歪んだ歯車
※ポケダン時闇空の始まり……と思わせておいて、実は始まらない話です。注意のやつは明言していませんが、一応。
「う〜ん……」
夕陽が辺りを照らす中、桃色で耳の長いポケモンの顔をした建物の前で一匹のポケモンが頭を抱えていた。そのポケモンは自身の目の前に見える格子がある穴に視線を送っては、一歩足を踏み出したり引っ込めたりしている。
ポケモンは黄色と黒のツートンカラーの耳をぴくぴくと動かすと、自分に気合を入れるかのように赤い頬をぱちんと叩いた。その際、頬からは少量の電気が漏れ出る。目はじっと穴を見つめ、やがて意を決したかのように足を――踏み出せなかった。
「や、やっぱり僕には無理だよ……!」
空中で固定されたかのような片足に視線を落とすと、ポケモン――ピカチュウはそう言葉を零す。耳はしゅんと垂れ、目には大粒の涙が浮かんでいた。ピカチュウの前にそびえる建物の形を考えると、その様子は微かながらであっても違和感を覚えさせるには十分だろう。
彼――尻尾の形を見る限り、そうだと判断していいだろう――はぽろぽろと自身の目から零れる涙を拭い続けながら、この場にはいない誰かに向かって呟く。
「今日はお守りを持ってきていたのに……」
ことり。穴の近くから一歩下がると、ピカチュウは首に巻いていたスカーフから小さな石の欠片を取り出し、地面に置いた。その石には不思議な模様が描かれており、夕陽を浴びてキラキラと輝いているように見える。
彼はしばらくその石を見つめた後、大切にスカーフの中に戻してくるりとその場で方向転換し――、驚きのあまり尻餅をついた。
「る、ルカリオさん!? どうしてここに? だって、あなたは今――」
ルカリオに対して驚きの理由を述べようとしたピカチュウの言葉を遮るように、ルカリオが冷たい視線をピカチュウに向ける。
「おい、何で今日も帰ろうとしているんだ? お前は毎回毎回ギルドに入るんだと言っているが、本当にやる気があるのか?」
「え……」
以前に夢を語り、周りの誰よりも自分の本気をわかってくれていたルカリオが口にした言葉。まるで手のひらを返したかのような態度に、ピカチュウの頭は一瞬のうちに疑問で埋め尽くされる。
「違います、僕は――」
彼がルカリオの言葉に対して反論を口にしようとした途端、青白い物体が真横を通り過ぎる。通り過ぎた物体の正体に気が付くと、ピカチュウの顔は一気に青ざめた。それをルカリオが嗤う。
「『本気でギルドに入りたいと思っているんです』、か? もう聞き飽きた言葉だな。口ではどうとでも言えるんだよ。大体お前は――」
そこから紡がれたのは、今までのルカリオからは考えられないほど悪意に満ちた言葉達だった。鋭く尖った言葉はピカチュウの柔らかな心を簡単に切り裂き、貫き、ズタズタにしていく。
ピカチュウは恐怖とショックから体を少しも動かすことができず、ただ自分の心が悲鳴を上げていくのを眺めていることしかできなかった。今まで信じていたものがいとも簡単に壊されていくのを止めることができなかった。
やがてルカリオは言いたいことを全て言い終わったのか、立ち尽くすことしかできないピカチュウに対して何の言葉をかけることなくその場から去っていった。冷たい風が彼の体を、穴だらけの心を通り過ぎていく。
「…………」
しばらくは立ち続けていたピカチュウだったが、再び冷たい風が吹いたのをきっかけによろよろと歩き始めた。その姿はまるで魂が抜けた人形のようで、建物の前にあるトーテムポールの後ろに隠れていたポケモン達はただその背中を見送ることしかできなかった。
*****
クラブ達が泡を吐き、幻想的な風景を創り出している海岸で、ピカチュウはじっと海を見ていた。その目には確かに夕陽に照らされた海が映っているというのに、光が全く宿っていない。
欠片を盗むことよりもピカチュウの心配が勝ってしまったらしいポケモン達が岩場の影でじっと様子を見守る中、彼は突然狂ったように笑い出す。その異様な光景に、クラブ達が泡を吐くのを止め影に潜むポケモン達も顔を見合わせる。
「そうだよ。僕はルカリオさんの言うようなポケモンなんだ。ギルドに入れるわけがない。入っても続けていけるわけがない! だったら、もうどうでもいいや!」
狂った声で穏やかな笑みを浮かべたピカチュウは、欠片を海に向かって放り投げる。まさかの行動にポケモン達――ズバットとドガースが飛び出したが、彼はもう何も気にしていない。その目に映っているのは、ただの無のみ。
再び狂ったような笑い声が海岸に響き渡る中、ズバット達とは違う岩場の影で目を覚ましたポケモンは恐怖から体を震わせた。そして声の主に見つからないようにと、近くに見えた洞窟へと足を踏み入れたのだった。
*****
ダンジョンの中でやっと自身の異変に気が付いた元人間は、敵に抗う術にも気が付かないまま散っていった。言葉の暴力によってどこか狂ってしまったポケモンは、その後行方をくらましてしまった。
こうして、ある原因から歪み始めていた歯車は元に戻る術を失ってしまった。この世界を待っているのは、全てが終わった世界だけ。
誰も気が付かないまま、歯車が音を立てて壊れていく。
「壊れた歯車」 終わり