猫に小判
家でのんびりごろごろしているニャースが羨ましい。俺もできるのならそっち側に行きたかった。何度目かわからない羨望を胸に、俺は会社を出た。行きは軽やかだった足取りは重い。まるでトリックルームを使われたかのようだ。
「……はあ」
トリックルームの仕掛け人――不採用の言葉と共に突き返された履歴書を片手に、一人家へと急ぐ。これで一体何十度目の「不採用」だろう。今回落ちた原因は前回落ちた原因とほとんど一緒。どうやら俺は本音を建前で覆い隠すことがとことん苦手らしい。
正直なのはいいことだが、それは時と場合によるだろう。全てが全て本音だけで成立していたら物事が上手くいくこともあるにはあると思う。それ以上に不味い方向に行くことが多いと思うだけで。
俺があそこを選んだのは給料がいいからだった。生きていくために金は必須だ。やりがいだけで人間生きていけるとしたら、そいつらはもはや人間を卒業していると考えていい。
だが露骨にそんなことを書いたり言ったりしたら、相手から見た俺の印象は地に落ちるどころかマントルにまで沈むだろう。金が欲しいだけで来る人皆受け入れてなんかいられないからな。
そんなことはとっくの昔にわかっていたから、今回はかなり気を付けたはずだった。見飽きるくらい何度も何度も見た履歴書の書き方や面接の仕方のサイトを眺め、バイト先の情報を集められるだけ集めた。
涙ぐましいまでの俺の努力を裏切ったのも、また俺の本音を隠せない脳みそだった。面接官の言葉に用意していた言葉はするすると抜け落ち、残ったのは「金が必要」という本音のみ。流れるような文章は途端にしどろもどろになり、本音も見え始める。
満足に受け答えもできない俺に採用する価値はないと見た面接官の手によって、面接開始早々不採用と告げられたのだった。出したばかりの履歴書と、不採用と判断した理由を手元に返されながら。
心なしか重くなった足を動かしている間も、告げられた理由が頭の中をぐるぐる回る。
「会社は君のためにあるわけではない」
わかっている。そんなこと、言われなくても十分すぎるほどわかっている。同じ理由を何度も何度も聞かされてきたのだから、わからない方がおかしい。会社は俺に金を払うためにある、なんて傲慢も傲慢な考えを持った覚えは一度もない。
……いや、自覚していないだけで実際は既に持っているのだろうか。だから、どこも採用しようとしないのだろうか。終わりの見えない不安と共に、ネガティブな考えが脳内を支配し始める。
本音を隠せない脳みそが悪いのなら、いっそのこと全てを嘘で固めて挑めば楽になるかもしれない。無意識の底に染みつく本音すらも欺いてしまえば、もう怖いものはない。
さくっと受かって、さくっと仕事を始めて。それで、それで――。
「……はは」
俺は、どうしたいんだ。金のために働いて、金のために死ぬのか。生きるために金が欲しいのに、金に全てを捧げて一生を終えるのか。金を心から愛しているやつならそれが本望なのかもしれない。俺は、どうなのだろう。よくわからない。
それに全てを嘘で固めて受かったとして、いつまでその嘘を吐き続ける? 一年か、それとも二年か。もしかすると退職するまでずっと続けることになるかもしれない。演技に自信があるやつや実力があるやつなら問題ないだろう。
だが演技も実力もない俺は、入った途端メッキがはがれて追い出される未来しか思い浮かべられない。雇った以上最低限の期間はいられるかもしれないが、それ以上は望めない。それがきっかけで変な噂が流れれば、今までよりもっと仕事探しが大変になる。
これはただの想像じゃない。実際、噂がきっかけで色々なものを失った男を俺は知っている。いや、あいつの場合は噂されるよりも前に失っていたのだったか。今はどこにいるのかすらわからないが、あいつのようにはなりたくない。
ああ、でも。仮にも知り合いである男を最低の基準にする時点で、俺も十分最低じゃないか。
「……はあ」
どうして俺はこんなにもダメなのだろう。もっと器用になりたい。テクニシャンな人材なら多少本音が透けてしまっても雇って貰える……わけないか。金にしか興味のないやつに会社は目を向けないって勉強しただろ。何バカなことを考えているんだ、俺は。
ぐるぐると考えている暇があれば次を探せ。もっと面接の練習をしろ。脳内で真面目な俺がそう訴えるが、他の俺が訴えをかき消す。会社にこだわるのがいけないのか。ここは方向を切り替えて株とかに挑戦してみた方がいいのか。
違うだろ、と冷静な俺がツッコミを入れるのがわかる。だが、考えるのを止められない。止め方が思い出せない。
いつの間にか家に向かっていたはずの足は止まり、道のど真ん中に突っ立っていた。これでは不審者コースまっしぐらだ。普段着でも怪しいが、スーツでも十分怪しい。これでサングラスとマスクをしていたら完璧だ。そんな完璧は欲しくない。
考えるのに夢中で気が付いた時には不審者デビューしていました。なんて過去は作りたくないので、気配を探りつつ人目につかない場所に移動する。ここは考えるのを止めて素直に帰るべきだろ、という声は聞こえないふりをした。
*****
薄暗い部屋の中、ぼんやりと天井を見る。自分の部屋よりも遥かに広いそこには扉以外何もない。明かりもないのに部屋の様子がわかるのは何故だろう。
首を傾げつつ、暇つぶしに人の顔に見える模様でもないかと視線を彷徨わせる。が、いくら探してもそれらしきものは見当たらない。まだ新しい部屋なのだろうか。それにしては部屋から漂う空気に歴史を感じる。昔話題になったリノベーションというやつか。
リノベーションするなら家具も置いて欲しかった。テレビは贅沢でも、せめて椅子。それかソファか本棚と漫画。最新のゲーム機でもいい。あれ、こっちの方が贅沢か?
気を付けないと思考がどんどん脇道に逸れていく。まあ、それだけ今の俺は暇を持て余しているということだ。理由は、あれだ。……何があったんだっけ。路地裏でぐるぐるしていたら誰かに声をかけられたのは覚えている。
そいつと話して何かがあったのだからここにいるのだろう。うん。至極当たり前のことを確認してどうする。しっかりしろ、俺の脳みそ。
相手は男。そう、男だったと思う。話しかけられた時めちゃくちゃ驚いたのは覚えているのに、見た目はぼんやりとしか覚えていない。……脳みそよ、早速記憶しておくべきことを間違えているぞ。
呆れながらも記憶を辿る。相手は金髪で三つのでっぱりがある奇抜な髪型をしていた。いや、髪じゃない。あれはフードだ。どちらにしても時代の最先端を行きすぎだろ。未来から来たのか? それにしては近くにセレビィもディアルガもいなかった気がするが。
違う、気にするところはそこじゃない。度々変な方向に行きそうになる思考をコントロールしつつ、会話の内容を思い出す。
確か、願いがどうとかニャースが何とか言った気がする。願いとニャースに関連性を見いだせないのはアレだが、何も思い出せないよりはマシだ。
「あ、だからか」
そこで、俺はようやくここに来てからずっと抱いていた違和感の正体に気が付く。感情に連動するように、腰の近くから伸びる何かがゆらりと動いた。視線を向けると、あるはずのない尻尾が揺れているのが見える。
ここには鏡も何もないが、今の自分がどういう姿をしているのかは視界に入る情報からいくらでも推理できる。
「だから俺、ニャースになっているのか」
納得した。いや、違和感の理由に納得はしたけど他は何も納得していない。一体何なんだよ、これ!?
訳がわからなすぎて頭、というより額の小判をがりがりとかいていると、突然軽快な音と共に部屋が明るくなり一枚の紙きれが落ちてくる。不規則な動きに本能が刺激され飛びかかるも、紙は器用に俺の手をすり抜けて床へと着地した。
「……」
恥ずかしさを誤魔化すために顔を洗おうとして、早くもニャースの本能に呑まれつつある自分に恐怖を感じる。このままだと体だけでなく心もニャースになる。それは御免だと解決のヒントになりそうな紙を読み始める。
読めなかったが読めた。自分でも何を言っているんだと思う。でも、読めなくても意味を理解できてしまったのだから、そうとしか言えない。ニャースになったことで新たな能力にでも目覚めたのだろうか。能力よりも元の場所に戻る方法をくれ。
天に向かって訴えるも、願いが届く気配はない。それはそうだ。俺がどれだけ願ったところで元の場所には戻れない。理由は先ほどの紙が教えてくれた。
理解できた内容をそのまま言うと、俺は異世界にある迷宮に飛ばされたらしい。出口まで行けば帰れるが、この迷宮には肝心の終わりがなく延々と進むしか道がない。
ただしポケ――この世界でいう金を払えば迷宮はどんどん短くなり、最終的には扉を開くだけで帰れるようになる。ポケを集める方法はただ一つ。ニャースになった俺が唯一覚えている技、「猫に小判」で敵を倒すこと。
敵は迷宮内をランダムにうろついていて、俺を見つけ次第襲ってくる。やられても死ぬことはないが、手に入れたポケは全て失う。持ち帰る手段は不思議玉を見つけて割るか、自力で戻ってくるかの二択。
持ち帰れば自動的にポケを払ったことになり、迷宮が短くなる。現在の階数がわかるアイテムはない。食料は迷宮に落ちているリンゴでしのぐしかない。最悪空腹で倒れても戻ってくるが、その場合敵にやられて戻ったのと同じ判定を下されポケを失う。
また、レベルは戦闘に勝てばいくらでも上がるが、どれだけ上げてもここに戻るとリセットされる。道具で上げたステータスも同様。メンバーや技は固定なので何をどうやっても変わらない。
「――厳しすぎだろ!!」
思わず叫んだが、逆にこれを見て叫ばないやつがいるのだろうか。いや、いない。理不尽としか言えないほど理不尽要素が詰まっている。何だよ、倒れると有り金全部失うって。レベルを上げてもステータスを上げても意味ないって。これはゲームじゃないんだぞ。
感情のままにどれだけ文句を心の中で書き連ねても内容は変わらない。諦めて現実を受け入れろと言われているようだ。いや、事実そう言っているのか。
紙には敵にやられても空腹で倒れても死なないと書いてある。だが、寿命で死なないとは一言も書いていない。文句ばかりに時間を費やしていたら、気が付いた時にはこの部屋で終わりを迎えることになる。
与えられた手札を一度も利用せずに終わるなんて、最高にカッコ悪すぎる。そうなったらまさしく猫に小判、いやニャースに小判だ。
「やってやるよ」
使えるものは何でも使って、爆速で金を集めて爆速で家に帰ってやる。終わりが見えないのは不安だが、がむしゃらにやっていれば何とかなるだろ。半ばやけくそも含めて、俺は扉に手をかけた。
早速お出迎えしてくれた敵に対し、俺は技名を口にする。敵が光の粒子になると同時に、ちゃりんと金が地面に落ちる音がした。
「ニャースに小判」 終わり