第1章
喧嘩と迷いと覚悟と
サーナイトが来てからどれぐらい経っただろうか。いよいよ気温は40度に達し、これまでに感じたことの無いような熱気が体を包む。ソラはかなりの寒がりなのだが、今日ばかりは汗が吹き出していた。

「ところでさあ...何でお前ここに来たんだ?」

ソラはやる気の無さそうな手つきで、コップに注いだソーダを飲みながら聞いた。本当ならこんな日にサーナイトなんて招き入れたくなかったが、どうしても、と言われてしまったので、仕方なく入れることにしていた。

「1つ話があったのよ...」

サーナイトは全く暑がりもせず、静かな口調で答えた。

「急に真面目トーンになったな......ああ、それと
何でゴウカザルには話さないんだよ?」

いつもなら隣にいるゴウカザルは今はいない。さっき、サーナイトに頼まれてソラが追い出していたのだ。

「あの子、難しい話は苦手よね?」
「そうだけど...なんで分かった?」
「...勘よ......」
「すげーな......」

サーナイトの的確な指摘と、適当な理由のギャップにソラは気の抜けたような声を上げる。毎度の事ながら、サーナイトの勘というか、直感には驚かされる。多分これもエスパータイプの特徴なのかもしれない。

「ところで貴方、フレア団って知ってるかしら?」
「フレア団?......聞いたことはあるかもしれないな。」

フレア団か...確かテレビで最近話題になっていた気がする。あまり良い賑わし方はしてなかったけど。

「......貴方に分かりやすいように言うと、ギンガ団に近いかしら?」
「ギンガ団......」

それまで平静を保っていたソラの表情に、一瞬曇りが写った。

ギンガ団。久しく耳にしていなくて安心していたはずが、まさか親友のサーナイトに古傷を抉られようと思っても見なかった。
表情の曇りが、どんどん広がって、自然と俯いていく。

「......?どうしたの?」

ソラの表情の変化を見逃さなかったサーナイトは、すかさず声をかけて、その顔を覗きこんだ。
「いや、何でもない......」

目線を下げたまま、これだけ喉から絞り出した。頭の中を昔の記憶が巡るたび、少しずつ、少しずつだが呼吸が乱れて、冷や汗が頬を伝う。顔を覆っていた曇りが、どんどん心を蝕んでいく。
「そう......」

サーナイトはさっきとはうって変わって興味無さそうに短く返事をした。もしかしたら、自分は踏み込んではいけない領域に入っていってしまったことを悟ったのかもしれない。とりあえず、それ以上は追求されなかった。

「......ああ、ところで話の続きは!?」

しばらくすると、気持ちもかなり落ち着いていた。こんな雰囲気が嫌になって、急かすような言い方になってしまった。しかし今はこの微妙な空気を変えるためにも、話題を戻すことが先決だ。

「え、ええ。じゃあ話を戻すわね。フレア団はここカロス地方を制圧しようとしている組織よ。その手始めに奴等は今、カロス地方中の町に行き、あらゆる人からポケモンを奪っているの。でも、毎回誰かの手によって倒されてはいるらしいから、被害は最小限で済んでいるらしいわ。」
「何となく聞いたことあるかもしれない...かな?」
「貴方、カロス地方に住んでるならそれぐらいちゃんと知っておきなさいよ...。」

サーナイトは驚きを通り越してもはや呆れながらソラに突っ込みを入れた。

「分かったよ...」
「全く...。でも、私達が知っての通り、この町にはまだ来てないのよ。」
「じゃあそろそろ来るん...
いや待てよ。でも言っちゃ悪いけどここって、相当田舎だろ?こんなところにフレア団員なんて来るのか?」
「カロス地方を制圧しようとしているのよ。いくら田舎とは言え町1つ見落とすわけないでしょ?」
「確かに...この町は大丈夫なのか?」
「ええ、幹部から指令を受けたしたっぱ達だから、大丈夫なのよ...普通ならね。」
「普通...なら?もしかして......」

サーナイトの何か引っ掛かったような言い方が気になり、疑問形でそっくりそのままオウム返しをした。そこでソラに1つの予感が浮かんだ。

「ここからが本当に大事な話よ。よく聞いて。」
サーナイトはさっきにも増して静かなトーンでこう言った。心なしかセミの声も小さく聞こえる。ソラの体に否が応でも緊張感が走る。

「相手だってバカじゃないわ。その町に強敵がいる場合は幹部が自ら赴く場合があるのよ。」
「強敵って言うと、ジムリーダーとか..................
チャンピオンとかなのか?」

かなり間をおいて、率直な疑問を投げ掛けた。どんどん膨らんでいく不安に、遂にソラは耐えきれなくなった。

「......そうよ。あとは何が言いたいのか分かるわね?」

1つの予感が、揺るがない確信へと変わった。元とはいえ、自分はチャンピオン。つまり。

「......この町には幹部が来るわ。」
「おいおい待てよ!俺がここに越してきたのは5年も前だし、第一知られてないはずだろ!?」

いくら予感していたとはいえ、ソラに強烈な衝撃が走った。そして同時に、重大なことに気付いてしまった。

「なんでフレア団は俺の存在を知ってるんだ!?」

ソラはここに越してくる前に、万全を期してその当時チャンピオンに復帰することになったシロナに頼んで、世間には行き先を伏せてもらっていた。それなのに、目の前の敵になり得る組織にバレてるとは、ただならぬ事態だ。

「言ったでしょ?相手はカロス地方を制圧しようとしている。半端な情報収集はしていないのよ。」
「...いや、それよりお前が何でそんなこと知ってるんだよ?」
「私の家を嘗めないでくれる?」
「お前の家って一体何やってるんだ...?」

もしもこれが本当ならなぜサーナイトが知っているのか。自分の知らない裏の世界で手に入れているというのか、それとも......
いや、今はサーナイトの話を聞こう。少なくともサーナイトが嘘をついているようには見えなかった。

「とにかく、それぐらい貴方が危険視されてるってことよ。注意したほうがいいわね。」
「そうか、分かったよ。じゃあもし幹部が出たらどうすればいいんだ?」
「貴方って本当に話の分からない人ね...倒すのよ。」
「は?」
「この町に幹部を相手できるようなトレーナーがいるとでも?貴方ぐらいしかいないのよ。ほっとけば被害は拡大するだけ......希望は貴方しか居ないのよ...。だからお願い。」
「...やだね。」
「えっ?」
「倒そうが倒さまいがまたここに来るんだったら倒す意味無いじゃん。俺が戦う意味あるのか?だいたい俺はポケモンバトルに...」
「貴方は...貴方はバカなの?そんな理由で戦いから逃げてるわけ!?町を守ることと、変なプライド突き通すのとどっちが大事なのよ!?」
「だから!また来るんだったら幹部は倒しても意味ないだろ!それなら戦う必要なんてないだろ!変なプライド?お前に俺の何が分かるんだよ!」
「ええ何も分からないわ!でも戦わなければいけないことぐらいは分かってるつもりよ!」
「...!」


そして二人の間に沈黙が流れ、ピリピリとした空気が張りつめた。
俺の存在が本当にバレてたらどうしよう?もしここに本当に幹部が来たら?ソラの頭はこれからどうなるのかを考えるので精一杯だった。これからの不安なことしか考えれなかった。でも一番考えてたことは、サーナイトにどうやって謝ろうかということだった。いくら自分の気持ちとはいえ、言いすぎたと軽く後悔する。サーナイトの気持ちを考えてみて、とりあえずさっきよりも語気を弱めて切り出した。

「なあ、サーナイト...」
「何よ?」
「さっきは―」

甘くないさ♪バトルはいつだって♪

なんとまるで仕掛けられていたかのようにソラのホロキャスターから、着信を知らせるtogetherが鳴り出した。

「あら、誰のホロキャスターがなってるのかしら?」
「お、俺のだよ...」

最悪のタイミングだ。しかもサーナイトはまだ怒っているらしい。
謝る機会を無くしたソラが少し落ち込みながらホロキャスターの画面を見ると、知らない番号から電話がかかってきていた。

「もしもし?」

いつものような人当たりの悪い態度で電話に出た。どうせイタズラ電話だろう。

「もしもし!ソラか!?」
「お、おうどうしたんだよ...そんなに慌てて?」

まさかゴウカザルからだとは思ってなかったので、一瞬頭が固まった。何のために他人のを借りてまで電話を?ただ、普段とは明らかに違う、ゴウカザルの焦りが見える口調からして、公園でとんでもない事が起こっているのを悟るのは簡単だった。

「俺が今いる公園にフレア団の幹部が来た!」

すぐ前よりも長い、思考の停止。そして、だんだんと事の重大さに気づいていく。まさかこんな早くフレア団が来るとは...!よく耳を澄ませば、後ろで爆発音が聞こえている。そして、その後に続くであろう言葉を予想して鳥肌がたった。

「何......。そ、そいつは何をしてるんだ!?」
「それがよ、そこら辺の奴のポケモン奪ってるんだよ!」
「やっぱり...」

自分達だけが幸せになればいい。たとえ回りがどうなろうとも。どの地方の悪の組織でも腐った精神が変わらないことを思い知らされた。

「だからさ、お前も早く来いよ!!俺一人じゃ絶対に勝てない!頼むよ、お前しかいないんだ!!」

ゴウカザル一言がソラの心に突き刺さった。



俺しかいない...。



しかし、葛藤の末にソラの口から出てきたのは「分かった」じゃなかった。

「...いいよ。」
「は?」
「俺がいなくたってお前は戦える。お前なら絶対に負けるはずがないだろ?だったら俺が行かなくてもいいだろ?」
「...」
「それに、俺はポケモンバトルなんか...」
「...ああそうか!そうやって逃げるんだな!」
「え?」

突然返ってきた、鋭いゴウカザルの一言にソラは直ぐには反応できなかった。

「もううんざりだよ!お前の言い訳聞くのは!!俺がいなくても?もう辞めた?知ったこっちゃない!今やるべきことは何なんだよ!?」
「あーもうお前まで...何で誰も俺のことを分かってくれないんだよ...!実際そうだろ!!何で俺に頼るんだよ!!」
「ポケモンが戦ってるのに逃げ出すトレーナーがいるわけねえだろ!!」
「逃げ出してるんじゃねえよ!!知った口聞くな!!」

自分の思いをただ伝えたいだけなのに、いつのまにか感情が高ぶって......。
後悔しても、後の祭り。
また、やってしまった。

「ご、ごめん、つい......ゴウカザル?」
「......そうかよ。お前には絶望した。じゃあな。」

さっきまでの怒鳴り声が嘘のように低く太い声で吐き捨てると、ゴウカザルは強引に電話を切った。

言い過ぎてしまったかもしれない。でも......
なんでだよ...............
俺の気持ちも分かってくれよ......!



「どうやらゴウカザルに見捨てられたみたいね?」

相変わらずサーナイトは蔑むでもなく、かといって慰めるでもなく感情が感じられない声でそう言った。

「そうだよ...」
「...長年のパートナーに見捨てられるなんて、トレーナー失格ね。」

ソラは悔しさを圧し殺すように唇を噛んだ。トレーナーでも無い奴にトレーナー失格なんて言われたくはなかった。でも正論だった。何も言い返せなくて余計に悔しさがあふれた。

「まぁこんな自分勝手なトレーナーについてきたゴウカザルも運が悪かったみたいね。」
「ははは...」
「何がおかしいの?」
「俺とゴウカザルってさ、5年間の付き合いなんだよな。5年間でお互いの事を全部分かり合ったはずなんだよ、良いところも、もちろん悪いところも...」

認めたくなかった。ゴウカザルが自分に見切りをつけるはずなんて――
そう思えば思うほど、ソラは苦しくなる。

「なのにさ、こんな些細なことでぶつかって、意地張って感じ悪くしてさ.........
俺がバカだってことは分かる。でもさ、ゴウカザルは俺の本当の気持ちを分かってくれると思ってた。
何回も俺が戦いたくない理由を言ってたし。だけどゴウカザルは分かってくれてなかったんだよな。
あんなに長い間パートナーだったのに。いつだって隣にいてくれてたのに。そんな風に考えるとさ、俺らが一緒にいた5年間って何だったんだろって思ってさ...」

なるべく余計なことは考えずに、サーナイトのほうは向かないようにした。そうでもしないと自分の精神が保てない気がした。今誰かに真っ正面から話したら、泣き出してしまいそうだった。

「俺......どうすればいいと思う?やっぱり行くべきなのかな?それとも...こんなにぶつかってばかりなら別れた方がいいと思う?なあ教えてくれよ...」

自分でもよく分からないこの気持ちを、他人のサーナイトが分かるはずなんてない。それでもソラは、誰かに頼らないと壊れてしまいそうな自分を、サーナイトに少しでいいから慰めてほしかった。

「私は.........
貴方が考えてることなんて分からない。ゴウカザルが考えてることなんて分からない。でもね、これだけは言えると思うわ。貴方達の5年間は無駄なんかじゃない。貴方達はお互いに信じあってきたからチャンピオンになれたんじゃないの?」
「信じ......合ってきたから.........」
「貴方には厳しく当たったんでしょうけど、今だってきっとゴウカザルは信じて待っているはずよ。それなら貴方がゴウカザルしなきゃいけないことは、その信頼を裏切らないことでしょ?だったらやるべきことは一つだけよ。」

サーナイトが言ってくれた、強くて優しい励ましの言葉。全然笑ってはいなかった。それどころか本当にいつもと同じ顔をしていた。なのに、変わらないその真っ直ぐな瞳が、今日はソラに何かを必死に訴えかけているように見えた。

「......そっか。いろいろありがとな。自分のことだけ考えてちゃ、ダメだよな。俺は......」

何もかも間違っていた。過去に引きずられて、心の傷を隠したいって、それらしい理由つけて、逃げてばっかりで。
思い返せば返すほど、どれだけ今までが、さっきの身勝手な考えが間違いだらけだったか、思い知らされる。

「俺は......」

そこまで言って、ソラは天を仰いで、大きく息を吸い込んだ。こんなところで迷ってどうする。覚悟を決めろ、俺!

「...俺はまた旅がしたい!仲間に会いたい!チャンピオンになりたい!そのためにはまず目の前の敵を倒す!待ってろよフレア団!!
...フッ......あはは!!」

ソラは叫んだ。そして自分の言った子供じみた言葉に、思わず笑ってしまった。でも、口にしてみるとこんなに軽くなるものなのか。さっきまでの迷いとかモヤモヤは完全に吹っ飛んでいた。
相手は悪の組織の幹部達、普通のポケモンバトルとは訳が違う。強さだって相当なもののはず。そんな絶望的な状況なのに、ソラは心の底からワクワクしていた。

「気持ちの整理も済んだようね。」
「ああ、行くぞ!」

雨上がりの心に、虹のような覚悟が1つ。太陽に照らされた向かうべき場所に続く道を、ソラ達はゆっくりと走り始めた。
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skyline ( 2015/01/14(水) 22:13 )