ポケモン・ザ・ワールド〜希望の魔法使い〜





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第1楽章・はじまりの1週間 −Ouverture−
002 魔法使いになるってのは
「分かった、わたし魔法使いになる!」
「いいやダメだ! 俺は絶対に認めない!」

 ライヤとコノハから魔法使いにスカウトされたモモコ。しかし、2匹の幼なじみでチームメイトのミツキはそれを断固拒否。
 確かに、ミュルミュールとの戦いであんだけ仲間を拒んでいれば、拒否されるのは自然かもしれない。なんてモモコは思っていたが、ミツキの真意まではさすがに汲み取れなかった。

「魔法のこと何も知らないような奴をチームに入れたら、足手まといが増えるだけだろ」
「そこはアタシ達でサポートすればいいっしょ? ライヤも言ってたじゃない」

 それはそうだが__ミツキはなんとしてでもモモコを認めるワケにはいかないようで、他に上手い言い訳はないかと頭をひねらせる。そしてようやく、自分でも言っちゃいけないことだと分かっていても、吐き捨てるようにぶつけた。

「だいたい、こいつは何の理由でここに来たどこのどいつなんだよ? その辺ハッキリしてないような、得体の知れないヤツを仲間にできるかってんだ」

 得体の知れないヤツ、という言葉にカチンときたのだろう。ここまで言われると、さすがにモモコも黙らずにはいられない。思わずまくし立てるように負けじとミツキに言い返す。

「え、得体の知れないって何さ! まるでバケモノみたいな言い方しないでよ! 確かにわたしがなんでポケモンになってこの世界に来たのかとか、分からないけどさぁ……」
「だったらなおさら! そもそも、人間がポケモンになるなんて都市伝説レベルだし、そんな魔法も聞いたことねぇよ。どこでそんな魔法使ったんだよ?」
「こっちが聞きたいよ!」

 まるでレックウザとライコウのようにいがみ合うミツキとモモコ。2匹の間に火花が散っているようにも見え、お互いにいい思いを持っていないことは一目瞭然。

「まあまあ、ミツキもモモコも落ち着いて」

 2匹を見かねたライヤは、間に割り込むように仲裁しようとする。しかしそれもむなしく、ミツキとモモコの言い合いはさらにヒートアップする。

「こいつの素性がハッキリしないことを抜きにしても、無防備でミュルミュールに向かっていくような死に急ぎ女、置いておいたら危険すぎるっつーの!」
「別に死に急いでなんかない! 確かにあれはわたしが悪かったから、次からは気をつける! それじゃダメなの?」
「それで魔法使いとしての実績があるなら、まだ100歩譲って考えるかもしれねぇ。けど今のお前は足手まといのくせに無防備! 救いようがなさすぎるだろ!」
「いい加減にしないか」

 2匹の白熱する口ゲンカに無理やりフィーネをねじ込んだのは、再び割り込んだライヤの一言であった。その声のトーンは明らかに低くドスが効いている。それでいて、ミツキとモモコを見つめるライヤの目は、光を失って笑っていない。 
 これはまずい__本能でそう感じた2匹の顔はバオップ色からヒヤップ色になっている。開いた口もふさがっていない。ライヤの隣にいるコノハも、恐れおののいているのか両目を大きく見開いてガタガタと震えている。

「まだ夜明けだってのに、近所迷惑なの分からないんですか」
「「……すみません」」
「分かってくれればいいんです。今日はもう遅いですし、ひとまずは宿舎に戻りましょう」

 2匹がピッタリの息で、おびえるような声をハモらせる。2匹の謝罪を受け取ったライヤは元の優しい微笑みに戻ったが、その顔の切り替えすらも、何か裏があるんじゃないかと勘ぐってしまう。
 ミツキは、長い付き合いのライヤの恐ろしさを改めて再確認する。モモコもまた、ライヤのことは怒らせてはいけないと心に誓った。

(こいつの名前、モモコって言ったよな……。でも、こんなアホっぽい奴がそんなハズないか……)

 たはぁ、と気の抜けた溜息をつくモモコを横目で見ながら、ミツキの脳裏に1人の人間の女の子の姿が映される。それが過去のフラッシュバックであることは自分でも分かっていた。
 白いキャスケット帽を被った、漆黒の長い髪を持った女の子。
 ぶんぶんとその記憶を振り払うように頭を横に振ると、ミツキはライヤ達に着いて行くように宿舎へと戻って行った。



* * *



 その後すぐ、モモコはコノハの気遣いで彼女の部屋で仮眠を取ることにした。朝になると毎朝『朝礼』なるものがあるようで、その前にコノハも「ちょっと一眠りしたかった」とのことであり、好都合だった。
 ピンクのリボンと白いレースをあしらった、かわいらしいブランケットはコノハの趣味だ。モモコがコノハから借りたブランケットにくるまって、小さなソファの上で眠っていた時。外から何か、楽器のような音が聞こえてくる。
 まだ眠い目をこすりながら起き上がり、なんだろうと疑問に思いながら、モモコは窓の向こうを覗いてみる。するとすぐ隣の窓辺から、銀色の花型が視界に入ってきた。

(あれ……トランペット?)

 これまたモモコも人間時代に見たことがある有名な楽器だった。パレードやジャズ、時には音楽番組でアイドルの後ろでも吹いている人がいた。 
 金管楽器の王様、トランペット。聴こえてくる音は、あの楽器から鳴らされていたのだ。その楽器の持ち主は誰かと思えば、数時間前に散々大ゲンカした相手のミツキだ。
 何かの曲だろうか、その張りのある高らかな音色で奏でられるエチュードはどこまでも響いていきそうだった。ただ、何となく強張った音をしているような__。
 ミツキはモモコの視線を感じたのか、演奏を中断させて彼女へと視線を向ける。しかし、向けてきたジト目は、不愉快な気分をあからさまに押し出していた。

「何だよ、チビ。ガン見しやがって。見せモンじゃねーよ」

 ギクリと身体を固まらせるモモコだが、またも売り言葉を投げかけられると反射的に買い言葉が口から出てしまった。

「ち、チビじゃないし、モモコだし! それにガン見なんてしてたつもりないし!」

 確かにハリマロンは本来なら、ケロマツより身長が高いと言われているが、モモコはミツキよりも小柄に見えた。
 ポケモントレーナーとしてポケモンにバトルをさせたり、ハイテクな図鑑を埋めながら旅をしていたモモコは、ある程度ポケモンに関する知識があった。そのため、ミツキと向き合った時、すぐにこのことに気付いた。
 とはいえ、今のモモコ自身もライヤよりほんの少しだけ背が高い。あくまでポケモントレーナーとしての知識は目安に過ぎないのだが。

「間違っても俺達のチームに入るのはゴメンだからな。足手まといを増やしたくねーんだ」

 一度売られたケンカを、何度も押し売りされると頭にくるものだ。モモコはもう言い返すのを諦め、捨て台詞だけを返すとそっぽを向くように窓から目線を反らした。

「わぁってるよ!」



* * *



 朝礼とやらが始まる前の時間。モモコとコノハの女子コンビはミツキとライヤの男子コンビと居間で合流する。
 マジカルベースの宿舎の最上階でもある3階には、ご飯を食べたりくつろぐのにちょうどいいリビングのようなものがある。ミツキの部屋よりも大きなシンクや料理用の窯が用意されていたり、テレビのようなハコがあったり。
 人間のいる世界に近いようで、でも電気や科学の力で動くようなものがない。自分のいた世界とはまるっきり違う世界。ポケモンだけが住む、ファンタジーな世界だということが、一目見ただけで分かる。 

「なんかミツキとモモコ、さっきより怖い顔してない?」

 コノハは熟睡していたため、ミツキとモモコがまた言い合いをしていたことを知らない。ライヤも2匹のやりとりの一部始終を見ていたワケではないようで、より険悪になっている2匹を見てしどろもどろになっている。
 しかし、ミツキもモモコも「そんなことはない」と言い張るものだから、ライヤとコノハはこれ以上突っ込んだことは聞けない。とりあえず、まずは話を進めなきゃ__仕方ないと思いながらコノハはコホン、と咳払いをし、改めて説明口調で話し始めた。

「魔法使いになるには、まずマジカルベースのマスターに話を通さなきゃいけないの」
「マスター?」
「ここで一番偉くて、一番強い力を持った魔法使いのことです」
「けっこー魔法使いの業界では有名だもんね、うちのマスター」

 そんな説明をされるものだから、モモコは大柄で威圧的な凶暴ポケモンを思い浮かべる。ギャラドスとかバンギラスとか、魔法使いのイメージとはだいぶ遠い感じだ。

「た、食べられたりしないよね……?」
「するわけないわよ! マスター優しくておっとりした感じだからだいじょーぶだいじょーぶ!」

 あまりにもモモコの反応が面白いのか、コノハは彼女の背中を前足でバンバンと叩く。なかなかいい音が鳴っていたもので痛そうだった。

「マスターの部屋はこの建物じゃなく、隣にあるマジカルベースの本部にありますよ。行きましょう」

 ライヤの案内で、モモコ達は階段を駆け下りて宿舎の外に出た。
 宿舎の構造は吹き抜けになっており、中心部には螺旋階段が絡みつくように連なっている。よくもまぁ、1本の大きな木を器用に活用したなとモモコはポケモン(厳密に言えば、彼らの魔法かもしれない)の技術の高さに関心していた。
 外には自然のありのままの姿である緑のカーペットが一面に広がっており、朝日がさらに向こう側に続いている海を照らしていた。海沿いに近づくほど草花は減り、代わりに砂が混じった地面が姿を現す。
 本部に向かう途中で辺りを見回してみると、木に吊るされたタイヤだったり、地面から生えている木造のアスレチックがひとまとめになって設置されている。特訓場か何かだろうか。

(こんなところに……どうしてわたしは来たんだろう。しかもポケモンになっちゃってるし、その上空から落ちてきたらしいし)

 この自然が広がっている、ポケモンと魔法の世界。自分は何で、何のためにここにいるのか。昨日はバタバタしていて考える暇もなかったが、モモコとしてはやはり一番、そこが気になる。

「モモコー、こっちよ」

 コノハに呼ばれてはっと我に返ったモモコは、ブルンゲルをモチーフにした建物へと足を運んだ。

(これ以上は、今考えても仕方ないよね)



* * *



「ここが、マジカルベースの本部よ」

 本部と呼ばれた建物も、宿舎と似たような吹き抜けの構造となっており、上の階までの道は螺旋階段となっていた。こちらは2階建てとなっており、1階は2つの扉が向かい合わせになっており、2つの部屋が用意されているのが分かる。また、2つの大きな掲示板が並んでおり、何枚もの紙やポスターがコラージュされているように貼られていた。
 もっと驚くのは、高い天井を見上げると一面が窓になっていた。天井からは青い空が見えており、朝日がこの空間に差し込んでいる。
階段を駆け上がってすぐ目の前に、1番大きな扉がこちらを見下ろすように待ち構えている。両サイドには、小さな扉が添えられている。倉庫か何かだろうか。 

「この1番大きな部屋が、マスターの部屋」
「やっぱ最初は驚きますよね。僕達も初めて来た時、そんな顔してました」

 自分の身体の3倍弱はありそうな大きな扉に、モモコは思わず息を呑んだ。ただのオブジェじゃないだろうな、本当に開くんだろうななどと勘ぐってみたりしている。
 早速ライヤが3匹を代表するように一歩前に出て、大きな扉をノックする。こんなに大きい扉なものだから、音が吸収されているのではないか、本当に聞こえているのだろうか。モモコは内心ではまだ疑っている。

「マスター、チームカルテットです。失礼します」

 ライヤの言葉に反応するように、扉が勝手に音を立てながら開いた。自動ドア、なんていうものではない。センサーもなければ種も仕掛けもない。こうした目に見えるものひとつひとつが、ここが自分が元いた世界とは違う魔法の世界なのだということを強調している。
 開いた扉の向こう側__モデラートの部屋は、どこかのホテルのスイートルームよろしく、広々とした部屋だった。いかにも高そうな、つやつやしたチェストや棚が並んでいる。まるで鏡のようにピカピカだ。
 青い海と空が見える大きな窓をバックにマジカルベースのマスター、モデラートはそこにいた。金色のマントが朝日に照らされており、彼の背中周りは眩しく見える。

「やぁ、チームカルテット……と、昨日のハリマロンだね」

 そして、モデラートに名前ではなくハリマロンという種族名で呼ばれたことに対して、自分はポケモンになってしまったことを再確認する。やっぱり自分の姿が変わってしまったことも現実だったんだ。そう思うとモモコは少し悲しいような、現実を突きつけられたような、複雑な気持ちだった。

「マスター。この子モモコって言うんだけど、何で空から落ちてきたのか分からないんですって」
「行くアテがなくて困っているみたいなので、ここで魔法使いとして働こうかって話になったんです」

 モデラートは「それは困ったね」と2匹の言葉を受け止め、ふむ、と左手を顎元に置いて考えるポーズを取る。同時に、モデラートの隣にいたマナーレがその鋭い眼光をモモコに向けると、じりじりと彼女に迫る。ハクリューが覚えない『へびにらみ』でもされている気分だった。

「え、あの……?」

 顔がくっつくんじゃないかと思うほど至近距離まで、マナーレが近づいてくる。もしかして、怪しいヤツって思われてるのか。それともそれ以外か。いずれにしても、マナーレの気迫に圧倒され、思わずモモコは後ずさりした。

「あぁ、大丈夫よ。マナーレはちょっと厳格だけど悪いポケモンじゃないから」

 コノハがフォローを入れるが、マナーレが開口一番にモモコに投げかけた言葉は厳格そのもの。決して優しいものとは言えなかった。

「お前。魔法使いになるってのはどういうことなのか、分かっているか?」
「えっ?」
「ポケモン達の魂に輝きを取り戻し、生きるための希望を奏でる。それは即ち、ポケモン自身の心に直接踏み込む仕事なのだ。決して簡単な仕事ではないぞ」

 人の心は複雑だ。誰かと生きていくうえで、必ずうまくいくことばかりではない。トラブルが起こったり、心が張り裂けそうになることもある。
 モモコも人間の世界でもそう思ったことは多々あったが、それはポケモンの世界でも同じ。マナーレはそれが言いたいのかもしれない。それは、あの時のマーイーカの心の叫びを聞いているだけでも分かることだった。

「そ……それは承知の上です!」

 マナーレの圧迫するような投げかけに対し、モモコは真っ直ぐ彼女の目を見てそう答えた。 

「うん、いい心構えだね。ウチも魔法使いがどんどん減ってたところだし、手が増える分にはとても助かる。キミを魔法使いにしよう」

 モデラートも、モモコのその度胸を認めたようだ。ライヤとコノハはモデラートの返事を聞くと大喜び。

「本当ですか!?」
「やったぁ! ありがとうマスター!」
「あ、ありがとうございます! よろしくお願いします!」

 そんな3匹とは対照的に、ミツキは面白くなさそうな表情を浮かべ、彼らから目をそらす。

「……後悔しても知らねぇぞ」

 ミツキのその呟きに、モデラートは気付いているのかは分からない。いずれにしても、あえて彼の言葉を気に留めず、次の話へと話題を移す。

「じゃあ早速だけど、キミの魔法の潜在能力はまだキミ自身の中にある。その力を魔力の源となるアイテムにするために、少しばかり儀式が必要になるんだ」

 モデラートのその言葉に、コノハは「うわ、出たぁ」とげんなりした顔をする。彼女の反応からして、モデラートの言う儀式というものはあまり気持ちのいいものではなさそうだ。

「え、怖いやつなの?」
「だ、大丈夫です! 魔法使いならみんなやってますから。ねぇミツキ?」

 ライヤはここで、あえてミツキに話題を振ってみる。ミツキも決して会話が苦手な方ではないため、たわいもない話を挟めばミツキとモモコが仲良くなるキッカケを作れるかもしれないと思ったのだが。

「そりゃそうだけどよ……」

 それ以降は会話が弾むことはなかった。機嫌が悪いところに会話を吹っかけてしまったこともあり、むしろから回ってしまったかも、とライヤは後悔する。

「朝礼もあるし、もう始めてもいいかな? 今のうちにマナーレ、例のものを」
「はっ」

 マナーレが“例のもの”とやらを取りに席を外すのと同じくしてモデラートに諭され、モモコは改めて彼の目の前に立つ。モデラートはマナーレとは対照的に優しく、温かく見守るような眼差しで彼女を見つめると「覚悟はいい?」と尋ねる。モモコが首を縦に振り、モデラートにその気持ちを見せると彼は静かに、でも安心するように微笑む。

「それじゃあ、モモコ。その場から動かないでね。ちょっと変な感じするけど、我慢してね」

モモコは緊張感をぬぐえないまま、こくりとうなずいた。
 彼女の応えを確かめたモデラートは、早速ある言葉を唱え始める。魔法の呪文かとも思ったが、それにしては言葉がハッキリしすぎている。いわゆる必殺技の名前のようなものだろうか。

「『アルス・マグナ=コンキリオ・エクストラクション』!」

 それ、ただのイッシュ語__モモコはポケモントレーナーとして、旅をしていた時に立ち寄った地方で使われていた言葉を思い出した。と、思えばモモコの足元には青白く光る魔法陣が現れている。
 自分は魔法をかけられているんだ。モモコが胸のビートを高まらせている間にも、モデラートはさらに言葉を続ける。

「この者の魔法の全ての力よ、ここに結晶になれ!」

 モデラートの掛け声に反応するように魔法陣の光はより強くなった。モモコはというと、光に包まれると共に胸の奥に握り潰されているような違和感を感じ、ぐっと両手をそこに抑える。
 光が強まると同時にだんだん違和感が強まり、ハッキリとした痛みに変わることで苦しくなってきたのか、呼吸が短くなり呻き声まで上げてしまう。

「うぐっ……ううっ……!」
「もう少し……!」

 次第にモモコが抑えている手から光が溢れ出すと共に一点に集結し、ひとつの形となる。それはハートを逆さにしたような形、トランプのカードのマークとして馴染みあるモチーフ__スペードだった。

「あぁああああっ!」

 抉られるような声と共に、ようやく魔法の源とやらは出来上がった。光が弾け飛んだその中身は、鮮やかさと優しさをミックスさせたような、エメラルド色のスペードの宝石だった。手のひらの半分ぐらいの大きさのそれは、モモコを見つめるように宙に佇んでいる。

「__」

 モデラートはというと、目を見開いて絶句していた。乱れた呼吸でよろめくモモコと彼女から生まれた宝石を交互に見て、まるで信じられないとでも声に出してしまいそうだった。
 流石にミツキも、いつもと違う自分のマスターの様子に疑問を感じたのか、恐る恐る声をかけてみる。

「……マスター? どうしたんだよ」

 ミツキの呼びかけにマスターは我に返ると、声を震わせながらも平常心を装った。

「失礼。シャムルスフェールは完成した。これがキミが魔法を使うための大切なアイテムになるんだよ」
「は、はひぃ……」

 宙に浮く宝石__シャムルスフェールを手に取りながら、モモコは呼吸を整える。まるで身体の中の物を全部捻り潰されそうな痛みではあったが、ともあれ自分はもう魔法使いなんだ。手に取ったその宝石を改めて見直しながらそう思った。

「お待たせしました、マスター」

 間も無くして、マナーレがあるものを運びながら戻ってきた。彼女の長すぎる背中には丁寧に畳まれた青紫色の布と、黄金色に輝く小さなメダルのようなものが乗せられている。
 モデラートの「マナーレ、ありがとう」という言葉を受け取ると、マナーレはモモコに近付き、その“例のもの”__青紫色の布とメダル、そして布と同じ色をした三角帽子を地面に置き渡す。よく見ると、メダルはモモコもよく知っているポケモントレーナー御用達の道具、モンスターボールのような模様が彫られていた。

「これは、魔法使いの証である帽子とマント、そして勲章だ。まず勲章を開いてみろ」

 金色のメダル改め勲章の本体自体は懐中時計になっていた。蓋部分には何かを埋め込めるには適切な窪みが中央部にある。

「その蓋の窪みにシャムルスフェールを嵌め込むのだ。こうすれば魔力の結晶は安全であり、失わずに済む。勲章は身分証明代わりにもなるから、くれぐれも失くさないように」

 モモコが言われた通りに窪みにシャムルスフェールを嵌め込むと、蓋の縁に自動的に文字が彫られた。いわゆるアルファベットの筆記体で自分の名前が刻まれているのだ。

「じゃあじゃあ、帽子とマントつけてみましょうよ! やっぱ魔法使いって言ったらこれよね」

 ここでコノハが地面に置いてあったモモコのマントを握りながら彼女に近づく。マントの羽織り方を教えてくれるようなのだが、コノハはまるで何か面白いことを始めるようにニヤリと笑っていた。

「ここをこうして……」
「ちょ、コノハ、くすぐった__」
「アンタのように勘のいい子はアタシ好きよ?」
「ちょ、やめっ! あっひゃひゃひゃ!」

 端から見ればじゃれ合っているようにしか見えなかった。
 マナーレやミツキなんかはその光景に頭を抱えていたが、魔法使いとはいえ2匹の笑いながらじゃれ合う姿は年頃の女の子そのものであり、モデラートとしては微笑ましかった。

「で、最後にここに勲章をくっつけて、帽子を被れば!」

 勲章をブローチのように胸元に装着され、頭よりもちょっと大きめの三角帽子を被る。これも魔法の仕組なのか、頭のトゲはぴょこりと帽子を突き抜けて外に飛び出していた。とにかくこれでモモコも、ミツキ達と同じような魔法使いの身なりになった。ただ違うのは、ミツキ達のマントに入っているオレンジのラインがモモコにはない。

「うんうん、似合ってるわよ。やっぱりマントと帽子って、魔法使いって感じするわよねぇ!」

 コノハがご満悦な様子になる一方で、モデラートは壁に立てかけてある大きな振り子時計に目をやる。時計はもうすぐ8時半になることを示していた。

「あっと、朝礼の時間だ。さぁモモコ、みんなに挨拶しないとね!」
「ほらっ、行きましょう行きましょう!」

 モデラートとマナーレが外に出たのを追うように、ライヤとコノハに手を引かれながらモモコは部屋を後にする。そして少し遅れたようにミツキも外へと出て行った。
 ミツキは扉を出たところで足を止めると、未だ不服そうに、誰にも聞こえないように呟いた。その声には、納得のいかなさというよりも、まるでこれからのことを憂いるような感情が含まれていた。

「本当にこれでいいのかよ……」



* * *



 本部1階の広場には、既に魔法使いポケモンが集まって談笑していた。チームジェミニとチームキューティ、そしてうきくさポケモンのハスボーと、マジカルポケモンのムウマージもそこにいた。ハスボーは身体の構造上、マントではなくハチマキを浮き草と身体の境目に当たるところに巻いており、ムウマージに至ってはマントではなく、白衣を身にまとっている。

「やぁみんな、遅れてごめんね」

 忙しない様子でモデラートが階段を降りてきて魔法使いポケモン達の前に姿を表す。次いでマナーレ、そしてモモコを連れたチームカルテットの面々。昨日空から落ちてきたハリマロンが何で今一緒に__魔法使い達はさらにざわつきを大きくさせる。

「お、おい! あのハリマロン……昨日のヤツじゃねーか!?」

 シオンが大声を張り上げながらモモコを指す。あまりにも突然だったもので、びくっとモモコは身震いする。その様子に気づいたのか、すかさずリオンがシオンにブレーキをかけるように、ポンと彼の肩に手を置きながら諭した。

「シオン、いきなりポケモンのこと指すのは失礼なのです。でも……」

 しかしリオンもまた、不思議なものでも見るようにモモコに注目する。その顔付きは何処か緊迫感を感じさせられた。リオンも他の魔法使いと同じように、どこのポニータの骨だか知らないポケモンが昨日の今日で魔法使いになることに、警戒を感じている。

「あの子、魔法使いになったのですね」

 ミツキ達が魔法使い達の集いの中に紛れる一方で、モモコは前に出ているモデラートとマナーレの隣に申し訳程度に佇んでいる。魔法使い達の目線が自分に向けられており、緊張するような少し怖いような、何とも言葉にできない気持ちになった。
 一方でモデラートは魔法使い達を見渡すと何かが欠けていることに気付き「おや?」と小さな声で呟く。

「みんなおはよう。チーム『アース』の2匹はどうしたの?」
「トストのアニキとクレイのアニキは、昨日の仕事終わりからバーに行ってるゾ!」
「そうか、いつもありがとうガッゾ」

 幼いハスボーのガッゾがすかさず、その場でチーム『アース』の2匹なるポケモン達の所在を元気よく伝える。マナーレはガッゾとは対照的に「またか……」と呆れたように深い溜息を吐いた。他の魔法使い達も小声で「仕方ないな」と言っていることからよくあることのようだ。
 大柄な2匹のポケモンが、よろめきながら本部に入ってきたのはその時だった。

「お、遅れてすまねぇ!」

 1匹は大きな甲羅を携えた、こだいガメポケモンのアバゴーラ。もう1匹は両手にドリルの様な鋭い爪を持つ、ちていポケモンのドリュウズ。
 アバゴーラがまるでドリュウズを介抱するように彼に肩を貸しており、ドリュウズはというと、顔を真っ赤にしてぐったりとした様子でうとうとしている。ニヤニヤと不自然な笑みを浮かべるその口元からは「ひっく」としゃっくりの声まで聞こえる。

「……トスト、後でクレイに私の所に来るよう伝えておいてくれ。ゴールドランクなる魔法使いがこの体たらくとはなんたるものか……」
「お、おう……」
「トストちゃん、後で保健室にもいらっしゃい。クレイちゃん、また二日酔いすると思うから頭痛薬出しておくわ」
「ディスペアもいつもありがとな。助かるぜ」

 トストなるアバゴーラはディスペアなる白衣のムウマージにお礼を言うと、泥酔しているドリュウズ、クレイを抱えたまま魔法使いの中に紛れていく。よく見ると2匹のマントに入れ込まれたラインはモデラートのマントと似た黄金色。少なくともトストには他の魔法使いとはちょっと違った、大人の風格が漂っていた。
 マナーレは「こほん」と咳払いすると、魔法使い全員に視線を戻す。

「えー、連絡ある奴はいないか?」

 マナーレの問いかけに辺りはしんと静まる。全員が同じタイミングで一切声という音を発さないゲネラルパウゼ。マナーレは連絡あるポケモンがいないことを確かめ、うんうんとうなずくと、魔法使い達に向けて話し始めた。

「今日は仕事に入る前に、このマジカルベースに入ることになった新入りを紹介する。まぁ、お前らも知っているかもしれないが、昨日の夜に空から降ってきた奴だ」

 マナーレに目で「何か言え」と訴えられ、モモコは「無茶振りキツイよ」と心の中で抗議しつつも、足らない語彙力をフル活用して文を組み立てながら話し始める。

「え、えーっと……モモコっていいます」

 まずは名前から。しかしながら、まさか「実は人間でした」なんてことは言えっこない。あの時のライヤ達の驚き様を見たら、ここにいる全員に分かってもらえるか自信がなくなったのだ。

「き、昨日は急に空から降ってきたみたいですみません。魔法のこととか、この町のこととか、分からないことはいっぱいあるんですけど……」

 色々と言葉を即席でつぎはいでいるが、最後はやはりこの言葉で手短に締め、深々と頭を下げる。

「よ、よろしくお願いします!」

 昨日の今日で受け入れてもらえるだろうか、みんなミツキみたいなのだったらどうしよう。考えれば考えるほど不安になり、頭がぐるぐるする。考えすぎて目まで回ってきそうだった。
 そんなモモコの不安を打ち破ったのは、1匹のポケモンの拍手だった。

「いいわね、いいわね! よろしくーっ!」

 元気よくそう投げかけたのはフローラだった。その元気さと優しさを併せ持った彼女の笑顔は朝日に照らされており、より眩しく見えた。
 そんなフローラをつんつん、と指先で彼女の肩を突きながら、リリィは怪訝な顔をして耳打ちした。

「ちょっとフローラ、理由も分からず空から降ってきた子よ?」
「でもあの子、ちっちゃいのに行くアテもなさそうでしょ? だったらここで働きながら、音の大陸の生活に慣れていけばいいじゃない」
「確かに一理あるわねぇ。私もフローラちゃんに同意だわ」

 フローラとディスペアのその言葉には、心強さと嬉しさを感じる。1匹でも、どころか2匹も受け入れてくれたポケモンがいたのだから。特にフローラは、昨夜モモコが言葉でミュルミュールを説得したところを見ていたということもあり、彼女が悪いポケモンではないことを見抜いている。
 モデラートは2匹に同調するように、うんうんと首を縦に振っていた。
 すると、シオンやガッゾ、トストといったオスポケモン陣もフローラにならうように拍手大喝采。

「フローラの言う通りだな、悪いヤツって感じでもなさそうだし」
「やったー! お姉ちゃんが増えたゾ!」
「こちらこそよろしくな!」

 特にゴールドランク__町で一番強い魔法使いでもあるトストの好意的な姿勢を見ると、リオンも自然と顔がほころんだ。心配症のリリィも不本意ではあるが、流されるようにモモコのことを認めることにした。

「確かにボク達がちょっと気を張りすぎていたのです」
「み、みんながそう言うなら……」

 その光景に、ライヤとコノハも「受け入れてもらえてよかった」と安心する。魔法使い達のことを信用していなかったワケではない。しかし、ひとつ屋根の下で過ごしている以上はお互いにどんな性格なのかはある程度分かっているつもりだったからこそ、不安だった面もある。ミツキはというと、興味すらも向けていない様子であった。

「改めてよろしく、可愛らしい新米さん」

 フィルが優雅な足取りで前に出て、くいと頭のリボンでモモコの顎元を持ち上げる仕草をしたのはその時だった。コノハは「また始まった」と肩をすくめ、他の魔法使いポケモン達も同じような顔をしては溜息を吐く。
 モモコはというと、何が始まっているのか把握しておらず目を白黒させる。

「えーっと……?」
「失礼、名乗り忘れていたね。ボクの名前はフィル。シルバーランクの魔法使い、『チームキューティ』のリーダーさ。名前の通り思わず虜になりそうなチャーミングなキミ、楽器は何だい?」

 一見ナンパそのもののフィルのその言葉に、魔法使い達が「あっ」と反応する。

「楽器、って……」
「ボク達魔法使いの主な魔法の手段は、楽器なんだ。昨夜、ライヤがバリサクでミュルミュールを浄化しているのをキミも見ただろう?」

 その光景は確かに記憶に新しい。ライヤが金色の楽器を吹いた途端、ベルから弾ける光と稲妻が現れ、ミュルミュールを包み込むとスピリットに戻した。

「みんなそれぞれ違う楽器を担当しているんだ。シャルムスフェールの魔力の一部が具現化したもの__つまり魔法使いになった時から、同時にポケモンは1匹の楽器奏者となる」

 フィルは誇らしげにそうモモコに説明すると、顔をナンパモードに切り替える。

「モモコ、キミはどんな楽器が似合うかな? ここは、ボクと同じトロンボーンかまだこのマジカルベースに奏者がいないテナーサックスか__」
「フィル、説明かたじけない」

 マナーレに押されるように、フィルは退場させられる。彼の後処理をマナーレに任せるように、モデラートはモモコに向き直った。

「そういうワケなんだ。せっかくだからモモコ、キミの担当楽器をみんなに紹介しよう」
「う、うん!」
「そしたら念じてごらん。キミの楽器が目の前に現れることを」

 モデラートに促され、モモコは頭の中でひたすらに懸命に念じる。まだ見ぬ自分の楽器、それが目の前に現れるように。

(わたしの楽器……わたしの魔力の、心の一部。どんな楽器なの?)

 すると、モモコの胸元の勲章から、浮かび上がるように緑がかった白い光が現れる。光のシャボン玉のように柔らかいそれは、大きなラッパへと姿を変えていった。銀色のボディに3つのピストン__と思いきやモモコから見て右端の方にもうひとつ。
 ピストンの傍に手が引っ掛けられるような管があったものだから、反射的に思わずその楽器を手に持つと、ずしりと重さが伝わってくる。よく見ると、楽器が自分の顔を映してくれる鏡となっており、少し歪んだ自分の顔が映し出されていた。
 モモコのこの楽器への第一印象は「大きなラッパ」。しかし、大砲にもそっくりなビジュアルのそれは、あまりお目にかかることがない楽器だった。

「こ、これ何ていう楽器?」
「ゆ、ユーフォだ! 念願のユーフォ吹きだ!」

 よくわかっていないモモコとは対照的に、飛び上がるようにトストが大喜び。他の魔法使い達も「ついに来た」と言ってはざわついている。魔法使い達の口ぶりからして、このマジカルベースにはユーフォ吹きはいなかったのだろう。

「ミツキ、ミツキ! モモコの楽器がユーフォよ! これで金管が増えたじゃない!」
「そうですよ! ユーフォ奏者来ないかなって、昔ぼやいてたじゃないですか!」
「……ったく、よりにもよって」

 確かにユーフォ奏者は念願だが__ミツキは素直に喜べず、今の気持ちを悪態に変換して吐き捨てる。そんなミツキ達の陰に隠れるように、少し不安な表情を浮かべているポケモンがいた。
 リリィだった。
 他のポケモンが大喜びしている中でいい顔ができないのは、リリィも恐らくモモコと同じ金管楽器だから、という事情があったのだ。

「それはユーフォニアム。略してユーフォと呼ばれている楽器でね、なんとッ!」

 すかさずフィルは前に出ると、モモコと同じ要領で自分の楽器を出す。金色のボディと特徴的な長いスライドを持った楽器が、桜色の光に包まれて姿を現した。楽器の名前はトロンボーン。 長いリボンを持つフィルにはよく似合っているかもしれない。
 フィルはキメ顔をそのままに、しかしまくし立てるように続けた。

「このボクのトロンボーンと同じマウスピースなのさッ! これも何かの縁、ボクとの愛の音色でこのバンドを包みこもうじゃないか!」
「ハイハイ、その辺にしときましょーねー」

 とうとう見かねたフローラが、フィルの耳を引っ張り退場していく。その一部始終を、モモコは苦笑いしながら見送った。

「とにかく、そのユーフォニアムがお前の一部となる。大切にするんだぞ」

 マナーレは一言一言噛みしめるようにモモコに告げる。このユーフォニアムが自分の担当楽器で自分の一部。初めて目にする楽器というのもありイマイチピンと来ないが、だからこそモモコは期待に胸を膨らませていた。

花鳥風月 ( 2018/05/22(火) 10:34 )