逃走不能
『エイジは 逃げ出した!』
『しかし 足が竦んで 逃げられなかった!』
「くそ、またかよ!」
盛大に舌打ちをするとゲーム機を投げ捨てたい気持ちを抑え、ひたすらボタンを連打する。友人の中でも特に趣味が合うやつに勧められて買ったゲームだったが、嵌められた。これは今までやってきた中でもぶっちぎりでワースト一、二を争うやつだ。
あいつ、俺に何か恨みでもあるのか。やはり心の声が漏れやすいのが気に入らないのか。直そうとしても直らないから困っているんだろうが。喧嘩なら高く買うぞ。今度会ったらゲームでもポケモンバトルでもボコボコにしてやる。
ゲームと友人に対する怒りの力で、今なら部屋の壁もぶち抜ける気がする。いや、ぶち抜いてみせる。唸れ、俺の拳。両親から怒鳴られる役目は未来の俺に託した。
……ん? ちょっと待て。役目を未来に託すのはともかく実際にやったら怒鳴られる、怒鳴られないよりも前に拳が死ぬな。拳が死んだら治るまでの間ゲームができなくなる。こんなゲームのせいで他に溢れる神ゲーができなくなるのは腹立たしい。
怒りを飲んで震える拳を壁から逸らすも、まだその震えは止まらない。怒りは衰えを知ることなく体の中を巡り暴れている。放置していたらまた怒りが拳を支配するのは目に見えている。一度落ち着くためにも深呼吸をしよう。
戦闘が終わった画面をポーズにしてから深く息を吐く。深く、深く、深く……。
「ぷらら?」
「まい?」
もうこれ以上は吐けないくらい肺の中身を空っぽにしていると、突然プラスルとマイナンが飛び出してきた。モンスターボール越しに見ても息を吐く動作があまりにも長いので心配になったらしい。
本当、俺がトレーナーなのにしっかりすぎるほどしっかりしている。バトルもこいつらのおかげで勝てているようなものだし、ゲットできたのが不思議なくらいだ。
それはそうと、このままだと火花のポンポンでの応援が始まりそうだ。吐いた分以上の息を吸い、即座に感謝の言葉を告げてから二匹をボールに戻す。気持ちはありがたいがポンポンのせいでゲーム機やら何やらに異常が起こるのが怖い。
最近のやつは電気ポケモン対策がしっかりしているが、万が一の事態が起こらないとは限らない。相棒よりもゲームを先にする主人を許してくれ。今度安全な場所で思いっきり応援させてあげるから。
脳内で二匹への言い訳を並べたてつつ、ポーズにしている影響でぴくりとも動かない画面を見つめる。
このゲームは友人の言葉につられてパッケージを見た瞬間、俺の中に溢れんばかりの衝撃が走って気が付いたら買っていた。その時はまだそれがクソゲーだなんて全く気付かなかった。検索にかけてもそれらしき言葉は全く見られなかったし。
始めたら始めたでゲーム機の特徴を生かした素晴らしいグラフィック、音楽、キャラにストーリー。なるほど。これはあいつも勧めるはずだ、なんて当時はのん気にもそう思っていたものだ。真の恐ろしさはもっと別のところにあったというのに。
それが進めるうちに段々「あれ?」となった。どれだけ頑張ったとしても、主人公が全く敵から逃げられないのだ。例え敵とのレベル差が二桁に到達していたとしても、あいつは「足が竦んで逃げられない」。
確率の問題かと思って何度か同じ選択肢を選んだとしても「逃げられない」。逃走失敗のターン消費のせいで敵の攻撃を受け続け、何度もゲームオーバーギリギリになった。消費ターンを考えると逃げるより先に倒す方が早いと気づいたのはいつだったか。
いやいや、もうこれだけレベル差があるんだぞ! 足竦ませていないでさっさと逃げろよ! そんなツッコミを実際に口にした回数は数えていない。数えていたら余裕で日が暮れてしまう。
もしかすると最初から逃げることができない仕様なのかもしれない。最初の頃は本気でそう考えたものだが、だとしたらそもそも選択肢に入れない。あえて入れたのならただの理不尽だ。
今や感想はすぐにネットで呟ける時代。理不尽仕様が採用されていたとしたら、発売されてから何らかの形でプレイヤーの「理不尽!」が見えるようになっているはず。今なお検索しても「理不尽!」が見えないことを考えると、別のシステムが原因なのかもしれない。
ええと、このゲームのキャッチコピーは確か「主人公はあなた自身」だったか。主人公はプレイヤーの化身とも言うべき存在なのだから、ある意味当たり前のキャッチコピーだ。当たり前すぎて一瞬キャッチコピーだと気づけなかったくらいだ。
当たり前のことをわざわざキャッチコピーする意味。頑張って頭をフル回転させ、自分なりに推理する。こんなに頭を回転させたのはタイプとその相性を覚えた時くらいだ。ボールにいる相棒達から見た俺の頭からは煙が出ているに違いない。
脳みそが焼き切れたのでは、と感じるほど回転させた甲斐もあり、俺は何とかそれらしき理由を思いついた。
主人公はあなた自身。つまり、主人公は本当に「俺」そのものなのでは?
どういう神システムが搭載されているのかは知らないが、主人公に俺の性格やら何やらが投影されているのなら納得……できるわけがない。
このゲームのように自分の知らない敵なら竦んでしまうのも無理はないが、これがポケモンならどんなやつを相手にしたとしても足が竦むなんてことにはならない。これまで相棒達と一緒にどれだけのポケモンとバトルしてきたと思っているんだ。
トレーナー相手なら逃げられない、逃げてはいけないのもわかるが、相手は野生の敵……つまりポケモンのみ。相手のレベルが高くて圧倒され、結果として逃げ出すしかない状況になることはあっても低くてやられるなんてことはありえない。
「あーあ、俺ならちゃんと逃げられるのにな」
ランダムエンカウントではなくシンボルエンカウントなのがせめてもの救いだ。もう少し進めてみて絶対逃げられる道具や敵が出てこない道具が出てこなければ売ろう。そうしよう。俺は固く心に誓った。
カタン
部屋の隅で二つのボールが小さく揺れたが、俺はそれを気にすることなくゲームを再開させる。そのままカチカチと操作していると、ふと検索している時に見つけた記事の内容が脳裏をよぎった。
まだ噂の域を出ないがこのゲームの開発に関わった何人かが発売直後、どれも似たような理由で死んでいるらしい。どれも寝不足が原因の一つになっているとか。開発に熱中しすぎたか、うっかり悩みの種でも植え付けられたのだろう。
あ、死んだ人は皆どこかの森に行っていたともあったな。どこかの記事では「これが原因だ!」と大きく書かれてコメントで「そんなわけあるか」とツッコまれていたっけ。俺もそう思う。たかが森に行ったくらいで寝不足にはならないだろう。
その記事では願いの何がどうとかジラーチがどうとかあった気がするが、どれもでたらめだと決めつけてすぐに読むのを止めてしまった。逆に相棒達、特にプラスルの方はかなり真剣に記事を読んでいたっけ。こいつらにもカワイイところがあるもんだな。
いや、変な記事のことはどうでもいい。注目するべきところは最初の記事の方だ。開発に関わった何人かが死んでいる。……そう、死んでいるのだ。
もしかしてこのゲーム、呪われているのでは? ありえなくはない可能性にぞくりと背筋が寒くなった。今夜は相棒達と一緒に寝よう。もうポケモンと寝るような年じゃないとかそんなのは無視だ。
*****
空をポッポ達が群れをなして横断し、大地をギャロップ達が駆け巡る。そよ風に乗って漂う甘い香りは近くで地面に埋まろうとしているナゾノクサが出しているのだろう。香りを嗅いだせいか脳に甘ったるい霧がかかり、ゆっくりと手足の力が抜けていく。
力が抜けた影響で姿勢を維持できず、ずるずると座り込みながら考える。俺はどうしてこんなところにいるのだろう。寝る前は確かに自宅のベッドにいたはずなのに。外に出た記憶も出る予定もなかったはずなのに。
空白の記憶はどう頑張っても空白のままで、いつまで経っても色づく気配を見せない。身体は既に逃走という選択肢を拒絶し、手足は風に揺れる草花と親交を深めている。
目の前に広がる空はこんなにも青いというのに、俺の心はヤミカラスよりも真っ黒に染まっている。こんな時に応援をしてくれる相棒はどちらの姿も見えない。更に言うと彼らが入っていたボールもない。空のボールもないから新たに手持ちを増やすこともできない。
ベッドの上にボールを置いたまま寝るわけがないので、何もないのが正しいと言えばそうなる。今はその正しさが恨めしい。こうなると知っていれば何かしら準備をしていたのに。何もなくともすぐ手が届く位置にリュックを置いておくべきだった。
いや、普通は家で寝ていて目を覚ましたら大自然のど真ん中、なんて状況にはならないか。実はここは夢の中で、俺はこれが夢だと知らずにぐだぐだ考えている。そう考えた方が自然だ。むしろそうでないと色々困る。
目の前の光景は全て夢。そう思うと一気に晴れやかな気分になってきた。見た目だけじゃなくて匂い、感触、空気感までリアルに再現するとは、さすが俺の夢。本当に目が覚めたら十中八九忘れているのが残念なくらいだ。
晴れやかな気分と共に脳の甘い霧も晴れたのか、手があれほど仲良くしていた草花に別れを告げようとしている。足は逆に唯一無二の親友レベルにまで仲良くなっているものの、こっちは別れられると今度困ることしかないのでむしろずっと仲良くしていて欲しい。
手足に力を入れてぐいっと起き上がると、傍でのそのそと移動していたキャタピーがもぞもぞと逃げ出していく。お前、ずっと傍にいたのか。甘い香りのせいか他のポケモンの印象が強いせいか気づかなかった。……何かすまん。
どこか遠くで響くピジョンの鳴き声を聞きながら乱れた髪を直していると、突然くいと裾を引っ張られる。かなり控えめなアプローチだったので一瞬気のせいかと思ったが、もう一度引っ張られたことでそうじゃないとわかった。
一体誰が、と引っ張られた方向に視線を向けるとそこから漂うふわりとした甘い香りが鼻をくすぐる。ナゾノクサが出していたものとは違う甘さの香り。そういえばこいつは手のひらに蜜を染み込ませているんだったか。
香りの正体に思いを馳せていると、連想ゲームのように腹の虫が鳴く。そういえば、起きてからまだ何も口にしていない。
夢なのにそんなところまでとことんリアルを追求しているとは。腹が減ってはバトルができぬと言うし、木の実でも探して食べようか。ちょうど向こうの方に木が見える。探せば一つくらいは食べられる実が見つかるだろう。
目視で確認できる木はここからやや遠いが、歩けない距離ではない。歩くのに消費した体力は木の実で回復しよう。そう考えながら一歩踏み出そうとした、その時。背中に濃い殺気が突き刺さった。背中には冷や汗が流れ、心臓は今までで一番早く鼓動を打っている。
振り返ると終わる。振り返らなくても終わる。俺の中の勘が、本能がそう告げてくる。おかしい、これは夢のはずなのに。……本当に? 本当にこれは夢なのか? 俺は何か大事なところから目を背けているんじゃないのか?
わからない。わからないけど振り返りたくない。でも何が起きたかわからないままは嫌だ。相反する二つの感情がせめぎ合った結果、勝ったのは後者の方だった。破裂しそうな心臓を押さえながら身体を動かす。
かちり、と視線がぶつかった。
鋭い目が更に鋭く吊り上がる。俺はあの時、何て言った? 足元では丸い目が不思議そうにこちらを見つめている。そうだ。「俺ならちゃんと逃げられる」、そう言ったんだ。言ったのなら、思ったのなら実行できるはずだ。
さあ、早くここから。
『エイジは 逃げ出した!』
『しかし 足が竦んで 逃げられなかった!』
「逃走不能」 終わり