アイスクリーム・デイ
※残酷表現はありませんが、内容が内容なため読む際には少しご注意を。
俺には弟がいた。幸せの種という貴重なアイテムを食べるのが何よりも好きな、困ったやつだった。いつもは少しくらいなら……と多めに見ていたが、あったはずの種が全て食べられた時はさすがに怒ったものだ。
それからは弟も全ては食べないようにしていたが、やはり貴重なアイテムだけに気が付くと数が減っているというのは少し複雑な気分になる。そのせいで弟の方が俺より遥かにレベルが高いのだと思うと、複雑さはより深刻なものになる。
少し前から不幸の種を食べて貰うことで弟のレベル上昇は防ぐことができていたが、防げたのは更なるレベル上昇だけなので既に上がったレベルを下げることにはならない。つまり俺が頑張ってレベルを上げない限り弟との差は縮まることがなかった。
そのために俺は努力し続けていた。だが、大差ないレベルになるまで不幸の種を食べて貰う、という選択肢はなかった。あの種は恐ろしく不味い。そんな種を俺と近いレベルになるまで食べろと言われたら……、弟は間違いなく家出していただろう。
俺も幸せの種を食べていればよかったのだが、貧乏性なのか目当ての種を見つけるとしばらくは使わずに大事にとっておいてしまう。……だから弟に食べられてしまうのだ、とも考えられるのだが直そうとしても直らないのだから仕方がない。
弟は俺に食べたことを発見されると怒られると思っていて、実にその通りだったのだが俺は弟の幸せそうな表情を思い浮かべると元気になることができる。それがダンジョンに潜っている時にはかなりの力になるので、本気では怒っていなかった。
弟が幸せなのなら、しばらくは本気で怒らなくてもいいかもしれない。そう考えていたのが、間違いだったのかもしれない。もしも俺が本気で怒っていれば。種を弟の手に届かない場所に移していれば。弟が少しでも種から興味をなくしていれば。
そう。弟が幸せの種に執着していなければ、俺の幸せは壊れなかったんだ。
*****
ある日突然……本当に突然、俺にとっての幸せは終わりを告げた。例えるのなら、かつて弟が後で食べようとしていたアイスクリームのように。どろりと溶けて、消えてしまったんだ。
その日は思ったよりもダンジョンの攻略に苦戦し、家に帰るのがいつもより遅くなってしまった。弟は一体どんな顔で俺を迎えるのだろうか。ちょっと気になるような、少し怖いような。そんな気持ちを抱きながら扉を開いた俺を待っていたのは、無言のものとなった弟の姿だった。
弟の近くに置かれた箱やその表情から、少し前から世間を騒がせている『事件』の犯人がやったのではということがわかった。だが、その犯人はまるで大切な贈り物であるかのように毒を渡すこと以外は種族も何もわかっていない。
弟を奪われたというのに何もできない自分に、俺はただ行き場のない怒りを、叫びを虚空にぶつけることしかできなかった。犯人に謝らせたい。何で弟を奪ったのか、その理由を聞きたい。――犯人に、復讐したい。
黒い感情は日が経つにつれてどんどんと、まるで破裂することを忘れた風船のように膨れ上がる。どこにも行くことができない塊は気が付かないうちにゆっくりと、本当にゆっくりと俺自身も蝕み始めた。
自身の変化に気がついたのは、臆病な性格でなかなか近くの町のギルドに入れないピカチュウに言葉のナイフを投げた後のことだった。あの時の俺はピカチュウの全てが苛立ちの対象に見えていたのか、思い返してみても酷いと言わざるを得ない言葉を投げかけまくっていた。
俺が色々と言った後あたりから行方不明になったと聞き、冷静さを取り戻してピカチュウの行方などを調べたが結局どこに行ったのかは掴めなかった。最後に彼を目撃したポケモンの話を聞く限り、見つかったとしてもいい結果は望めないだろう。
取返しのつかないことをしてしまった。その事実に俺は俺を責めたが、もうどうにもならないくらい物事が進んでから悔やんでも遅い。自分を責めるくらいなら、言ってしまう前に気が付くべきだったんだ。
感情に飲まれたものは冷静な判断を失い、気が付くのが遅くなってしまう。そのことを俺は忘れてしまっていた。やっと気が付いたところで、待っているのは黒い塊よりも質の悪い虚空だ。
ピカチュウの件があってからしばらく家に引きこもっているうちに、町のポケモンがどんどんと減っていった。窓から見える光景が少しずつ、本当に少しずつ寂しいものになっていくことに疑問を抱き、偶然通りがかった近所のポケモンに尋ねてやっと原因がわかった。
減ったポケモン達は全員が全員、弟のように終わってしまったのだ。誕生日会があった可能性も全くないわけじゃないようだが、近所のポケモン曰くその可能性は高いという。なぜ誰も逃げようとしないのか。同じように終わってしまうのか。犯人は捕まる気配すら見せないのか。
頭の中をぐるぐると渦巻く疑問は塊や虚空と混じりあい、得体の知れない何かへと変化していく。俺の中の風船は、もう色々と抱えるのが限界だったらしい。見えない針で穴を開けられたかのように、様々なものが頭の中に溢れ出した。
「ああああああああ!」
それらをちゃんとした言葉にするのも面倒になり、俺は部屋の中で何度も叫んだ。叫んで、叫んで、声が出なくなるまで叫び続けて。やっと口を閉じた頃には、部屋の中は叫びの痕でいっぱいだった。
気持ちを吐き出し続けた俺の中に残ったのは、たった一つの願いだけ。犯人の正体が知りたい。復讐したい。復讐して、弟や他のポケモン達に対してやったことを魂の全てに刻み付けて、それで――。
それで?
仮に復讐が終わったとして、俺はそれからどうするんだ? 犯人に復讐したとしても弟や他のポケモンが戻ってくるわけじゃない。犯人が非道なことをし尽していたとしても、復讐したら俺はそいつの仲間入りを果たしてしまう。
――俺は、その世界に足を踏み入れる覚悟を持っているのか? いや、ない。もう取返しのつかないことをしてしまったとは思っていても、暗闇しかない世界に足を踏み入れる覚悟なんか持っていない。
一つだけ残った望みも簡単に消えてしまった。俺は一体、どうすればいいのだろう。この町を出て行って安全を手に入れたとしても、もうダンジョンに行く元気はない。弟のことを抱えたまま、他のことをできるとは思えない。
感情が虚無に喰われていく。見えない何かが足に絡みつく。頭の中で正体のわからない何かが叫び声を上げている。俺の知らない俺が、叫び続けている。俺は、俺に何を言いたいんだ。足を止めているのは何なんだ。どうして感情が喰われていくんだ。
終わりの見えない問いかけを続けていると、もう聞こえることはないと思っていたノック音が耳に入り込んでくる。この町に残っているのはどのポケモンか把握しているわけではないが、こんな時間帯にノックをするのだから単なる世間話ではないだろう。
足を無理やり引きずるようにして扉を開く。そこには、近所に住んでいるデリバードの姿があった。用件を聞く間もなく黒い袋から取り出されたのは、黒い袋には合わないであろう白い箱。
それを見て、そういうことかと気が付いた。どうして今まで無事なのかはいくら考えてもわからないが、俺が考えたところで意味はないに等しいだろう。
「突然ですが引っ越すことになりまして、最後にルカリオさんに贈り物をしたいと思いまして……」
こんな夜中に引っ越すことを告げるのは、普通に考えたら非常識にも程がある。だが、こいつがそうなのだとしたら。復讐が頭の隅から顔を出そうとしたが、虚無によって出ることを妨げられた。
もう、こいつがしたことは取返しのつかないレベルにまで行っているんだ。今更俺が何かしなくても、勝手にそれにふさわしい終わりを迎えるだろう。笑みが浮かびそうになるのを抑えながら、箱を受け取る。
俺はこれから、今まで生きてきた中で一番大きな叫びを放つことになるだろう。その叫びがこいつに終わりを少しでも近づけるものにできたのなら、これから叫ぶ甲斐もあるのだが。こればかりは俺が想像するしかないな。
小さな笑いを零した後、俺は箱の中身を口に放り込んだ。
「I Scream Day」 終わり