第1章
第4話:部屋の外へ
「――全く、手間かかる奴やなぁ?アンタは」

スゥはその声に若干の苦笑を滲ませながら木桶の中に手を突っ込み、布を取り出すと、えいとばかりにねじって絞った。

「ごめんなさい……」

しゅんとした様子でしおらしく謝るアルトの顔は、今はリンゴのそれよりも赤い。
スゥは慣れた手つきで火照ったその額に載っていた布を取り上げ、今しがた絞った冷えたやつと替えた。

「そんなヘコまんくてもええよ。あんな大怪我やったら、いつかは熱でるって思ってた」

でも、とスゥは考えた。
ここに運ばれてきた翌日とかならいざ知らず、1週間以上経ってから発熱するのはタイミング的にいささか不自然だ。
やはりアレか、昨日の一件で喋り過ぎてしまって疲れたのだろうか。
余人にとってはあれだけのことで、と思うかもしれないが、相手は超ド級のポケモン恐怖症。
メンタルの弱さを侮ってはいけない。

「……ねぇ、スゥ」
「なに?」
「お願いがあるんだけど、さ」

ここでアルトはごそごそと藁の布団の中に顔を埋める。
ただでさえ小さい彼の声がさらにくぐもって聞こえにくさが増した。

「最初の頃、僕の様子を見に…たくさんのポケモン達が、この部屋の前に来てた…でしょう」
「――ああ」

確かに、アルトがここに担ぎ込まれた当初は、物見高いスゥの同僚及び先輩後輩達が野次馬としてここの周りをうろついていた。
もっとも、ポケモン恐怖症が判明した時点で人払いがなされ、その命令が今現在守られているが。

「…もしかして、皆に会ってみたいんか?」
「うん。できれば、だけど…」
「そりゃあまたえらい急な進歩やなぁ。アルトの心の方は大丈夫なんかそれで」
「……が、頑張る」
「説得力ないなぁ…」

アルトの顔の赤みが一段と増したような気がした。

「分かった分かった。でもまずは熱下げて怪我治すこと。でないと話にならんよ?」

完全に母親の台詞だったが、アルトはそれに素直に頷いて目を閉じる。
さほど経たないうちにすうすうと規則正しい寝息が響いてきた。
彼の安眠を妨げないようにスゥは静かに部屋の扉を閉める。
一息ついてから、彼女はほっとした笑みを浮かべた。
アルトが「他のポケモンに会いたい」と言いだしたことが、まるで自分のことのように嬉しかった。






それから3日後のこと。
ドアがかちゃりと開けられ、中からスゥがひょっこり顔を出した。
左右を何度か確認して廊下に誰もいないと分かると、そのまま外に出てき、中に居るもう1匹を手招きする。

「ホラ、大丈夫やで、ついてき!」

恐る恐る、といった様子でアルトも廊下に出てきた。
以前まで身体を覆っていた包帯は、半分以上が既に取れている。
だが後頭部と右の後ろ脚、それに背中は未だ完治していないため、白い色が目についた。

「ほ、本当に…大丈夫だよね?いきなり扉が開いて中からポケモンが出てきたり…なんてことは」
「ないない。今は昼やからだいたいのメンバーは仕事で出とるやろし」

まだ不安げな表情を崩せぬまま、アルトは先に立つスゥについて階段を下った。
2階層ほど降りた先には、

「よぅ!やっと出歩けるまでになったか!」
「思ってたより長かったねぇ。ま、事情が事情だからしょうがないよね」

ヴェンとルーンが待っていてくれていた。
しかしアルトは2匹のことよりも先に、そこの部屋の内装にぽかんと口を開けていた。

「すごい。何だここ…?」

もはや部屋、と言うよりも広間というべき広々とした空間。
足元にはさわり心地の良い緑色の苔が生え、天井部分は吹き抜けになっていて昼の光がふんだんに取り入れられている。
そこかしこにはバラエティに富んだサイズのベンチや椅子が備えてあり、ふかふかの土が露出している箇所には花や木の実が植えられていた。
建物の中にいるはずなのに、屋外にいるものと錯覚してしまう。

「ここはね、建物の2Fだよ。ボク達の談話室ってトコかな。ここで情報交換を兼ねた交流をしたり、軽く会議したり。色々と便利な場所さ。今は見ての通り閑散としてるけど、朝夕はけっこう賑わうよ?」

すらすらと説明をしてくれたヴェンが、アルトの顔を覗き込んで苦笑する。

「そだ、ヴェン、アンタ達がここにいるってことはつまり」
「ごめん、仕事サボっちゃった♪」
「ぅえっ!?ちょ、まっ」
「うそうそ、冗談冗談!ちゃんと午前中に2匹で終わらせたって!」
「……どおぉぉしてアンタはいっつもあたしをおちょくるんかなぁ!!?」
「え、楽しいからに決まってるじゃないか」
「&%$@&#* ?;&$$&〜!!!」

顔まで真っ赤になりながらスゥは言葉にならないことを口走り、遂には羞恥で地面に突っ伏す。
傍で見ていたアルトには呆気にとられることしかできない。

「ああっと、こんなことをしてる場合じゃなかった。アルト、ついて来てよ。キミに会いたがってるポケモンがいるんだ」

ヴェンがひょいひょいと手招きをし、広間を横切って違う廊下につながる道へと誘う。
ルーンが嘆息しておもむろにしゃがみこみ、未だにくすぶっているスゥの首根っこを掴んで容赦なくひきずっていく。

「え、えっと、どこへ向かってるの?」
「“ギルド長”の部屋さ」
「ギルド…長?」
「そう。ここいらでは一番強くて、偉いポケモンだよ」



しると ( 2013/11/10(日) 23:37 )