或る夜の願い事
その日は、星がとても綺麗に見えた。空一面に広がる星々がまるで煌めく絨毯のように広がる中、ある森で眠っていた結晶の中から一匹のポケモンが覚醒する。
まるで星の半分が乗っかったかのような黄色い頭には黄緑の短冊が揺れ、背中から伸びる黄色の羽衣は風もないのにゆらゆらと宙を舞う。夜空の色を溶かしたかのような目の下には、短冊と同じ色の逆三角模様が描かれていた。
このポケモンはジラーチ。世間では幻や伝説といった分類に振り分けられるポケモンで、千年の眠りの後七日だけ目覚めて願いを叶え、それが過ぎるとまた千年の眠りにつくと言われている。
ジラーチはまだ半分寝ているのか、どこかぼうっとした目で辺りを見回している。今のところ、ジラーチの視界に入るのは木、木、星空、時々地面。そして星のような、岩のような何か。自分に願いを伝えるような存在はいない。
「……ん?」
いや、少し待て。ジラーチはどうせだからもうひと眠り……、と思いかけた自分にストップをかけた。今、眠さから普通に流してはいたものの、明らかに森にはふさわしくないものがあった。
ジラーチはもう一度、辺りを見回してみる。どこにでも生えていそうな木、その一。どこでも見かけそうな木、その二。何度見ても美しい星空。草に覆われた地面。岩のようなものが割れ、中から黄色が見える何か。
今度はもう流さない。というより、地味に目立っているのと気になるのとで、どうやっても流しようがない。ジラーチはふわりと体を浮かせると、ふよふよとその何かの近くへと飛んでいく。
ジラーチが近づいている間にも岩のようなものは剥がれ、何かはどんどんとその姿を現していく。星型の影がピタリと動きを止めた時、何かは完全にその姿を現していた。目のようなものが確認できるので生き物だと思うが、ジラーチはそれがどういう種族なのかを知らない。
千年という長い月日の中、自分が知らない種族が生まれていても不思議ではない。そう考えると、ジラーチはポケモンと思われる生き物に話しかけた。
「ねえ、君は誰? 僕はジラーチっていうんだけど」
ジラーチは自分の顔は怖い分類に入らないとは思っているが、なんせ相手は完全に初対面。しかもこちらが全く知らない種族。なるべく怖がらせないよう、優しい顔と声を相手に向ける。
ちなみに一人称が「僕」なのは、「彼」か「彼女」かで言うとジラーチは「彼」になるからだ(本来ジラーチの性別は不詳とされているが、このジラーチはどちらかというと「彼」だった)。
相手はジラーチを不思議そうに眺めていたものの、害はないと判断したのか聞かれたことにはきちんと答えないといけないと思ったのか。口を開き、どこかあどけなさが残る声を発する。
「ぼく? ぼくはメテノ。どうしてかはわからないけど、気が付いたら空から落っこちていたみたいなんだ」
空から落っこちていた? ジラーチは思わず首を傾げる。寝ぼけて家から落ちた、ならまだわかる気がするが、空から落ちるとはどういうことなのか。空に近いところに家があるのかと思い、試しに見上げてみるも映るのは星空ばかり。念のためと見てみた木の上にもそれらしき物はない。
ということは、メテノは言葉通り空から落ちてきたというのだろうか。ヒマナッツはある時空から落ちてくる、という話をどこかで聞いたことがあるし、あり得ない話ではない気がする。
気が付いたら落ちていたという話を踏まえると、寝ぼけて住処から落ちるが如く空から落ちてしまったのかもしれない。……寝ぼけて落ちるにしては、ややスケールが大きすぎる気もするが。
それにしても、目を覚ましたら空ではなく地上だったと知ったメテノはどのくらい驚いたのだろう。もしかすると空に帰りたがっているかもしれない。そうだとしたら、早速自分の出番がやってくる。
そう考えたジラーチはメテノにこれからどうする予定なのか、空に帰りたいと思っていないのかを聞いた。メテノはそういうことは全く考えていなかったのか、少し長い間を置いてから口を開く。
「とりあえず、この周辺を見て回りたいかな。あの場所からだと、こんなところまではよく見えなかったから」
「空には帰らなくていいの?」
「帰りたいは帰りたいけど……、それよりここを見たい気持ちの方が強いから。後回しでも大丈夫」
この周辺を見て回るくらいなら、願いの力は必要ない。自分の力が必要とされなかったことにどこか残念な気持ちを覚えていると、ジラーチは遠くで願いを求める思いが発せられたことに気が付く。
自分の願いで叶えられるのなら、行かなくては。そう考えたジラーチがふわりと方向転換すると、どこかに行くことを察したらしいメテノが慌てた様子で口を開く。
「ジラーチ! ジラーチって、願い事を叶えてくれるんだよね? だったら、戻ってきた時叶えて欲しい願いがあるんだ。……いい?」
この場で叶えるのはダメなのだろうか。ジラーチは少し不思議に思いつつも、コクリと頷く。願いを叶えるのを「予約」されるのは初めてな気がするが、これはこれでいいのかもしれない。
メテノは一体どのような願いをしてくるのだろうか。早くもその内容が気になりつつも、ジラーチは願いの思いを発した者の元へと飛んで行った。
*****
ジラーチが再びあの森に戻ってきたのは、次の日。しかも夜だった。昨日は一人の願いを叶えたのだが、それを知った周りの人間がどっとジラーチに詰め寄った。そして願い事をどんどんと口にし、ジラーチは今までずっと願いを叶え続けていたのだ。
たくさんの人間やポケモンに願いを叶えて欲しいと詰め寄られるのは、ジラーチにとって珍しいことではない。ただ、疲れることは疲れるのでもう休みたいという気持ちは心のどこかにあった。
だが、まだジラーチには叶えるべき願いが残っている。「予約」を受けたというのに、これから寝るので叶えないという訳にはいかない。ふよふよと森を彷徨いながら、もう一つの黄色い星を探す。
「……あれ?」
しかし、メテノはどこにもいない。一瞬見つけたと思っても、それはピカチュウだったりピチューだったり、またはやや地面に埋もれているヒマナッツだったり。何度探しても、どこにも黄色の星はなかった。
まだ周辺を見ているか、ジラーチを探して森を出て行ってしまったのだろうか。そう考え、すぐに否定する。周辺を見ているのなら、どこかで少しくらい姿を見てもおかしくない。森を出ていった可能性も、ここをよく知らないであろうメテノでは低い。
そうすると、メテノはどこに行ってしまったのか。早く願いを叶えて休みたいという思いもジラーチの中にあったが、実はそれよりもメテノがどのような願いを叶えて欲しいと思っていたのか。それが気になっていた。
この周辺では姿がないが、恐らくそう遠くへは行っていないはず。ジラーチは行ける範囲はすぐにでも探しに行こうかと考えたが、疲れた体がそれを許してくれない。探すのはしっかりと休んでからにしよう。ジラーチはそう考えると、少しの間眠りについた。
*****
それから再び眠りにつくギリギリまでの間、ジラーチはメテノを探し続けた。他のポケモンに話を聞いてみるも、空にいたというだけあってこの辺りにメテノを知るポケモンはおらず情報は皆無に近い。人間はそもそもこちらの言葉が通じないうえ、何度でも多くの願いをぶつけてくる。
結局、もうすぐ眠りにつかないといけない日になってもジラーチはメテノを見つけ出すことができなかった。今日の夜、ジラーチは千年の眠りにつく。しかし、普通に考えてメテノが千年先まで生きているとは考えにくい。
どうしても、メテノが生きているうちに願いを叶えたい。どういう願いを持ってジラーチに予約したのかを、知りたい。少し異常とまでにメテノの願いに囚われたジラーチは、今まで一度も叶えたことのなかった「自分の」願いを叶えることにした。
このままだと、どうあがいても眠りにつくまでには見つけることができない。仮に見つけたとしても、願いを叶える前に眠りの時が来る可能性は高い。
――なら、見つけられるまで、願いを叶えるまでずっと起きていればいい。
ジラーチは願った。自らを縛る「千年の眠り」をなくして欲しいと。ずっと起きて、メテノを探す時間を作りたいと。願いは確かに叶えられた。同時に、ジラーチの中から何かが失われた。
次の日、本来ならジラーチは眠りについている日。ジラーチは起きた状態で森にいた。メテノを探すにしても、どこかに拠点を設けないと何かとやりづらいだろう。そう考え、ジラーチはあまり人の目が届かない森の奥深くに願いの力で館を建てた。わざわざ館にしたのは、人間からも情報を集めやすくするためだった。
次に人間の言葉を話せるように願った。一応ジェスチャーでもどうにかなるが、それでは伝わるよりも前に願いを押し付けられて叶えて終わり。そうなるのは想像に難くない。こちらが話せれば、少しはそんな状況も変わるだろう。
ジラーチは何をどう叶えればいいのかを考え、実行し続けた。そして、館を拠点に情報を集め始めた。全てはメテノと再び会うために。願いを聞き、叶えるために。ジラーチは活動を続けていればいつか会える。そう信じていた。
ジラーチが眠らなくなって、一体どのくらいの時間が経ったのだろう。ずっと起きているジラーチにはそれがわからない。わかるのは、起きたまま願いを叶え続けるにはそれなりの代償が必要ということだけ。
いつから自分はこうなったのか、どうしてここにいるのか。記憶はあるはずなのに、多くの日々に埋もれて見つけることができない。もしかすると、そんなものは最初からなかったのかもしれないが。
とても長い間活動していたせいか、この森を中心に不思議な噂が流れていた。事実は事実なので、ジラーチはそれを訂正しようとは思わない。ジラーチはぼうっとソファーに座りながら、ただ訪問者を待つ。
ここは訪れた者の願いを叶える不思議な館。噂を聞きつけた人間やポケモンが、今日も一人、また一人と館を訪れる。
「或る夜の願い事」 終わり