白い苺
初めて彼女と出会ったのは、なんてことのない普通の公園だった。あの子はチェリンボを連れてブランコに乗って遊んでいた。
その楽しそうにキラキラと弾ける笑顔に僕が惚れてしまったのは、ある意味仕方のないことだと思う(少し言い過ぎかもしれないけど)。ブランコから振り落とされまいと必死だったチェリンボには少し申し訳ないけど。
友達であるイーブイと君を眺めながら話しかけようかどうしようか迷っていた僕に、あの子はわざわざブランコを降りてまで話しかけてくれた。
その時は幼いながらに女神様を見たような気分だったな。思えば、これが僕の「神様」に対する興味を覚えた瞬間でもあると思う。どうしてそれがそうなったんだ、と言われたら上手く説明できないけど。
いや、僕の話はどうでもいい。その女神のような彼女に対して、僕はまともに一つの単語も話せないほど緊張していた。子供だからこそ笑い話で済んだのかもしれない。だけど、逆に言うともし当時の僕が子供じゃなかったら、怪しいこと極まりなかったと考えていいだろう。
笑顔で話しかけてくるあの子と、単語もろくに言えない僕。傍から見たらとんだ笑いのタネだ。当時は彼女に夢中だったから気づかなかったけど、耳を澄ませば僕を笑う声の一つや二つは聞こえていたかもしれない。ああ、それで会話が終わった後、イーブイが周囲に対して唸り声をあげていたのか。
まあ、色々あったけど簡単に言えば僕とあの子のファーストコンタクトはギリギリいいものだったと言える。僕はもちろん、彼女の顔に「嫌なもの」は全く浮かんでいなかったのだから。
それから数年が過ぎても、僕のあの子の交流は続いていた。とは言っても、一週間か一か月に数回会う程度の、ほんのささやかな交流だったけど。
僕達は会う度に話す内容や情報を増やしていき、互いの趣味や好きな食べ物といったものを知っていった。彼女の好きなものの一つが自分の名前と同じものであると知った時から、僕の計画は動き始めたんだ。
だけど、その時の僕には計画を実行する勇気もお金もなかった。あの頃、お金は母親が管理をしていたし、目的のものが売っていそうな店を調べる手段もないに等しかった。このことから、すぐに実行できなかったのはある意味仕方のないことだと思う。
僕の計画がやっと動き出したのは、僕のイーブイがブラッキーに、あの子もチェリンボがチェリムに進化した頃だった。もうこの頃になると僕は立派なポケモントレーナーとして一人旅ができるようになっていたし、あの子はもう既に旅立とうとしていた。
だから、あの子についてろくに深く知ろうともせず、交流で知った情報だけを信じて行動してしまったのかもしれない。
あの子が遂に僕が住んでいる町から旅立つ日。僕はすぐにでも行こうとする彼女を呼び止めて籠に入ったものを差し出した。ついでと言ってはなんだけど、僕の数年分の気持ちがこもった告白付きで。
でも、彼女から返ってきたのは僕が予想していないものだった。
「こんな酸っぱいもの、食べられる訳ないじゃない! それに、いきなり告白するって何!? 私達、友達ですらないんだけど。私が美人でお近づきになりたいのは仕方がないけど、暴走の被害に遭うこっちの身にもなってよ!! はあ、気分悪い。私、これから超絶ビッグになるための旅に出るの。だからもう追いかけて来ないで――――!!」
彼女はそう叫ぶと自分の名前でもある物を籠ごとグイと突き返し、スタスタとチェリムと共に去っていってしまった。小さくなっていく彼女の姿を眺める僕を、ブラッキーが心配そうに見つめる。
揺れる赤い瞳に大丈夫だよ、と呟いてその黒い毛に指を滑らせる。赤い瞳が気持ちよさそうに閉じられるのを見守ってから、僕は一つ息を吐く。
「これで知らないことはないって、言っていたのに……」
籠の中のそれを持ち上げ、まじまじと見つめる。見た目は他のそれとは違い、あの子が言ったように酸っぱいと思われていることも少なくないのに、味は普通のものと同じだと言われている。
こんな情報は、ネットで調べればすぐに知ることができた。だから彼女も知っていると思っていたのに。ああ、でも彼女は苗字と名前のせいで、小さい頃はしょっちゅうからかわれていたと聞く。だから無意識に避けてしまったのかもしれない。
でも、それは僕の想像でしかない。真実を知っているのは、今はもう見えなくなった彼女だけだ。再び息を吐くと、持ち上げ続けていたそれを一粒、ひょいと口の中に放り込む。舌にその重みが乗る同時に噛み潰し、味わう間もなく飲み込む。
「嘘つき。嘘つき。嘘つき――!!」
籠の中にたくさん残った初恋を口に入れては潰し、噛み砕き、飲み込んでいく。なくしてもなくしても減らないそれは、僕の未練だ。いっそのこと地面に叩きつけてしまい衝動に駆られるけれど、食べ物を粗末にしたら巡り巡ってヤブクロンが生まれてしまう。悲しい生命を誕生させたくはないから、僕は未練を、悲しみを飲み込み続ける。
ああ、彼女は何て酷い嘘つきなのだろうか。そして、彼女に惚れていた僕は何て滑稽な男だったのだろうか。
無我夢中で籠の中のものを食い散らかす僕を再び心配してか、ブラッキーがスリと足元にすり寄る。足に覚えた暖かな感触に、ささくれかけていた心がゆっくりと、本当に少しずつだけど元に戻っていく。
「……ごめん。戻ろうか」
僕の大切な友達は、小さく鳴いてから先を歩き始める。空っぽになった籠をゴミ箱に捨ててから、僕は彼女の後を追いかけ始めた。
「白い苺」 終わり