006 言ってしまえば部外者だ
今日の朝の合奏は、モモコが初めて加わった記念すべき日になる。モモコは緊張で顔も身体も硬くなっているのが、他の誰から見てもよく分かった。トストやフィルが気を利かせて「リラックスしようか」と声をかけてやったりなんかもしていた。
マナーレの合図で全員がチューニングのベーの音を響かせる。総勢13匹と、吹奏楽としては決して大規模のバンドではないが、個々の音の美しさはプロにも引けを取らないと、マナーレは思っていた。
「よし、チューニング終わったな。バランス練習!」
バランス練習は、バンド全体としての響き方を揃えるには打ってつけの基礎練習だ。だからこそ欠けている楽器があれば、すぐにその楽器の属するグループの圧力がわかり、逆に突飛しすぎているグループの音量も抑えることができる。
曲にもよるが、基本的にはこの低音、中低音、高音、最高音のバランスが重要視されている。低音がバンドを支える役割ならば、中低音の役割は彼らを優しく温かい音で包み込むことだ。特にモモコの音が加わったことで、音程こそブレはあるが音圧が昨日よりもぐっと増した。
「うぉおおおお! すげぇ、すげぇぜ!」
「これがユーフォの音なのか……美しい!」
「ぜ、全然違うわ……Bグループの音」
魔法使い達も、口を揃えて大絶賛。自分が周りに影響を与えていることは何となく分かるが、吹奏楽初心者のモモコにはまだことの重要性が分かっておらず、どう反応すれば良いのか分からずにいた。
すると隣に座っているトストが軽くモモコの背中を叩きながら、ニッと笑っていた。
「いい音鳴るじゃん、お前。あとは音程の取り方とかコツを掴んでいけば大丈夫だ」
何だかよくわからないが、初めて合奏の場で音が鳴ったことの嬉しさ。それだけはしっかりわかっていた。モモコのユーフォ奏者としてのスタートダッシュは、良いものになったと思われた。
「ユーフォ。確かにいい音は鳴るんだが、もっと音が遠くに飛んで来ないか?」
しかしそれも束の間。マナーレの歯切れのいい呼びかけに、モモコは「は、はい」と慌てて向き直る。
音を遠くに飛ばすと言っても、どうやって飛ばすのか分からない。自分が経験していたピアノとは訳が違う。
「時々マナーレは回りくどいことを言うんだ。音を遠くに飛ばすイメージを持つんだ」
モモコが困惑していると、合奏体型の最後列__の真後ろに座っているフィルが、トロンボーンのスライドをマナーレに向けて伸ばしている。
「音を……遠くに?」
「マナーレのもっと向こうに、音が突き抜けていくような感じかな? でもまぁ慣れかな。もっかいバランスやるみたいだから、チャレンジあるのみさ」
フィルに促されて、モモコが再び前を向くと、既にマナーレが指揮棒を構えていた。滑らかにタクトが宙を舞い、ゆっくりと拍子を取る。
「いち、に、さん」
規則正しく動くマナーレの持つ指揮棒に合わせて、魔法使い達はもう一度同じことを繰り返す。
言われたことや自分で良くないと思ったところに注意し、同じ練習を何回も繰り返すことは音楽技術を高めるに当たっては基本中の基本。しかし、意味を考えずに同じ練習をするだけのルーチンワークになってはいけない。
(音を遠くに、音を遠くに……。マナーレのもっと向こう側……)
次に演奏する時にはさっき言われたことを注意して、イメージして。音楽経験のあるモモコにも、その習慣は身についていた。例えば、音を遠くにもっと飛ばすようにと注意されたのであれば、次は目線を少し遠くに配って。
(遠くにッ!)
ユーフォニアムのベルから放たれた音は、先程のそれと大きく変化していた。
確かにユーフォニアムの音はどんな楽器にも馴染みやすいが、悪く言えば目立つ花形楽器に埋もれやすい。バンドとしての纏まりを崩さない程度に、いかにして存在感を示すか。
これはどの楽器にも同じことが言えるが、なかなか加減が難しいと感じる楽器奏者、もとい魔法使いも多い。ミツキなんかは、元々の音が固いために先日の合奏で指摘を受けている。
(思ったよりも呑み込みが早いな。管楽器は初心者であれども、音楽経験自体はあると聞いたが……。即戦力にするにはまだ危ういが、その気になればいくらでも伸びるな)
合奏を進めながら、マナーレはモモコの素質を分析していた。これまでにも様々な新米魔法使いを見て来たが、比較的モモコは呑み込みが早い方だった。現在最前線で活躍している星空町の魔法使いでさえ、初めてここに来た時はマウスピースで音を鳴らすことすら困難だったのに。
そうこうしているうちに、合奏の時間は終わっていた。
「今日の合奏はここまでにする。この後チームカルテットはモモコと来るように」
「「ありがとうございました」」
魔法使い達が一礼すると、マナーレは指揮台から降り他の面々は楽器の手入れや片付けを行う。モモコも他の魔法使い達にならって、慣れない手つきでリリィからのお下がりで貰ったクロスを使い、ユーフォニアムを磨く。
「なんだろ? 話って」
「チーム決めのことじゃないかしら。1週間以内って言われてたし、今日がその4日目だもの」
もうポケモンになって、魔法使いになって4日も経っていたのか。モモコにとってはあまりにもあっという間すぎて、時間が過ぎていく感覚が薄れていくことを強く実感させられる。
単独で魔法使いの活動を行うことも出来ると聞いた。だが、右も左も分からないこの世界で、ましてや魔法も使ったことのない自分がここで生き延びていける保証はなく、不安も大きい。
それに、モデラートもマナーレも、やたらとチームカルテットと同行させることにこだわっている。何故かは分からないが、同い年のメンバーで揃えられたチームの方が、何かと都合がいいのかもしれない。
「……」
そんなモモコとコノハの会話に聞き耳を立てていたミツキは、浮かない顔をしながらトランペットのピストンにオイルを差していた。鈍く、しかし軽やかなピストンを押す音とは裏腹に、ミツキの心持ちは重いものであった。
* * *
案の定、チームカルテットとモモコが呼び出されると、まず話の矛先はモモコに向かった。マナーレは相変わらずクールにモモコに対応しており、自分の席で佇んでいるモデラートも微笑みを絶やしておらず、何を考えているか分からない。
「モモコ。ここに来て4日経ったが、生活の方はどうだ?」
「え? えーと……まだ分からないことだらけだけど、ワクワクします!」
「別に相手が私達とはいえ、タメ口でも構わない。一つ屋根の下で過ごしている者同士だからな」
少し視線を逸らしながら照れたようにしているマナーレの姿は、モモコからしたら少し意外だった。つんけんしていて冷たい、おっかない上司だとばかり思っていたが、実は結構……いや、かなり懐の大きいポケモンなのかもしれない。そんな印象に変わっていた。
「そう言ってくれるなら、ボク達も嬉しいよ。他の3匹はどうだい? チーム決めに関して」
「アタシはブレずに賛成ね」
コノハはその言葉に違わず、迷わずに即答した。
「僕も賛成寄りですが……まだモモコと依頼に行ったことがないのでそれを見てから決めたいです」
ライヤも慎重な姿勢を見せているが、モモコの加入に関しては前向きである。
「それなら丁度良い。今日はお前達に依頼が1件来ている」
「ほ、ホントに!?」
「既にフローラが仕分けているだろう。後で確認するといい」
「はい!」
よほど久しぶりの依頼だったのか、ライヤとコノハは非常に食いつきが良い。反面、一歩下がったところで話を聞いていたミツキは、まだ浮かない顔をしていた。それに気づいたモデラートが、ミツキに目をやり声を投げかける。
「ところで、ミツキは?」
「俺は__」
そこまで言いかけた時。ミツキははっと何かを思い出したような表情を見せると、視線を右斜め下あたりに合わせ、少し間を空けると怖々口を開いた。
「俺は……やっぱり認められねぇ」
「……えっ」
この期に及んで頑なに拒まれ、憎まれ口を叩いていたモモコも流石に絶句する。しかしそれは、ミツキの表情がまるで本心で言っているとは思えなかったために返す言葉がなかったのだ。
「どうしてよ!?」
「どうしてもだ。そんなヤツがいても、どうせ足手まといになる」
「ミツキ、まだそれなのか」
「それは、これから仕事にも慣れていけばいいんじゃないかな?」
「お前は俺達といるべきじゃねーんだよ」
詰め寄るコノハやマナーレにもフォローを入れるモデラートにも、ミツキは吐き捨てるような台詞で返す。まるで誰かに言わされているようなミツキの口調に対して、ライヤは納得していないのか悔しそうに口を噛んでいた。
「ミツキ、どうして__」
「先、荷物まとめてっから」
モモコが問う前に、ミツキはすたすたと部屋から去って行ってしまった。その背中は、出会ったばかりの頃に感じた苛立ちよりも寂しさや孤独といった、悲しさを帯びていた。
扉がギロのような音を立てて自動的に閉まると、マナーレが床に視点を移しながら呟いた。
「やっぱり……ユズネのこと、まだ引きずっているんだな」
「もう1年になりますからね」
「アタシ達だって、忘れてるワケじゃないのよ。でも……」
「こんな状態をユズネが望んでいるワケがありませんよ」
またユズネ。
ミツキに聞かなければ断定できないが、今モモコとミツキが歩み寄れない遠因は、ほぼ確実にユズネという名前のポケモンが関わっている。ユズネをめぐって重苦しい雰囲気になるのも、自分だけ何も分からないのも、これ以上はどうなんだろう。
何にせよ、今の現状は自分自身にとっても他の魔法使い達にとっても、そしてミツキにとってもいいとは言えない。
「あ、あの!」
そう思うと、モモコは頭よりも先に口が動いていた。声は裏返って、手は震えている。自分がどんな顔をしているのかもわからない。
流石にこのタイミングはまずいかもしれない、分かってはいると自覚してからはもう遅かった。
「え、えーっと……ちょくちょく出てくるユズネって、誰、なの?」
モモコから発せられた『ユズネ』の固有名詞に、ライヤ達はバツが悪そうな顔をする。
やっぱり聞かなきゃよかったかな、聞いてないフリをしておけばよかったかな__一瞬モモコは自分の発言に後悔するが、ここまで来てしまったならもう仕方がない。
「あ、いや! 聞いちゃダメならこれ以上は詮索しないから! ただ、みんなユズネユズネ言うから、誰なんだろうなー、って。ほんとそれだけだから……」
「ううん、気にしなくていいよ。どのみち、ミツキと関わる上では避けては通れないからね。ユズネのことと、1年前のことは」
モデラートの言葉に、ライヤは同調するように頷く。逆にマナーレは「本当にいいのですか?」と言わんばかりにユズネの話をすることへの躊躇いを顔に出しており、まだ話を聞いていなくてもことの深刻さがモモコにも伝わってくる。
「ユズネはね、アタシ達の幼馴染にして__」
それでも、コノハは意を決して話し始めた。まるで、避けてきた問題にやっと向き合うように。
「チームカルテットを作ったポケモンよ」
* * *
8年前の星空町の住宅街。そこにある小さな公園は子どもポケモン達のたまり場になっていた。
幼き日のミツキは、公演の一角で1匹のデデンネの目の前で大の字になっていた。
「やっぱワイは、たたかいのてんさいやな!」
デデンネは自慢気にミツキを見下ろし高笑いする。
「ちっくしょー! もう1かいしょうぶしろ、ユズネ!」
ミツキはデデンネをユズネと呼び、すぐに立ち上がり勝負を挑もうとする。
「もう、ミツキったら。みずタイプのミツキはユズネとあいしょうがわるいから、なかなかかてないのに」
幼き日のコノハがはぁ、と溜息をつくとミツキはギクッと顔を強張らせる。隣では幼き日のライヤが何かを想像しながらうっとりしていた。
「でも、ミツキもユズネもほんとうにつよいですよね。2ひきがまほうつかいになったら、かっこいいんだろうなぁ……」
そんなライヤの背中を、ユズネがバンと叩く。
「なにいってるんや、ライヤ! ワイとミツキとアンタとコノハ。4ひきでひとつのチームになるんやで!」
「ユズネ……」
ライヤは目を輝かせながらユズネを見つめる。自分もユズネの言うチームに含まれていることが嬉しかったのだろう。
「ワイ、ミツキ、ライヤ、コノハの4ひきやから、なづけて、チームカルテットや!」
「なづけて、って……ユズネ、ほんとうにまほうつかいになるきまんまんだな」
__5歳の時に、アタシ達は出会ってそれ以来ずっと友達。みんな魔法使いに憧れていてね、魔法使いになれることが許される10歳になった時、このマジカルベースに来たのよ。
「お、お願いします! 僕達を……魔法使いにして下さい!」
「どんな危険な仕事でも、ワイらは頑張ります!」
この頃から厳格なオーラ剥き出しのマナーレが、魔法使いになることを懇願するミツキ達を見つめて、こう告げた。
「分かった、許可しよう」
__こうしてアタシ達は、晴れて魔法使いの仲間入りを果たしたってワケ。
「『アレグロ』!」
「『マジカルシャワー』!」
__そうそう、ライヤとアタシが後ろからサポートして、ミツキとユズネがミュルミュールを攻撃。そして4匹のアンサンブルで浄化するスタイルだったわね。
__アンサンブル?
__少数による合奏のことで、魔法使い同士の心がひとつになった時に使える、とても強力な魔法です。
「『流星群落とし』!」
「今や、浄化するで!」
4匹はミュルミュールを囲むように楽器を構えると、一斉に音楽を奏で始めた。
「『カルテット・パーフェクト・ハーモニー』!」
「ハピュピュール〜」
それからというものの、ミツキ達の噂はすぐに星空町中に広がったという。
ミュルミュール退治から帰る途中、町のポケモン達はチームカルテットが通りすがると4匹の話をしていたこともあった。
「すげぇぞ、今マジカルベースに活躍してるチームがあるらしいぜ」
「あ、あいつらか?」
「あんな子どもがミュルミュールを倒してるってのか!?」
「何でも魔法使いになって半年足らずでブロンズランクになったみたいだぜ」
攻めのミツキとユズネのコンビネーション、遠方でミュルミュールすら魅了するコノハ、そして豊富なサポート技を持つチーム随一の頭脳派であるライヤ。
ある意味理想形とも言える当時のチームカルテットは非常に頼りにされており、これはミツキ達にとっても強い自信となっていた。
「ワイら4匹揃えば、怖いものナシやな!」
「ああ」
「ま、ワイのお陰か?」
「自分で言うなッ!」
__いつしかアタシ達は有名になっていた。周りからのプレッシャーも多少はあったわ。でもそれ以上にこの4匹で多くのポケモン達を救うことができるのが嬉しくて嬉しくて。楽しい毎日だったの。……でもね、1年前のある日。
「おいおい、このミュルミュールはいつもと雰囲気が違うぞ? 危険だからやめておけよ」
「光線を受けた者をみんな石にするミュルミュールなんて、聞いたことないのです」
星空町から少し離れたところへミュルミュール退治へ向かおうとするチームカルテットを、トストら他の魔法使いが止めようとする。しかし、コノハとユズネが得意気な表情でこう返した。
「大丈夫、アタシ達4匹が力を合わせれば、どんなミュルミュールだって倒せるわよ!」
「コノハー、倒すなんて野蛮な言葉使わへんといて。ワイらの音楽で、ワイらの心でミュルミュールにされたポケモンの荒んだ心を助けるんやからな」
__あのミュルミュールは強かったですね。まるで僕達4匹では歯が立たなかった。というより、ミュルミュールと言えるかどうかすらも怪しかったですね。
「くっ……」
町外れ。草木は枯れた荒野のど真ん中。近辺に住んでいるポケモン達は、ミュルミュールの攻撃により皆石になってしまっていた。
ライヤとコノハは既に立ち上がれないほどにボロボロの状態。ミツキとユズネも諦めまいと足を踏ん張らせるがもう立っているのもやっとであった。
「ミュルミュール!」
(あの光線……この一帯を石にした……。やられる!)
ミュルミュールの放つ黒い光線が、甲高い音を立ててミツキに襲いかかる。ミツキの目の前が、中心から闇色に染まってきた。
「ミツキ、危ない!」
__あと少しでミツキがやられる、そう思った時でした。ユズネが猛ダッシュでミツキの前まで来て……。
「ユズネェエーッ!」
ミツキをかばい、ミュルミュールの攻撃を受けたユズネは、石に変えられてしまったのである。
__その後は、偶然駆けつけてくれたトストとクレイによって、ミュルミュールは浄化されました。でも、ユズネが元に戻るワケではありませんでした。
「そうか、ユズネはミツキを庇って……」
マジカルベースに戻り、マスターとマナーレに石になったユズネを見せたミツキ達は、それぞれの後悔と罪に胸を苦しませていた。
自分達の力を過信していたコノハ。
危ないと分かっていながら止めることをしなかったライヤ。
そして、ユズネに庇われたミツキ。
気が付けば、目から熱いものが込み上げてきて、視界の中の石になったユズネがぼやけて見える。
「俺のせいだ。俺が、あの攻撃に太刀打ちできていれば。ユズネがこんな姿にならずに済んだんだ……」
「誰が悪いとか、犯人探しなんてしたって意味ないわよ。ミツキちゃん」
ディスペアがポン、とミツキの肩を優しく叩きながら慰める。しかし、この時のミツキにはぼやけたユズネの石以外には何も見えなかった。
* * *
「ミツキはこの時から笑わなくなり、自暴自棄になってしまいました」
「実際、ユズネは木管のセクションリーダーもやっていましたし、唯一のオーボエ。実力も申し分無く、ユーモアと頼り甲斐のある性格は、いつしか僕達の精神的な支えにもなっていました」
「そんな誰からも頼りにされていたユズネが、ミツキを庇って石になってしまった。そうなれば自己嫌悪と罪悪感に陥るのも、当然っちゃ当然よ」
ライヤとコノハは、ただ無機質にぽつぽつと語っていた。今ここで自分の感情を少しでも見せてしまえば、2匹は当時のことを思い出して泣いてしまいそうだったから。そして、幼馴染としてミツキに何もできなかった自分達の不甲斐なさに押し潰されてしまいそうだったから。
「……そうだよね、よく考えたら」
話を聞いたモモコは、どう答えていいか分からず、ただ静かに同調するしかなかった。3匹のバックボーンがあまりにも重すぎて、とても「大変だったね」「可愛そう」の一言二言で片付けられる話ではなかった。
「で、ミツキが今みたいになった決定打が」
「あの合奏ですよね……」
ライヤとコノハは、目を合わせながらばつが悪そうに話を続けた。
* * *
「木管、そのトリルちゃんと練習したのか? 音がスカスカだぞ」
ことが起こったのは、ユズネがいなくなって少し経った頃の合奏。
ユズネがいなくなった後、木管やCグループのパワーダウンが著しかった。もちろん技術的な面でも致命的であったが、1番は魔法使い達のメンタルが大きく影響していた。
「こんな時ユズネがいれば……」
「ユズネの音が木管をリードしていたのです」
「俺達では力不足なのか……? やはりユズネを失った損失は大きい」
木管担当のポケモン達から、ぽつぽつとぼやきが聞こえる。今ここでそれを言うか、それを言ったらどうなるか__分かっていたのか、トストやライヤが励ますように空気の流れを必死に変えようとしていた。
「お、おいおい何言ってんだよお前ら!」
「そうですよ、また練習すればいいんですよ!」
しかし、まるでトストやライヤの言葉を遮るかのように。
「もう、分かったよ」
トランペットの席から、震えた声が絞り出されるように発せられた。
「ユズネが俺を庇わなければ良かったんだろ!?」
ミツキはそう言い捨てると、楽器を手に持ったまま合奏部屋から飛び出して行ってしまった。
「ちょっ、ミツキ!」
「待って下さい!」
ライヤとコノハもまた、楽器を持ったままで合奏部屋から出て行き、ミツキを追いかける。
マジカルベースの敷地内からもいなくなり、心当たりがある場所をいくつか探したところ、ようやくミツキを見つけた場所は、希望の時計台の最上階だった。
「悪りぃ、ライヤ、コノハ。生き残ったのがユズネじゃなくて俺で」
謝罪の言葉を告げながら振り向いたミツキは、自虐的な笑みを浮かべていた。ピアニシモのように弱々しいミツキの声とは裏腹に、ブロンズランクになりたてのマントが、潮風で力強く靡いている。
その痛々しい姿に、コノハは言葉を失うが、ライヤは懸命にミツキに向き合おうとした。
「なっ__」
「馬鹿なこと言わないで下さい。本気でそんなこと思ってるんですか?」
ライヤの悲痛な問いに、ミツキもまた申し訳なさそうに頷いた。
「ミツキ……そんな……」
「もう、チームメイトを誰も失わないように強くなるから」
__それからのミツキは、身勝手な行動が多くなってマジカルベースにも苦情が来るようになったんです。
「ちょっ、ミツキ! 栄養ドリンクの買い占めは困るよ!」
商店を営むカクレオンの兄弟が、なけなしの金を残して栄養ドリンクをあるだけ持ち出すミツキを呼び止めようとしていたが、ミツキは完全無視を貫いた。
手っ取り早く強くなるために、過激なドーピングに手を出そうとしていたのだ。
「おい、ミツキ。お前チームの報酬のポケを無断で全部使ったな? しかもドーピングのために」
「っせえ! そうでもしなきゃ強くなれねぇんだよ!」
当時、ミツキはまだ学校に通っていたためドーピングのし過ぎは禁止されていた。そのこともあり、その場は栄養ドリンクをモデラートが直々に没収することで収まったのだが、この頃からマナーレや歳上の魔法使い達に対する当たりが強くなっていた。
__学校では問題はなかったの?
__アタシ、学校時代はミツキとはずっと同じクラスだったけど特に問題はなかったわ。やっぱ、あんなに荒れてたのマジカルベースだけだと思う。
__親に対する反抗期みたいなものだと、私達は思っている。
__あと、一番マズかったのはチームアースと一緒に依頼に行った時かしら。
チームアースの依頼に同行することになったチームカルテット。偶然足を踏み入れたモンスターハウスで、その出来事は起こった。
「こんなモンスターハウス、俺1匹でなんとかしてみせる!」
「ちょっ、ミツキ!」
コノハの制止も聞かず、ミツキはモンスターハウスに単身乗り込む。既にチームアースの2匹がポケモン達の群れを追い払っており、今技を放つと2匹を巻き込みかねなかった。
(俺1匹で全部やらないと、どんな手を使ってでも!)
マジカルベースの仲間の目の前にいる全ての敵は、仲間がやられる前に自分1匹で倒さなければいけない__そんな固定概念に囚われるように、ミツキは次々と波導を込めた水の塊をポケモン達の群れに乱れ打ちするように放つ。
ポケモン達は、乱れ打ちされるみずのはどうはもちろん、無意識に凄まじい血相になっていたミツキに恐れをなして逃げ出した。だが、案の定チームアースもミツキの猛攻に巻き込まれていた。
「ぐわっ!」
「ってて……」
特にじめんタイプを持つクレイには、みずのはどうは痛手だった。不幸中の幸いか、2匹はチームカルテットよりもずっとベテランの魔法使いであったため、致命傷にはならずに済んだ。
「ミツキ! アンタねぇ、クレイやトストにまで怪我させて……!」
「流石に今のは見過ごせませんよ、ミツキ!」
この時ばかりは、流石にライヤとコノハも声を荒げていた。「まぁまぁカッカするなよ」とトストが宥めていたが、ライヤもコノハも聞く耳を持たなかったのはこれが最初で最後であった。
クレイは「やれやれ」とチームカルテットの惨状に呆れて言葉も出ずにいた。
* * *
「そうした行動が重なってついたあだ名が……」
「マジカルベースの問題児、ってワケ」
ライヤが言葉を途切れさせたところを、コノハが繋いだ。
「あの合奏のくだりは、止められなかった私にも責任がある。ユズネの石化だけでなく、マジカルベース全員の仲間思いの感情が、ミツキの心を壊してしまったのだ」
マナーレも、当時のことを振り返りながら、申し訳なさそうに語る。
マジカルベースのポケモン達は、ミツキのこともユズネのことも大好きだった。しかし、その「好き」の感情が結果的にミツキを傷つけてしまった。マナーレは責任を感じているが、実際は誰も悪くないからこそ、難しい問題だ。
「それってさ、どうにかならないの……? みんなはそんなミツキの気持ち、知ってるの?」
「ミツキの問題行動が重なって頭を抱えていることからして、完全に理解はしていないと思うわね」
コノハは肩をすくめながら答えた。
「ライヤとコノハに対しては、だいぶ丸くなったと思うがな」
「まぁ、そうね。幼馴染だしチームメイトだし」
ライヤとコノハは、ミツキと1番長い付き合いであり、彼の本心を理解している数少ない魔法使いだ。同時に、ユズネを失うキッカケを作った共犯でもある。ミツキが心をまだ許しているのはそのためなのかもしれない。
「ありがとう。ミツキの本当のこと話してくれて」
「ううん。どっちにしても同じマジカルベースの仲間なんだから、いずれ知るんじゃないかなって思って」
「まぁ、あいつに無断で話したのはアレだったがな」
マナーレが後悔の念を、短い溜息に変えて吐く。
「……やっぱりわたし、ミツキのこと諦めきれない。ミツキの本当の気持ちを、ミツキの口から聞きたい!」
話を聞いたばかりで感情が先行していると思われるモモコを、マナーレは静かに、そして冷たさを持ってして諫めようとする。
「モモコ。気持ちは分かるが相手の心の闇に飛び込む勇気は並大抵のものではないぞ。ミュルミュールに立ち向かう魔法使いが、そうであるように」
「……うん、それは分かってる」
「ましてやお前は、過去の話に関しては関係ない。言ってしまえば部外者だ。一歩間違えれば、二度とミツキと分かり合えないかもしれない」
部外者。
その言葉はモモコの気持ちにブレーキをかけるには十分だった。同時に、自分は結局のところ、魔法の技術だけでなく気持ちの面でもマジカルベースにとっては新参者でしかない。その事実がどこか悲しいような、一言では表せないような気持ちにさせた。
「大丈夫、少しでもミツキと打ち解けられるようにアタシ達もサポートするから! ね、ライヤ」
「もちろんですよ!」
ライヤとコノハはそう言ってくれたが、未だモモコの頭の中には“部外者”という言葉がこびり付いている。
魔法使いが全員そう言っているワケではない。マナーレも、これ以上関わると自分のためにならないと分かってくれた上でああ言っていたのかもしれない。
しかし、肝心のミツキは。ミツキが自分を突き放している理由が「部外者だから関わらないで欲しかった」としたら。
手を差し伸べたくても、相手がそれを望んでいなかったとしたら。
もしかしたら、この感情の摩擦やすれ違いが魔法使いになる上で最も辛いのかもしれない__モモコはその時、そう思った。