凍れる少女と贈り物
※残酷な表現はないものの、色々と暗いシーンがあります。苦手な方はご注意を。
私のお隣さんは、少し……いや、本当のことを言うとかなり変わっている。黒髪なのは元々だけど、毎日左右で違う色のカラコンを入れていたり何度か頭の中で繰り返さないと理解できない単語を連発したりとか。
少し前まではそれが何なのか知らなかったけど、この間ネットや友達からの話でようやくわかった。いわゆる、左腕がうずく年頃……ということなんだろう。……気が付いた時にはもうああいう感じだったから、年は関係ないのかもしれないけど。
聞きなれている私や周辺の人間からすると、彼……純夜の言動は特に気にならないものになっていた。でも、他はそうでもなかった。あの時純夜に起きたことを思い出し、何もできなかった、いや、自分を貫けなかった私についても一緒に思い出す。
自分の部屋が一瞬当時の教室に見えて、思わずお気に入りのエネコクッションをぎゅっと抱きしめた。腕の中でエネコの顔が歪む。それがあの時の純夜の顔に見え、心の奥にこびりついた声が私を責め立てる。
「――いつから、なんだろうね」
ポツリと言葉を落とすと、近くのクッションの上で丸くなっているエネコロロの頭をそっと撫でる。エネコロロは気持ちよさそうに目を細めると、そのまま控えめな大きさでゴロゴロと言い出した。
エネコロロの様子を見て穏やかな空気が流れるも、彼女を逃げの道具にしてはいけないと耳元で囁かれた気がして現実に戻される。……本当、いつから何だろう。彼が、純夜が私の名前を呼んでくれなくなったのは。学校に行くことを拒絶し、家に引きこもってしまったのは。
私はあの時、先生やクラスメイトの味方をするつもりはなかった。いや、彼らの言うことも最もと言えば最もだったのだけれど、他にもっと違う言い方があったはず。あれでは個性を完全に否定していると言っても過言じゃなかった。
本当は、純夜をかばって大声で反論したかった。彼の味方で、理解者でありたかった。否定する気なんて、全くなかった。
それなのに、私は周りの目を気にして。周りに合わせようとしてしまって。結果として純夜を一番傷つけることになってしまった。思えばいつもそうだ。私は純夜に対して素直になれなかった。
野生のポケモンが怖くて草むらに入れなかった私の代わりに、草むらに入ってポケモンを捕まえて貰った時も。エネコを進化させたいと言った数日後、月の石を渡された時も。エネコロロが好きなカゴの実を贈って貰った時も。
私は素直に感謝の言葉を伝えることができず、どこかツンツンとした冷たい態度を取ってしまっていた。これだから「凍れる少女(フリーズ・ガール)」と呼ばれるようになってしまったのだろう。
ずっとこの調子では、彼との関係は平行線のままだ。何かをきっかけに、変えないといけない。そうじゃないと、あの時から私の心に居座り続けるモヤモヤ達は永遠に居座ってしまうだろう。
何かきっかけになりえる物は、と部屋の端から端へと視線を彷徨わせる。ふと、勉強机に置きっぱなしだったプリントが目に入った。お隣だからと純夜に渡すように言われていたプリント。帰りに行っても会えないから、いつも朝に渡しに行くのが恒例となっている。
わざわざ本人じゃなくても家族に渡せばそれで済むとは思うけど、それだと純夜の顔を見ることができなくなってしまう。彼の顔が見られないのは、何だか嫌だった。
何となく今日渡されたプリントを見続けていると、ふと私からすれば素晴らしいアイデアが頭をよぎる。
「……そうだ!」
プリントを渡すついでにあの時に思っていた本当のことを言って、仲直り(喧嘩はしていないけれど、この際どっちでもいい)の印として何か贈り物をしよう。そうと決まれば、と勢いよく立ち上がるといい物はないかと部屋中を探し回る。
先ほどの大声と行動に驚いたのか、エネコロロがクッションの上から壁際に置いてある自分のベッドに避難している。驚かせてごめん、と心の中で謝りつつ視線を彷徨わせると、ベランダに置いてあるカゴの木で視線が止まった。
貰ったはいいものの、何だかもったいなくてエネコロロにも食べさせないまま適当な鉢に植えていたら育ってしまったものだ。結果としてきちんとお世話をしていれば実を食べられるので、エネコロロには好評となっている。
あの頃を思い出させる物だし、木の実なら色々な活用法があるから貰って困るものではないはず。贈り物はこれにしよう! 心の中の意見が一致するとほぼ同時に、収穫するのにちょうどいい木の実を取って飾りつけをする。使うのは引き出しの中にあった淡い水色のリボン。
箱に入れた方がそれらしい気もするけど、あまり大げさにしても中身とのギャップに残念がられてしまうかもしれない。だったら木の実そのものに飾りをつけてプレゼントした方が何倍もマシだ。……その方が、すぐにあの頃を思い出してくれるかもしれないし。
大きさと形状の問題なのか、私の腕の問題なのか。飾りつけは思った以上に難航した。具体的には結べたと思ってもすぐにほどけてしまったり、結んでいる最中でリボンの位置がずれてしまったり。
何回も自分の腕の悪さにキレて、既に形作ったものを接着剤でくっつけてしまおうか。他の物を贈り物として選びなおそうかと思った。その度にギリギリのところで留まった私を私は褒めてあげたい。
……とはいえ、最終的にはリボンでぐるぐる巻きにする形で落ち着いてしまったんだけど。これはリボンで飾りつけるのには向かない形状をしていたカゴの実が悪い……なんてのは、ただの言い訳かな。
リボン以外でも木の実の飾りつけができるものなんてたくさんあるのだから、それを使えばよかったんだ。……問題は、リボン以外で飾れそうな物がこの部屋にほとんどなかったのと、あったとしても似たような結果になっていた、ということくらいで。
こういう時、授業でパートナーを粘土で作って下さい、と言われて作ったエネコを謎の生物と言われた私の腕が恨めしくなる。当のエネコもアレを見て「これ、何?」と言いたげな視線を向けていたし……。
「いや、今はそんなことを考える時じゃないか」
贈り物は見た目よりも中身。詰まっている心が大切……だと思いたい。見た目は良し悪しはともかく、これで純夜がまた私の名前を呼んでくれるようになってくれたらいいな。明るい未来を想像し、小さな笑みを零す。
勝負は明日の朝。どうしてかとは言わないけど、この日を逃すとずっと渡せない。そんな気がしていた。
*****
時が経つのは本当にあっという間なもので、もうその朝がやってきた。いつもより少し早い時間に起きて準備をし、彼の家の前に立つ。いつもと違う様子の私を心配したのか、普段はボールにいるエネコロロも出てきていた。
チャイムを鳴らせばすぐだというのに、今日に限ってなかなかその行動に移せない。時間はあれよあれよと過ぎていって、気が付くといつもプリントを渡すのと変わらない時間になってしまった。
このままだと、贈り物どころかプリントすら渡せない状態で学校に行くことになってしまう。それは何としてでも阻止したい、と思い切ってチャイムを鳴らす。すぐに扉が開いて彼が、純夜が顔を出してくれた。
今日も昨日と同じ目の色。少し前までは何パターンかあったはずだけど、何かあったのだろうか。
「……一体何の用だ、凍れる少女(フリーズ・ガール)よ」
純夜は私の顔を見るなり、どこか鬱陶しそうな声と表情でそう言う。いつも同じことをしているのに、よく「一体何の用だ」なんて言えるものだ。思わず呆れてしまったけど、顔には出ていないはずだから大丈夫。
小さく深呼吸をしてから、何でもないようにと昨日のプリントを押し付ける。いきなり本題には入らず、ここはあくまでも「いつも」を装おう。
「純夜、昨日も学校に来ていなかったでしょ? だから昨日のプリント持ってきたのよ。朝から来るのは毎回アレだと思うけど、学校が終わってから来てもいないし……」
純夜は私が押し付けたプリントを持ったまま、何か言いたげな表情をこちらに向けてくる。何となくそれが「あのこと」について言っている気がして、気が付くと私の口は当初の予定とは違う言葉を紡いでいた。
「……いつまであのことを気にしているの? もう先生もクラスメイトも純夜の趣味には慣れたから何も言ってこないよ?」
私が趣味、という単語を出した瞬間、純夜の表情が明らかに変化する。それは、信じてきたものを否定されたような、信じたくないものを信じろと言われているような、そんな表情だった。
あ、と思った時にはもう遅い。私がいくら戻ってと願っても、時間は容赦なく歩みを進めていく。
「いや、あそこは光の牢獄(シャイン・プリズン)。闇の化身である俺が行くととんでもないことになるのは、あの時の光の使い手達の言葉で経験済みだ。……呪いの力があるとはいえ、これ以上聖なる光(セイント・シャイン)を浴びるわけにはいかない。じゃあな」
待って、と言うよりも前に純夜は扉を閉めてしまう。いつもはそれほど気にならないバタンという音が、今日に限ってはやけに大きく聞こえた。また、自分の気持ちを素直に告げられなかった。
本来ならこの後学校に行かなければいけないのだけれど、何だか行く気分じゃなかったのでサボることにした。親に何かあったのかと聞かれたけど、答える気すら起きなくてそのまま通り過ぎる。
どこか重い足取りで部屋に戻ると、エネコクッションを膝に乗せてただぼうっと天井を見る。普段とは違いが連続している私の行動を見て、エネコロロが心配そうな目を向けるのがわかった。
大丈夫だよ、と紫の毛並みに手を伸ばしかけて、ふと渡せなかった贈り物の存在を思い出す。ポケットを探ると、今朝見たのと同じようにリボンでぐるぐる巻きになったカゴの実が姿を現した。
明日に渡す、という手段もあるにはある。でも、あの時の純夜の態度は私の顔はもう見たくない、という感じだった。本当にそうだとしたら、明日行っても顔すら見せてくれない可能性が高いだろう。昨日の予感めいたものは、憎らしいほどに当たってしまっていた。
直接渡すのがダメなら、ポストに突っ込む? プリントならそれでもいけそうだけど、起きたらポストにリボンでぐるぐる巻きのカゴの実が入っていました、なんてのは恐怖にしかならない気がする。私だったら気味悪がって捨てているかもしれない。
長い間あれこれ考え続けた挙句、全くいいアイデアが思いつかない自分の思考にもうどうにでもなれ、という気持ちになる。こんなものがあるから悩むんだ。だったら、どこかへやってしまえばいい。
そう思うや否や、私は巻いていたリボンを取って窓からカゴの実を投げ捨てていた。小さくなる木の実を眺めてハッと正気に戻ったものの、もう遅い。カゴの実は草木の向こうに紛れてどこへ行ったのかわからなくなってしまっていた。
「……本当、何をしているんだろう」
贈り物をしようとして、頑張ったものの見た目は最悪で。思ったこととは別のことを口にして相手との関係を悪化させて。挙句の果てに贈り物を投げ捨ててしまった。木の実だから自然に帰ることが唯一の救い、なんて言えるほど今の私に余裕はない。
これ以上何かをすると余計に悪化する気がして、もう寝てしまおうとエネコクッション片手にベッドへとダイブした。全く眠気はないものの、こうして目の前が暗いだけで何だか眠れそうな気がしてくる。
ふと体にぬくもりを感じ、顔を上げてみるとエネコロロが傍で丸くなっているのが見えた。彼女なりの慰め……と思っていいだろう。余計な心配をさせることになってしまった家族やエネコロロ、そして罪のないカゴの実や純夜のことを思うと、もう申し訳なさすぎて泣きそうになってくる。
今日は、ちょっと色々と悪かったんだ。次の日……はダメだとしてもいつかリベンジをしよう。そう決めると、まだまだ日が高い時間の中眠ることにした。
それから、私はすぐにこの日のことを後悔するようになる。原因は、純夜が不慮の出来事でいなくなってしまったからだ。
ある日目覚めると、純夜の家で突然巨大なクロバットが出たと大騒ぎになっていた。皆の力を合わせて町から追い出したものの、純夜はどこにもいない。部屋にあるのは彼の痕跡ばかりだった。パートナーを出す暇もなく、巨大なクロバットによって……。そう考えるのが妥当だった。
今思えば、あと時純夜に何を言われようと、例え無視をされようと無理やり引き留めて自分の素直な気持ちを言っていればよかったんだ。そうすれば、心のモヤモヤすらも塗り替えてしまうような厄介な贈り物を受け取ることなんてなかったのに。
私は今日も、溜め息と共にエネコロロと彼のパートナーだったドンカラスのお世話をする。あれからすぐ後、彼の家族に貰って欲しいと言われて断れずに引き受けた。ついでにとクラボの木も貰っていて、今はカゴの木の隣に置いてある。あの人達は私以上に辛い思いを抱えている。きっと、今は思い出したくないのだろう。
そんな私も色々なショックが大きすぎて、学校にはしばらく行けそうになかった。私の気持ちを察してか、家族もそのことには何も言ってこない。
ドンカラスはクラボの実が好きなようで、今日もチマチマと食べている。隣ではエネコロロがカゴの実を食べていた。平和な光景に、上手くやっていれば純夜と一緒にこれを見られたのかな、なんて考えがよぎってまた悲しみが襲ってくる。
「…………っ」
視線を下に向けて両手で顔を隠すと、私は言葉になっていない悲しみを漏らす。私はもちろん、傍にいたエネコロロ達にも止めることができないその音は、部屋の中にずっと響き続けていた。
「不器用少女と贈り物」 終わり