ポケモン・ザ・ワールド〜希望の魔法使い〜





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第2楽章 星空と魔法の町−Pot pourri−
023 あなた、本当は人間でしょ?
 夜の星空町は、月が見えるくらいには晴れていた。激しい風を纏っていた雨は去り、木々や草花がぽつ、ぽつと少しずつ雫を地面に落としている。
 夕食を食べ終え、各々が自分達の時間を過ごしている中、ミツキはモデラートの部屋を訪れている。ミツキが単独でモデラートに用があることが珍しいのか、マナーレは彼が部屋に入ってきた時に少しばかり驚いた顔をしていたのだが。

「書斎の鍵、貸してくれねぇか?」

 要件は書斎の鍵。脳味噌筋肉がモットーのミツキが自分から本を読むということ自体滅多にないことだったのか、モデラートも目を丸くする。

「ん? ミツキが書斎を使うなんて珍しいね」
「調べたいことがちょっと……医学系の本ってマジカルベースにもあるよな?」

 少しだけ目を逸らしながら答えをぼかすミツキ。今このタイミングで医学系というと__紡がれた言葉の端々から、モデラートはミツキの真意を理解した。机の引き出しの中から取り出した鍵を手渡しながら、モデラートは頷く。

「うん、あるよ」
「サンキュ」

 横目でモデラートを見つめながら、ミツキは短く礼を言い部屋を出て行った。マナーレは「相変わらずだ」と呆れた顔で彼の後ろ姿を見送ったが、モデラートからすれば「不器用だなぁ」と、一瞬だけ見えたミツキの少し嬉しそうな顔が微笑ましかった。



* * *



 辞書くらいの分厚い本を1冊抱えながら、ミツキが次に訪れたのは、自分の隣に位置するモモコの部屋だった。異性の部屋はノック必須__昔、コノハにそんなことを言われたのを思い出し、何回か部屋のドアをコンコンと叩く。
 予想はしていたが、返答がなかったためミツキは恐る恐るドアを開けて部屋へと入っていった。案の定、夜の月に照らされるようにモモコは布団を被って眠っていた。雨上がりの夜空が背景の一部になっており、一見すれば絵になる美しさを感じさせられるが、実際はそうはいかない。

(やっと、ちゃんと顔見れた)

 ミツキはモモコの枕元まで近づくと、赤く染まった彼女の頬やおでこに撫でるように触れた。こうしてゆっくりしていると、なんやかんや今日1日はバタバタしており、こうしてモモコに向き合う時間がなかったと、ミツキは実感する。
 久し振りに見たような気がするその顔は、未だ苦しそうに寝息を立てていた。改めて病床のモモコを見つめて、ミツキは胸を痛める。

 すっかり馴染んできた、あどけなさの残る無邪気な笑顔。
 何事にも一生懸命になるそのひたむきな姿。
 時々鋭ささえ感じられる大人びた横顔。
 子どもっぽく泣きじゃくったあの日の涙。

 小さな身体に、自分たちの知らないところで様々な感情を、そして命に関わる可能性もゼロではない病気を抱えている。この1ヶ月が経つか経たないかぐらいの期間で、モモコが抱えていたものがあまりにも大きく、そして重いものであることを、ミツキは再確認させられた。

「無理もねぇよな……あんだけ外に連れ回されてたら、悪化するって分かってたのに」

 未だ熱が引かないモモコの柔らかく小さな頬から手を離すと、同時に力が抜け、ミツキは項垂れる。クライシス達闇の魔法使いが悪いのは百も承知だったが、せめてもっと何かできたのではないか。もっと早く来ていれば。そんな気持ちが追いかけてくる。

「こんなことになって、ごめんな」

 それが、ミツキが今言える全てだった。
 自分はユズネを失ったあの時から、何も変わっていないとマジカルベースから帰ってきた直後は思っていた。だが、今は時間を置いて冷静になってきたのか、気持ちに余裕が出てきた。
 もうあの時みたいに、何もできなかった__しなかった自分とは違う。ましてやモモコはまだこうして目の前にいる。
 だったら、今出来ることをするまで。そう思うとミツキの身体は自然と動いていた。



 それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。
 ライヤとコノハが、音を立てないようにこっそりモモコの部屋に入り込む。部屋に入って1番に飛び込んで来たのは、ベッドの下で床に寝転がるミツキの姿だった。彼の隣には、小難しい医学用語が並んでいる本が添い寝している。ライヤが本を拾い上げてぱらぱらと流し読みをしてみると、それは呼吸器系の病気について詳しく書かれている本であることがすぐに分かった。
 ベッドの上では、モモコが頭を枕に埋めて寝息を立てている。おでこにはミツキが用意したと思われる濡れタオルが乗せられており、程よく月明かりに照らされていた。水の入った桶がテーブルの上に置いてあることから、ミツキが寝落ちするまで何をしていたかは容易に想像できた。

「ミツキってば、何やってるのかと思ったらずっと看病してたのね」
「よっぽどモモコのことを気にかけているんですね」

 だが、ミツキも今日は激しい戦いで疲れている。彼1匹にモモコの看病をさせることは重荷になってしまう。それ以前に、ライヤとコノハもまた、ミツキと同じ気持ちでモモコの部屋を訪れている。
 2匹は目を見合わせると、お互い納得したようにライヤはミツキの読んでいた本を手に取る。コノハは濡れタオル用の水を取り替えるために、テーブルの上にある桶を手にした。



 気がつけば、交代で看病と医学書で勉強をしているうちに、ライヤとコノハもミツキと同じように床に寝そべっていた。ミツキが目を覚ましたのは、2匹が寝落ちしてしばらく経ってからだ。
 窓から見える空は、うっすらと明るくなっており明け方を告げていた。

(……そろそろ、夜明けか……?)

 空にはまるで焼きたてのスポンジケーキのような色をした金星が、くっきりはっきり浮かんでいる。この明けの明星を月と間違えるポケモンは少なくない。
 ぺちん、と自分の頬を引っ叩いたミツキは、床から起き上がってモモコの様子を確認する。ライヤとコノハがいることから、自分が寝てしまった間にも2匹が看病してくれたのだろう。そのお陰か、呼吸が安定して来ている。まだ微かに喘鳴音が聞こえ顔も少し赤いが、この一晩でかなり回復に向かったことがわかり、ミツキは胸をなで下ろす。

「……うぅ……うーん……」

 ミツキが起き上がったのとほぼ同時に、モモコもまた目を覚ます。目を覚まして最初に視界に飛び込んで来たのがミツキであり、彼の顔を見ただけでも何となく安心できた。
 モモコもまた、意識が朦朧とした状態で戦いに巻き込まれたため、ミツキの顔をちゃんと見るのは久し振りの気分だった。

「気が付いたか?」
「ミツキ……。わたし、何してたんだっけ……」

 寝ぼけたような声で、モモコは横たわったまま視線だけをミツキに移す。

「クライシスとの戦いの途中で、気を失ってたんだよ。その後ディスペアが処置してくれて、部屋に戻ってきたんだ。覚えてねぇか?」

 それ以外にも何かネガティブな感情に飲まれたような気がしていたが、意識が朧げだったためその記憶は定かではない。もしかしたら悪い夢だった可能性も高い。ただはっきりしていることは、自分はドレンテに拉致軟禁まがいのことをされ、その後なだれ込むようにグラーヴェとソナタ、そして助けに来たミツキ達が現れたことは確実に覚えていた。
(そうだった……。ドレンテに捕まってたのははっきり覚えてるけど、その後の記憶がごちゃごちゃになってる)

 すると、ライヤとコノハがミツキとモモコの声に気づいたのか起き上がる。特にコノハは、モモコが目を覚ましたことを認知すべく、ジャンプするぐらいには素早く彼女を目視する。

「え、何? モモコ起きたの?」
「僕達も気付いたら寝ていました……」
「ライヤとコノハも、みんなケガしてるのにずっとここにいてくれたの?」
「お前のこじらせた風邪に比べたら、どうってことねぇよ」

 よく見ると、ミツキもライヤもコノハも、身体のあちこちに包帯やテープが施されており少々痛々しい格好をしている。
 今まで各々の都合よりも“心の底から”自分を心配してくれるということがほとんどなかった。そうしたこともあり、モモコはミツキ達の優しさに触れてまたいつかのように思わず泣きそうになる。だが、泣けば余計熱が上がることを分かっているのか、ここはぐっと堪えることにした。

「具合はどうですか?」
「だいぶ楽になったよ。まだ少しだけ頭痛いけど……」
「そういえば顔色も良くなってきてますね。どうなるかと思いましたが……本当に良かったです!」

 と、思ったら。ライヤの方が先に涙をぽろぽろと零していた。毅然とした態度でずっと振舞っていたライヤのタカが、モモコの姿を見たことで外れてしまったのだ。
 突然泣き出すライヤの姿を見て、モモコはかなり驚いていた。

「ちょ、なにも泣かなくても! ね?」
「それぐらい状況がヤバかったのよ。アタシだって、正直怖かったんだから」

 そう言うコノハの声も、鼻がかかったように震えている。強がるコノハの隣で、ミツキが1冊の本__『呼吸器系の病気・ポケモン別の対処法』と表紙に書かれているものを掲げながら続けた。

「それから、お前の病気について調べた。ハウスダスト、天気の変化、風邪との併発。それにストレスでも発作が起きるんだな」
「どうしてもっと早く言ってくれなかったのよ。もっと早く知ってれば、何か手を打ったりしてたのに!」
「あ……みんな、やっぱ怒ってる?」

 おずおずとモモコが尋ねる。

「アタシは怒ってるわよ。でも、こうして無事に帰ってこれたから、もう許す!」
「コノハは病気だってことを怒ってるんじゃない。隠したことを怒ってるんだよ」

 まくしたてているコノハの補足は、珍しくミツキがしていた。おそらくミツキも、コノハと同じ気持ちだからこそ、すんなりと言えたのだろう。
 ようやくモモコは、ライヤやコノハを泣かせてしまったことでことの重大さを実感することができたのだ。自分のような虚弱体質は、ただ周りから迷惑がられるだけの存在だと『思い込んで』いたからこそ、こうして本気で自分のために泣かれることは意外であり、慣れていなかった。

「魔法使いにも、いろんな事情を持ったポケモンがいます。モモコみたいに生まれつき身体が弱かったり、僕みたいなのろまピカチュウだっていますし!」

 ライヤは自嘲気味にえへへ、と頼りなさそうに胸を張る。

「でも魔法って、本当にいろんな力があるんです。出来ないことがあっても、そのポケモンだけが使える魔法だってあります」

 だとしても、モモコの問題は生まれ持った素質ではなく持病レベルのライン。努力や才能でどうにかなる問題ではないところが、また難しいと思われていた。

「わたし、本当に身体強くないんだ。きっとこれからも出来ないことの方が多いし、みんなに迷惑かけるよ?」
「そんな! 同じチームならなおさら、迷惑掛け合ってナンボですよ」
「そうよ! 気付かなかったアタシ達も悪いけど、言わなかったモモコもお互い様なの。だから、もっとアタシ達のこと頼ってよぉ!」

コノハはポカポカと前足でモモコのことを叩く。ライヤに「病ポケになんてことを」と止められてもお構いなしだ。「やれやれ」と苦笑いを浮かべるライヤだったが、モモコに向き直った時は優しさと、そして真剣さをも帯びた目の色をしていた。

「でも、僕達のことは本当に頼って欲しいです。ね、ミツキ」

 ライヤに話を振られたミツキは、何を言おうか考えていなかったのか、「えっ」と硬直する。ライヤやコノハみたいに口が達者でなく、不器用なミツキは回りくどいことは言わないでストレートに言うことが向いていると自覚していた。
 だが、やはり面と向かってストレートな自分でいることは、特に相手がモモコだと非常に小っ恥ずかしいようで。

「頼られるのは嫌いじゃねぇから……その、前に元の世界が気になるって言ってくれたみてぇに、そーゆーのもっと言ってくれよ」

 照れている顔を必死で隠しながら、それでもモモコに目線を少しでも合わせるようにミツキは言葉を投げかける。
 どこまでこの世界のポケモン達は優しいんだろう。誰かに甘えることは得意ではなかったハズのモモコだが、何故だかチームカルテットのメンバーの前では自分の本当の気持ちを言える気がした。少しずつではあるが、今まで忘れていた感覚を取り戻している気がする。

「……ありがとう、みんな。正直、喘息持ちはお断りって言われるかと思った……」
「そんなワケないでしょ! モモコはアタシ達チームカルテットのメンバーで、マジカルベースの魔法使いなんだから!」

 そう力強く答えたコノハは、さらにモモコを同じぐらい強く強く抱きしめた。
 ほのおタイプのコノハは抱き締められると温かいが、ここまでくると“暑苦しい”の域に達する。「苦しいよ、コノハ」と、熱さと苦しさで目を回すモモコだったが、コノハは「いいのっ」と涙ぐみながら答えた。
 ミツキとライヤからすれば、コノハの行動はちょっと微笑ましく感じるものだった。コノハにとってのモモコは、初めてできた同性のチームの仲間。 出会って1ヶ月経つか経たないかの時期だが、いかにコノハがモモコを大切にしようとしているかが、このやり取りから伺えたのだ。



* * *



 それから3日ほど、熱が下がるまでの間は大事を取るために、モモコは魔法使いの仕事を休んだ。チームカルテットのメンバーが交代で看病してくれただけでなく、他のチームの魔法使い達も度々見舞いに来てくれたのだ。特にコノハと似たようなタイプのフローラには「知らないところで無茶するんじゃないの」と説教を受けたりもしたのだが。
 そうした形で、モモコが喘息を患っていた情報はマジカルベース内では全員が共有することとなってしまった。それでも、持病を理由に咎める者は誰もいなかったこともまた事実であった。
 ともあれ、長めのスパンで安静にする時間を取れたことが効果があったことは間違いなく、ようやくモモコが仕事に復帰する日を迎えることが出来た。

「おはよーっ!」

 3日ぶりに朝礼の集合場所に姿を現したモモコは顔色も良くなっており、何処と無く風邪を引く前よりも雰囲気が明るくなっていた。久し振りに元気なモモコの姿を見て、ミツキ達はモモコにつられるように笑みをこぼす。数日間までの不安が消し飛ぶかのように、安心と喜びが込み上げていた。

「その様子だと、すっかり熱が下がったみたいね」
「うん! 長引かせちゃってごめんね。でももう大丈夫!」
「アタシ達の手厚い看病のお陰かしら? まぁ、1番看病に来てたのはミツキだったけどねー」

 ミツキをからかうように、コノハがにやにやしながら彼に視線を移す。ミツキはというと、慌てながら顔を紅潮させ、大袈裟に首を横に振り否定する。

「そ、そんなことねぇよ! ライヤもコノハも同じぐらいだっただろうが!」

 全力で否定するあたり怪しい__にやにやが止まらないコノハは、モモコに「実際どう思う?」と問いかけ、もとい半ば同調を求める。ここ3日間のことを思い出そうとしながら、モモコは素直に、正直に答えてしまう。

「えー、どうだろうなぁ。でも言われてみれば、1番ミツキの顔見てた気がする」
「お前なぁ……」

ますます顔を赤くさせながら、ミツキは頭を抱えるような仕草をする。自分でも意識はしていなかったが、モモコを気にかける様が態度に出ていたようだった。その事実をモモコの目の前で突きつけられたことが、何だか無性に照れ臭い。

「モモコちゃん、ちょっといいかしら? チームカルテットのみんなも」

 チームカルテットを呼び止めたのは、他の魔法使いとは違う白衣を身にまとったディスペア。特にモモコは名指しで最初に呼ばれたということもあり、「わたし何かしたっけ」少し意外そうな顔をする。思い当たるフシは自分の体調面しかないが、もう隠していることはないハズだ。
 あまり他の魔法使いに聞かれては困るのか、ディスペアはチームカルテットを外に出るように促す。建物の物陰に隠れるようにするくらいなら、よほど重要な話なのではと、勘のいいライヤは踏んでいた。

「どうかしたんですか? ディスペアが僕達を呼び出すって珍しいですね」
「今までずっと、どう切り出そうか悩んでたけど……。モモコちゃんが風邪治ったし、ちょうどいいタイミングと思ってね」

 ディスペアが何を話そうとしているのか、チームカルテットにはまるで分からない。やたらと自分の名前を出すディスペアに対して、モモコは胸騒ぎに似たようなドキドキのようなものがこみ上げて来た。
 そんな自分の本心を見抜いているかのように、面白そうに微笑むディスペアは、じっとモモコを覗き込みながら切り出す。

「だから、単刀直入に聞くわ。モモコちゃん」

 まるで見るもの全てを吸い込んでしまいそうな、深く赤黒い色をしているディスペアの瞳が、チームカルテットに向き直った時。4匹と1匹の間に、季節の変化を告げる風が吹き上がった。

「あなた、本当は人間でしょ?」

花鳥風月 ( 2018/08/20(月) 01:51 )