異色の月
※読んでいてあまり気持ちよくない表現やキャラが出てきます。苦手な方はご注意を。
俺の一番古い記憶にあるのは、眩しいほどの光と耳が痛くなるほどの音。そして勝ったや負けたと嘆く人間の声だった。俺は昔、「げーむこーなー」という場所の「けいひん」として育てられた。
仲間は皆茶色の体とクリーム色のもふもふを持っていたが、俺だけなぜか銀色の体をしていた。そのせいか、他の仲間よりも少し高い設定をされていたらしい。人間達は俺目当てに来ては悔しそうな顔をして去っていった。
当時の俺は何があったのかはよくわからなかったが、その人間にとってよくないことがあったことだけは気づいていた。今考えるとそれでよかったのかもしれない。いつ交換されるかわからない恐怖を抱いて毎日を過ごすなんて、まっぴらごめんだ。
似たような日々が繰り返される中、俺はある時いつも入れられている檻の扉が開いていることに気が付いた。この日常ではない日常を、自由を体験してみたい。心の底ではそういう思いを抱いていた俺は、周りの目を盗んで檻から抜け出した。
だが、始まったばかりの脱出劇は時を数えるまでもなく終了した。「げーむこーなー」の目玉である俺がいなくなれば、すぐに気づかれる。人の合間を縫って出口を探していた俺はあっけなく捕まり、また檻へと戻された。
目の前にまで見えかけた自由が一瞬にして遠ざかり、明るいはずの視界があっという間に暗闇に落とされる。
「お前はこの場所にとって必要不可欠な『商品』なんだから、そう簡単に逃げ出されちゃ困るんだよ」
痛いという言葉を忘れるほどの苦痛を与えた人間の声を聞きながら、俺の意識は本当の暗闇に飲まれていった。
*****
いつもと変わらない日常。ビカビカと目に悪い光。ジャンジャカとやかましい音楽。勝った負けたと喚く人間共の声。次から次へといなくなっては元の数に戻っている仲間達。体に張り付くような視線の数々。
『……もう、こんな生活嫌だ』
壊れることのない檻の中で零れた言葉は、誰にも拾われることなく崩れては消えていく。どうやら俺のいる檻には特殊な仕掛けが施してあるらしく、どんだけ喚いても人間共には何一つ届かない。
ただ、「とても元気な色違いのイーブイだ。是非とも我がコレクションに加えたい」や「このイーブイを手に入れたら、どれに進化させようかな……。ここはやっぱり、色が綺麗なニンフィア?」といった言葉が返ってくるばかり。
どうせなら、あっちの声も俺には届かないようにして欲しかった。俺は似たような言葉を浴びせられ続けてもうウンザリしているんだ。他の言葉が欲しいんだ。……自由を、手に入れたいんだ。
面倒だから、考えることさえも放棄してしまおうか。そんなことを考えている時だった。「あの人」がやって来たのは。
「ここか!? 色違いのイーブイを使って悪いことをしているゲームコーナーは! すぐに止めさせてやる!!」
その人間はここでよく見かける人間と比べると明らかに若くて小さく、浮いているように見えて仕方がなかった。いつもとは違う出来事に垂れ下がった耳がピクリと動くのを感じていると、嫌な声が耳にへばりつく。
「おやおや、ここはボクのような子供が入るにはまだ早い場所だよ? それに、私達が色違いのイーブイを使って悪いことをしている証拠はあるのかな? もしあったとしても、君のような子供がどうやってここを止めさせるのかな??」
そいつはニタニタと、明らかに小さい人間をバカにする顔で言葉を投げつけてきた。小さい人間はバカにされていることに怒りを覚えているのか、ギリギリと歯ぎしりをしながら拳を強く握っている。
いや、実際に証拠も方法を持ち合わせていないのかもしれない。ここから見える範囲で見る限り、小さい人間は道具が入りそうなモノは何も持っていない。よく見る白と紅の球体がついたモノもだ。
あいつはそれを見て強気なのだろうか。そう思っていると、何も言い返してこない人間に「用がないならさっさとお帰り下さい? お・こ・ち・ゃ・まさん??」ともう顔も見たくないほどの声をぶつける。
冗談抜きであいつこの場所からいなくなれ。俺がそう念じていると、あいつの言葉に何か希望を見出したのか小さい人間は大声でこう言った。
「用があるならいいんだな!? だったら、オレがあのイーブイをゲットしてやる!!」
まさかその発言が出るとは思わなかったのだろうか。あいつは目を大きく見開いていたが、あることを思い出したのかフンと鼻で笑った。
「私がさっき言ったことを覚えていないのですか? ここは子供にまだ早いゲームコーナーなんですよ?? 仮に認めるとしたら、最低でもポケモントレーナーとして旅立てる十歳はいっていないと――」
「は? オレ、もう十一なんだけど?」
勝利を確信した顔で言葉を続けるそいつをぶった切るように放たれた、小さい人間の言葉。その言葉にそいつは驚いた顔で人間の頭からつま先までを眺め、「嘘を言うんじゃない」と嗤う。
「十一だと? だが、お前の身長ではどう見ても――」
「嘘じゃねえ!!」
あいつが最後まで言い終える前に突きつけられたのは、四角いカードのようなもの。恐らくトレーナーであることを示すトレーナーカードだろう。詳しい年齢が明らかになるかは疑問だが、少なくとも十歳以上であることは証明される。
そいつはカードを二度、三度見てから苦虫を噛み潰したような表情をした。そして、長い長い空白を得てから口を開く。
「……わかりました。どうぞ、ご利用下さい」
*****
「よかったな、イーブイ! これで晴れて自由の身だぞ!!」
数十分後、俺は小さい人間――アラタの腕に抱かれながら、一面に水色と緑色が広がる場所にいた。俺は本当に嬉しそうに笑うアラタの顔を下から見て、なぜここまでしてくれたのだろうと疑問に思う。
だが、その答えはきっと現れた時に吐き出されたセリフに全て詰まっているのだろう。それよりも気になるのはアラタの運のよさだ。
「だけど、オレもラッキーだよな。まさか十コイン購入しただけでお前と交換できるまでに勝てるなんてよ」
そう、アラタは戦いが何回も長引くことを予想し、まずは小手調べとして十コインだけ購入して挑戦を始めた。しかし、現実は小説よりも奇なり、と誰かが言ったものだ。あれよあれよとアラタは勝ち続け、気が付けばコインで泳げそうなまでに勝っていたのだった。
まさか、あいつもアラタがここまで勝てるとは思っていなかったのだろう。アラタが堂々とした態度で交換を願い出た時はしばらく虚空を眺めていた。恐らくもうこの場所は終わったことに気づいたのだろう。
こうして、俺は自由を手に入れることができた。今はアラタの腕の中にいるが、その腕に力は込められていない。やろうと思えば俺はすぐにでもここから逃げることが可能だ。
長い間憧れ続けた自由。あの日常とは違う、新たな日常。それらが俺の体を胴上げしているというのに、なぜだろう。このまま独りで過ごしていこうという気持ちが起こらない。
「……なあ、イーブイ」
自分の気持ちに戸惑っていると、アラタからポツリと言葉が零れ落ちる。その言葉に無視してはいけない音が紛れていることに気が付いた俺は、首を動かしてアラタの顔を見る。
「イーブイ。オレ、ずっとパートナーが欲しかったんだ。有名な博士から貰う、っていうのも一つの手だけどさ。オレはちゃんと『こいつだ!』というやつをパートナーにしたい。少し前に出会ったばかりで言うのも何だけど、オレはお前をパートナーにしたいんだ。
……どうだ? オレと、パートナーになってくれないか?」
パートナー。あの場所にいた頃は聞き飽きてもう聞きたくないと思っていた言葉の一つだが、アラタの口から放たれる言葉にはそれとは違う響きを感じた。こいつとパートナーになれば、俺の気持ちも変じゃなくなるかもしれない。
そう思った俺は、勢いよくアラタに返事をした。
*****
「……なあ、サクヤ。あいつにもういい、なんて言っちまって、当人にも追い返されちまったけどさ。ユウヤのやつ、これからどうなるんだろうな」
昔のことを思い出していると、落ち込んだ表情のアラタが俺に向かって話しかけてくる。ユウヤ、とはアラタの友達のことだ。最近妙なヤミカラスをパートナーにして一人喜んでいた男の顔を思い出し、静かに首を振る。
『さあな。俺にもわからないが……、案外これでよかったのかもしれない』
狂ったように絆に固執する男の姿は、思い出してもあまり気持ちのいいものではない。本当の絆というやつは、当人達も気づかないうちに生まれているものだと俺は思う。
アラタはまだ暗い表情をしていたが、いつまでも気にしていてはいけないと思ったのか目をつむってペチンと両頬を叩く。俺からするとかなり情けない音だが、アラタにはちょうとよかったみたいだ。
「よし、じゃあ今日の予定を決めようぜ!」
勢いよくメモ帳を捲り始めたアラタに、俺はフッと微笑む。
『アラタ。俺とアラタって似ているよな』
「は? どうしたんだ急に。オレとお前、そんなに性格似ていたっけ?」
『性格じゃない。言葉にしろと言われると難しいが……とにかく似ているんだ』
アラタは新月の日に生まれたことからそう名付けられた。俺はサクヤという名前を貰い、偶然にもブラッキーに進化した。「サクヤ」の「サク」が何の漢字なのかは知らないが、もし「朔」ならそれは暗月とも呼ばれることがある。
同じ「月」を名前に持つトレーナーとパートナー(正確にはアラタは名前に含まれていないが、由来が由来だから持っているも同然だ)。これを運命と呼ばないで何と呼べというのだろうか。
『アラタ。これからもよろしくな』
「さっきから何なんだ? ……まあ、いいか。こちらこそよろしく。サクヤ」
この名もなき世界の片隅で、今日も俺は生きていく。
「二色の月」 終わり