ポケモン・ザ・ワールド〜希望の魔法使い〜 - 第2楽章 星空と魔法の町−Pot pourri−
018 一般的に見たらまだまだなのですわ

フィルとスーノとリリィの一件から数週間が経った。 ミュルミュールの浄化に失敗し、悔しい思いをしたモモコはさらに精進するべく、自分の持ち場がない時は楽器の練習時間に充てている。 昼休みの今も合奏部屋で基礎練習の復習とマナーレから渡された練習曲の譜読みのし直しに明け暮れていた。

「モモコのヤツ、どうしたんだ? ここ最近根詰めてないか?」
「こないだ、ミュルミュールの浄化に失敗したのよ。 それからずっとあんな感じなの」

トストが心配そうにモモコを見つめると、事情を知っているリリィが答える。 彼女もまた、モモコが根詰めているように見えることが気がかりなようだった。 モモコとはあまり関わろうとしていなかったリリィであったが、さすがに今のモモコの様子はどこか思うところがあるのだろう。

(初めての浄化は、アンサンブルだから上手くできただけであって……本当のわたしの実力は、みんなとは天と地の差なんだ)

もちろん、魔法の呪文も覚えなくてはいけなかったりと、モモコが他の魔法使いと同じラインに立つにはやるべきことが多々あった。
モモコは良くも悪くも自分の状況を素直に受け止め、どうすべきか行動に移していくことができるのだが、どうも机作業だと食事を取るのも忘れて寝落ちしてしまう等の弊害も起こっていた。 そうした疲れは楽器にも影響し始めており、どんなに一心不乱に吹き続けても手応えが感じられない。

「どうすれば上手くなるのかなぁ……」

酸欠で上手く回らない思考を宙ぶらりんにさせながら、モモコは呟く。
勲章の懐中時計を見てみると、午後の仕事に取り掛かる時間になっていたため、モモコはそろそろミツキ達と合流しようと、楽器の手入れに取り掛かろうと思ったその時だった。

「げほっ、げほっ」

ふと、喉の辺りに違和感を感じたモモコは軽く咳き込む。 風邪の前兆か、そろそろ涼しくなってきたため乾燥しているのか____等と考えていたが、ある思い当たるフシがあったモモコは呼吸を少しゆっくりにし、自分の呼吸音に耳を澄ましてみる。

(……まさか)

微かに縦笛を吹くのに失敗したようなものと似たような喘鳴音が、自分の気道の辺りから聞こえた。 その音を確認すると、モモコは思わず顔を強張らせた。

(人間の時の『あれ』、きっとポケモンになっても治ってないんだ……)

***

自分の身に良からぬことが起こっているかもしれなくとも、魔法使いの仕事は休むワケにはいかない。
その日の朝礼で、マナーレは魔法使いにある告知をした。

「えー、そろそろサニーハーバーのマジカルベースと合同練習の時期が近づいてる。 当日は午前中の予定を空けつつ、各自準備を進めておくように」
「うわー、もうそんな季節?」
「サニーハーバーのおにーちゃんやおねーちゃん、意地悪言うから好きじゃないゾ」

フローラとガッゾだけでなく、他の魔法使いも『サニーハーバー』と聴くだけで怪訝な顔をしながらどよめく。 幼さ故に思ったことをそのまま口にしてしまうガッゾを、クレイが静かに諭す。

「こら、ガッゾ。 あまりそういうことを言うんじゃない」
「でもちょっと分かる気がするのです」

しかしこれには、あの真面目なリオンも難色を示していた。 マナーレも「分からなくはないが」とボヤいている辺りから、星空町の魔法使いにとってサニーハーバーと関わることは、総じてあまり喜ばしいことではない様子が伺える。

「サニーハーバー、ってこないだ行ったケーキ屋さんがある町?」
「そうよ。 マジカルベースはほとんどの町にあるからね。 サニーハーバーのマジカルベースはウチよりちょっと魔法使いの数が多いぐらいかなぁ」
「あそこも去年や一昨年に、かなりの数のポケモンが辞めてしまいましたからね……」

朝礼後に、コノハとライヤが交互にサニーハーバーの情報を思い出すように答えていく。星空町マジカルベースの場合は、非常勤医師のディスペアを除けば全部で14匹の魔法使いがいる。 様々な機関と協働する仕事に、ミュルミュールの浄化。 特にミュルミュールの浄化は、ポケモン達の心に直接踏み入る仕事ということもあってか、魔法使い側の負担が非常に大きい。
心を闇に染められたポケモン達に関わった魔法使いの方が先に崩れてしまい、魔法使いを辞めてしまう____そんなことが、この世界では多く起こっていた。

「モモコ、ちょっといいか?」
「え?」

マナーレがモモコに声をかけたのは、その時だった。 他の魔法使いの目が付かないように、モデラートの部屋の近くまで2匹は足を運ぶ。 わざわざ人目____あらぬポケ目が付かない場所を選んで2匹きりで話をするということは、かなり重要な話だということをモモコはなんとなく察する。 マナーレは、魔法使い達が合奏部屋に入り、自分達がここにいることが気づかれていないことを確認するとモモコに向き直った。

「お前、この前ミュルミュールの浄化に失敗したと聞いたが……」

まずい、ヤバい、怒られる、下手したらクビかもしれない____様々な感情が、一気にモモコに押し寄せてくる。 自分でも顔が引きつっているのは分かっていたが、とにかくまずは謝らないと、と思ったモモコは慌てながらとっさに何度も頭を下げる。

「わ、あ、あ、ごめんなさい! 次は失敗しないように、今練習してるところだから!」
「い、いやそれならいいんだが……お前がその時吹いた曲を見せてくれ」

突然モモコがやりすぎというぐらいに謝ってくるものだから、マナーレも若干反応に困っていた。 そこまで怯えるようにならなくてもいいのに____というのがマナーレの本心でもあった。

「こ、これだけど……」

忙しない様で、モモコは自分の手荷物の中から1枚の楽譜をマナーレに差し出すように見せた。 普段から基礎練の終わりに仕上げで吹くようにしている練習曲だ。
マナーレは音符の羅列を見ると、すぐにそれが練習曲ということが分かったのか、「なるほど」と呟き、納得した。

「これは練習曲であって、ミュルミュールの浄化専用曲ではないぞ」
「そ、そうなの!?」

知らなかった様子のモモコを見たマナーレは、「ちゃんと教えてやれていなかったな」と一言反省の意を付け加えると、いつもの落ち着いた口調で改めて解説する。

「ミュルミュールの浄化専用曲は、ある程度経験が積まれるとアンサンブルと同じように発現されるハズだ。 もしかしてこれで浄化できると思ったのか?」
「それは……うん」
「その時一緒にいたメンツはチームカルテットとフローラか……。 確かにフローラだったら、モモコが曲を持ってないことを知らなくても無理もないな……」

マナーレの話を簡単にまとめてしまえば、ミュルミュールの浄化は浄化専用曲でしかすることができない。 モモコが以前ミュルミュールの浄化を試みようとした時、演奏した曲は練習曲だったため、浄化の効果がなかったのだ。
あの時は別のチームのフローラがいたこと、また、同じチームのミツキ達も戦いの方に目が行っており、フローラとモモコのやり取りを気に留めることができなかったことから、浄化失敗という結果になってしまったのだろう。

「曲が早く持てるように、精進することだ」

ともあれ、モモコはもっと楽器が上手くなるように周りの魔法使い達から支援を受けながら努力している。 マナーレは、そんなモモコの背中を後押しするような言葉を残し去って行った。

「わ、分かった! ありがとう!」

もっと怒られるものだと思っていたモモコは、マナーレの言葉に少し意外性を感じていた。 それまでのマナーレのイメージとして、クールで厳格な近寄りがたいものがなかったといえば、実は嘘になる。

(マナーレって厳しくてクールなイメージだったけど、本当は面倒見が良くて優しい人____じゃなくてポケモンなのかも)

厳しさの中にもしっかりと愛情があるマナーレに対して、モモコが抱いた印象はこれまでとは少し違うものになった。

(なんか、お母さんがいるみたい)

***

それから1週間経ったか経たないかほど。 いよいよサニーハーバーのマジカルベースとの合同練習の日がやってきた。

「ふぁぁ……」
「眠いゾ……」
「なんだって朝早くから出発しなきゃいけねーんだよ……」

早起きが苦手なシオンやガッゾなんかは、大きなあくびをしながら集合場所であるマジカルベース入り口に重い足を運んでいる。 ミツキも早起きは苦手ではない方だが、朝の日課であるエチュードが吹けないことに、少々不満を感じていた。 あの曲を吹かないと、朝が来たという感じがしないのだろう。

「けほっ、けほっ……」

モモコもまた、眠気からうとうとしている様子だったが、口元を手で覆い咳き込んでいた。 まるで棘のついた木の実でも引っかかっているかのように喉がイガイガしており、呼吸する度に聞こえる喘鳴音も、相変わらず治っていない。
あれから喉を含めた気管支周りの不調は進んでおり、いつもより早く寝ようにも大抵は魔法や音楽の勉強中に寝落ちしてしまうため、疲れもなかなか取れないのが現状だった。
少し無理をし過ぎたかもしれない、という自覚症状が現れたのはつい最近だ。 それまでは、1日でも早く周りの魔法使いに追いつかなければという一心で魔法の修行等に明け暮れていたものだから、健康管理が出来てない自分が悪いという認識はあるのだが。

「ん? どしたのモモコ。 風邪?」
「い、いや! 多分乾燥だと思う! 最近やっと涼しくなってきたしさ!」
「本当か? 最近朝とか夜に咳してること多いから、てっきり風邪だと思ったぜ」
「そ、そうだったかな? でもこの通り、元気元気!」

コノハだけでなく、ミツキにも勘付かれていたとは____モモコ自身は、この咳が何によるものなのかは分かっていた。 しかしとてもではないが、他の魔法使いには言えそうにもなく1匹でこっそり病院に行くワケにもいかない。 そもそも、この世界の病院の場所も知らなかった。
もし、自分のこの咳の正体が分かれば今度こそ魔法使いを続けられないかもしれない。 周りに迷惑をかけるかもしれない。 いつしか恐怖にも似た不安がモモコの頭をよぎっていた。

「それじゃ、全員揃ったなら出発するぞ」

***

チームカルテットも本格始動の日に一度4匹で訪れているサニーハーバーは、星空町から徒歩15分ほどの小洒落た港町だ。 レンガ仕立ての建物や石造りの塀など、町の雰囲気づくりに努めている。 船乗り場から見える海は、港町のそれとは思えないほど美しいコバルトブルーをしていた。

「サニーハーバーの街自体は好きなんだけどなぁ」

歩きながら街並みを眺めるコノハが、もったいなさそうにぼやいていた。
その傍では、フィルが潮風に靡く頭や胸元のリボンを、ミツキに見せびらかすようにしながら優雅とは何かを語り始めている。
とはいえ、朝の潮風はなかなかキツいものがあり、リボンや、下手したらマントまでもが風に靡くを通り越してフィルの身体にべっとり張り付いているようにも見えた。

「ボクのリボンが潮風に靡いているよ。 ホラ、ミツキ! これが優雅というものだよ!」
「アホくさ」
「ホラ、もうマジカルベースに着いたわよ」

リリィの言う通り、こうした無駄口を叩いている間にサニーハーバーのマジカルベースに到着した。 この町のマジカルベースは星空町のそれとは異なり、住宅街の一角に建てられていた。 外観はこれまたマスターであるポケモンをモチーフにしており、この町のマスターは恐らくひとがたポケモンのルージュラと見られた。
ルージュラの大きな目のオブジェがこちらを見つめているように見え、少々ホラーチックだ。

「お招きありがとう、アレグロマスター」
「久しぶりね、モデラートマスター。 短い時間だけど、どうかよろしく」

マジカルべースの敷地内に入ると、やはりサニーハーバーのマスターであるルージュラが星空町の魔法使いを出迎えてくれた。 なんだ、いい感じのポケモンじゃん____そう思ったモモコだが、近くにいたシオンから「マスターや指揮者は、いいヤツなんだ。 他だよ他」とこっそり耳打ちを受けた。

「あらあら、可愛い子達がさらに可愛くなってるわぁ。 見慣れない子もいるし、星空町のマジカルベースも人手確保のために頑張ってるのねっ」

この可愛くて小さな頑張るポケモン達に感心し、応援しちゃうような近所のお姉さんのような感覚____星空町の魔法使い達は、アレグロに対してある既視感を覚える。

((ちょっとディスペアに似てる……))

ディスペアと違う点は、ディスペアはおネェだがアレグロはれっきとした女性であるところだ。

「そしたら、合奏部屋に荷物も置いて大丈夫よ。 9時からチューニング始めるから、それまでに間に合うようにね」

アレグロに促され、星空町の魔法使い達はぞろぞろと奥の合奏部屋へと移る。 同じマジカルベースでも、町によって間取り図は違うようだ。
合奏部屋は星空町マジカルべースのそれよりも若干広めに取られており、同じマントを身につけている魔法使いが音出しをしていた。 その数、ざっと数えて30匹いるかどうか____少なくとも、星空町の倍の数の魔法使いがそこにいた。

「ま、魔法使いがいっぱいいる!」
「サニーハーバーは、まだウチよりも魔法使い多い方だからねー」

星空町の魔法使い達も散り散りになり、それぞれ同じパートに所属するサニーハーバーの魔法使い達に挨拶に回る。 確かに、耳を澄ませてみればサニーハーバーの魔法使いが、星空町の魔法使いを小馬鹿にするような発言が多々聞こえた。

「相変わらず女っぽい振る舞いしてるのね、星空町の情報通・フィルさん」
「女っぽくはないね、優雅と言ってくれ」
「よぉフローラ。 音痴は治ったのか?」
「た、多少はマシになってるハズよ!」
「あっ、リオンさんいたんですか? 影薄いから気づきませんでしたぁ」
「……みぃ」

負けず嫌いの多い星空町の魔法使いは、売り言葉に買い言葉を返すぐらいの余裕はあったのだが。
モモコもまた、既に合奏体形が作られていたためユーフォニアムの席の端にちょこんと座り、音出しをする。 すると、同じユーフォニアムを抱えた1匹のポケモンが隣に座り始めた。 大きな瞳が特徴的な、同じくさタイプのポケモン____くさへびポケモンのツタージャ。 マントのラインは銀色であることから、シルバーランクの魔法使いなのだろう。

(あのツタージャの子、ユーフォなんだ。 わたしと同じ……)

横目でモモコがツタージャがいることを確認すると、ふと目が合った。 改めてよく見ると、自分よりも少し歳上____フィルやリリィと同じぐらいの歳の女の子と見受けられた。

「見慣れない顔ですわね、新入りの魔法使いですこと?」
「え、あ、はい!」

ツタージャはその大きな瞳でじろじろとモモコを舐め回すように見つめる。 これが俗に言う蛇睨みに似たようなものなのか____落ち着かないモモコであったが、ようやくツタージャは口を開いた。

「こんなおマヌケなお子様が、ニナ様の代わりなんて信じられませんわ!」
「え?」

散々じろじろ見ておきながらの突然の罵倒に、モモコは怪訝な顔で首を傾げる。

「見たところ、優雅さも気品もない庶民的なオーラ。 そしてお気楽そうなマヌケ面! とてもニナ様とは正反対ですわね!」

ミツキしかり、魔法使いしかり、クライシス3幹部しかり、星の調査団しかり____これまでにこのポケモンだけの世界で初対面で濃ゆい絡み方をされてきたことが多かったモモコだったが、ここまで悪意のある切り込まれ方は初めてだった。 その上、聞き馴染みのないポケモンと名指しで比べられてしまえば、「何言ってるんだこいつ」という感情をモモコが抱いても、不思議ではなかった。
思わずモモコは反射的に座っていた席から立ち上がり、売り言葉を買い言葉で返した。

「あ、あの! 初対面で言っていいこととそうじゃないことってあるんじゃないですか!」
「モモコ、何してるんだ。 チューニングの時間だぞ」

自分を呼ぶ声にモモコははっとする。 目の前ではマナーレが呆れたような顔をしてこちらを見つめている。 隣では、ツルを纏った大きな身体を持つツルじょうポケモンのモジャンボが指揮棒を握りながら苦笑いを浮かべていた。 このモジャンボがサニーハーバーの魔法使いの指揮者なのだろう。
気がつけば、他の魔法使いが既に各々の席についている中、注目の的になっているのはモモコ1匹。 流石にこれはいけない____そう思ったモモコは小っ恥ずかしく感じたのか、即座に席に着いた。 この時、マナーレがモジャンボに対して何度も頭を下げているのがチラリと見えた。

「ご、ごめん……なさい」

席に着くモモコに、ツタージャがひっそりと嫌みたらしく耳打ちする。

「ごめんあそばせっ」

反省の色が見られないツタージャに、モモコはムッとした顔で「別にいいです」と返す。 前に向き直ろうとした時、ふとモモコは会話の中に出てきたある名前が気になった。

(……ニナって誰だろう。 代わりってことは、わたしの前のユーフォ担当とか?)

だが、今は合奏に頭を切り替えなければいけない。 今日はモジャンボの指揮の元、チューニングから基礎合奏を軽く行った。 マナーレはというと、彼女の本来の担当楽器____鈴を構えてパーカッションの位置にいた。
一通り基礎合奏のメニューをこなすと、マナーレがモジャンボの隣につくように前に出てきた。

「だいぶ先の話にはなるが、音の大陸東地区パレードでは毎年星空町とサニーハーバーで合同演奏を行なっている。 今からその楽譜を配る」

マナーレが用意された楽譜を順番に星空町の魔法使いに配り始める。 原譜がサニーハーバーにしかなく、用意が間に合わなかったのだという。 配られた楽譜のタイトルは『コンサートマーチ・レインボーオーバーチュルー』というものだった。 その名の通りマーチ____行進曲であり兵隊が足並みを揃えて歩きながら演奏するマーチというよりは、コンサートの始まりを華々しく飾るのに定番の親しみやすいマーチだ。 よく見ると、トランペット、ユーフォニアム、バリトンサックス、フルートにソロが用意されている。 奇しくもチームカルテットの担当楽器ばかりだ。
マナーレは楽譜を配り終えると、パーカッションの立ち位置につく。 ここからは、サニーハーバーの指揮者であるモジャンボにバトンタッチだ。

「既にサニーハーバーの魔法使いには譜読みをやってもらっているから、まずは星空町の魔法使いさんは聴いてて下さい」

サニーハーバーの魔法使いが演奏したことがあるにしても、星空町の魔法使いは初見合奏だ。 そうしたハンデも考慮してか、まずサニーハーバーのマジカルベースで完成させたところまでを星空町のマジカルベースとも共有していくという意図だ。

「さん、はい」

モジャンボの指揮棒の合図で、息の合ったブレスを吸ったサニーハーバーの魔法使い達は『合奏』を『した』。

(これが、ユーフォの本当の音なんだ。 ホルンやテナーサックスともしっかり混ざってる! それに、とってもあったかくて優しい音だ)

モモコは真近で曲の合奏を見ることはもちろん、自分以外のユーフォニアムの音色を聴くのも初めてであり、その新鮮な情報が身体中にぶわっと駆け巡るような感覚に陥った。
恐らくそれは、初めての経験というだけでなく単純に『上手い』演奏を聴いたからであろう。

(やっぱりサニーハーバーは、金管が強いな。 木管が基礎固めしっかりしている星空町とは正反対だ。 隣のヤツのトランペット……すげぇ生き生きした音だ)
(低音の厚み、凄いです。 息のスピードも速くて、それでいてゴリゴリし過ぎていない。 バンドが包み込まれています)
(木管のトリルは、アタシ、流しちゃうクセがあるけどここのポケモン達は一音一音大事に吹いてる。 悔しいけど、見習うべきところはたくさんあるわ)

それはモモコだけでなく、ミツキも、ライヤも、コノハも。 他の星空町の魔法使いも同じだった。 悔しいが、サニーハーバーの魔法使い達の方が自分達よりも演奏技術は上だ。 演奏技術が上がれば上がるほど、当然助けることができるポケモンも増えるのだ。

「では次、星空町の魔法使いも吹けそうなところは入ってみて下さい。 ソロって書いてあるところはとりあえず全員で」

モジャンボに指示され、星空町の魔法使い達も楽器を構える。 サニーハーバーの魔法使い達の演奏を聴きながら楽譜を目で追っていたからか、初見については問題なさそうだった。
モジャンボが指揮棒を振り下ろしたのを合図に、再び同じ曲の演奏が始まる。

(オレ達だって、負けていられねぇぜっ! 燃えてきた!)
(オイラも、タンバリン以外の楽器は合奏用に練習いるんだゾ! パーカッションの基本だゾ!)
(ピッチ、ピッチ、ピッチ! あたしの弱点!)

星空町の魔法使い達は、サニーハーバーの魔法使い達の演奏を聴いて触発されたのか、彼らに追いつこうと無我夢中で演奏した。 音楽的に気をつけるべきところは気をつけて、でもサニーハーバーの魔法使い達に飲み込まれないで、自分達が『どう表現したいか』だけはブレないように。

「……」

しかしモモコは、なかなかツタージャと同じ水準まで演奏スキルを引っ張ってはいけなかった。 演奏技術は経験の違いがあるにせよ、今日のモモコは気管支周辺の調子があまり良くないという致命的なハンデがあり、ブレスも深く吸えず音色にもガサつきがある。 楽譜は読めるのにそれを演奏に昇華できないもどかしさだけを残して、その日の合奏は気がつけば終わっていた。
周りが楽器を片付けたり、星空町の魔法使い達が帰り支度に取り掛かっている中、モモコだけは暫く楽器を膝上に置いたまま、項垂れていた。

「これで分かりましたこと? あなたの技術は、一般的に見たらまだまだなのですわ」

項垂れているモモコを見下ろすように、ミチルはフンと鼻を鳴らしながら言う。
こればかりは正論過ぎて、モモコは言い返せない。 今日は風邪気味のようなものに見舞われていたのもあるのかもしれないが、恐らく体調が万全でも結果は同じだっただろう。 キャリアのないモモコが、ツタージャとの実力に天と地の差があることは分かりきっていた。

「ニナ様が星空町からいなくなってから、新しいユーフォ吹きが来ると思っていましたのにこのザマですわ。 わたくしの足元にも及びませんことよ」

とはいえ、初対面でここまでボロクソに言われてはモモコも流石に堪えるものはある。 初期のミツキの時にいくら学んだとはいえども、面識のないポケモンと比べられてもモモコにとっては非常に困るものであった。

「その『ニナ様』って誰ですか! どんなポケモンで、今どこにいるんですか!」

そのモモコの一喝で、ツタージャの顔つきが変わった。 ふてくされているとも、悲しそうとも取れるその表情は、一言では言い表すことは難しかった。

「……ニナ様がどこにいるかなんて、わたくしも知りたいですわよ」

吐き捨てるようにそう言うと、ツタージャはモモコに背を向ける。 ツタージャの悲しげな背中はまるで、掘り返して欲しくなかった過去からも目を背けているようにも見えた。

「行くわよ、セナ! テン!」
「はっ、ミチルお嬢様」
「了解ッス!」

セナ、テンとそれぞれ呼ばれたひよこポケモンのアチャモとかめのこポケモンのゼニガメが何処からともなく颯爽と現れた。 彼らはツタージャをミチルと呼び、寄り添う形でついて行く。 その様子は、お嬢様と呼ばせているだけあってまるで家来か何かのようだった。
ミチルお嬢様一行が去って行くのを見届けるしかないモモコは、やたら自分が比べられた『ニナ』と呼ばれているポケモンが何者なのか気になっていた。
自分がこの世界に来る前の話であれば、他の魔法使いに聞くのが一番早い____モモコはすぐにミツキ達と合流しようと荷造りと楽器の手入れを急がせた。

***

「ニナ? 確かモモコの前のユーフォ奏者のことじゃね?」
「僕達もそのニナさんと入れ違いで魔法使いになったって聞いたので、詳しいことは分からないですね……」
「アタシ達より前ってことは……チームジェミニ以外の魔法使いなら分かるんじゃないかしら」

サニーハーバーのマジカルベースを出てすぐ、モモコはミツキ達にニナなるポケモンの詳細を聴き取ろうと試みた。 しかし、どうもミツキ達もニナとは面識がなく、詳しいことはミツキ達、そして彼らとほぼ同じタイミングでマジカルベースにやってきたと思われるシオンとリオン以外の魔法使いの方が知っているとのことであった。

「分かった、ありがとう!」
「ちょーっと待ちなさい?」

モモコとしてはこのままお礼を言い、他の魔法使い達にも事情聴取しようとしていたところだったのだが、コノハに腕を掴まれる。

「え?」
「俺も金管として気になったんだ。 ニナってヤツのこと」
「僕も低音系の楽器として気になりました!」
「そういうこと! みんなでニナってポケモンについて調べましょう!」

恐らく3匹は同じチームメイトである自分のためにそう言ってくれたところもあるのだろう。 しかし、楽器のこととなればミツキ達のいうことに嘘偽りはなさそうだった。

「みんな……ありがとう!」

こうしてチームカルテットのニナに関する事情聴取が始まった。 最もマジカルベースにいる期間が長いとすれば、チーム『アース』のトストとクレイだ。 ガッゾもミツキ達が魔法使いになる前からマジカルベースに住んでいるため、重要参考人____あらぬ重要参考ポケだ。
早速4匹は、まだサニーハーバーの街をうろついていたチームアースをとっ捕まえるとニナについて知らないか尋ねてみる。

「トスト達は、ニナっていう方について何か知りませんか?」
「ニナのことか? もちろん知ってるぜ! アイツは有名なユーフォ奏者になっちまったな!」
「これは既に終わってしまったものだが、コンサートのポスターだ」

クレイがチームカルテットに差し出したのは、1枚のポスターだ。 特に目を引くのは星空をバックにユーフォニアムを抱えている1匹のポケモン____しなやかな身体つきと流し目が特徴的なぶじゅつポケモンのコジョンドだった。
ピアノ奏者のトゲチックを招き、ここから遠く離れた町のホールでコンサートが行われたようだ。 会場の地図によれば、音の大陸の西端にある『シンフォニア』という町らしい。 残念ながら、今から1ヶ月前に行われたコンサートであり、既に終わっているのだが。

「へぇ……ソロのコンサートも開いてるの」

感心したコノハが呟く。

「魔法使いとしても凄腕だった。 ガッゾのことも、赤ん坊の頃から可愛がってやってたな」

クレイがガッゾの頭の浮き草を撫でながら語る。

「ニナのおねーちゃんは優しくて強くて、ミチルのおねーちゃんもよくユーフォ教えてもらってたゾ! オイラは勉強教えてもらったし、お菓子も作ってもらったゾ!」
「ミチルって、あのツタージャさんのこと?」

モモコの問いに、クレイは頷いた。 トストが話を繋げようとするが、その表情はどこか悲しそうだった。 昔からニナのことを知っているからこそ、悲しさが自然と現れてしまうのだろう。

「でもアイツ……ニナは、ミツキ達が魔法使いになる前の年に辞めちまったんだ。 理由は何でかは、オレ達も分からなくてよ」
「本当に突然だった。 ただ、辞める前の晩にマスターやマナーレにものすごく説得されたことは覚えている。 よっぽどのことだったんだろう」
「ミチルのヤツ、すげぇニナのこと慕ってたからな。 相当ショックだったみたいだぜ」

うんうん、と頷きながら当時のことを思い出すトストの言葉で、モモコがミチルから投げかけられた言葉が繋がった。

「会ってみたかったなぁ、そのニナさんに」
「俺もだ」

ミツキとモモコは再びニナのコンサートのポスターに目を通す。 しなやかで優美な雰囲気をまといながら、銀色のユーフォニアムを抱えるニナの姿は、吹奏楽歴が浅いモモコにもその存在感やオーラがひしひしと伝わってくる。 担当楽器は違えども、ミツキからしても同じ金管楽器を扱うポケモンとしては、尊敬の意が自然と生じてくる。

「さてと、午後はフリーになったことだしケーキでも食べに行きましょう!」
「そうですね、せっかくサニーハーバーに来てますし」

他の魔法使い達は、各々の依頼にかからなければいけないため、一旦星空町に戻ることになっていた。 ガッゾもまた、今日は平日であるため遅刻という形になるが学校に行かなければいけない。
そうした理由から、チームカルテットだけで以前星の調査団との待ち合わせ場所でも利用したスイーツショップ『ドルチェ』に向かったのだが。

「めちゃくちゃ並んでるよ!?」
「今日はスイーツフェスタの日だったのね。 全品300ポケになる超お買い得デーなの」

そこでは、老若男女を問わないポケモン達が行列を作りながら目を血走らせ、目当てのケーキをいかにしてお値打ち価格で手に入れるか構えていた。 カフェテラスでケーキを嗜むポケモンは今日は殆どおらず、大半が持ち帰って自宅で味わってスイーツを食べるのだろう。 ポケモン達の行列を目の当たりにして唖然としているモモコの傍で、コノハが解説する。

「ありがとうございます、またお越し下さい」

席を取ろうと店内に入る途中で、ふと店の前で呼び込みや接客をしているポケモンがチームカルテットの目に入った。 よく見ると彼らは、自分達と同じマントを着用している。 何処かで見たことがあるような____するとミツキが、何か心当たりがあったのかその疑問を口にする。

「あのゼニガメとアチャモ、テナーサックスとパーカスの奴らじゃねーか?」
「そうです! そうですよ!」

ライヤも思い出したように納得する。 モモコとコノハも言われてみれば、さっきマジカルベースにいたような気がしていた。 しかし、魔法使いのポケモンが何故ここにいるのか、チームカルテットには分からなかった。

「オーダー入りますわ!」

そして、厨房にオーダーを呼びかけているポケモンの姿を見て、特にモモコはさらに凍り付くことになる。

「……えっ」
「え?」

オーダーを呼びかけている店員____サニーハーバーのマジカルベースのユーフォ担当でもあるミチルが、凍り付いた表情のチームカルテットと目が合う。
4匹の中では最も因縁があるモモコが言葉を失っている傍で、コノハが代わりに他のメンバーも考えていることを代弁する形でミチルに切り込んでいく。

「なんでサニーハーバーのユーフォがここにいんのよ!」
「気づきませんでしたの? このお店はわたくしの店ですわ。 スイーツショップ『ドルチェ』の経営主は、魔法使いチーム『ドルチェ』のミチルと家来のセナとテンであることなら、この辺りのポケモンなら知ってますことよ?」

とはいえども、仕事で忙しく去年までは学校に通っていたミツキ達ですらミチルのダブルワークは認知していなかった。

「全然気がつかなかったわ……」
「凄い凄い! 魔法使いやりながら、ケーキ屋さんもやってるんだ!」

コノハがやや落胆気味で呟く一方で、モモコは純粋に魔法使いとケーキ屋の両立をしているミチルに感心している。

「生憎ですが、わたくしはスイーツフェスタで忙しいんですの。 油売りに来たのなら、お帰り下さいまし____」

確かにスイーツフェスタは多くのポケモンでごった返しており、チームカルテットの返しに付き合っている暇はない。
しかし、今のところこの4匹は暇そうだ。 だったら____そう思ったミチルは、自分が発言しようとしていたものを撤回した。

「いえ、取り消しですわ。 テン、ちょっとよろしくて?」

テンと呼ばれているのはゼニガメの方だった。 客達の整列を上手く整え、颯爽と現れたテンは敬礼しながらチームカルテット達の前に姿を現わす。 堅苦しいというか、体育会系というか、シオンとはまた違う熱苦しさをチームカルテットは彼から感じ取った。

「何スか!? ミチルお嬢様!」
「この者達をスタッフルームへ連れて行くのですわ」
「承知したッス! 『コンキリオ・リガートゥル』!」

敬礼しながらテンが呪文を唱えると、チームカルテットの周りに輪の形をした水色の光が現れ、4匹に纏わり付く。 やがて、光の輪はロープへと姿を変えて、チームカルテットを縛り上げた。

「は!? 何だこれ?」
「どういうこと? ……って、暴れると痛いよコノハ!」

背中合わせになった状態で4匹まとめて括り付けられたチームカルテットは身動きが取れない。 突然の拘束魔法をかけられれば、当然いい気はしない。 チームの切り込み隊長でもあるコノハは、身体をよじらせながら今にもテンに向かって火を噴く勢いで抗議する。 しかしながら、誰か1匹でも暴れるとロープが身体に食い込み、他のメンバーには締め付けられるような痛みが走る。 血の気の多いコノハは、そんなことは御構いなしのようだったが。

「拉致よ拉致! 現行犯! 訴えてやるわ!」
「スマン、取って食いやするつもりはないッス! ちょっとばかり手伝ってもらうッス!」

テンに余ったロープの縄尻を引かれ、引き摺られるようにチームカルテットはスタッフルームへと連行されて行った。 スイーツフェスタで多くのポケモンがいるハズだが、彼らはスイーツ争奪戦に夢中になっており、チームカルテットには目もくれなかった。

「助けて下さい〜!」

ライヤの助けを乞う力の無い声は、誰の耳にも届かなかったという。

花鳥風月 ( 2018/08/10(金) 19:41 )