トロイメライは終わらない
町の向こうから昇る日が眠る町に朝の訪れを告げる。カーテンの隙間から差し込む光にまぶたをこするのは、栗色の長い髪を腰まで伸ばし青の瞳を持った少女だ。少女は先ほどまで自分が突っ伏していた机から離れると、ソファの上で寝ていた少年に声をかける。
「ネイト、朝よ。もしかしたらまた依頼があるかもしれないからさっさと起きなさい」
少女にネイトと呼ばれた少年はぼさぼさの髪を揺らすと、まだ寝ていたいという風に首を緩く横に振る。ネイトの反応に少女は溜め息を吐くと、まだ閉じてあったカーテンを一気にバッと開いた。
太陽の光は自然の目覚まし時計……と誰かが言っていたように、日の光を浴びると自然と目が覚めていく。強制的に光を浴びせられたネイトも例外ではなく、顔を覆う前にまぶた越しに飛び込んできた光によって覚醒を余儀なくされた。
「……ローザ、毎度のことながらもう少し朝は優しく起こして欲しい」
ネイトの言葉に、少女――ローザは肩をすくめる。最初の時のように物理で解決していないことを考えると、ローザはとても優しく起こしている。これ以上優しく起こせと言われたら一体どう起こせばいいというのやら。
……ネイトが自然に目覚めるまで放っておいて欲しい、という意味かもしれないが、ローザはその可能性を無視して次はどのように起こすかを考え始めた。物理的手段も目覚ましも光もダメなら、夢喰いを覚えているポケモンを連れてくる以外方法はないだろう。
組織のポケモンは夢喰いを覚えているものもいるが、個人的な理由で貸して貰えるとは思えない。こうなったら自分が捕まえてくるしかないか――。モンスターボールの在庫をローザが思い出していると、机とソファの端に追いやられていた端末が光の点滅と共に鳴り出す。
意識を覚醒させても眠そうな顔をして欠伸をしていたネイトも、これには目を見開いて端末を取る。通話状態になった端末から聞こえてきたのは、終わらない眠りに囚われた者の救助を依頼する声だった。
*****
数年前、この町を始めとする様々な場所が悪夢に包まれた。原因は今でも不明で、ダークライの力が暴走したという説やどこかの研究所の実験が失敗したという説、世界征服を企む組織によるものだという説まで出た。
しかし、答えの出ることのない問題に対して議論していても悪夢はなくならない。原因がわからなければ対処の仕方もわからず、残った人々はいつ自分が目覚めなくなるかと怯えながら過ごしていた。
そんな人々の前に現れたのが、ローザやネイトが所属する組織「トロイメライ」。トロイメライのリーダーはかつてある組織のトップでもあった男で、研究により悪夢を払う方法が判明したという。
最初は誰もが半信半疑だったが、実際に払えばわかると最初に悪夢に包まれた住民の眠りを覚ましてみせた。それからトロイメライの噂は起きている人間達の間に瞬く間に広がり、今では彼らは「夢の遣い」と言われ希望の象徴として扱われていた。
ローザとネイトはすぐに準備を済ませると、組織がある建物へと駆けていく。いつもの部屋に足を踏み入れると、ローザ達のリーダーと依頼人、そして特殊なベッドに寝かせられた少年の姿が見える。
少年は時折激しく顔を歪ませ、救いを求めるように手を虚空へと彷徨わせる。彼が悪夢に包まれているのは一目瞭然だった。
「リーダー、おはようございます。この人が今回の救助対象ですか?」
ローザの言葉にリーダーは眼鏡をくいと上げると、細められた金の瞳を二人へ向ける。
「おはようございます。早速ですみませんがローザさん、ネイトさん。この人に巣食う悪夢を払って下さい。こちらの調査によると、今回の敵は大型と小型の複数がいるようです。あなた方なら心配はいらないと思いますが、一応注意して下さい」
「どんな敵が来ようとも今回も問題なく払ってくるので、ご心配なく」
「俺とローザなら大丈夫なので、今回もリーダー達は安心して待っていて下さい!」
自信に満ちた表情で答える二人にリーダーは大きく頷くと、近くにあった機械を操作する。二人が取り出した端末を機械にかざすと、彼らの姿は光に包まれて消えた。救助対象の夢の中へ、原因をなくしに行ったのだ。
噂では聞いていたとはいえ、実物を目撃して依頼人は驚きを隠せなかった。科学とポケモンの力を使って人間が直接夢に入るというのは本当だったのか――。依頼人は組織のすごさを実感するとともに、これが悪事に使われていたらと想像してぶるりと体を震わせた。
その頃、ローザ達は白黒の花畑が咲き乱れる場所に立っていた。彼女達の目の前に立つのは巨大なムウマージの姿をした影と、ジュペッタの姿をした影。彼らが救助対象を悪夢に閉じ込めている原因だ。
基本的に悪夢の原因は、救助対象が苦手としている存在の姿をしていることが多い。少年はムウマージやジュペッタ――もしくはゴーストタイプそのものが苦手なのだろう。幸いにも敵は二体だけ。先にジュペッタを倒してからムウマージに向かえばいい。
二人は互いに視線を交わして頷くと、端末を操作して半透明のモンスターボールを出現させた。モンスターボールの中に入っているのはゾロアークとキリキザン。ローザはゾロアークを、ネイトはキリキザンの入ったボールを空中へと放り投げる。
『ネイト、行けそう? 私は問題ないけど』
『ポケモンの姿でやることなんて何度もあるから、もちろん問題ないよ』
眩い光と共に現れたのはそれぞれのボールに入っていたポケモン達。だが彼らを指揮するトレーナーの姿はない。そのトレーナー自身がポケモンになったのだから、いなくて当然といえば当然だった。
トロイメライのリーダーが言った、悪夢を払う方法。それは直接夢の中に入った人間達が悪夢と同じ状態で倒す、というものだった。つまり悪夢が人間なら人間のまま、ポケモンならポケモンになって悪夢と対峙する。
ポケモンが相手ならポケモンも夢の中に入れば早いのでは。そういう声も出たが、疑問を持つのは悪夢に遭遇していない者ばかりだった。彼らは知らないのだ。ポケモンは直接夢には入れないことを。
トロイメライの力を持ってしても、ポケモンが直接夢の中に入れるようにすることはできなかった。原因は色々と考えられるが、ポケモンそのものが入ると力が強すぎて夢そのものが崩壊するからでは、という考えが一番有力だ。
しかし、人間をそのままポケモンに変えるのは例え夢の世界であったとしてもいささか問題がありすぎる。その問題を解決したのは、かつて世間から注目を集めていたある研究だった。リーダーはそれを応用し、ポケモンが夢の中で人間に力を貸せるようにした。
今回のパターンなら、機械を使ってゾロアークとキリキザンの姿をローザ達にリンクさせることで力を貸すということだ。姿はポケモンでも意識はローザ達のものだし、力を貸しているポケモン達に悪影響は全くと言っていいほどない。目的を達成するのにこれほど理想的なシステムはないだろう。
ローザはぐっと両足に力を込めるとジュペッタへと躍りかかる。ジュペッタはエネルギーの弾丸をローザに向かって放つ。ローザがそれを鋭利な爪で真っ二つに切り裂くと、彼女の後ろでそれが爆発した。爆風により、白黒の花びらが宙に散っていく。
技でのけるのは難しいと判断したらしいジュペッタはぴょんぴょんと飛ぶと、すっとムウマージの影へと入っていく。融合したようにも見えるが、これはムウマージを盾にしているだけなのでムウマージを倒せば巻き添えを食らってジュペッタも消滅する。
倒す手間が一気に省けたな。そう呟くと、ネイトもローザに加勢するように地を蹴って刃を振り上げる。ムウマージは二人の接近に気付き空へ逃げようとするが、その弾みで振り落とされたらたまらないジュペッタが大きさの差からは考えられないほどの力でムウマージをその場に留まらせる。
苛立ちを覚えたムウマージが先にジュペッタを倒そうかと考え始めた時には、もう遅い。ローザの爪が、ネイトの刃が目前にまで迫っていた。技で迎え撃とうとエネルギーをため始めるも、彼女達はエネルギーすら切り裂いてきた。
二つの刃が、ムウマージを捕らえる。
『――――』
刹那眩い光と共に黒い衝撃が花畑を駆け巡り、空へと吸い込まれていく。光と衝撃が消え去った花畑は、白黒ではなく様々の色を宿していた。色とりどりの花びらが風に舞うのを眺めながら、人間の姿へ戻ったローザとネイトは小さく微笑んだ。
*****
今日、また一人トロイメライによって悪夢から目覚めることができた。しかし彼らの日々に安息はない。悪夢が発生する原因はわかっていないままだし、一人救ってもまた一人が悪夢に包まれてしまう。
トロイメライは今や人々にとって希望の象徴だ。そんな彼らが誰かを見捨てたら、最初の頃の不安が戻ってきてしまう。メンバー達は誰もそのようなことを望んではいない。彼らは全員、笑顔と平和を夢見て組織に入ったのだから。
悪夢の発生原因が判明するまで、彼らトロイメライは夢の中を駆けていく。悪夢から人々を、ポケモン達を救うために。
「トロイメライは終わらない」