ひゅるひゅるがらんど
真夜中の森、野良のポケモンは一様に息を潜め、鳴き声一つあげやしない。辺り一面に蔓延る名前の知らない草木だけ、生暖かい風に揺られて不気味な音を鳴らす。道無き道を彷徨う中、特徴のない風景は方向感覚を狂わせて、高低差のある地形は足取りを重くし、木々の隙間に広がる底無しの暗闇は得体の知れない恐怖を煽る。新緑が生い茂る大自然の真っ只中にいるにもかかわらず、そこは息の詰まるような閉塞感に支配されていた。
濃赤の体色に包まれ、尻尾に己の命と等しい価値を宿した炎を灯すトカゲのようなポケモン・リザードと共に、ポケモントレーナーの少年は森の中を息を切らしながら必死に駆け抜ける。
彼等は暗闇の向こう側から、吹き抜ける風と共にやってくる化け物から逃げていた。
少年の脳裏には奇妙な音楽が溢れ出し、ショート寸前の思考回路が一瞬だけ甦る。それはホウエン地方の一部地域で言い伝えられる童歌だ。
ひゅるひゅるがらんど
ひゅるるるるん
風と一緒に飛んでくる
黒い一反、一つ目お化け
腕はないけどお手々あるよ
ひゅるひゅるがらんど
ひゅるるるるん
風が吹く日はご用心
夜遊びする子は気をつけて
あっという間に消えちゃった
ひゅるひゅるがらんど
ひゅるるるるん
風と一緒にいなくなる
出会ったあの子とみんな一緒
さよならばいばい、がらんどう
ふざけた名前にヘンテコな歌詞、町の路地裏で、胡座をかきながら酒を呷る酔っぱらいの浮浪者が、呂律が回らない口振りで適当に歌っていると思っていた戯言が、今現実となり少年たちに襲いかかろうとする。
後方で何かがはためく音が聞こえてくる。少年たちは決して振り向かない。朧気な赤い光を放つ球体が、暗闇の中で宙に浮きながら迫り来る。遠目からみると分かりづらいが、近くで見れば一目瞭然、白目を真っ赤に血走らせた赤い瞳の目玉が一つ。少年たちをじっと見据えながら執拗に追跡しており、顔がなくとも邪な表情をみせてくる。
必死の思いで逃走するが、少年の体力も限界を迎え、悪路に足をとられるように転倒する……ハズだったが、少年は地面に倒れ伏す事なく、夜空に揺らめきながら浮上する。
爪のない灰色の手が少年の首根っこをガッツリと捕まえている。その手は手首から先が存在せず、充血した単眼と同様に未知の原理で宙に浮かんでいた。
リザードは少年の危機を察知して振り替えるが、その一瞬の内に、喉元をもう一つの手に掴み取られ、少年と同様に夜空に浮上する。
喉元を強く締め付けられて呼吸ができない。リザードは必死に暴れて抵抗し、謎の手に鋭い爪を突き立てようとするが、爪は手をすり抜けてリザードの喉元に突き刺さった。しかし、喉元を着かんで離さなかった手の拘束からもすり抜ける事ができた。
リザードは空から落っこちるが、軽やかに受け身をとり地面に着地すると、少年の安否を確認するように空を仰ぎ、戦慄する。
手に捕まり空を浮かぶ少年は、黒くて細長い布切れのような物に瞬く間に包み込まれ、人の原型とは程遠い球状の形に収束されると、布切れは一瞬で解けて再び夜空をはためく。少年の姿はもうどこにもない。
咽頭から流れ出ていた鮮血が焼け焦げる。リザードは辺り一面無差別に火焔放射を解き放ち、傍観することしかできない草木に、八つ当たりでもするかのように憤怒の業火を撒き散らし、慟哭をあげた。
化け物は躊躇する事なく、その魔の手を忍び寄らせるが、リザードは気配を察知して切り裂く。しかし、手を引き裂く事は叶わず、虚空を薙ぎ払うのみ。まるで手応えがない。ならばと火焔放射を放つが、それすら効果がないように見える。どんなに抵抗をしても次第に追い詰められ、化け物の両手がリザードの喉元を捉えると、強引に締め上げる。
リザードは再び爪を突き立て、化け物の攻撃をすり抜ける特性を逆手にとり、再び脱出を試みようとするが、ふと真っ赤に充血した眼球と視線が合ってしまう。
すると何かに吸い込まれるかのような、形容しがたい陶酔感に全身が支配されて身動き一つできなくなる。催眠状態に陥ったリザードは脳裏に奇妙な歌を過らせながら、どこからともなく飛んできた黒い布切れに包み込まれる。
ものの数秒もかからずリザードは形を失い、布切れは球状に収束するが、今度はすぐ解けるような事はなく、布切れの中で何かが形作られるかのように膨らむと、宙に漂っていた眼球と両手が集合する。
顕現したのはなんの変哲もない「手招きポケモン」と呼ばれるサマヨールだった。
サマヨールは正体を現すなり地面に膝をつけ、苦しむような素振りを見せる。すると体を形作る布切れが緩まり、あっという間に解けてしまう。眼球と両手は再び離れ離れに宙を漂い、細長い一反の布切れは新たな獲物を求めて夜空に舞い上がる。
少年とリザードの命の灯火だけでは、まだまだ足りない。決して満たされない。伽藍堂に本物の灯火が灯るまで、サマヨールのなり損ないは凶行を繰り返す。