気持ちキャッチャー
僕はラルトスになりたかった。理由は、僕のパートナーであるラルトスがどういう世界を見ているかを知りたかったからだ。ラルトスの生態についてはポケモン図鑑でも十分に知ることができるけど、やっぱり知識で知っているのと実際に体験するのとでは得るものの質が違う。
一度でいいからラルトスになって、彼が何を見て感じているのかを知ればよりトレーナーとパートナーとしてだけでなく、友達としての距離を縮められる気がしていた。……どうやってなるのか、なんてのは全然考えていないけど。
以前友達にこのことを相談したら思いっきり笑われた。人間がポケモンになんかなれるわけがないだろって。だったらデスマスやユンゲラー達はどうなるんだ。いや、後者は単なる噂かもしれないけど。
僕だって、単に想像に想像を重ねてこんなことを思い始めたわけじゃない。これこれこういう理由だからラルトスになりたいと思うようになった、とその笑ってきた友達に言えるくらいの理由はちゃんとある。
僕がラルトスになりたい、彼の世界を見てみたい、と思い始めたきっかけ。それはタマゴの頃からずっと一緒だったラルトスが、最近どこか調子というか様子がおかしくなってしまったからだ。
かつては前髪のような部分から覗いていたキラキラとした目はどこか濁り、僕以外の人に話しかけられるとビクリと体を震わせてモンスターボールの中に隠れてしまう。それも父さんや母さんなど、ラルトスがよく知っている人達ほどそのスピードは速かった。
最初はラルトスが何か父さん達にいたずらか何かをして、それを怒られたから隠れるのだと思っていた。でもさりげなく聞いてみても、誰もラルトスに何かされたわけではないみたいだった。
ついでにどうして彼がこのような行動を取るようになったのかも聞いてみても、誰も心当たりがない。心当たりがなさすぎて逆に僕が何かしているのではと疑われかけたくらいだ。僕は何もラルトスにおかしなことはしていない。仮にしていたら、対象はそれこそ僕になるだろう。
何をどうやっても理由がわからないまま、気が付くとラルトスはモンスターボールから出ることすらしなくなってしまった。このままではきっと大変なことになる。もうラルトスになって、彼自身の視点から理由を探るしかない――、そう思った。……思いついて早々、乗り越えられる気がしないほど分厚く高い壁にぶち当たっているけど。
一体どうしたものか……、と今日も机の上に置いてあるモンスターボールを突いていると、ふと頭の隅にある噂がよぎった。結構前に聞いてはいたものの、あまりにも現実から離れすぎていて忘れていた噂。知ったのが学校ということもあって、単なる作り話だと思っていたもの。
――でも、試してみる価値はあるかもしれない。
*****
噂を聞いた時が時だったこともあり、その噂の場所に行くのにかなり時間を費やしてしまった。……その大半は、単なる迷子というのがアレだけど。とりあえず目的は達成できたのだからよしとしよう。
噂が本当だったのにも驚いたけど、それより更に驚くことが多々あった。それを細かに思い出していきたいのだけれど、もう夜だ。早く寝ないと明日に響いてしまう。疲れもあるからこのままベッドにダイブすればすぐに眠れそうなのに、眠気はどこにもない。
奇妙な感覚に戸惑いながらも、明日のためだと言い聞かせてベッドに横たわる。そのまま目をつむれば暗闇の中。なのに、全く眠気はやってこない。いくら寝る努力をしても、頭は冴えたままだった。
このまま横になっていても眠れないのなら、予習でもしていようか。いや、これ以上進めると授業がつまらないものになって、逆に授業に響きかねない。ここは読書でもして時間をやりすごくことにしよう。
勢いをつけて体を起こすと、窓際の棚からちょうどいい本を探して取り出す。ポケモンになった少年がパートナーとなるポケモンと一緒に世界を救う、ファンタジー小説だ。……友達はこれを読むからああいうことを考えるようになるんだ、なんて言われたっけ。
心の奥にチクリとしたものを感じながら、椅子に座って表紙に視線を移すと、お揃いの色のスカーフをしたポケモン達が伝説のポケモンと対峙しているのが見えた。この小説は長編もの。夜を明かすのには十分な一冊と言えるだろう。
「さて、前に読んだのはどの辺りだっけ……」
手がかりとなる栞を探してみるも、どのページにもそれらしきものは見えない。栞をなくしたか、既に読み終わって別の本に使ってしまったのだろうか。だったらいいや、と最初から読むことにする。夜は意外と長い。始めから読んでも大丈夫だろう。
そう思い、プロローグから本の世界へと入り込んでいく。今が何時かも忘れるほど没頭して読み続けた結果、気が付いたら朝日がカーテンの隙間から差し込んでいた。本はちょうど読み終えたところ。本当に最初から読んでも大丈夫なやつだった。
夜更かしどころか徹夜をしてしまった。眠れないのが悪いのだけれど、こんなので今日は大丈夫なんだろうか……? かなりの不安を覚えながらも、今日は大丈夫だろうかとモンスターボールに手をかける。
――その瞬間だった。
「え?」
開閉ボタンを押していないのに紅白の口がパックリと開き、ラルトスが出てくるのではなく僕がその口へと吸い込まれていく。不思議なことに、それに吸い寄せられているのは僕だけで周りは何ともなかった。
吸い込まれてなるものか、と慌てて机や椅子など捕まれそうなところに手を伸ばすも、手は虚しく宙を掴むのみ。
「だ、誰か――」
助けて。その言葉は口にするより前に漆黒へと吸い込まれ、僕の意識もまた漆黒へ吸い込まれていった。
*****
『……ん?』
頭がガンガンするほどの声で目を覚ます。やけに外が騒がしいけど、遮光性の高いカーテンでもあるのかアイマスクでもつけられているのか、今のところ何も見えない。ここはどこで何があったのだろう。体を起こそうとして、ふと違和感を覚えた。
僕は、昨日はベッドで寝ていないはず。一度は横になったものの、眠れないからと椅子に座って本を読んでいて、朝になったからラルトスを――。
『あ!』
そこまで振り返って、思い出した。僕はラルトスが入っていたモンスターボールに吸い込まれ、恐らくそのまま意識を失ってしまった。目を覚まし、体を起こそうとしたのがその証拠だ。
周りが暗いのも、ここがモンスターボールの中だから。実際に入ったことはないけど、状況から考えるとそうとしか思えなかった。外で何があったかを探るためにここから出たいけど、ボタンを押さないで出ることなんてできるのだろうか?
いや、できないことはないだろう。実際、ポケモンが勝手にモンスターボールから出るところを見たことはあるし。問題はそれをどうやっているかがわからない、ということ。ゲットに失敗した時とかを思い出す限り、本人の意思の強さでどうにかしている……のかな。
まあ、こういう時はアレコレ考えていないで思いつくものをすぐに実行した方がいいだろう。そうと決まれば、と僕は心の中で可能な限り外に出たいと思い続ける。思うだけでは不安だったので、光が差し込むイメージも同時にしていると――。
『うわっ!?』
前触れもなく僕の体は外に放り出された。突然すぎて受け身を取る余裕もなく、顔から床へと着地してしまう。……出たのがアスファルトよりかはマシなフローリングだったとはいえ、痛いものは痛い。
恐らく赤くなっているであろう鼻を擦っていると、外に出ても視界のほとんどが暗いことに気が付く。手で目を覆っているであろう場所に触ると、髪のようなものが塞いでいることがわかった。前髪だけがこんなに早く伸びるとは思えない。
と、いうことは。もしかして――。
「あら、ラルトス。出てくるなんて珍しいわね。……あの子がいなくなったのを、本能か何かで察したのかしら?」
僕が一つの結論を導こうとしたその時、文字通り空から声が降ってきた。この声は母さんのものだ。もしかしてとは思ったけど、本当に僕はラルトスになってしまったらしい。僕がいなくなったのは、僕そのものがラルトスとなって文字通り彼の視点で物事を見ているからだろう。
なるほど、これがラルトスから見た世界か。あの前髪(?)で前が見えるのかと思っていたけど、やっぱり見えないな。……エスパータイプだから、その辺りは超能力でどうにかしていたのだろうか。
(それにしても、あの子がいなくなってから姿を見せるなんて……。やっぱり何かしていたのかしら)
……ん? 何だ、今の声。声は母さんのものだったけれど、いつも通り耳からじゃなくて直接頭に響くような、そんな感じの声だった。それに、普段とは違ってどこか棘が含まれているようにも思える。
これ、もしかしてラルトスの能力か? 確か、ラルトスの角には人の気持ちを何だかかんだか……って聞いた覚えがある。今聞こえたのが母さんの心の声なら、耳からじゃなくて頭に響いてきたのも納得がいく。
(それにしても、あの子本当にどこに行っちゃったのかしら? もしかして、内緒で旅に出ちゃったとか? もう少し勉強してから旅に出たいって言っていたのに、この子を置いて突然そんなことをするなんて。だから――)
どうしよう、完全に勝手に旅に出たと思われている。こうなるとは思っていなかったというか、仮に言っても信じて貰えないだろうと思って何も言っていなかったのが災いしたみたいだ。
母さん、僕はちゃんとここにいるよ〜って言ったところで、ポケモンの言葉が人間に通じるとは思えないし。通じた試しがないし。筆談したとしても、母さんが信じるかどうかは別の話だし。
困ったことになったと思っていると、向こうから足音が聞こえてきた。この家(恐らくそう)には父さん、母さん、僕、そしてラルトスしか住んでいないから、恐らく父さんのものだろう。
(はあ、今日は久々に家でゆっくりできるかと思ったのに息子が家出か行方不明なんてな。恐らく勝手に旅に出たんだろうが、勝手に旅立たれるこっちの気持ちにもなって欲しいもんだ。だから――)
父さんも大体母さんと同じようなことを思っているみたいだ。僕はちゃんと勉強し終えたと思うまで旅には出ないつもりだったのだけど、二人にはそんなに旅に行きたいように映っていたのだろうか。
該当しそうな言動を思い出していると、ラルトスこと僕に気が付いたらしい父さんが優しく頭を撫でてくる。
「おっ、珍しいな。お前が出てくるなんて。あいつのこと、心配しているのか?」
(パートナーであるラルトスを置いて旅に出たのか? 確かに研究所にいる初心者用のポケモンは野生では見ないから、欲しい気持ちはわからないでもないが。でも、そんなことでこいつを置いていくなんて……。だから――)
……二人の中で、僕は完全に旅に出たさ(または初心者用のポケモン欲しさ)にラルトスを置いて行ったとされているみたいだけれど、そんなことはない。僕は旅に出るなら絶対ラルトスと一緒と決めていた。そうじゃなかったら、ここまでラルトス以外ポケモンを捕まえずにきていない。
そう心の中で反論しても、届かないものは届かないので僕にはモヤモヤばかりが溜まっていく。……モヤモヤといえば、二人のラルトス、というかポケモンと僕に対する感情も気になるものがある。
(だから、ポケモンと一緒に暮らさせるのは反対だったのに)
(だから、ポケモンを持たせるのには反対だったんだ)
母さんと父さんはさっき、最後にこう思っていた。これをそのまま受け止めると、僕に何か非があるように思える。でも、そうじゃないことを本能で悟っていた。
二人の黒い感情の矛先にあるのは、僕ではなくてポケモン。声に含まれていた棘の多さからして、ポケモンに、ラルトスに対してあまりよくない感情を持っているのは火を見るよりも明らかだった。
思えば、この家でポケモンを持っているのは僕だけ。二人のポケモンを見たことは一度もないし、モンスターボールも見かけたことがない。どちらの昔話を聞いてもトレーナーとして活躍していたとか、好きなポケモンは何だったというものを聞いた覚えもない。
現実世界でも創作世界でも、ポケモンと人は仲良く暮らしている。だからそれが普通だと思っていたけど、父さんと母さんは違うということだろう。そういえば、僕がラルトスを捕まえたいと言った時一瞬微妙な表情をしていた気がする。伏線はあった、ということか。
そのようなことを考えているうちに、二人の意見の矛先は僕からラルトスへと変わっていったようだった。次から次へと頭の中にラルトスに対する悪口が飛び込んでくる。僕は今ラルトスになっているからか、それを聞く度に心がどんどん傷ついていく。
聞こえないようにしたくても、頭に直接響いてくるから耳を塞いでも意味がない。意識しないようにしても、それを無視するように声は響いてくる。これを聞き続けていると、大した効果はないとしてもモンスターボールに戻りたくなってくる。
……ああ、そうか。もしかすると、ラルトスも似たようなことを毎日聞いていたのかもしれない。これを聞くのが嫌でモンスターボールに戻っていたけれど、やがて外に出ることすら嫌になって、ずっと閉じこもっていたのかもしれない。
どうして最近なのかはさすがにわからない。やっと能力をコントロールして聞けるようになったのか、ここまで耐えてきたのが限界を迎えたのか……。どちらにしても、ラルトスの抱えてきた苦しみの大きさは計り知れない。
元に戻ったら、誤解をといて本当に旅に出ることにしよう。二人の気持ちを知ったまま勉強を続けられる気がしないし、ずっとあの声を聞き続けていたらラルトスの心がより深刻なことになってしまう。
「――じゃあ、ラルトスには野生に戻って貰いましょうか」
「そうだな。いつ帰ってくるかもわからないのに、ずっと待たせ続けるのは申し訳ない」
(元はと言えば、こいつが――)
(こいつさえ、いなくなれば――)
『え?』
どのように消えたわけを話して話題を切り出し、旅に出るかプランを練っていると、突然そんな言葉が耳と頭に飛び込んできた。一体何をどういう会話を繰り広げれば僕を、いやラルトスを野生に戻すという選択が出るのだろう。僕を探して送り付けるとか、そういう手段もあったんじゃないのか?
……いや、違う。二人は本当にラルトスのことを思っているわけじゃない。僕が消えたことで住まわせ続ける理由がなくなったから、ついでとばかりに厄介払いをしようとしているんだ。ラルトスさえいなければ僕は旅に出なかった、とさえ思っているのがそれに拍車をかけているのかもしれない。
このままだと、モンスターボールを壊されて外に出されてしまう。一刻も早く二人から逃げて元に戻らないと、大切なパートナーを失うことになる。それは何としてでも避けなければいけない。
それに、僕がラルトスとなっている間、彼自身の意識はどうなっているのかわからない。仮に眠りについた状態だとすると、気が付いたら野生だった、という状況も考えられる。僕だったらそんなの恐ろしすぎて乗り切れる気がしない。
早く逃げよう、逃げなくては。足では大きさの差などから到底逃げられない。何でもいいから技を使って、この場所から逃げないといけない。頭ではそう理解しているのに、体はなかなか実行に移さない。
いや、移せない。僕は人間。ポケモンじゃない。ポケモンが、ラルトスがどうやって技を出しているのかが想像できない。わからない。これだけ色々なことが回っている頭とは対照的に動かない体。何を言っているのか理解しきれていないと思ったのか、不気味な笑みを浮かべてモンスターボールをこっちに近づけてくる母さん。
え、ちょっと待って。ラルトスは、僕はこれから追い出されるんだよね。それなのにどうしてモンスターボールをこっちに近づけているの? 触れたくないから、一旦入れてから外に出すの?
疑問という疑問が声とならずに頭を駆け巡る中、動かない体に向かって無情にも光が伸びていく。あ、と思う間もなく僕そのものが光となって、パックリと開いた漆黒の口へと吸い込まれていく。
どうしよう、どうしよう。また外に出たいと思えば出られるのだろうか。いや、それでもまた捕まるだけかもしれない。母さんはまだ歩き出さない。代わりにどこからか小さく変な音が聞こえてくる。ピキピキという音が聞こえてくる。
何でこうなったんだろう。僕がラルトスになりたいと思ったから? ラルトスを捕まえたから? それとも――
バキッ
「気持ちキャッチャー」 終わり