第2章
第12話:師範
アルトが去った後の執務室の中。
そこは打って変わって重い空気に包まれていた。
チカが手に持っていた書類の束をぺらぺらとめくり、そのままマナの方へと放る。

「マナちゃん、これ見てキミはどう思う?」

器用にくちばしで受け取ったマナは、1枚1枚視線を走らせながらめくっていく。
そしてとあるページに書かれている事柄を読み、ぎょっとして息を飲んだ。

「ちょっ…。何コレ、“遺体発見”? やだっ…! 結構近くじゃない!!」
「そう。ここから西に約2kmくらい離れた丘の上で起こったらしいよ。全く火の気のない場所で、近くに住んでいたケムッソが炎の犠牲になった事件。幸か不幸か、“アストラル”のぎりぎり管轄外のことだったみたいで、情報が入ってきたのが昨日になってからだったんだ。ちなみに、そこにまとめてあるのは僕ができる限り集めた、“最近起こった奇妙な事件”の一覧」
「この大陸だけで…こんなにも…? いや、もしかしたらもっと他にも起こってるかもしれない。ということは…」

マナの視線を静かに受け止め、チカは彼女の言葉の後を継いだ。

「うん。――間違いないよ。“何か”が今、この世界に起こってる」
「…じゃあ、どうする?」
「そこなんだ」

言いながら、チカは席を立って壁際に近づいた。
そこには、ベル――朝顔の花のように裾が広がった金属製の管が据え付けられていた。
壁に沿って走る管は、隅の方で続きが壁の中へと消えており、見ただけでは一体どこへ繋がっているのかは分からない。

「まずは、もっと情報が欲しい。できるだけ詳細なやつがね。そのためには、あの“道化師”を捜してくる必要がある。――アカリ、聞こえる?」

チカはベルに顔を近づけ、その中へ向かって声を張る。
ややあって、通信室にいるはずのエーフィの声が少しくぐもって返ってきた。

『なあに、チカ?』
「悪いんだけど、ちょっと調べ物をしてくれないかな。“セナ”が今どこにいるか、分かる?」
『セナね…待ってて。――見つけたわ。「かがやきのおか」の近くね。呼び出す?』
「頼んだよ」

そう伝声器に言い残し、チカはマナの方へと振り向く。

「さて、マナちゃん。君にもちょっと仕事してもらわないとね」
「お仕事? …どんな?」
「僕よりキミの方が適任だと思うからね。“プクリンギルド”に連絡を取ってもらいたいんだ」
「わかったけど…どうして?」
「『ひかりのいずみ』に関する奇妙な噂を耳にするんだ。あそこは“プクリンギルド”の管轄だからね。以前レイ君達が立ち寄った時も“主様”が不在だったみたいだし…。ただの偶然とは思うんだけど、その話を聞いた“フィスィ”の2匹が何だか嫌な予感がするんだと、しきりに訴えていてね…」




















「どうしよう……」

アルトは迷っていた。
ここはギルド“アストラル”のお膝元で繁栄をみせる町“アーベンタウン”の東端。
目の前には威圧感を放つ大きな門構えの入り口のようなものがあり、奥には木造の、これまた大きな建物がそびえていた。
彼にはまだ読めなかったが、門に掲げられた看板には、あしがた文字の飾り字で“コジョンド武術道場 ギルド予科生及び新入隊員歓迎”との表示がある。
門の柱の陰からそろそろと中を覗く。
前庭にはポケモンの姿はなく、スライド式の戸もきっちりと閉められている。
そしてどうやら玄関から直接道場につながっているらしく、時折「はあっ!!」という気合の声や、「まだ甘い! もう一本!!」などという檄を飛ばす声が漏れ聞こえてきた。
アルトは若干強張った顔で態勢を元に戻す。
ああいう“熱い”雰囲気は苦手だ。正直言って、怖い。
本当に目的地がここで合っているのか確認しようと、アルトはカバンからチカに貰った地図を取り出して、そして、

「ん……?」

案内のために描かれた矢印が、正門を無視し、建物をぐるっと迂回するようにして裏口へと続いていることに気づいた。
ひとまずほっと胸をなでおろして、地図の通り裏へと回る。
そこは、表の何だか“強そう”な印象とは裏腹に、閑静な雰囲気だった。
アルトは木戸をくぐり、丁寧に手入れがされた庭を通り抜けて、ドアの横に吊るされている呼び鈴を鳴らす。
からんからん、と金属同士がぶつかり合う軽快な音が響いてから十数秒後、穏やかな声と共に扉が開けられた。

「はい、どなた様?」

中から出てきた二足歩行の白いイタチ――コジョンドは、自分の視界に映る者が誰もいないことに数回目を瞬いた。
が、すぐに視線を落とし、見上げるアルトの姿を見つける。
その顔が柔らかく溶けた。

「アルト君…ですね。お待ちしていました。チカ君からお話は聞いていますよ。さ、どうぞおあがりください」






















コトン、とアルトの目の前に湯気が立つお茶の椀が置かれた。

「どうぞ。庭で採れたきのみをブレンドした、特製のお茶です」

アルトは礼を言って椀に舌をつけた。
本来なら、両手で持って行儀よく飲むのが作法だが、四足歩行の彼にはそんなことはできない。

「……おいしい」
「それは良かった」

卓袱台を挟んでアルトに相対するように正座していたコジョンドは微笑んで自らも一口飲み、唇を湿らせる。
彼らが今いるのは、畳敷きの、いわゆる“和室”だった。
採光と通風のため開け放った障子戸の向こうには、縁側と木々に満ちた庭が見え、壁際の板間の部分には、初夏の花が活けられた花瓶がある。
アルトは知らないことだったが、この様式は“東大陸”で多く見られるものであり、ここ“西大陸”では珍しい。

「さて、一息ついたところで、遅ればせながら自己紹介致しましょうか。私は元“アストラル”の第1隊“グロリア”に所属しておりました、ナオと申します。現在はと言えば、ご覧の通り第一線から退き、引退した身ではありますが、当“コジョンド武術道場”の師範として、若い世代を育成しております。チカ君達とは、彼らが“ギルド長”になる前からのお付き合いになりますね」

そう言って、初老のコジョンドは、長い体毛に覆われた手を合掌し、優雅に一礼する。

「では、本題に入っていきましょう。アルト君はつい先日“アストラル”に入ったばかりの新入隊員でしたね。自分の力量について悩んでおり、“強くなる”ためにこちらへ足を運んだ、と。――まあ大体このような事情だと聞いているのですが、具体的にはどのようなお悩みがあるのですか?」

ナオは柔和な風情を崩さずに、心地よい声音でアルトへと問いかける。
まるでカウンセラーのような手慣れた喋り方から、ここを初めて訪れた者に総じてこの“聞き取り調査”を行っているのだろうと推測できた。
その振る舞いは、彼が“道場の師範”ということを感じさせない。

「えっと……僕、その…“元ニンゲン”なんです。それで技の使い方とかも分からなくて…。そもそも、“戦う”ってことが怖くて……どうしていいのか、分からないんです」

ナオは少し目を見張った。

「おや。…なるほど、チカ君がわざわざ私を直接呼び出した理由が分かりましたよ。そういうことでしたら、私はうってつけの先生になれるでしょう。なぜなら――」

ここでナオは少し間を置いた。

「私も“元ニンゲン”ですからね」


■筆者メッセージ
この場をお借りして、以前頂いた拍手メッセージへの返信をさせていただこうかと思います。

>烏山さん
こんばんは。こちらこそ初めましてです。
そちらの小説の方も先日読ませていただきました。
僕も音楽好きなので、色々とにやにやさせられっぱなしです。
“交響曲”とは題名についていますが、直接本編には関係ないです。はい。笑
キャラクターはこのお話、無駄に多く登場しますので、読み手の方が混乱しないかと冷や冷やしております。

メッセージありがとうございました。これを励みに頑張らさせていただきます。
しると ( 2014/08/03(日) 23:06 )