六尾と私
重たい扉を開けてただいま、と口にすると、玄関から黄金色と水色の愛らしい生き物達が私を出迎える。
『おかえり!』
『おかえりなさい!』
くるんとカールした前髪と、同じくくるんと丸まった尻尾が特徴的な生き物はロコンの朱夏(シュカ)。ふわふわとした前髪と、同じくふわふわな尻尾が特徴的な生き物は朱夏と同じロコンだがタイプが違う真冬(マフユ)。
炎と氷という一見相性が悪い同士で仲が悪いのではと思われそうだが、とんでもない。二匹はお互いのタイプをよく理解しあい、どちらも傷つかないベストな関係を保っている。たまに朱夏が真冬にすり寄り、真冬が暑そうにしているがそれも仲がいいからできることだ。
今日はどちらからモフモフしてやろうか。きちんと並んで私を見つめるロコン達をいっぺんにモフモフしたい衝動と戦いながら、頭をフル回転させる。他の人ならいっぺんにすればいいのでは、と言うかもしれないが、それは違う。
朱夏の毛並みはまるでビロードのような手触りで、一度撫で始めると彼女が中止を言い渡すまで止められない。それに炎タイプ特有の温かみが毛に触れる度に伝わり、冬になると朝一で触れなければ一日が始まらないほどだ。
同じ大きさでカールした尻尾も本当はわしゃわしゃと撫で繰り回したいが、尻尾というものはロコンに違わずポケモンにとってはあまり触れられたくないところ。尻尾はお腹に続いてモフモフを味わえるところだが、彼女が嫌がることはしたくない。
真冬の毛並みは本当にふわふわで、例えるならば、そう。新雪に触れた時のような感覚だ。氷タイプということから毛もどこかひんやりとしており、撫で心地は最高なのだがあまり撫でていると溶けてしまうのではないか。そういう危惧を覚えてしまい、思いっきり愛でることができない。
本人からしたら朱夏はずっと撫でているというのに、自分はその半分にも満たない時間しか撫でられない。これでは真冬が私に愛されていないのでは、と全く違う思いを抱いてしまう。
違う、違うんだ! 私は平等に二匹を愛している。その極上のモフモフはどちらを選ぶかと言われたら軽く千年は悩んでしまうほどだ! 言い過ぎだと言われるかもしれないが、私は本気でそう思っている。
だったら、なおさら二匹をいっぺんにモフモフすれば問題ないだろうって? そう言われてしまえばそれまでだ。確かに二匹を同時にモフモフすれば同じ時間彼女達と触れ合うができる。私は大満足、彼女達も不満は覚えないだろう(毛並みが乱れた、などの不満は言われるかもしれないが)。
だが、あの毛並みを同時に少しでも長く味わおうと思ってみろ。私の方が持たない。恐らく数秒もしないうちにその毛並み達によって、もれなく比喩ではない方の天国に連れていかれてしまう。私は彼女達とまだまだ生きなければいけないのだ。
ああ、なんと贅沢な悩みなのだろうか! 私は悩みに埋もれながらロコンを愛する者であることをとても誇りに思うと同時に、こんな私の元で生活している朱夏達のことを気にかけてしまう。家の中の広さは十分だと思うが、話し相手が私と彼女達しかいないのだ。
たまには他のポケモンとも話してみたいのでは? などという不安に駆られ、時々どうしようもない気持ちになる。周囲のポケモンが彼女達におかしな視線を向けなければ、それが可能なのだが。
炎タイプのロコンは体が朱色に近い色をしており、目も茶色に近いような色合いをしている。朱夏の体は秋の田んぼで一面に揺れる稲穂のような黄金色に染まっていた。目は本来のものと似たようなものだが、それを主張してもあまり意味がないだろう。
氷タイプのロコンは体が雪のような白色で、目が一面に広がる空のような水色をしている。真冬は体の色こそ一致するが、目はアメジストのような紫色をしていた。一見すると違いなど見過ごしそうだが、その宝石のような輝きはとても目を引いてしまう。
そう、朱夏達はいわゆる色違いだった。トレーナーからすれば、何としてでも手に入れたい存在で、他のポケモンからすれば自分達とは違う嫌うべき存在。普通とは少し違うだけで友達の輪から追い出され、住処を壊され、親からは存在すらも拒絶される。
私が朱夏達を見つけた時は、互いが最も苦手とする環境の中でボロボロになった状態で倒れていた。ポケモンセンターに連れていき、ジョーイさんからあと少し遅ければ危なかったと言われた時は姿も見えないそいつらを激しく憎んだものだ。
彼女達の怪我が治った時、このまま元いた場所に返すか本人達さえよければ手持ちに加えるかと聞かれた。私は迷わず後者を選択した。同じ場所に返してもまた同じ目に遭うだけだろうし、そもそもあの場所は彼女達には似合わない。
こうして彼女達を迎えてから早数十年。本当に色々なことがあったが、私は後悔することなく日々を過ごしている。この生活があと――、
『――ねえ! ねえってば!!』
途中から思考がかなり脱線してしまったからだろうか。いつまで経っても動こうとしない私に痺れを切らしたのか、朱夏が器用に二足で立ち上がって私の頬をペチペチと叩く。ぷにぷにとした衝撃にハッと思考を現実にひき戻すと、すまないと謝ってから家に上がる。
考えを脱線してしまったせいで、またモフモフをし損ねてしまったな。まあ、このパターンを何度も繰り返しているから今更かもしれないが。少し時間を置いてからモフモフするとしよう。
仲良く並んでトコトコと歩きながら、とりあえずリビングを目指す。
『今日はどこに行ってきたの?』
私の横を歩きながら、真冬が質問を投げかける。今日はいつもより遅い時間に帰ってきたから、よほどすごい場所に行ってきたと思っているのだろう。期待してくれるのは嬉しいが、その期待に応えられないのが申し訳ない。
『ここから少しだけ遠くにある町に行ってきた。あそこは他の町と比べると、かなり進んでいるね。翻訳機さえ持っていれば、ポケモンだけでも買い物や施設を利用することが可能だったよ』
『……それだけ?』
真冬がどこか疑わしげな視線を私の横顔に注ぐ。あれだけの時間をかけておきながら出てきた情報がこれだけと言われたら、そんな反応にもなるだろう。自分だけ楽しい思いをしておいて、お土産一つ持って帰ってこない酷いやつとは思われたくはない。少し情けないが本当のことを言うとしようか。
ちょうどリビングについたこともあり、カーペットに腰を下ろしながら私は口を開く。
『……実は、帰りの町でとても愛らしいモフモフ、ゾロアやフォッコといったポケモンが集まるキツネ祭りが開催されていてな。思わず飛び込んで、心の底から愛でていってしまったというわけだ』
今思い返してもあの祭りはこことはまた別の天国だった。世の中にはこれほどまでに同胞が多いのかと、少し感動さえ覚えた記憶がある。うむ、キツネ系のポケモンはどのポケモンも本当にいい。愛している。
これで『私達というものがありながら!』と朱夏や真冬が本気で怒り出したら、修羅場以外の何物でもない。だが、私のことをよく理解している彼女達は、やや呆れたような表情をするだけで終わっている。平和が一番だ。
『それにしても、本当にモフモフ……というか、キツネ系ポケモンが好きなんだね。自分のことは愛でないの?』
朱夏が不思議そうな顔を私に向ける。真冬もそういえばと言ってこちらを見てきた。今まで長い間一緒にいたというのに、ここでその質問を投げかけるとは。いや、長い間一緒にいたからこそ質問しようと思ったのかもしれない。
『私はモフモフ、もといキツネ系ポケモンのことは好きだ。とても愛している。結婚しようと言われたら今すぐしたいと思っている。だが、自分のこととなると別だ。私は私のことを全く愛していない。自分を愛でろと言われても無理だ』
きっぱりと告げると、朱夏と真冬は微妙な表情をする。何かおかしなことでも言ったのだろうか?
『それはそれで不思議に思うけど……。いつか話してくれるのかな』
朱夏がボソリと何かを言った気がするが、表情にどこか陰りがあったことから聞くのはよくないと判断した。
自分としてはどうでもいいか。ちょうどいいから私のことについても振り返るか。朱夏達を手持ちに入れた後、私はどうしても彼女達を酷い目に遭わせたやつらに仕返しをしたかった。
色々なところから情報をかき集め、何とかして彼女達が元々住んでいた場所を突き止めた。タイプの違いからか場所は見事にバラバラだったので、まずは炎タイプの方のロコンやキュウコンが住む場所に行った。
ポケモンの手を借りずに仕返しをしたかったため、何も持たずに行ったのだがそれが悪かったのかもしれない。暑さを我慢しながらたどり着いた場所は、モフモフ天国に他ならなかった。
非常に情けないことに、それを見た途端私の心にあった憎しみは一瞬にして消え、残された隙間はモフモフしたいという思いで埋め尽くされた。後で考えると、私は思っていたよりも彼らを憎めていなかったのかもしれない。
更に普段はストッパーとなっていた相棒がいなかったことから、私はすぐに走り出し、あろうことか触れてはいけないと言われているキュウコンの尻尾をモフモフしてしまったのだ!
いきなり現れた人間に尻尾をモフモフされたキュウコンは、当然のことながら激しく怒って私に呪いをかけた。その結果、なぜか彼らと同じキュウコンに姿を変えられてしまったのだ。
体が別の形に変化していく時の痛みというか、違和感というか、気分の悪さというものは何とも表現しきれない。できれば二度と味わいたくないものだ。だから呪いなのかもしれないが。
そんなわけでただのモフモフ大好きトレーナーだった私は、回避不能な事故によりポケモンとなってしまった。変わってしまった時はさすがにパニックに陥り、これからのことに不安を抱いた。
だが、人間だけではなくポケモンにも同じような生活を、と唱えられている世の中だ。とりあえず駆け込んだポケモンセンターで渡された翻訳機を使って説明したところ、戻る手段は今のところないからキュウコンとしてこれからを過ごして欲しいと言われた。
普通なら怒りや悲しみを覚えるところだが、これでモフモフ達と更に近い距離で触れ合えると狂喜乱舞しすぐに受け入れたものだ。
こうして、私はトレーナーではなくキュウコンとしての人生を歩み始めた。キュウコンになったせいで寿命が気の遠くなりそうなほどに伸びてしまったが、それはそれでよかったのかもしれない。
『あ、またぼうっとしている……』
『そっとしておいて、ご飯の準備をしよ?』
私には、愛するべきモフモフが二匹もいる。こんな素敵な人生を送れるのなら、千年だってあっという間だろう。進化の石は既に持っている。いつかは彼女達も進化するかもしれないが、恐らくまだ遠い未来だろう。
『ちょ、ちょっと待ってくれ。私も向かう!』
このままでは私抜きでご飯が始まってしまう。そう思った私は、九本ある尻尾を揺らしながら二匹の後を追った。
さて、今日は何を食べるだろうか? とても楽しみだ。
「六尾と九尾」 終わり