無愛蝙蝠は空を彷徨う
べしゃり。
蝙蝠(こうもり)は突如、まどろみから叩き落された。苛立ちを覚え、痛みから小さなうめき声を上げる。至福の時を邪魔したのは何者だ。
軽く羽ばたいてから様子を探るも、映るのは暗闇のみ。当たり前だ。蝙蝠は目が見えぬ。否、目玉は一応ついてはいるが、ほとんど飾りのようなものであった。よって、状況を把握するためには耳と音波に頼る他ない。
耳は先ほどから騒がしい音を捕らえ続けている。だが、それが何を意味するのかまではわからない。続けて蝙蝠が捉えたのは、蝙蝠からすぐ近くのものと少し離れたところにいる生き物達であった。
『しばらく連絡がないから心配して来てみれば、どうして……』
『兄は普通とは異なる色の携帯魔物を集めるのが好きで、かなり多くの金をつぎ込んでいました。特にこの大口蝙蝠(ゴルバット)は小蝙蝠(ズバット)の頃に捕まえたもので、何としてでも四羽蝙蝠(クロバット)にしようと怪しい飴を買いこんでいたので、それが原因でしょう。自業自得ですね』
『……随分と冷たいのね。先ほども大口蝙蝠(ゴルバット)が入っていた木の実球を叩き落していたし、彼にいい記憶はないのかしら』
『その通りです。兄には苦労させられた記憶しかないので、いくら珍しい存在だと言われていても、コイツはただの忌々しい蝙蝠にしか見えないのですよ。なので、さっさと目の前からいなくなって欲しいですね。コイツを巡ってこれ以上面倒な思いをするのもアレですし、これ、壊しちゃいましょうか』
音が止んだのとほぼ同時に、何かが砕けるような音が響く。恐らく、砕かれたのは蝙蝠の寝床であろう。なぜなら、それは蝙蝠の中で小さな鈴の音となって鳴り響き、誰に教えられずとも自由となったことを理解したからだ。
自由という名の飴はあの美味いとも不味いとも言えない代物よりも甘く、じわじわと溜まっていた怒りを一瞬にして消し去った。今、蝙蝠の中に満ち溢れているのは例えようのない解放感と幸せのみだ。
ばさり、ばさり。
体は自然と自由の入り口へ動こうとする。いつもは出入り口などないはずのそこは、いつの間にか蝙蝠が余裕で通れるほどの大きさを開けて彼を待っていた。何のためらいもなしにそこを潜ると、これまでいたところとは比べ物にならないほどの空間が広がる。
何やら背後で音が響いたが、既に自由となった蝙蝠には関係ない。翼を動かし、己の進みたい方へと進み続ける。蝙蝠が進めば進むほど辺りの雑音が増えていったが、幸せを噛みしめ続けている蝙蝠は気にする価値はないと切り捨てた。
だが、いくら切り捨てても聞こえるものをないものとすることはできない。多すぎる雑音は集中力を妨げる。蝙蝠の進む方向は、自然と静かな方へと修正されていった。
*****
小休憩を挟みながら飛び続けていると、急に腹の虫が鳴り響いた。空腹では飛べるものも飛べぬ。思い出してみれば、蝙蝠は朝に木の実を一つ食べただけでそれからは何も口にしていなかった。
昔であれば獲物を狩ってそこから栄養を得ていたが、長らく飴と共に不味い水を飲み続けていたのが原因か木の実以外興味をなくしてしまった。今は例え子鼠(コラッタ)を見つけたとしても、襲うという考えは浮かばないであろう。
蝙蝠は食べ頃の木の実はないかと探るが、香ってくるのはまだ早いと告げるものばかり。空腹に耐えかねてかじってみても、やはりその時期ではないからかとても最後まで食べられそうもなかった。
いよいよ腹の虫が大合唱を始め、飛ぶ力も失い地面に倒れるようにして着地した時。
「……これ、食べる?」
控えめな声が。そう、音ではなく声が蝙蝠に甘い香りをもたらした。声は返事を待っていたようだったが、蝙蝠は返事というものを忘れすぐ木の実に食らいついた。柔らかな甘さが口に広がるが、中は空洞ばかりであまり食べた心地にならない。
だが、木の実は一つだけではないようだった。声は蝙蝠の様子からよほどと思ったのか、次から次へと木の実を渡してくる。味は酸っぱかったり苦かったり辛かったり渋かったりと様々だったが蝙蝠には何の問題もなく、残すことなく食べ終えた頃には腹の虫の合唱も治まっていた。
飛ぶ力が戻ったことで早速羽ばたこうとした時、ふと控えめではない咳が蝙蝠の耳に入り込む。はてと頭を傾げていると、声が不機嫌を露わにする。
「あまりにも空腹そうだから渡されていた木の実をわけてあげたというのに、お礼の一つもないなんて……。何て失礼な方なのかしら」
棘を隠そうともしない言葉に蝙蝠は困り果てた。これまでの生活では木の実は待たずとも時間がくれば与えられるもので、相手に礼を言うほどのものではなかったからだ。否、与えられる度に何か音が聞こえた気がしたが、蝙蝠が理解しようとしなかっただけなのだ。
今の蝙蝠は自由の身。これまでの生活を普通に当てはめてはいけない。己が小さかった頃を思い出そうとするが、当時の記憶よりもこれまでの記憶の方が大きいのでなかなか思い出せぬ。下手をすると、欠片すら残っていない可能性もあった。
必死に思い出そうとする蝙蝠の耳に、再び不機嫌な声が突き刺さる。すっかり最初の控えめは姿を消してしまったらしい。この反応からどうやら今は思い出すことよりも行動をした方がいいと判断した蝙蝠は、短いながらも礼の言葉を口にする。
「腹が減っていたから、助かった。礼を言う」
「言われてから気が付くのもアレだけど……。まあ、いいわ。それより貴方、よくそんな様子で今まで無事だったわね。私と同じように人の下で暮らしているのかしら」
人というものがどのような生き物かはわからなかったが、不思議な木の実を使って蝙蝠達と暮らし、ほとんどこちらの言葉が通じないと言われ、あの生き物達がそうではないかという結論になった。
かつてはそうだったと言葉を返すと、声はどうしてその姿のままなのかと問う。理由を尋ねると、蝙蝠は人であれ何であれ「愛」を覚えると新たな姿になるかららしい。今は自由でもかつてそこで暮らしていたのなら、いくらでも機会はあったはずだと言われた。
声……名を母子守(ハハコモリ)という者もその分類であるからか、不思議なことに同じ条件の者だと何となくわかるらしい。それで気になったのと蝙蝠の様子が原因で、ついつい話しかけてしまったとか。
本当ならこうして話すつもりもなかったというから、蝙蝠は驚く他ない。断片的な言葉から推測するとどうやら己の色が原因で避けられているようだが、色のわからぬ蝙蝠にはいまいちピンとこない理由だった。
それはそうと、昔はどうだったかは別として、最近まで蝙蝠は独りと似た環境で生きてきた。よって、愛を覚える機会など訪れようがない。正直にそう答えると、母子守(ハハコモリ)は驚きを露わにする。
「確かに人の言葉はすぐにはわからないけれど、長い間一緒にいれば自然と理解できるようになってくるわ。あの人はいつも私にとびきりの笑顔と言葉を囁いて、私が好きなものだけを与えてくれた。これは愛情からなる行動よ。お陰でここまで来られたの。あの人はよく町の主に挑戦していて、今日も近くの町で主に挑戦したところなのよ」
「ほう。よくわからないが、凄いのだな。それで、今はなぜその者から離れているのだ? 愛されているのなら、共に行動していそうな気がするのだが」
先ほどから音波で探ってみても、母子守(ハハコモリ)以外にそれらしき姿を捉えることはできない。それを不思議に思い尋ねた蝙蝠の耳に、予想していたものより暗い声が入ってきた。
「そ、それは……。今日の挑戦が終わった後、突然私だけ外に出されたの。目の前で木の実を壊されて、笑顔で何か告げられたけど意味は理解できなかったわ。いや、理解できなかったのではなく、したくなかったの。だって、それなら私は。もう」
ぶつぶつと呟き続ける母子守(ハハコモリ)に、蝙蝠は彼女が愛だと考えていたものは紛い物だったのでは思い始める。そうでなければ、この反応にはならない。いくら蝙蝠が独りだったからといって、このくらいの想像ができないわけではない。
「私はただ、あの人の戦力としてしか考えられていなかった? いえ、違う。私はあの人に愛されていたの。だから、私は今まで頑張れたの。でも、そうならあの言葉の説明がつかない。あれを壊した意味に繋がらない。やっぱり、私はただの――」
途切れることのない声……否、もはや音と呼ぶべきものを聞きながら、蝙蝠はまた飛び立つことを考える。これ以上いても何も起こらないのなら、そうする他ないだろう。
誰かに外道と言われようと、蝙蝠はそもそもその人を知らぬ。その上、蝙蝠と母子守(ハハコモリ)が接した時間はあまりにも短い。彼女がこれからどうなろうと、蝙蝠には全く関係がないのだ。
ばさり、ばさり。
飛びながら、蝙蝠は考える。どうやら、蝙蝠はもう一つ先の姿になれるらしい。それができないのは、自身が愛を覚えていないからだ。愛というのも様々な形があるだろうが、母子守(ハハコモリ)の言葉を思うと蝙蝠はどれも持っていないに違いない。
ならば、この自由は愛を探すものにするべきではないのか。母子守(ハハコモリ)が覚えた愛は紛い物によって生まれたものだったが、探せば一つくらいは本物があるだろう。元々目的らしい目的も持たず彷徨っているのだから、ちょうどいい。
目的を定めると、蝙蝠は前へ前へと羽ばたきを進める。母子守(ハハコモリ)の音は既に聞こえなくなり、空間は形を大きく変えようとしていた。
*****
「少し、よろしいかしら」
羽ばたきを続けていると突然、耳に穏やかな声が届いた。否、少し前からその存在は確認していたが、何も告げようとしてこないので蝙蝠は気にするべきものではないと認識していたのだ。
驚きから少し姿勢を崩しそうになるが、何とか持ちこたえる。すると、声はくすくすと笑いながら謝罪を入れた。謝罪をされても先に笑われているので、蝙蝠には微かな苛立ちだけが残った。
「あら、気に障ってしまったのならごめんなさい。今のは何の悪意もありませんのよ。ただ、貴方の驚きようにこちらが驚いてしまっただけですの」
真実か否かわからない声を出した後、その主は自らを幸福鳥(トゲキッス)と名乗り蝙蝠に何をしているのか尋ねてくる。
「見てわからぬのか? 飛んでいるのだ」
「飛ぶにしても、貴方は見たことのない色をしていますし、何の目的もなく飛んでいるのではないのでしょう? わたくしはそれが知りたいのですの」
母子守(ハハコモリ)は色を理由に蝙蝠を嫌ったが、この幸福鳥(トゲキッス)は違うらしい。ただ、純粋な興味をぶつけてくる。この違いは何なのかと戸惑うも、母子守(ハハコモリ)と同じ対応をしてはならぬとすぐに答えた。
「愛とは何かを探すためだ」
「愛? わたくしが予想してしたものとは少し違う方向で飛んでいらっしゃるのね。それで、どうやって愛を探しているというの?」
「どうやら、おれは愛を覚えると新たな姿になるらしい。しかし、おれは愛が何かを知らない。だから、愛によって新たな姿になった者に話を聞くため、こうして進んでいるのだ」
蝙蝠の言葉に幸福鳥(トゲキッス)は嬉しそうな声を漏らす。
「あら! でしたらちょうどいいと思いますわ。だって、他ならぬわたくしが愛によって新たな姿になったのですもの」
「ほう。愛によって幸福鳥(トゲキッス)へと変化したのか」
考えをそのまま伝えると、彼女はくすくすと笑い蝙蝠の言葉を否定する。
「いいえ、この姿になったのは不思議な石のお陰ですの。それまでは幸福精霊(トゲチック)で、それが愛によって変わった姿。生まれた時は小さな幸福卵(トゲピー)でしたのよ?」
次々と名前を告げられても、それがどのような姿なのか知らないので名前からしか想像することができない。更にまたも笑われたことから、蝙蝠は幸福鳥(トゲキッス)のことはあまり好きになれないと感じ始めていた。
「ふふ、ごめんなさい? ご主人様はわたくしが笑うと素晴らしい笑顔を見せるので、つい笑うのが癖になってしまっていますの」
それならば仕方がないのかと蝙蝠は思ったが、微かな苛立ちは消えないままであった。蝙蝠は力強く羽ばたくと、何をされて愛を覚えたのかを尋ねる。
「そうですわね……。ご主人様は毎日わたくしを連れ歩き、綺麗な鈴を持たせてくれたり甘いお菓子を与えてくれたりしましたわ。笑顔で語りかけられるとこちらも嬉しくなって、言葉が通じないのに会話を続けることもありましたわね」
「ふむ。なら、今はどうしてご主人様の傍にいない? おれの近くで飛んでいる?」
何やら母子守(ハハコモリ)と似たような質問になっているなと思っていると、幸福鳥(トゲキッス)は戸惑いが含まれた声を放つ。
「それが……。不思議なことに、ご主人様はわたくしがこの姿になった後ひとしきりお友達に姿を見せたら、ほとんど構ってくれなくなってしまって。勝手に飛んでいったら、心配して探してくれるのではと思いまして、それで……」
段々と小さくなってくる声を聞きながら、蝙蝠はなるほどと思う。これは予想だが、幸福鳥(トゲキッス)も母子守(ハハコモリ)と似たような状況だったのだ。強いて違いを述べるのであれば、母子守(ハハコモリ)は戦力のため、幸福鳥(トゲキッス)は自慢のため。
どちらも、本当に彼女達を思っての行動ではない。あくまでも自身の目的を達成するために与えられた、偽りのものだ。母子守(ハハコモリ)は気付いていたようだが、声の調子を聞く限り幸福鳥(トゲキッス)は気付いているのかどうか。
教えてやるべきかどうか。一瞬蝙蝠は迷ったが、知り合ったばかりの者にはっきりと告げられても相手は受け入れられないだろう。恐らく理由と根拠を問われ、しっかりと答えても拒絶されるだけだ。
それに、ここまで来ても蝙蝠は幸福鳥(トゲキッス)に好感を持てなかった。好感の持てぬ相手に丁寧に教えるほど、蝙蝠は優しくない。すっかり黙り込んでしまった幸福鳥(トゲキッス)に適当な別れの言葉を投げると、戸惑いの声を無視して前へ前へと羽ばたいた。
まだまだ答えを見つけるほどの出会いは果たしていないが、もしかしたら人と自分達の間には偽りではない愛は存在しないのでは。そのような考えが芽生えていることに気付いたが、蝙蝠はそれを無視して羽を動かし続けた。
*****
あれからどのくらい飛んだだろうか。空腹は小腹がすく度に何とか食べられる木の実を見つけて繋いできたので心配はなかった。しかし、眠りにつこうとすると何故か毎度のように邪魔が入る。蝙蝠はまたも飛べなくなりそうだった。
もう、どこでも構わないから逆さになって眠ろうかと手近なところで羽ばたきを止めた時。突然不快な衝撃と痺れが身体中を駆け抜けた。思わず足の力が弱まり、情けなくも頭から落下してしまう。
下が比較的柔らかかったことに感謝していると、冷たく棘のある声が降り注いでくる。いつの間にか、蝙蝠の前には何者かが立っていた。否、蝙蝠が降る前からいたからこそ、ああして攻撃を加えることができたのであろう。
「あいつが心配した通り、戻ってきたんだ。やっぱりここが一番ということかな。ねえ、実際どうなの?」
どうしてやって来た、ならわからなくもないが、戻ってきたとはどういうことか。己の体勢と位置関係を踏まえてどうやって戻ろうかと思案する蝙蝠は、声が伝えたいものがわからない。音波で周囲を探ってみるも、蝙蝠の記憶にはかすりもしなかった。
いつまで経っても質問に答えない蝙蝠に痺れを切らしたのか、声は手荒な方法で蝙蝠の体勢を変える。蝙蝠はまるで、冷たく硬いものにぶつかったような感覚と痛みを覚えた。先ほどの衝撃、痺れといい声は蝙蝠に対して扱いが酷い。
体に少なくない痛みが残るが、結果的に体勢を戻せたのだから感謝くらいはするべきか。否、行動の理由が理由だけに、仮に感謝してもおかしな者と思われるのがオチだろう。
今の件には何も触れないでおくとして、蝙蝠は自分が思ったことをそのまま伝える。すると、返ってきたのはただの嗤い声であった。
「自分が今までいたところの近くもわからないなんて、その目は飾りか何かだったんだ。初めて知ったよ」
今の言葉はまさにその通りなので、反論する必要はない。強いて言えば見えなくても把握していたが、わざわざそこが住処だったところだと記憶しようとしなかったので反論のしようがない。
そう考えた蝙蝠が何も言わないでいると、軽く羽が痺れる。どうやら声は蝙蝠の反応が気に入らなかったらしい。最初の反応といい今の反応といい、声の性格は決していいものとは呼べないようだ。
声のお陰でいくらか吹っ飛んだものの、眠気は現在も変わらず襲い掛かってくる。状況が許すのであれば今すぐにでも眠りたいが、そうするや否や己の明日はすぐに消滅してもおかしくない。本能がそう告げているからだ。
つまらない口合戦をしても互いが疲れて眠気が増すだけではと思うも、明日を消されては堪らない。仕方なく口を動かすことにした。
「そもそも、お前は何者だ。おれはお前を知らない」
「ああ、そういえばそうだったね。僕はあんたを知っているから、ついあんたも僕を知っている前提で話してしまったよ。僕は雷電(らいでん)。ちなみにこれは愛称で、種族じゃないから。勘違いしないでおいて」
言われる傍から勘違いしそうになった蝙蝠は、相手が先に言ってくれて助かったと密かに羽を震わせた。もし勘違いが口を突いて出ようものなら、痺れる以上の衝撃が襲ってきたことは想像に難くない。
「雷電か。それで、雷電。どうしてお前はおれを知っている?」
「理由は簡単。僕はあんたの主人だったやつの弟と暮らしていて、そいつから情報を得ていたからだよ。直接見たのは初めてだけど、見た目の情報なら厭きるほど知っていたから間違いようがなかったね」
むやみに同族が攻撃される心配はないと知ってほっとするべきなのか、それが原因で狙い撃ちされたのかと怒るべきなのか。どちらを選ぼうか悩んでいると、ふと第三の選択肢が舞い降りてきた。
「待て。他のやつからも聞いた覚えがあるが、おれはそれほどまでに特徴のある見た目をしているのか」
「そうだよ。体の色はもちろんだけど、白目もその色に染まっている。体の色は元からだろうけど、白目に関しては薬の副作用というやつだね。怪しい薬を使うからこうなったんだろうけど、なかなか怖い見た目をしているよ」
だとすると、怖い見た目にも関わらず話しかけてきた母子守(ハハコモリ)と幸福鳥(トゲキッス)、そして雷電はかなりの度胸の持ち主ということになりそうだ。もしかすると、眠りを邪魔されたのは白くない白目にも原因があるのかもしれない。
「そうか。知らなかった。それで、なぜお前はここにいる」
この手の質問は三度目だが、雷電は相手のことをあまり好いていないような話し方をしていた。恐らく、前のような状況にはならないだろう。
「簡単な見回りをするためだね。特に今は元の家を恋しがって誰かが戻ってくると、あいつがうるさいから。どうやらやって正解だったようだけど、来たのは偶然みたいだから素直に喜べないのがアレかな」
まさか、蝙蝠が来ているかどうか調べるために動いていたとは。この近くにいた限り、どう頑張っても雷電には見つかる運命だったのだと思い知る。もう少し高いところで寝ようとするべきだったか。否、恐らくそうしても、遅かれ早かれ見つかっていたのだろう。
「なら、おれはすぐにでもここから去ろう。今は眠くて堪らないから、去るのはしばらく寝てからになってしまうが」
言い終わるや否や恰好など気にせず寝てしまおうとした蝙蝠に、容赦のない痺れと痛みが襲い掛かる。強制的に目を覚まさせられた蝙蝠は苛立ちが積もるのを感じながら、雷電の言葉を待った。
「いなくなるのならいくらでも寝て貰って構わないけど、一つだけ質問してもいいかな」
「短めに済ませるのなら歓迎しよう」
「どうしてあの人間に懐かなかったの? あいつから話を聞いた限り、やり方はともかくあれだけ世話をして貰っていたのなら、とっくの昔に懐いていてもおかしくないと思うんだけど」
何の偶然か、されたのは母子守(ハハコモリ)と同じような質問だった。あの時と変わらない答えに加え、今まで聞いてきた情報を基にした考えを返す。雷電は自分達のためだけに生み出された偽りの愛ね、と興味なさそうに呟く。
「恐らく、聞いた相手が悪かったんだろうね。僕はタマゴから孵った頃からあいつといたけど、そういうことは特にされなかった。ただ、普通に過ごしていただけでも僕は彼を信頼し、絆を感じている。だからこそ、こうして今の姿になったんだと思っているよ」
話し方からはあまりそうとは思えないが、雷電自身がそう言うのであれば絆を感じているのだろう。先ほどの蝙蝠の言葉からこれ以上引き延ばしても意味はないと考えたのか、雷電は寝たら必ずここから去るようにと伝えて遠ざかっていく。
いよいよ限界だった己の意識は考える間もなく眠りへと堕ちていく。今度こそ誰の邪魔も入らなかったことから、あっという間に蝙蝠は夢の世界へと旅立っていった。
*****
ばさり、ばさり。
気が付くと、蝙蝠は暗闇の中を飛んでいた。否、蝙蝠は目が見えぬから元より眼前に広がるのは暗闇だけだ。どれだけ周囲を探っても何も存在しない。蝙蝠はどこまで広がるかもわからぬ虚空を彷徨っていた。
一体どうしてこうしているのかと頭を捻るも、浮かび上がるのは疑問ばかり。やがて辿り着いたのは、これは夢だというものだった。普段、蝙蝠は夢を見ない。否、見てはいるのだろうが、こうして夢と認識することはなかった。
なぜこのような夢を見ているのかと理由を探るも、答えは見つからない。いるかどうかもわからない相手に問いかけるも、返ってくるのは沈黙ばかり。蝙蝠は休むこともできず、ただ羽ばたき続けていた。
夢の中だからか、いくら羽ばたいても疲れを感じない。前へ前へと進み続ける中、ふとこれまで起こったことを振り返りたくなった。勢いよく流れる記憶の中で唯一引っかかったのは、己が飛ぶ目的として定めた愛についてだった。
母子守(ハハコモリ)はとびきりの笑顔と言葉を囁いて、好きなものだけを与えてくれるのが愛の証だと信じた。現に彼女はそれを受けて自らも愛を感じ新たな姿となったが、それは相手が戦力を欲しいと思うがために用意された、偽りのものだった。
幸福鳥(トゲキッス)は毎日連れ歩かれ、綺麗な鈴を持たせることや甘いお菓子を与えること、笑顔で語りかけられることが愛だと信じていた。彼女もそれで新たな姿となったが、結局は自慢のための手段としてしか見られていなかった。
だが、雷電はどうだ。彼は彼女達のようなことはされていなかったが、新たな姿になったと言っていた。何かをすることが愛なのか。逆に何もしないことが愛なのか。蝙蝠にはわからない。
あのような生活でも、考えてみれば相手に親しみを持つ場面はあったのか。振り返るも残るのは無意識に求めた安寧と窮屈さだけだった。窮屈ではなかったのは寝床にいた時くらいしか記憶がない。
よく考えてみれば安寧の理由から親しみを覚えても不思議ではないが、蝙蝠はそれを相手と結びつけようとしなかった。昔のことが思い出せぬほどあの者と過ごしてきたというのに、結局相手の言葉を理解できないままだった。それが何よりの証拠だ。
だから蝙蝠は新たな姿へなれなかったのか。否、己は新たな姿になりたかったわけではない。愛を覚えたかったのか。違う。そのような考えは、そもそも話を聞くまで思いつきもしなかった。
愛とは一体何なのか。己は一体何を求めているのか。
終わりのない問いを続ける蝙蝠の耳に返ってくるのは、己が羽ばたく音ばかりであった。
「無愛想で、愛のない蝙蝠は虚空を彷徨う」 終わり