魔法世界のアルカディア
※残酷表現はありませんが、ポケモンに対していい感情を持っていない表現が出てきます。
また、これも内容が内容な話であるため、そういうものを読むのが苦手な方はご注意を。
風が花びらを舞い上げる。青い世界へ吸い込まれていく無数の色を眺めながら、ボクは優しい花の香りへと沈み込む。甘い香りは疲れ切ったボクの体を癒し、心地よい眠りの世界へと誘うかのようだ。
ぽかぽかと降り注ぐ太陽の光もあって、ボクのまぶたはみるみるうちに下へ下へと落ちていく。今日は頑張ったのだから、少しくらい寝てしまっても大丈夫だ。天使の姿をした悪魔が耳元でそう囁く。
確かに、今日は浮遊魔法と変化魔法の授業があった。同じクラスのキルリアやメタモンはすぐに魔法を発動させていたけど、ボクを含めた数人はなかなか魔法を発動できなくて苦労したものだ。
先生は魔法にも得手不得手があると言っていたし、浮遊魔法や変化魔法は相性が悪かったのだろう。先週の雷の魔法や風の魔法は先生がかなり褒めてくれたことを思い出すと、ボクはそっちの方が向いているのかもしれない。
明日は氷の魔法の派生形である雪の魔法を学ぶんだっけ。寒いのは嫌いじゃないし、雪で遊ぶのはむしろ好きな方だ。皆で雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりするのはとても楽しい。……先生からは遊びよりも魔法に集中して欲しいと言われるけど、それでも楽しいものは楽しいから今回もきっと遊びに集中してしまうのだろう。
だから明日の授業はとても楽しみなんだけど、寒いのは敵だと言っていたロゼリアやアゲハントは嫌がりそうだな……。逆に寒いのもどんと来いと言っていたブースターは雪を溶かして先生に怒られそうな気がする。
すっかり暗闇に溶けてしまった世界の中でそんなことを考えていると、遠くの方から草を踏みしめる音と太陽とは違う温かさが近づいてくるのがわかった。ここがボクにとってのお気に入りの場所だと知っているポケモンは多いけど、わざわざ足を踏み入れてくるのは数えるほどしかいない。
目を開けて声をかけようか、それとも本格的に眠りの世界へと旅立つか。どっちを取るかを頭の中で相談していると、全身にびりびりとした痛みが走り抜ける。そのあまりの痛さに眠気が消え、思わず飛び起きる。
四足でしっかりと立った状態で眠気を吹き飛ばした犯人の方を見ると、予想通りというかなんというか、腰に手を当ててそれなりに怒っている姿が目に映る。ボクが起きたことを確認すると、彼女は尻尾から枝を引き抜いてびしっと突き付けた。
「またこの場所で寝ようとして! ここは休憩所じゃないって何度も言われているでしょ!?」
「ボクにそう言うのはテールナーだけだから、問題はないと思うけど……」
記憶の中から実際に注意してきたポケモンを思い出しながらそう言うと、テールナーはぶんぶんと枝と共に両手を振り回す。
「そう言う問題じゃない! ここは特別な魔法を発動する時に使ったり、回復薬を作る時に使ったりする花が多く咲いている大切な花畑なんだよ!? この花畑があるから町は魔法使いにとっての理想郷って言われているんだから! コリンクが一度も花を盗んだり荒らしたりしていないから誰も何も言わないだけで、本当は限られたポケモンしか――」
「……ああ〜、わかった、わかったってば! なるべく花畑で寝ないようにするから、今日はもうその辺にして!」
飽きるほど聞いてきた話を遮るようにそう声を出すと、テールナーは「『なるべく』じゃなくて『絶対』にして!!」と叫んでからどこかに行ってしまった。
……寝転がっていたボクもボクだけど、花畑の花をずかずかと踏んでいったテールナーもテールナーじゃないのかな。まあ、この花畑には魔法がかかっているから踏まれてもすぐに元に戻るみたいだけど。
ちなみにこのやり取りはもう二桁に行くほど繰り返しているから、別に追いかけたり反省したりはしない。彼女もボクに対して魔法を使ったことを反省したり、もうボクを無視するなんてことは考えたりしていないに違いない。
時計の音で起きて、ルクシオである母さんとレントラーである父さんの話を聞きながら朝食を食べて、クラスの皆と一緒に魔法の授業を受けてテールナーと喧嘩をしてから家に帰る。これが日常だ。
今日もきっと家に帰ったら母さんが授業について聞いてきたり、父さんが魔法の訓練をしようと言ってきたりするのだろう。そんなことを考えながら家の扉を押して入る。ただいまの声に答えるように飛んできたのは、母さんでも父さんのものでもない男の怒鳴り声だった。
「お前、さっきの休憩時間中どこに行っていやがったんだ!?」
クリムガンのような顔でそう怒鳴ってくるのは、ポケモンではなく人間の男。その周りでは多くの人間達が机の上に視線を落としているように見せつつ、こちらの様子をじっと窺っている。いつの間にか家の中はどこかの職場へと変貌を遂げていた。
……ああ、またか。またなのか。うんざりしつつももうすぐ来ると思っていた現象に溜め息を吐くと、溜め息の原因を勘違いしたらしい男の声が飛んでくる。
「上司に向かってなんだ、その態度は!? さっさと質問に答えろ!」
ボクは可能であれば沈黙を守ってさっさと人間達とさよならしたいけど、話を進めないとこの現象はいつまで経っても終わってくれない。それに、どうせ黙っていてもこの口は勝手に言葉を紡いでいくから、どっちにしても沈黙することはできない。
「広場でポケモン達にご飯を与えていましたが、何か不都合でもあったのですか?」
「問題大ありだ! お前、どこかに行く時は上司に報告してからにしろと言われていたのを忘れたのか!?」
「広場でポケモン達にご飯を与えるだけでも、ですか? しかし、他の方は誰も報告していないように見えたのですが……」
訳がわからない、という風にこの口が話し終えると、男は近くの机をバンと叩く。その音の大きさに、思わず体を震わせる。
「言われたことを忘れたからといって、言い訳をするな! いいか、次からはちゃんと報告をしろ!!」
そう叫ぶと、男は部屋を出て行った。きっと自分の仕事に戻るのだろう。嵐が過ぎ去った部屋の中、男とボクの近くにいた男が声をかけてくる。
「今日もまた派手に怒鳴られていたね〜。でも、上司がああ言ってくるのは君にも原因があるということ、わかっているよね?」
怒鳴られていたボクを慰めるのではなく、逆に傷口を広げるような行為をしてくる男に一瞬だけ視線を送る。
「……はい。先月、私はあるポケモンの駆除をしに行く途中で、怪我をしていた対象外のポケモンを助けようと一人勝手に突っ走り組織に迷惑をかけたからです」
「そう。君は対象外のポケモンに向かっていってしまった。組織の、いや社会全体から見ても常識に欠けた行動だったね、あれは。そんなトンデモない行動をしちゃったものだから、組織は君の行動をいちいちチェックしないといけなくなった。放っておいたらまたポケモンに突っ込むかもしれないからね」
対象でも対象外でも、怪我をしているポケモンがいたらすぐに助けるべきなんじゃないんですか。どうしてポケモンを助けたら非常識なんですか。そんな言葉が口の中で渦巻いていく。
でも、ここで何を言っても結果は変わらないし、今抱いた疑問はとっくの昔にぶつけてあるから結果も知っている。ボクが何も言わないのをいいことに、男はいつものように冷めた視線と声を浴びせてきた。
「君さあ。ここに入った時からポケモンは友達で大切にするべきだとか、ポケモンと人間は共に暮らしていけるはずだとか言っているけど。僕も、周りにいる皆も、誰もポケモンのことを友達だとか共に暮らしたいなんて考えていないんだよね」
小さい頃から抱いていた夢を壊すような発言に、聞きなれていたとしても耳を塞ぎたくなる。だけど、この両手は固定されてしまったかのように動かない。クスクスとボクを嗤う声が耳に入り続けている。
ああ、もうすぐだ。もうすぐ、この現象を終わらせる一言が来る。
「――だって、ポケモンってただの××じゃん」
どこかでガラスが割れる音がした。それと同時に景色や男達すらも砕けて消えて、いつもの家といつものボクが帰ってくる。母さんがボクのことを心配する声が聞こえたけど、ボクは無言のまま自分の部屋に入った。そして枕に顔を埋めると、小さな声で泣いた。
*****
ボクは元々人間で、子供の頃からポケモンと共に暮らすことが夢だった。なぜならボクの家、いや社会全体ではポケモンは人間の暮らしを脅かす存在として扱われていて、誰もポケモンと一緒にいなかったからだ。
普通、そんな環境にいたらボクも周りと同じことになっていたと思う。でも、ボクにはポケモンと人間が一緒に仲良く暮らしている光景を描いた漫画や小説の記憶があった。ボクはその記憶を思い出す度に、ポケモン達に対する思いを強くしていった。
何度もネットや図書館を探したけど実物を見つけることはできなかったから、無意識が生み出したただの妄想かもしれない。今ではそう思っているけど、子供だったボクにはそれでも「夢」を定めるには十分すぎるほど強力な材料だった。
「夢」が決まってからは必死に勉強をしてポケモンに関わる仕事に就いたけど、結果はさんざんだった。その組織は確かにポケモンに関わっていたけれど、やるのはポケモンの保護でも世話でもなく「駆除」。ポケモンに餌を与えたり助けたりする行為は、社会から見れば非常識以外の何物でもない行為だった。
そんなものだから、ボクは周りから常に変わり者の目で見られた。あの現象にも出てきていた出来事があってからは、ただの問題児としてしか見られないようになっていた。それでも、両親は変わらない対応をしてくれたからまだ耐えられたんだ。
最初は息子が決めたことだから、と目をつむっていた母さんと父さんからも同じ目を向けられるようになってからは本格的に耐えられなくなっていた。ボクは、この世界では生きていけない。ボクに合った世界に、理想通りの世界に行きたい。
そう願った時、あの願い星は突然現れた。ポケモンだというのに流暢な人間の言葉を扱っていたそいつは、ボクに向かってこう言ってきた。
「私はこことは少し違う世界から来たものなのだが……、どうだろうか。願いを叶えてみるつもりはないかい?」
ボクは悩むこともなくその提案に乗り、すぐに理想だった「ポケモンと人間が仲良く暮らす世界」の実現を願いかけて……ふと思った。仮にこの世界をボクの理想通りにしたとしても、ポケモン達は幸せにはならないのではないのか。ボクは後悔することになるのではないのか。
どうしてそう思い直したのかは今でもわからない。でも、そう思ったことで願いを「ポケモンだけが住む世界」にして欲しいに変えたのは事実だ。あいつに願った次の瞬間からボクはコリンクになっていて、世界にはポケモンだけが存在していた。
世界が変わった影響からかしばらく眠れない日々が続いたけれど、思い描いた通りの世界にボクは大満足だった。魔法のことは願いに入れていなかったけど、以前読んだ本で憧れを抱いていたから無意識のうちに願いが反応したのかもしれない。
このまま理想通りの日々が続いて、理想の中でボクは終わっていく。そう思っていた。でも、ある日から定期的にあの現象が起こるようになった。実際の記憶とは違う部分があったものの概ね記憶通りの展開に、ボクは何度も苦しめられた。
ここはボクにとっての理想の世界だ。以前の現実が来るだなんて、聞いていない。既に姿を消していた願い星に向かって叫んだことは一度や二度じゃない。でも願い星が再び現れることはなかったし、ボクもあの現象だけでこの世界を手放すつもりはなかった。
答えなんて誰も教えてくれないから、自分で考えるしかない。何度も何度も考えた結果、あの現象はボクに対する罰だという結論に至った。現実に適応しようとしないで、理想に逃げた弱虫への罰。
ああ、世界はなんて素晴らしいのだろう。涙が出てきて止まらない。あの願い星はこうなることがわかっていたのだろうか。だから最後に「本当にこれでいいんだね?」と聞いてきたのだろうか。
後悔しないために願いを変えたというのに、結局後悔しているだなんて。やっぱりあの時の願いを更に変えていたら、なんて思わないこともないけど何を選んでもボクは後悔するのだと思う。
何をしていても理想そのものに近づけないというのなら、この世界で理想の部分に浸っていくしかない。あの現象を除けば、ここは文字通りボクにとっての理想郷なのだから。
今日はもう疲れた。寝るにはまだ早い気もするけど、さっさと寝てしまおう。そして、現象のことは一旦頭の隅に追いやってしまおう。この魔法に満ちた現実世界を、明日も精いっぱい楽しむために。
「現実世界のアルカディア」 終わり