蝙蝠は光を望む
森の中で突然の雨に降られ、パートナーであるヒトモシを抱えながら逃げ込んだのは運よく見つけた洞窟だった。ヒトモシを地面に下ろし、雨粒が染み込む前にと頭や服を払う。時折飛んだ雨粒がヒトモシの炎に触れるものの、彼はあまり気にしていない。
ヒトモシは頭の炎を揺らしながら洞窟を見回している。ここの洞窟は「洞窟と聞いたら大抵の人はこれを想像する」といった感じのありふれた洞窟だ。僕からすると特に珍しいものはないように思えるけど、ヒトモシからしたら違うのかもしれない。
僕達はまだ旅を始めたばかりで、ヒトモシもタマゴから生まれたばかり。きっと、見るもの全てが新たな発見なのだろう。そういう僕もトレーナーになって見る世界が変わったような気がする。
……あの時、トレーナーになるという選択肢を選んでよかった。もし「彼」が誘ってくれなかったら、僕は漏れなく地面とお友達になっていただろう。もちろん、今は地面と仲良くしようという気持ちはない。
「モシ〜ッ!」
奥で何かを見つけたのか、ヒトモシがいきなり走り始めた。薄紫色の光源が遠ざかり、辺りが薄闇に包まれていく。早く追いかけないと見失うと思ったものの、そのスピードは早歩きの僕が余裕で追いつけそうなもの。それほど急がなくても何とかなりそうだ。
横に並んで向かってもいいけど、彼からすると早く行きたいだろう。早歩きでヒトモシに追いつくと、素早く抱きかかえる。
「モシ、モシ!!」
ヒトモシは短い手を一所懸命に伸ばし、こっちだ、こっちだ、と示す。その手が示す方向へと進んでいくと、目の前に大きな影が現れた。
「うわっ!?」
驚いて思わず後ずさりをする。岩ならともかく、戦う気満々なポケモンだったらかなりヤバい。ヒトモシはまだまだ経験不足で、僕も実戦に関しては同じく経験不足。ズバットなら何とかなりそうだけど、あの影を見るとその可能性は薄そうだ。
この場から逃げたい気持ちが膨れ上がり、今にも爆発しそうになる。だけど、そんな僕とは逆にヒトモシはその影へ行こうと腕の中で暴れまわる。位置が悪ければ炎が服に触れ、僕自身が光源となってしまう。
光源となるのは避けたいのでヒトモシを離し、影の元へと行かせる。このまま彼をおいていくのはアレなので、逃げるのはやめて影と向き合うことにした。
ヒトモシが近づいたことで、タイミングよく影の正体が照らし出される。そこにいたのは岩の上に座った巨大なクロバットだった。野生のポケモンでもトレーナーのポケモンでも大きさに違いはあるけれど、この大きさは野生のものとは到底考えられない。
「どこかのトレーナーが逃がしたのかな……?」
仮にトレーナーが逃がしたポケモンだとして、どうしてクロバットにヒトモシが反応したのだろう。……少し恐ろしい想像が浮かんだけど、それをすぐに頭から追い出す。真相はヒトモシしか知らないのだから、思い込みだけで物事を見るのはよくない。
それにしても、天井などに掴まらず岩に座るクロバットは初めて見たな。……いや、単に僕がクロバットのことをよく知らないだけかもしれない。一般的には懐き進化って言われているポケモンが野生にいることは珍しくないし。
相手も動く気配はないし、ヒトモシが満足したらさっさと洞窟の入り口に戻ろう。雨がやんでいたのなら、また歩き出すのもいいかもしれない。ボールの有無や実力を考えると、クロバットを捕まえる気にはなれなかった。
「……お前、俺を捕まえるつもりはないのか?」
飽きることなくクロバットを見つめるヒトモシを眺めていると、ふとどこかからそんな声がした。声を発したのはもちろん僕じゃない。もし僕だったら色々と状況がおかしい。誰に捕まえられかけているんだ。
軽く周囲を見回し、今の声を発せそうな存在を探す。運がいいのか悪いのか、この場にいるのは僕とヒトモシ、クロバットだけだった。僕ではないのなら、ヒトモシでもないだろう。ヒトモシは人間の言葉を話せない。仮に話せたとしても、既に僕の手持ちなのだから捕まえるかどうかという質問をぶつける必要はない。
つまり、声をかけてきたのは消去法でクロバットということになる。幽霊という第四の選択肢は考えない。
「うん。僕は腕もまだまだならボールも持っていないからね」
しっかりとクロバットの方を見て答えると、彼――声の感じから考えると、恐らくそうだろう――は目を丸くしていた。この見た目で腕がまだまだなのに驚いているのだろうか。それともトレーナーなのにボールを持っていないことに驚いているのだろうか。
前者だとしたら、何度も似たような反応をされてきた僕はしっかりと反論することができる。トレーナーを始める年齢に決まりはないし、長年続けていたとしても腕がよくなるとは限らない。
後者だとしたら、これは反論というより言い訳になってしまうかもしれない。単純にお金がなくてボールを買う余裕がなかった、なんて普通にかっこ悪い。理由が回復アイテムと食料に使いすぎたから、ではなお更だ。
さあ、クロバットが驚いたのはどちらなのだろう。どちらが来てもいいように頭の中でセリフを練っていると、彼は僕にとって斜め上の質問をしてきた。
「お前、何で俺が話しているのを不思議がらない? 他のやつらは皆、この大きさのうえに話せるなんて! と嬉しそうに捕まえようとしてきたというのに……」
クロバットのいうことは当然の疑問だ。というより、普通はそうだった。すんなり受け入れている僕が普通じゃなかった。きっと、前に似たような状況に遭遇したのが影響しているんだろうな、と「彼」の姿を思い出す。
「まあ、色々あってね。話せるポケモンと会うの、初めてじゃないから」
何となく頭をかきながらそう言うと、クロバットは食いつくように体をこちらに傾けてくる。
「!? そのポケモンは、元は人間だったか?」
「え、うん……。そうだったけど」
証拠は本人からの自己申告と僕の判断だけ。とはいえ、事実といえば事実だから一応は頷いておく。どうして話せるイコール元人間となったのかはわからない。「彼」と同じような存在だったのかな、なんて思うけど、そうだったら僕なんかに話しかけずさっさと目的の場所に向かっているだろう。
「そのポケモン、今近くの場所かお前の手持ちになっているのか? もしいるのなら、話してみたいんだが」
クロバットからの希望に、僕はどうしようかと困ってしまった。クロバットが話したがっている「彼」はもうどこにもいない。仮にそれを言ったとしても、どうしてそうなったのかを話す必要がある。まだ誰にも話していないけど、普通に考えて彼がその話を信じるとは思えなかった。
短くここや近くにはいないと告げると、クロバットは心底残念そうな表情を浮かべる。そこにはどこか、一種の諦め、覚悟すら感じられる。……何を諦めて覚悟したのか、まではさすがにわからないけど。
純粋にどうしてそんなことを聞いたのか気になったので、変に言葉を飾らず聞いてみる。クロバットは若干の迷いを見せたものの、俺と似たようなやつに会っているのなら信じるか、と理由を話してくれた。
「さっきの質問である程度察したとは思うが、俺は元々人間だったんだ。それが、あの館に行って願いを叶えて貰ってから変わってしまった」
館? 願いを叶えて貰う? 何やら作り話のようなワードが飛び出してきたものの、ここで質問したら話の腰を折ることになるので黙って続きを聞く。
「俺はあの館で吸血鬼になりたいって願ったんだ。もちろん、空想上の存在だってことはわかっている。でも、あの頃はカッコいいと思って心底憧れていたんだ」
……左腕がうずく年頃だったんだね。僕も一時はなりかけたから、その気持ちはわからなくはない。それがどうしてクロバットになったことに繋がるかはまだ見えないけど、話の流れでもうすぐわかるだろう。
「館の主は願いを叶えてくれた。でも、叶ったのは想像とはずいぶん違うものだった。館に行った翌日、俺は気が付くとクロバットになっていた。鏡に映らなかったから自分の目で確かめただけだが、周りの反応からして当たっているのだろう。大きさについては俺もよくわからない」
吸血鬼って鏡に映らないんだっけ? その辺りあまり詳しくないけど、人間とは住む次元が違うものは鏡には映らなさそうだ。……ヒトモシは鏡に映っていたから、恐らくゴーストタイプはそういう括りではないのだろう。
「もしやと思い、俺は陽光降り注ぐ街へと躍り出た。するとどうだ。体がみるみるうちにその色を失い灰となって落ちていった。慌てて日陰に入ると、消えた部分は元に戻った。俺はそこで、クロバットの姿をした吸血鬼になったことを確信したんだ」
ズバット系は吸血を使えるから、あながち吸血鬼と言っても間違いはない。だから最初に言っていたように、彼の願いは叶ったんだ。……願いが叶って嬉しいはずなのに、どうして彼は困ったような表情を浮かべているのだろう。
「心の底から湧き出たような喜びは、すぐに消えてなくなった。小説やマンガのように元の姿を保ったままならともかく、今の俺はクロバット。誰も俺が人間だったことは信じてくれなかった。家を追い出され、日陰や夜を移動しているうちにここへと辿り着いた。もちろん、無傷というわけじゃなかったがな」
僕もあの体験がなかったら、人間がポケモンになるという現象は信じきれなかっただろう。得体のしれないポケモンを傍に置いておけるような人はいない。いたら度胸や自信に満ち溢れている。
移動しているうちに辿り着いたとはいうものの、後の無傷じゃなかったという発言を考えると、それこそ捕獲の対象になったり灰になりかけたりしたのだろう。ソーラービームや日本晴れを使われた暁には、灰すら残らないかもしれない。
「姿が変わったのが影響しているのか、長い間全く眠らなくても大丈夫だった。それを利用してこの現状に満足しているかを考えた時、違うと思った。俺は家族や友達を失って暗闇と共にありたいわけじゃない。
ただ、俺が奏でる理想に浸かっていたかった。それだけだったんだ。それからだよ。元に戻る方法を探すため、ポケモンになった人間を探し始めたのは。……今のところ、結果は全て空振りだけどな」
これで話は終わりだ、とばかりにクロバットは一度大きく羽を広げ、また畳む。色々と質問したいことはあるけれど、一番気になることがあったので聞いてみる。
「元に戻る方法を探すために同じ存在を探している、って言っていたけど。相手が今もポケモンだったのなら、戻る方法は知らないんじゃないの?」
痛いところを突かれた、とばかりにクロバットは体を少し引く。……本人もその可能性は考えていないわけじゃなかったみたいだ。
「普通に考えれば、そうだ。だが、よく言わないか? 『何か特殊な事情から元に戻ったら、その記憶は本人から消えている』と」
……ごめん、よく言った覚えもないし、よく聞いた覚えもない。とは状況から口が裂けても言えなかった。小説とかではありそうな設定ではあるけどね。
「それを考えてポケモンになった人間を探し続けているものの、実はもう限界を感じ始めているんだ。あれからどれくらい経っているのかわからないが、少なくとも数年は経っている。憧れたとはいえ吸血は無理だから、夜に木の実を食べてはいる。
純粋なポケモンならそれでも平気だろうが、俺はこう見えても吸血鬼。吸血衝動は日に日に強まり、今では何かしら考え続けてそれから気を逸らさないと危ない状況だ。我を忘れて手当たり次第に……なんてなったら、戻る前に退治されてしまうだろう」
そうなってしまうのなら、俺はもう戻ることに、生き続けることに固執しない。ただ、最後に一つだけやりたいことがある。クロバットはそこまで言うと、真剣な目をして僕にあることを頼んできた。
*****
クロバットを前に飛ばせながら、僕とヒトモシはその後を追う。僕とヒトモシが前の方がそれらしいけど、いつ抑えられなくなるかわからない。彼を前に行かせたのは、せめて不意打ちを喰らうのを防ぐためだ。
「……あ、いつの間にかやんだみたいだね」
洞窟の向こうに広がる景色に雨はなく、木の葉や草の上に留まっていた露が時折地面に落ちては弾けていた。太陽はまだ雲の向こうに隠れているけど、タイミングが合えば姿を見せそうだ。
「本当に、いいんだね?」
念のためにもう一度聞くと、クロバットは力強く頷いた。彼の思いは既に固まっている。なら、僕も頼まれたことをしっかりやらないと。
クロバットが洞窟からひと羽ばたきするのとほぼ同時に、雲の間から太陽が顔を覗かせる。柔らかな陽光が彼の体に降り注ぐと、まるでそこだけがモノクロ動画になったかのようにどんどんと色が消え、灰となって地面に落ちていく。
それでも、クロバットは止まらない。日差しの中を飛び続け、形をなくしていく。雨が上がったばかりからか、この場にいるのは僕達だけ。状況を考えると、むしろいなくてよかったのかもしれない。
大体数メートルは進んだ時だった。まるで積み木が崩されるように、一瞬で彼だったものは全て消え去った。彼の欠片でもある灰も、風に吹かれてあっという間に消えていく。残ったのは陽光降り注ぐ森だけだった。
あっけなかった。そう言う気も起らないほど、あっけない終わりだった。だけど、これでいい。彼はきちんと自分で終わりを迎えたし、僕も彼の頼みをやり遂げた。あとは何もする必要がない。
静寂に包まれた森の中を、ヒトモシを抱えながら歩く。彼は、クロバットは最期に光を見て満足だったのだろうか。ずっと暗闇に包まれていた人生に光を見つけることはできたのだろうか。
そんな考えがいくつか浮かんだものの、僕はあいまいな笑みで考えを打ち消す。答えは他ならぬクロバットしか知らない。聞こうとしても、そのクロバットはもういない。聞けたとしても、僕にとってどういうものになるのかわからない。
だったら、僕が今更あれこれ考えても意味はないだろう。早く頭を切り替えないと。
「次はどこに行こうか」
「モシ〜」
「……その前に、お金を貯めて色々と必要なものを買わないとね」
「モシ」
ヒトモシとそんな会話を繰り広げながら、僕は森の出口を目指して歩き続けた。
「青年は光を掴む」 終わり