ってしまったことを反省しているのだろう。その頃にはルカ君の様子もある程度回復していたから、一応彼の名誉は守られたと思う。
「あ〜、悪い。お前らの体力のこと、考えていなかった。もっとペースを合わせて走るべきだったな」
僅かに視線を逸らしながら、たてがみを爪でかくエドさん。僕とナギちゃんはちょっと違うと言いたかったけど、背後からルカ君が何とも言えないオーラを出していたので曖昧に笑うに留めておいた。守った名誉をわざわざ傷つける意味もないからね。
エドさんは僕達の反応を単なる苦笑いを捉えたのか、それについて追及することはしないまま背後の建物を誇らしげに両手で指さす。バーン、という効果音が似合いそうな光景に口が弧を描くように引きつったものの、誇らしげに紹介するのも納得の建物だった。
周囲の建物は壊れていたりツタなどの植物に覆われていたりして、ゴーストタウンをイメージするものばかりだったけれど、ここは違う。見るものを圧巻させるほど大きく、そして美しい建物がそこにはあった。ちょっとした城、と表現した方がわかりやすいだろう。
「すごいだろ? ここが俺達の拠点。ギルド・サザンクロスだ。建物が特別頑丈だったのか運がよかったのか、コイツだけがほとんどそのまま残っていてな。中も十分使えそうだったから有効活用させて貰っている」
その分掃除も大変だけどな、とエドさんは笑う。外見だけでもその大きさや広さは窺い知れるから、実際の苦労は計り知れない。ギルド、と言っていたから彼ら以外にもポケモンがいるのだろうか。それなら掃除も交代制だから何とかなりそうだけれども。
ぼうっと城ことギルドを見ていた僕に向かって、エドさんが中に入るよう促してくる。見た目が見た目だから入るのに緊張するかと思ったけど、周囲が周囲だからかエドさん達の雰囲気からか案外スッと入ることができた。
「へえ、これは……」
中に入ってすぐ目に飛び込んできたのは、掲示板と睨み合いをするポケモンや武器の手入れをするポケモン達。ギルドという言葉とよく合う光景だ。恐らく、あの掲示板に助けるべきポケモンの情報などが載っているのだろう。
掲示板を覗いてみたい衝動に襲われるものの、まずは僕自身のことを解決しないといけない。話を聞く限りどうやら僕はかなり特殊みたいだから、今はそれについて考えることにしよう。
エドさんは近くにいたブースターに、至急全員を会議室に集めて欲しい、と告げた。ブースターは一瞬きょとん、とした顔をする。そして理由を考えてか少し首を傾げたものの、エドさん達の表情や僕の存在に気が付いたのか何も聞かずに去っていった。
「うぎゃっ」
……その途中、何もないところで転んで顔面を強打していた。転ぶ前は扉にぶつかっていたけど、大丈夫なのだろうか。これから何が始まるのかよりも、僕はまず彼女が無事に皆を集められるのかが心配になった。
*****
「はあ!? サザンクロスや迷宮について何も知らなかったうえに、なぜかスキルなしで迷宮の敵を倒せるキュウコンを仲間に入れるだと!? リーダー、正気か!?」
そのまま優雅に食事でも開始できそうなほど広い会議室に、一つの怒号が響く。長机を力強く叩いて反対するのは赤いスカーフをつけたガブリアスだ。ガブリアスに影響されるように、他のポケモン達も普通じゃない、騙されているのではと声をあげ始める。
エドさんはそれを手で制した後、少し落ち着けと口を開いた。
「見ての通り、俺は正気だ。確かにそれだけ聞くと不安になるのもわかるが、メアのような存在が他のやつらに知れるとどうなるかわからない。俺達の組織に入れて色々と探っていった方が安全だろう?」
「だがよ……!」
それでもなお食い下がろうとするガブリアスに対して、エドさんは眼帯に覆われていない方の目で強く睨みつける。ここまで言ってもまだ反対する気か。片方の目がそう物語っていた。
「――っ!」
これ以上は無理だと判断したのか、ガブリアスはまだ何か言いたげに口を動かしつつも黙ってしまった。他のポケモンもつられるようにして口を閉ざす。どこか重たい空気の中、それを切り裂くようにどこか機械的な声が響き渡る。
「では、テストをしてみるのはどうでしょうか。それで実力やポケモン性を判断し、本当にギルドに入れていいかを確かめるのです。どのみちテストはしなければいけないでしょうから、ちょうどいいのでは?」
実力と僕というポケモンがわかれば、ひとまず皆を納得させることができる。そういう点ではいいタイミングの提案と言えるだろう。よくこの言い出すのに勇気のいる空気で発言したなと思う。
一体誰が言ったのだろう。そう思って、首を回して声の主を探す。ここには多くのポケモンがいてすぐにはわからなさそうだけど、運のいいことにそのポケモンは皆の視線を集めていたからすぐにわかった。
「――!?」
僕とよく似ていて、どこか違う姿と目の色を視界に入れた瞬間、世界が色を失った。他にも多くのポケモンがいるはずなのに、視界には彼女しか映らない。記憶の奥底から浮かび上がってくる光景の数々。彼女の最期を思い出す。
足元に広がる影から虚ろな目を宿した鎖がぐるりと体に巻き付き、僕を現在から過去へと突き落そうとして――。
「――メア、一体どうしたんだい?」
背後からそんな声が聞こえ、世界は急速に普通を取り戻していく。失われた色はあっという間に戻り、ポケモン達も元の位置に戻った。いや、僕が普通に戻っただけか。突然世界から色が消えるなんてことは、普通あり得ないのだから。
後ろを向くと、声をかけてきたクチート……ナギちゃんが心配そうにこちらを見ている。よく見ると、エドさんやルカ君、先ほどのブースターも同じ顔をして見ていた。エドさん達ならともかくブースターにも心配されたとなると、僕はよほどおかしかったのだろう。
他のポケモンも僕の異変に気が付いてか、怪訝そうな目を向けている。純粋に心配しようとしないのは、僕がまだどういう存在かわかっていないのが原因に違いない。それでも心配してくるブースターは、本当に優しい性格なのだろう。
気分が悪いのなら部屋を出るか、と聞いてくるエドさんに対して大丈夫だと告げるも、ルカ君が無理はしない方がいいぞと言ってくる。流れに乗るようにブースターもその方がいいと告げ、ナギちゃんがガブリアスを睨みつけた。
……睨みつける相手が違うけど、客観的に見て僕がおかしくなりそうなのはあのポケモンよりもガブリアスだ。それにしてはタイミングがおかしいと思うポケモンもいるとは思うけど、そう深く考えはしないだろう。
このままでは、ナギちゃんが原因を勘違いしたままガブリアスと何らかの戦いを始めてしまう。そう感じた僕は、やっぱり出ることにすると告げて会議室を出た。まだ何かあるかもしれないけど、ずっといても更に空気をおかしくするだけだ。
「キュウコンさん、大丈夫ですか?」
廊下に出てからすぐにそのような声が飛んでくる。振り返ると、そこにはあのブースターがいた。今まで気が付かなかったけど、よく見るとブースターの右耳にはヒメリの実を模した耳飾りが付いている。
「僕は大丈夫だよ。それより、ブースターさんは出てきてよかったの?」
こちらを心配してくれるのは嬉しいけど、そのせいで仲間のポケモンに何か言われたら、立場が悪くなるのは嫌だ。だから心配を込めてそう尋ねると、ブースターはあはは……と曖昧に笑った。表情とは反対に、その耳は力なく下がっている。
「大丈夫です。……わたしはドジなので、あれ以上いたらとんでもないことになっていたかもしれませんし」
確かにさっきも扉にぶつかったり、何もないところで転んでいたりしたな……。思えば会議室に入るのが一番遅かったから、来るまでにも何かあったのかもしれない。それにしては傷らしい傷が見えないから、治療室にでも寄っていたと考えるべきだろう。
と、ブースターが何かを思い出したように短く声を上げた。やっぱり出てきたらまずかったのでは、と心配していると、下がっていた耳がピンと立った。
「自己紹介が遅れましたね! わたしはヒメと言います。キュウコンさんは?」
何だ、自己紹介をしていないことを思い出したのか。とはいえ、いつまでもブースターとキュウコンさんでは不便だろうから思い出してよかったのかもしれない。
「僕は……、メア。これからどうなるかわからないけど、よろしく。ヒメさん」
そういう名前だから仕方がないけど、ヒメさんって言うとお姫様を相手にしているみたいだな。ヒメさんもそれを感じ取ってか、これから仲間になるのですから呼び捨てで構いませんよと言ってきた。
「いや。まだそうと決まったわけじゃないのと、いきなり呼び捨てはアレだからしばらくはそのままで行かせて貰うよ」
僕がそう言った直後、僕が出てからかなり騒がしかった会議室から目の前が白くなるほどの光と空気の痺れ、そして様々な悲鳴が聞こえてきた。僕とヒメさんは一瞬顔を見合わせた後、まさかという気持ちで扉を見つめる。
数秒後、扉が開いて不満げな顔のナギちゃんと黒焦げのエドさん、ルカ君が出てきた。後者は出てきたというより倒れた。他のポケモンはどうかわからないけど、彼らの姿と隙間からちらりと見えた光景を考えてもあまり無事ではないと思う。
「アイツら、というよりガブリアスの言葉があまりにもムカついたから、思わず派手にやっちまったよ。全く、何だいアイツは!? 途中から言いたい放題で!!」
ナギちゃんが怒りを堪えきれない、といった風に零す。あれは思わず、という表現でいいのか。その前に一体何が起こったんだ。そう言いたかったけど、まだ焦げた臭いを漂わせているエドさんとルカ君が、何も言うなと視線で訴えているからそうしておこう。
「はわわ、わたし医療キット取ってきます!」
ヒメさんが慌てて医療キットを取りに走り出す。パッと見でもわかる被害の大きさから、キットだけでは足りないのは火を見るよりも明らかだ。恐らくエドさんとルカ君のため取りに行ったのだろう。
「うわぁっ!?」
廊下の角を曲がったところから、何かが勢いよく倒れる音とヒメさんの悲鳴が聞こえてくる。……僕も一緒に行った方がいいだろうか。今のまま行かせたら、帰ってくる頃には医療キットの中身が半分か全て消えている気がする。
本当は中のことを知っているポケモンに頼んだ方がいいだろうけど、どう見ても穏やかじゃないナギちゃんに頼んだら最悪ヒメさんも黒焦げになりそうだし。エドさんとルカ君は黒焦げでそれどころじゃないし。
付き添いとしては不安が残るだろうけど、僕ならこの尻尾をクッション代わりにすることくらいはできるはずだ。もし咄嗟の判断で掴まれたら……、どうなってしまうかわからないけど。どうしよう、段々不安になってきた。
不安に負けて行くかどうか迷っていると、廊下の向こうからどこか機械的な声とそれに答えるヒメさんの声が聞こえてきた。……あの声は、先ほど聞いたばかりだから忘れようがない。彼女を思い出すきっかけを作った、あのポケモンだ。
「あれ?」
……少しおかしい。ナギちゃんを除いた皆は大変なことになっているというのに、彼女だけは無事だったというのか? 声がするということはそうだろうけど、一体どんな方法を使えば無事でいられるというのか。
一瞬そんな疑問が芽生えるも、守るなどの防御技を使ったのだろうという考えがすぐにそれをかき消す。そうだ。考えればすぐわかることじゃないか。
「ブースターさん、ワタシが一緒に行きましょう」
「ふえ? あ、ありがとうございます。リアさん」
あのポケモン、僕とは違うタイプのキュウコンはリアさんと言うのか。彼女に罪はないけれど、僕としてはあまり会いたくないポケモンだ。……僕が負うべきものを、はっきりと思い出してしまうから。
そうこう考えているうちに二匹は行ってしまったらしく、声はいつの間にか聞こえなくなっていた。残されたのは僕とぶつぶつと何かを言い続けているナギさん、何も言わないエドさんとルカ君。そして会議室の被害者達。
ナギさんは落ち着いて貰うためにもそっとしておくとして、今できることをしよう。そう決めると、僕はまず辺りに漂う臭いをどうにかしようと窓を開け始めた。
続く