ポケモン・ザ・ワールド〜希望の魔法使い〜





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第2楽章 星空と魔法の町−Pot pourri−
020 ボクが何とかしないと
星空町マジカルベースでは、基礎合奏に加えてサニーハーバーとの合同練習で配られたマーチの合奏も始まっていた。
特にチームカルテットの4匹の担当楽器にはソロが用意されており、サニーハーバーの魔法使いとのオーディションを経て決定することとなっている。 もちろん、他の担当楽器にあたっている魔法使いもあの合同練習で刺激を受けたのか、合奏がより一層熱気に溢れたものになった。

「えー……この小節のホルンとサックスは……だから……」

マナーレから指摘を受けたところも、すかさずメモを取り個人練習の時の参考にする。 仕事との両立は難しいところもあるが、空き時間等を上手く使って魔法使い達は合奏以外の時間でも楽器を吹くように努めている。

「それからユーフォ、もうちょっと音飛んでこないか?」

マナーレが問いかけるように、該当者であるモモコに向き直る。 しかし当のモモコはというと、何処と無くぼんやりした顔つきで楽譜を見つめていた。 マナーレの呼びかけにも気づいていない様子である。

「ユーフォ?」

もう一度呼んでも返事がない。 まさか、目を開けたまま寝ているのではないだろうか____もしそうならマズいと思ったトストは、ちょんとモモコの肩をつつく。

「おいモモコ、呼ばれてるぞ」
「は、はい……?」

ようやくマナーレに視線を合わせたモモコは、何となく目がとろんとしており頬も赤みを帯びている。 声は砂嵐のテレビのようにノイズが入っているように聞こえた。 いつもと違うモモコの声を聞いて、マナーレだけでなく他の魔法使い達も唖然としていた。

「ど、どうしたんだ? その声……」
「あ、あれ?」

モモコは何度か咳払いをしながら、マナーレの言葉に耳を傾ける。

「ここのところ、お前なんだか不調だな。 あまり無理はするなよ」

サニーハーバーとの合同練習の少し前から、モモコは体調が思わしくなかった。 合同練習の前後は、明け方と夜にかけて咳が酷くなるものだけで済んでいたのだが、ここ最近では日中でも咳が激しくなってきた。 今日に至っては、楽器を吹いているだけで頭がクラクラし、そうでない時も倦怠感が大きな波のように襲いかかる。 チームカルテットの面々も、流石にここまで長引いているモモコの体調不良が心配になっていた。

***

「ごちそうさま」
「って……全然食べてないじゃないの」

とうとうモモコは夕飯にもほとんど手をつけられなくなっていた。 もともと、夕飯は食べるのを忘れて寝落ちすることが多かったのだが、食べる時はしっかりと並みの量は食べていたため、こんなことは初めてだった。

「もしかして風邪引いたとか……ですか?」
「大丈夫かよ、目が死んでるぞ」
「……大丈夫、ごめんね。 多分食欲ないだけだと思う。 今日は先寝るよ」

何とか作り笑いでも浮かべようとするも、側から見れば死んだ目をしながら笑おうとするモモコの様子は痛々しくもある。 ミツキとライヤの声かけにも気のない返答をしながら、モモコはその日は早めに部屋に戻ってしまった。 マントの裾を握りながら、ふらついた足取りでその場を後にする様子は、客観的には寒そうにしているように見える。
ミツキ達はモモコが部屋に消えていくところを見届けると、テーブルに向き直って彼女への心配を募らせていた。

「マジで大丈夫か? あいつ。 日に日に悪化してるように見えるけど」
「今日の仕事中もずっと咳してましたよね……」
「何となく顔も赤かったし……やっぱライヤの言う通り、風邪引いてるのかしら」

***

場所は、人間とポケモンが行き交う都会の街と思われる路地裏。 中心にいるのは白い帽子を被り、長い黒髪を振り乱す少女。 両脇には、彼女と同じぐらいの黒い影がふたつほど。 まるで何処かに連れ去られようとしているのだろうか。

____やめて、離して!

帽子が地面に落ちたところで、場面は映画のフィルムを無理やり貼り付けたかのように切り替わる。

次の場所はところ変わって、銀世界の雪原。
かつてはどこかの街か集落だったのだろうか、建物が建っていたと思われる痕跡だけがそこにはあった。 雪原の中心には、ポケモンと思われる小さな影が強大な暗黒魔法のオーラを纏って佇んでいた。

小さな影の足元には、石になったこの雪原に住んでいたと思われるポケモン____ツンドラポケモンのアマルスが転がっていた。
アマルスだけではない。 こおりタイプやみずタイプのポケモン達が石化しており、雪原に投げ出されるように転がっている。
その中心にいる、小さな影の、ポケモンの正体は____。

***

「……ッ!」

モモコの夢は、そこで途切れる。
部屋に戻った後、そのまま眠ってしまったのだろう。 木でできた天井が視界にぼやけて写っていた。
浅く短い呼吸を整えながら重い頭を起こすが、具合は良くなっていない。 布団を羽織っていても強い悪寒に見舞われ、むしろ悪化しているのは自分でもすぐ分かった。
ふと窓を見てみると、天気は珍しく曇り空。 今にも雨が降り出しそうだった。 そのためか、ミツキが朝の日課でトランペットを吹いている音も聞こえてこない。

(具合悪い時って、決まって変な夢見るけど……今のって、何なんだろう)

同時に、どっと押し寄せてくる不思議な夢の記憶。 そのひとつひとつを探るように、モモコは思い返す。

「人間の時のわたしがいて……」

白い帽子の少女はよく覚えていた。
何せ、人間だった時の自分の本当の姿なのだから。
しかしながら、人間の自分を連れ去ろうとした影の正体も、またその後切り替わった雪原の場面が自分の本当の姿と何か関係があるのかも全く分からなかった。

(苦しい……な……。 昨日よりひどいかも)

同時に、息苦しさと未だ聞こえる喘鳴音からモモコは自分の身体のコンディションが最悪であることを思い出す。 呼吸をする度に、隙間風のようなヒュー、ヒューという変な音がする。
それでも、仕事に取りかからなくては。 さらに遅れを取ってしまう上に、周りにも迷惑をかける____そう思い、立っていられるのもやっとな身体を無理矢理ベッドから追い出した。 鏡の前でマントの形を整える自分がどんな顔をしているのかも分かっていないまま、部屋の扉を開けた時。

「おっはよー、モモコ! ちょっとは元気に____」
(あ、ヤバい。 目が回って、頭もクラクラして……身体が、ふらつく……)

目の前が急に回り出し、そのまま次第にブラックアウトする。 頭もまるでぐわんと中身を地球儀のように回されたかのような感覚。 コノハに返事をする前に、モモコはその場に倒れてしまった。

「ちょ、モモコ!?」

思わずコノハが声を上げ、何事かとすぐにミツキとライヤも部屋から飛び出すように姿を現す。

「どうしたんだ? コノハ」
「モモコがね、部屋から出てきた途端に倒れて……!」

珍しくオロオロしているコノハをよそに、ミツキは倒れているモモコを抱える。 顔は昨日よりも紅潮しており、呼吸も浅い。 耳を澄ましてみると微かに「ぜぃ、ぜぃ」という声____というにも怪しい音が聞こえたりもした。
涙目になっているコノハには、ライヤが静かに寄り添っている。
幸いなことに微かだが意識があることを確認すると、ミツキはそのままモモコのおでこや頬に手を当てる。 みずタイプのポケモンからすれば、こおりタイプ以外の他のポケモンは比較的あったかいのだが、今のモモコの熱さは普通の状態ではないことはミツキにも分かった。

「すげぇ熱だ、すぐに部屋に運ぼう」
「僕はディスペアとリオンを呼んできます!」

ライヤはそう言うと、ディスペアとリオンを呼ぶために下へと降りて行った。 もう朝礼の時間が迫っているため、2匹共マジカルベースの本部に行っていると思われる。

「アタシ、ミツキを手伝う! 後で布団とか毛布とか、多めに持ってくるわ」

そう言いながら、コノハが自分の背にモモコを乗せるようミツキを促す。 ミツキが慎重にコノハにモモコを託したその時だった。

(この喘鳴音……もしかして……?)

コノハの大きな耳は、微かに聞こえる喘鳴音をしっかり捉えた。 モモコが自分の上に乗っていることもあり、さらによく聞こえた。 ここ最近咳が止まらなかったことも、この喘鳴音とようやく繋がった。

「ミツキ。 モモコを寝かせる時にね、少し上半身だけ起こす形にしてもらえないかしら。 アタシ、大きなクッションが部屋にあるから持ってくる」
「どういうことだ?」
「喘鳴音が聞こえるの。 聞き間違いじゃなかったら……きっと、モモコは喘息系の持病があるかもしれない」

喘息といえば自分とは無縁の言葉だが、学校時代のクラスメイトに必ず1匹か2匹は持っている同級生がいた。 咳が止まらなくなって、息苦しそうにしている彼らの様子は未だ記憶に新しく、どんな症状が出てどんな風に苦しくなるのかは、ざっくりとならば素人でも分かる。
その喘息の疑いがモモコにある____ミツキは思わず目を見開いて絶句する。

「えっ____」
「風邪をこじらせて、発作が出てるのかもしれないわね……。 とにかく、お願いできる?」

喘息とモモコ。 ふたつのワードがイマイチミツキにはしっくり来ないが、今はとりあえず応急処置のようなことをしなければ。
ミツキは、動揺を押し殺すように小さく頷いた。

「……わかった」

***

モモコの部屋には、チームカルテットの面々だけでなくライヤが呼んだリオンとディスペアも駆けつけていた。 コノハが持ってきた大きめのクッションが枕代わりになっている。 ベッドまで運ばれたモモコは、コノハの提案でやや頭を高めにした状態で布団を被っており、口には体温計が咥えられている。 あれからコノハが毛布を多めに持ってきており、少しでも身体を温めているのだ。
しばらくして、体温計から部屋に響かないぐらい小さな、無機質な電子音が鳴る。 反応するように微かに見開かれたモモコの目は、熱に浮かされているのか泣いてもいないのに潤んでいるように見えた。

「36度8分なのです」

リオンがモモコの咥えている体温計を手に取り、数値を読み上げる。 人間の平均的な体温に近いためか、モモコにはあまりこの結果はピンとこない。 ましてやポケモン同士となれば、種族やタイプによって体温も違うためますます重症なのかどうかも分からない。

「なぁ、こいつって平熱何度ぐらいなんだ?」
「うーん……くさタイプはどちらかというと平熱が低めのタイプですが、ハリマロンのような種族は若干高めらしいので、34度ぐらいでしょうか」

ミツキの問いにライヤが答えた。 即ち、今は普段の体温から2度少し高い。 熱で回らない頭でも、モモコにも計算すればすぐ分かることだった。

(ってことは、人間の時の熱で例えると38度後半の高熱出してるのと同じぐらいなんだ……)

ここまで拗らせていると思わなかったと、モモコがようやくことの重大さを理解した傍で、ディスペアが病状をメモしたと思われるバインダーを手に取る。 普段は飄々としているディスペアは珍しく説明口調で、真剣な顔付きで報告した。

「調べさせてもらったけど、リンパ腺が腫れてて、喉も真っ赤。 それと、コノハちゃんから話があった通り、喘鳴音は気管支喘息の症状で間違いなさそうね」

バレた____バツが悪そうにモモコは強張った表情を隠すように、布団をさらに深く被る。 ミツキは目を見開いて驚いており、ライヤも言葉を失っている。 コノハは「やっぱり間違いなかった」と悲しそうにしており、リオンも今まで気がつかなかったのか、驚くように口元に手を当てる仕草をしていた。

「どうしてこんなになるまで黙ってたの? 言いづらかったかしら?」
「うぅ……ほっとけば治るかなーって思ってたら、見くびってたというか……」

誤魔化すようにしながらも、モモコは目だけはしっかりディスペアに合わせるように布団から半分だけ顔を見せる。 ディスペアとしては心の底からモモコを心配しているが、当のモモコからすれば黙っていたことを問い詰められているように感じられる。 モモコとしては、ポケモンになったことでもしかしたら喘息も治っているだろうと思っていたことが本音だったが、自分が人間だったことを知っているのは、同じチームのメンバーであるミツキ達だけで、リオンとディスペアのいるこの場では言えそうにもない。

「ダメなのですよ。 喘息は酷くなると命にも関わる侮れない病気なのです」

命にも関わる____というリオンの厳しい言葉を聞いて、ミツキは背筋が凍った。 自分よりも小さな身体の女の子が、まさかそんなハンデを、リスクを背負っていたとは思わなかった。 ましてや、今まで元気に魔法使いとして活動していたモモコがそんなハズが。 特にミツキにとっては、信じがたい話であった。

「何にせよ、きっと新しい生活の疲れが今になって出てきたと思うの。 そこに季節の変わり目も重なって風邪引いたのをほっといてたらこじらせて、喘息の発作も出てきた。 そんな感じのところかしら」
「そういやモモコ、何回か勉強しながら寝落ちしてたことあったわよね」

ディスペアの推測を聞き、コノハが思い出したようにそう零した。 さらにミツキとライヤも続ける。

「メシ食うのも忘れて寝てたこともあったな」
「仕事終わった後や休みの日も魔法の特訓や楽器の個人練していましたし……」
「それは、身体壊してアタリマエなのです」
「半分自業自得、ってことね」

飛び交う言葉はグサグサとモモコの図星を突く。 リオンとコノハはというと、すっかり呆れて肩をすくめたり、溜息を吐いていた。 周りに追いつくように一生懸命なのは分かるが、自分のキャパをオーバーさせて無理してしまえば本末転倒。

「ごめんなさい……」

このモモコの謝罪には、ふたつの意味が込められていた。 ひとつは、喘息持ちであることを黙っていたこと。 これに関しては自分自身でも気付いたのはつい最近だと言い訳は出来るのだが。
もうひとつは、身体の弱さで『結果的に周りに迷惑をかけてしまった』こと。 ただでさえ足手まといの自分が体調を崩すことで、チームカルテットの仕事に穴が空く。 魔法使いとしての実力差も広がっていき、ランクを特例昇格した意味もなくなってしまう。

「謝る暇あったら身体あっためてお熱下げること。 そんなワケだから、今日はモモコちゃんはお仕事お休み!」
「えっ! でも、もしまた闇の魔法使い達が来たら____」
「『えっ!』じゃなーい! 今日という今日は休むの! 体調管理も魔法使いの大事な仕事なんだから」

ディスペアに抗議しようとするモモコの言葉を、コノハが遮る。 良くも悪くもお母さんのようなコノハに圧倒されるのは、少し怖かったりもするが、今回ばかりは自分の自業自得だから逆らえない____モモコは言うことに従い、今日は大人しく休むことにした。

「……はい、分かりました……」

頬を膨らませながら返答するモモコを見て、渋々ながらも納得したことを確認したコノハは「はい、いい子」と彼女の頭をわしゃわしゃと前足で撫でてやる。 ほのおタイプとしての温かさよりも、コノハなりの飴とムチを使い分けている『愛』による暖かさが伝わってきた。

「今日は絶対安静にして、ゆっくり寝るのよ」
「なるべく僕達も、早く帰ってくるようにしますね」
「ほんとごめん……迷惑かけて」

モモコは何度も謝っており、申し訳なさそうにしているがミツキからすれば謝るべきは自分達であるとも考えていた。 いつもの元気そうな明るい声とは打って変わって、しんどそうな身体から絞り出している声と、具合の悪さと気持ちの落ち込みようが現れている顔を見て、ミツキの心はひどく痛んだ。

「……んな顔すんなって、な? 今日まで気づけなかった俺達も悪いんだから」
「そんな____」
「じゃ、行ってくる。 帰ってくるまでにちょっとは熱下げとけ」

そんなことない、とモモコが言う前にミツキは無理矢理ニカっと笑って見せると、ライヤとコノハに「行くぞ」と声をかけると部屋を後にした。
倒れてから今までの数分間、モモコはこっぴどくディスペアやコノハに怒られたが、怒られることよりも喘息を理由に魔法使いの仕事が出来なくなるのではないか、周りから見捨てられるのではないかという不安に駆られていた。 もし、魔法使いが出来なくなった時、自分はこれからどうしていけばいいのか。 今まで良くしてくれた魔法使い達に顔向けできない。 体調不良から来るネガティブな思考が気がつけば渦巻いていた。

***

所変わって、クライシスのアジト。 3幹部は居間に設置されているテーブルを囲っており、ドレンテがカードを2枚、グラーヴェは1枚持って対峙している。

「よーし……これだ!」

グラーヴェがドレンテのカードを勢いをつけて1枚選び、引く。 引いたカードには、『joker』と書かれたルンパッパの絵が描かれていた。 ドレンテとギャラリーで見ていたソナタはこれに大笑い。

「あっはははは! 自信満々に引いといてババとってやんの!」
「グラーヴェったら詰めが甘いのよね」
「う、うるさい!」

普段は仕事を押し付け合ったり憎まれ口を叩き合う3幹部だが、彼らも彼らなりのコミュニケーションは取っている。 こうして休みの時はババ抜きをすることから、仲は悪くない様子が伺えた。
もうすぐドレンテがグラーヴェのカードを引くことで決着が付く____と、その時。
天井から冷たい雰囲気の少女の声が聞こえたのだ。

「あんた達、重要な情報が入ったわ」
「ゆ、ユウリ様? どうなさったのですか?」

声の主はクライシスのボスを務めるユウリであり、グラーヴェが即座にカードをテーブルの上に置いて反応する。 ドレンテとソナタも、面倒臭そうにグラーヴェにならって天井に向かって跪く。

「『あいつ』が風邪で倒れたのよ。 誰でもいいから星空町に出向きなさい」
(えっ……!?)

ユウリの言う『あいつ』が誰のことかは、3幹部にはすぐ分かった。 モモコのことだ。
ドレンテが目を丸くして絶句する傍らでは、グラーヴェがただ1匹忠実にユウリの命令に応えた。

「分かりました、ユウリ様」
「ちょっとあたしエステ行ってから行くから、ドレンテとグラーヴェそれまで待っててくれる?」

ソナタは常に自分のプライベートを優先させるタイプであり、仕事に忠実なグラーヴェとは正反対だった。 やれやれ、と仕方なさそうにグラーヴェは悪態をつきながらもソナタのエステ行きを承諾する。

「はぁ……仕方ないな」
「……ぼ、ボクは先に星空町に行くよ。 リードが足りなくなってきたんだ」
「あ、そう?」

一方、ドレンテはグラーヴェ寄りでもソナタ寄りでもないどっち付かずだった。 仕事には忠実に動くが、ドレンテの行動の根底には常にモモコがいる。 ここ最近ではグラーヴェもソナタも、ドレンテのことが分からなくなることは少なくない。 何故ドレンテがモモコに執着しているのかも、2匹には一切分からないのだ。

(このままじゃ、モモコが危ない。 何としてもユウリ様の手に渡る前に、ボクが何とかしないと……!)

首を傾げているソナタをよそに、ドレンテは決意を胸に星空町へと単身急いだ。

***

「げほっ! げほっ!」

所戻って、マジカルベース宿舎のモモコの部屋。 ディスペアは今日は外せない医者関係の学会があるということで、3時ぐらいまで帰ってこない。 モデラートとマナーレも、何かあったら呼んでもいいと一度様子を見に来てくれたが、2匹にも上層部なりの仕事がある。 他の魔法使い達も仕事にかかっていて全員不在だった。

(あぁーしんど……。 咳が酷くて眠れない……)

何度も目を閉じて、不足していた睡眠を取ろうと試みていたモモコだったが、喘息の発作がそれを邪魔していた。 少し上半身を起こす形を取っても、クッションを抱き枕代わりにして横になっても、あくまで姿勢作りのためなかなか引かない。 今回根底にある風邪の方の症状がかなり悪化し、喘息もそれに比例してボルテージを上げて気管支が大荒れ。 酷い悪循環だった。
昼食も食欲がないため取っておらず、ただ熟睡できないまま横になるだけで午前中が終わってしまったのが現状だ。

「モモコのおねーちゃん!」

その時、道場破りのごとく部屋に上がり込んできた魔法使いがいた。 何事かと思い、モモコが咳き込みながらベッドから降りると学校終わりのガッゾが部屋の入り口にいた。

「が、ガッゾ? ダメだよ部屋に入っちゃ! 風邪うつっちゃうよ」
「モモコのおねーちゃんもお布団入ってなきゃダメだゾ! ショクインカイギで早く帰って来たオイラにお任せだゾ!」

学校では定期的に職員会議があり、その日は子ども達が給食を食べた後下校になる。 こうした下校の早い日は子ども達は遊ぶチャンスと言わんばかりに放課後を満喫するが、ガッゾはそのままマジカルベースに戻って魔法使いの仕事をすることがほとんどだ。
こうした子どもポケモンは、特に音の大陸では多い。 子役として活躍している芸能ポケモンなんかは、魔法使いの子ども以上に不規則かつハードなスケジュールで動いているとの噂もある。
ガッゾにベッドに押し込まれるように連行されたモモコは、再び布団に潜り横たわる。 咳はもちろん身体の倦怠感や頭痛等、他の症状も一向に良くなっていない。

「ご飯は食べた?」
「え、ええと……ちょーっとご飯食べられないんだ」

なるべく風邪菌をガッゾに撒き散らさないように、モモコはガッゾとはあまり顔を合わせないようにしていた。 それでも無邪気なガッゾはモモコが心配なのか、何度もひょこひょこと顔を覗き込もうとしていたのだが。

「ダメだゾ! お熱の時ほどご飯はちょっとでも食べるって、ディスペアのおねーちゃんが言ってたゾ!」
(流石ディスペア、抜かりない……)

ディスペアはコノハとはまた違ったタイプの『オカン』だった。 厳しくも優しく、包容力があり常に飄々としており、余裕がある。 言っていることひとつひとつがスジが通っているのだ。

「他の魔法使いのみんなが帰ってくるまで、オイラがモモコのおねーちゃんを看てあげるゾ! 何でも言って言って!」

人間の時に弟がいたモモコは、こうした自分より幼い子が何を求めているか、何となくだが想像がつく。 自分もまだ頭がクラクラする今、ガッゾがそう言ってくれるのであれば、無理のない頼みごと____パシリみたいになってしまうが、それならお願いできるとモモコは踏んだ。

「じゃあ……スポドリ持ってきてもらってもいいかな?」
「分かったゾ! 冷蔵庫にあるから、取ってくるゾ!」
「ありがとう、部屋から出たらちゃんとうがいしてね」

頼まれごとをされ、且つお礼を言われて嬉しそうなガッゾは、軽い足取りで部屋から出て行く。
部屋にまた残ったモモコは、ふとガッゾの純粋な優しさに触れて心が温かくなった気がした。 様子を見にきてくれたモデラートやマナーレ、仕事に出る前のミツキ、ライヤ、コノハもそうだった。 喘息を黙っていたことについては散々怒られたが、喘息であることを知っても、それを咎める魔法使いは、誰もいなかった。

(わたし、風邪の兆候はあったけど急に倒れて迷惑かけて、喘息のことも黙ってたのに……)

それでも、自分のことを心配してくれる魔法使い達のことを思い、モモコはぎゅっと抱き枕代わりにしているクッションに力を込める。
そんなモモコ____と、部屋の様子を窓からドレンテが伺っていた。 クライシスのポケモンもほうきに乗る権利はあるのだが、ドレンテはなかなかほうき訓練所に行く暇がなかったのか、文字通り自分の足でマジカルベースに侵入している。 幸いなことに、ここまでモデラートやマナーレに見つかっていない。 マジカルベースのことだから、ひと昔前の探検隊のギルドよろしく、足型判別の見張り番でも付けているのかと思ったが。

「……よし、あのハスボーの子どもはいなくなったね」

宿舎の木の枝部分に立ち、部屋の中の様子を確認する。 誰の目も届いていない今がチャンスだと思い、ドレンテは勢いよく窓を開けて、ベッドの上に乗るような形でモモコの目の前に姿を現した。 換気を定期的にしているとはいえ、モモコは普段から窓の鍵を開けっぱなしにしている。 客観的に見れば無防備だが、今のドレンテからしたらとても幸運なことだった。

「ど、ドレンテ!? 何でここに……」
「モモコ、キミのためだ。 悪く思わないでくれ。 『コンキリオ・リガートゥル』!」

モモコが驚く暇もなく、ドレンテはすかさず魔法の呪文を唱える。 つい最近聞いたその呪文は、モモコにもどんな効果かすぐに分かった。

(まずい、縛られる魔法だ!)

流石に風邪で熱もある時に拉致なんかされたらたまったもんじゃない____逃げようと部屋から飛び出そうとしたモモコだが、案の定具合の悪さから身体の動きが鈍っていた。 黒紫色の輪がモモコにフィットすると、その姿をロープに変えて身体に巻き付いた。
このままでは本当に連れ去られてしまうと、身の危険を感じたモモコは扉に向かって助けを乞おうとする。

「だ、誰か助け____」
「ごめん、ちょっと静かにしてて」

そう言うと、ドレンテはモモコの頭を後ろから押さえつけ、空いている方の足で彼女の口にスカーフを噛ませた。 猿轡のつもりだろうか。 口を塞がれたことでさらに息苦しさを与えることになるが、今のドレンテにとってはこうするしかなかった。
完全に誘拐犯同然の行動に出ている、しかも自分が風邪であるところを狙った今日のドレンテは本気だ____寒気からか恐怖からか、モモコは身体の震えが止まらなかった。

「むぐっ!?」
「とにかく、ここから出るよ」

手早くドレンテはここから撤退するべく、身動きが取れないモモコを自分の背中に乗せる。
ところが、ちょうどいいタイミングでガッゾがペットボトル入りの飲み物を浮き草に乗せて戻ってきてしまったのだ。

「あー! ドレンテのおにーちゃん! 何してるんだ!」
「しまった、気付かれた! 『コンキリオ・ペルソナ』!」

とっさにドレンテがガッゾにかけた魔法は、相手にものを被せるためのもの。 何処かのマヨネーズのマスコットキャラクターのようなお面をつけられ、ガッゾの視界が遮られた。 証拠を残さないために、ドレンテがガッゾに目隠しを施したのだ。

「ま、前が見えないゾ!」

目隠し状態となり、その場でどたばたするガッゾをよそに、ドレンテはモモコを連れたまま窓から飛び出していき、西の方へと向かった。 モモコはというと、くぐもった声を上げることしか出来ず、そのまま連れ去られてしまった。
一方、目隠しを施され何も見えないガッゾだが物音も遠ざかったことから、モモコもドレンテも近くにはいなくなってしまったことが分かる。

「ぷはっ!」

それからどれくらい経ったのだろうか。 ようやくガッゾにかけられた魔法が解け、視界が元に戻る。 しかし、部屋にはもう誰もおらず、風にカーテンが靡き波の音がバックミュージックで聞こえるのみ。ガッゾは青い顔をさらに真っ青にして愕然としていた。

「ど……どうしよう……モモコのおねーちゃんが捕まっちゃったゾ!」

花鳥風月 ( 2018/08/10(金) 19:43 )