ポケモン不思議のダンジョン〜隷従と自由の交響曲(シンフォニア)〜 - 第2章
第11話:自分の所為
茶色の滑らかな毛に覆われた手が、水色の小さな紙切れをそっとつまみ、半開きになったマグマラシの口に挟んだ。
しばらくそのままにした後、慎重に引き抜き、それを自分の眼前に持ってくる。
体毛と同じく、理知的な光を宿した茶色い瞳が、わずかにピンク色に変色した紙切れをじっとにらんだ。

「んー、まずまずってトコロかしらね。薬も効いてきてるみたいだわ」

良かった、とほっとしたように、彼女、もといリネットはその長い耳を揺らして笑う。
すらりとした抜群のプロポーションを持つ彼女は、ミミロップという兎に似た種族である。
ラッキーやタブンネといった種族で占められがちな中で、珍しい“医者”として、“アストラル”の医療関係全般を受け持っていた。

「あら、どうしたの、アルト君」

薬品入りの瓶を片付けようと、壁際の棚に近寄ったリネットは、ベッドそばの椅子でうつむくアルトの顔を覗きこんだ。
何かを思いつめているかのように、その表情は暗い。
それもそのはずだった。
彼の目の前には、並んで寝かされているスゥ、ヴェン、ルーンの姿がある。
つい先日に起こった『コロコロ洞窟』の事件で負傷し、おまけに猛毒に冒された彼らは3日経った今でも昏睡状態にあるのだった。
素早い救助とリネットの処置のおかげで命に別条はないのだが、いかんせん目を覚まさない。
そのことがアルトの心に影を落としていた。

「なんて顔をしてるのよ。そんなことじゃあスゥちゃんにどやされるわよ?」

柔らかい声と共に、ひょいとアルトの隣の椅子に飛び乗ってきたポケモンがいる。
所々に木の葉を思わせる体躯に、賢そうにくりくりとしたこげ茶色の瞳が見る者に強い印象を与える。
爽やかな森の空気をまとったリーフィア――サクラはアルトに優しく微笑みかけた。

「元気出しなさい。リネットの薬は良く効くから。だいぶ毒も抜けているようだし。もうそろそろ目を覚ましてもおかしくないはずよ」
「…本当、ですか?」
「ええ。もしかしてこの子達、とっくの昔に目が覚めてて、でもあなたを驚かせようとして狸寝入りしてるのかも? なーんてね!」

コロコロと冗談めかして笑うサクラは、先日の事件で、レイと共に“アストラル”を救助に行ったのが縁で、アルトと知り合うに至った。
彼女が“元ニンゲン”でかつ第2隊“フィスィ”の隊長の1匹と聞いたときは、仰天したものだ。

「あっと、いけない。忘れてたわ。アルト君、リーダー達がお呼びなの。執務室に来るようにとのお達しよ」

思い出した、という風の彼女の台詞に、アルトは首を傾けた。
件の“事件”のことの詳細は、アルトが目覚めてすぐに聞き取りが行われ、全て報告書となって彼らの手に渡っているはずだ。
その内容に関して疑問点が浮上したので再度話を聞きたい、ということなのだろうか。
だがしかし。
アルトは不安そうにベッドへと視線を走らせた。
この状態の仲間達を置いていくのはやはり躊躇われる。
すると、彼の心情を察したかのようにリネットが頭を優しくなでた。

「大丈夫。私が見ていてあげるから、いってらっしゃいな」
「…分かりました。お願い、します」

ぎこちなく2匹に礼をし、鼻先で扉を押し開けて医療室を後にする。
ぱたぱたという足音と気配が完全に消え去ってから、リネットはアルトが先ほどまで座っていた椅子にすとんと腰を下ろし、文字通りスゥ達を『見守る』態勢をとった。

「思った通り、いや、それ以上に心配ね、あの子。どうにもまだ頑なな感じだわ」
「無理もないわね。出会ったばかりの仲間が傷つけられ、それにトラウマの主とも再会…。表面上はまだ平静を保っているようだけど、内心ではどう思っているのか…。私達では到底想像できないでしょうね」
「そうね。だから過度に同情するのはやめましょう。余計アルト君を苦しめるだけだから。――ねぇ、リネット。私ね、あの報告書を読んで、あの子にも話を聞いて、どうにも1つだけ分からないことがあるのよ」

その言葉にリネットは眠る3匹の顔から視線を外し、こちらを射抜くように見るリーフィアと目を合わせた。
サクラ達の束ねる“フィスィ”は、自らの頭脳を最も強力な武器とするポケモンが集まる部隊。
とりわけ、その筆頭たる隊長のサクラ達2匹の勘は。

「何故攻撃者たる“デウ”は、アルト君を傷つけなかったのか。リネット、あなたも診察をしながら不思議がっていたでしょう? “他の3匹の容赦のないやられ方とは対照的に、彼には身体的な異常がほとんど見受けられなかった。このことには、何か理由があるのではないか?”ってね」

















こんこん、と扉が遠慮がちにノックされた。
チカが応えるより先に、はあいと元気よく返事をしたマナが駆け寄り、自らドアノブを回して訪問者を迎え入れた。

「やあ、来たねアルト君。とりあえずここにでも掛けてくれないかな」

大きな文机の上に散らばった書類を揃えながら、チカは声だけを寄越す。
引かれた椅子にちょこりと腰かけたアルトの前に、氷できんきんに冷やされたきのみジュースが出された。
こういうときだけ、マナちゃんは気が利くなぁと見ていたチカは思った。が、声に出しては言わない。

「あの…用件はなんですか? 先日のことで、何か…?」
「うーん、当たってもいるし、間違ってもいるかな」

アルトが面食らった表情になった。
そんな彼の様子を、にやにやと人の悪い笑みを浮かべながら見ていたピカチュウが、ふと一瞬、真顔になった。

「――君さ、スゥちゃん達が伏せってるの、自分のせいだと思ってるんだろ?」

瞬間、アルトの瞳が凍りつく。

「どうして、それを…」
「誰かから訊いた、というわけじゃない。僕達はね、推測したんだ」

どうやら当たってるようだね、とチカは静かに言う。

「“自分を守って、仲間が犠牲になった” “自分が無力だったから、仲間が傷ついた” “自分がいなければ、仲間は傷つかなかった”…違う?」

アルトの瞳をまっすぐに覗きこんで、チカはまるで心を読んでいるかのごとく、彼が思っていたことをずばずばと言い当てていく。

「…強くなりたい?」
「……はい」
「そうして得た力が他者を傷つけることになっても?」

思わず、伏せていた顔を上げる。

「強い力を持てば、他者から傷つけられることはなくなる。襲われたら、反撃すればいいからね。でも、それは同時に、相手を傷つけていることになる。逆に言えば、力を持たなければ、他者を傷つけてしまうことはない。――他者を恐れる君に、その覚悟はある?」
「僕――……」

それだけを言うが、あとの言葉が継げなくなって、アルトはふつりと押し黙る。
初夏の陽気に、机に置かれたコップの中の氷が溶けてしまうほどの時間が経って、彼は再び口を開いた。

「……あり、ます」
「よし」

最初からその言葉が返ってくることを知っていたかのように、チカは間髪入れずに返答し、自分の脇に積んであった紙の束から1枚を無造作に抜き取り、そこにさらさらと何やら書き込みを始めた。
それを待つ間、アルトは今まで手を付けるタイミングを失っていたジュースを口に含む。

「これでよしと。じゃあまずはここに行ってみるといいよ。場所はこのギルドの城下町“アーベンタウン”の一角。“武術道場”さ」

書き終えたチカは、紙をアルトの方へと滑らせる。それには、タウンの簡単な地図と矢印が描かれていた。

「ここの主と僕らとは古い知り合いなんだ。こと戦い方を教えることに関してなら、彼が一番適任だと思ってね。実は、もう連絡を取ってあるんだよ」

そう言ってチカは茶目っ気たっぷりにウインクをする。
しかしそれになぜかマナが過剰に反応した。

「えええ!! ちょっと何それ、ワタシ知らなかったってば! 最初っからその気なら、何もあんな言い方までしなくても良かったんじゃん!? アルト君可哀想でしょ!」
「…君ねぇ、さっきバッジで通話してるの横で聞いてたでしょ? 大人しく黙ってくれてたから大体の事情は分かってると思ってたんだけど」
「ほらぁー! 出た、チカの思い込み! ワタシが黙ってたのは単に話がよく分かんなかっただけ!」
「自慢げなところ悪いんだけど、それ全然良いことじゃないから」
「…ぷぷっ」

まるで漫才のような軽妙なやり取りに、ついにアルトの口から笑いが漏れた。
そのまま堪えきれずにひとしきり笑うと、アルトは目の端にたまった涙をぬぐう。

「いつもこんな感じなんですか?」
「……そうだね、マナちゃんと関わってると大体、こんな感じになっちゃうかな」
「ちょっと、チカ、それどういう意味?」
「はいはい、今度漫才やるとアルト君笑い死にしそうだから止めとこうね」

そんな掛け合いを眩しそうに見てから、アルトはチカが描いてくれた地図に目を落とした。
そして言おうか言わまいか、もじもじと逡巡しているようだったが、いささか真剣な表情になって2匹に尋ねる。

「どうしてリーダーさん達は、僕に、突然現れた余所者でしかないこの僕にそんなに優しくしてくれるんですか?」
「質問ばっかりだね?」
「あ…。はい。すみません」
「謝ることないよ。――そうだね。少し、“アイツ”に似ているから…かな」

その時見たチカの顔は、何とも言えない表情をしていた。
まるで昔を懐かしむような。慈しむかのような。

「うん。言われてみれば…そうかもね」

そして、マナも同じような表情をしていた。
違うのは、その中にほんの少し、切なさが混ざっているような。

「そうだ。僕の方からも1つ、質問していいかな?」
「はい。何ですか?」
「何が君を心変わりさせたのかな?」
「そうですね。……ちょっとだけ、“変わりたい”って思い始めたんです」
「…スゥちゃんが聞いたら喜ぶだろうね」

チカの心からの感想に、アルトはえへへと照れたように笑った。
彼が今まで見た中で、それは最も自然で、そして最も美しいと、そう思った。

「…じゃあ、僕はお言葉に甘えて、早速この道場に行ってみようと思います。――本当に、ありがとうございました」

椅子からぽんと飛び降りて、アルトはぺこりとお辞儀をし、部屋を辞す。
廊下をうるさくない程度に駆けながら、彼の頬は興奮で紅潮していた。
今はまだ太陽も南中していない午前中。時間はたっぷりある。
まだ見ぬ“道場”へと思いを馳せながら、アルトは一層足を速めたのだった。


しると ( 2014/07/31(木) 22:58 )