第2話:拒絶
『――皆、退いて!!』
(あ…れ…?)
『急患やねん!!一刻を争うんよ!!』
(ここは……?)
『ありったけの薬と…包帯用意しといて!!』
(僕……は……?)
目が覚めて、彼が最初に見たものは、木目調の天井だった。
首だけを緩慢に巡らせて、周りを見る。
綺麗に整頓されている部屋だった。
丈の低い机と椅子、地面に置かれている蔓籠には何やら木の実が入っていて、壁にはどこかへと繋がっているらしき扉がある。
「ここは、どこ……?」
口から出た声は、かすれてはいたが、少し高めの少年のもの。
身じろぎをすると、かさりと乾いたものが触れあう音がした。
ビクッと身体が震えるが、すぐに自分が寝ていた柔らかい藁から出たのだと理解が及ぶ。
起き上がろうとして力を入れると、その途端猛烈な痛みが襲ってきた。
「うあっ……!!」
堪らず、再び寝床に突っ伏す。
すると運の悪いことに、遠慮がちにドアを開けるカチャ、という音が耳に飛び込んできた。
凍りつく身体。
辛うじて視線だけを音の元に向けると、そこには心配そうにこちらを覗く1匹のマグマラシ――スゥの姿があった。
どくん、と心臓が嫌な鼓動を立てて跳ねる。
途端、彼は自分でも知らずに跳び上がって逃走を試みていた。
「まだ動いたらあかんて!!傷が塞がったわけちゃうねんから!!」
血相を変えて駆け寄って来るスゥ。
そのことは逆に彼をますます怯えさせる結果となり、動くことによって彼の身体に巻かれている包帯に紅い染みが幾つも生まれた。
「ああもうほら…!大丈夫やから…落ち着こ、な?」
今度は刺激しないようにとスゥはゆっくり歩み寄り、優しく前足を差し出す。
彼女の瞳が彼のものとかち合った。
「やめて……こっちに来ないでよッ!!!」
ほとんど悲鳴に近い叫び声。
そのあまりの烈しさに、スゥの動きも止まった。
めいいっぱいに開かれた瞳には恐怖が色濃く、身体は震えて歯の根が合っていない。
「これ以上近寄らないでッ!!」
再び叫んだ後、彼ははっと我に返ったかのように目の前にある呆然とした相手の顔を見た。
自分が今何を言ったのかを理解したその顔から一瞬にして血の気が引く。
「ご…ごめんなさ……!!?」
言葉を不自然に詰まらせて、彼は視界の端に映った机の上の水差しを凝視した。
水で満たされたそのガラスの器に、歪んで映る自分の姿。
長い耳、茶色くふわふわとした体毛に覆われた身体、そして太い尻尾。
それは、彼にとって初めて目にするモノであった。
現実を理解した瞬間、彼の恐怖は限界を迎える。
「うわああああああぁぁぁぁぁ!!!!」
長く尾を引く絶叫を残して、彼はぱたりと倒れ伏す。
慌ててスゥが駆け寄ると、再度気絶していた。
「…何やったん、今の…?」
いきなりの出来事にショックを受けながらも、彼女は気を取り直して薬を塗って包帯を取り換え、オレンの果汁入りの水で彼の口元を濡らしてやってからそっと部屋を出る。
そこには、不安そうに佇むいくつかのポケモンの影があった。
「やあスゥ、彼の様子はどう…って訊きたかったんだけど、どうやらなかなか難儀な状態みたいだね?」
「しっかしえらくでかい声だったな、今のは。騒音公害もいいとこだぜ」
きびきびと話すのはミジュマルのヴェン、その後を継いだのはモココのルーンである。
「もしかして傷の痛みで錯乱してるんじゃないでしょうねー?もしそうなら私の力をお貸しできますけどー」
「いや、それよりちゃんとした医者に見せた方がいいんじゃねぇのか?尋常じゃねぇだろあれ」
のんびりとしたワタッコのセレナは語尾が間延びし、それに対して突っ込むのはルーンだ。
彼らはスゥと同じ隊長の元で働く仲間たちであり、最も親しい同僚でもある。
そこへレイが現れた。
「ああスゥ、探したぞ。患者がお前の部屋に運び込まれたと聞いて急いで来たのだが…容体はどうだ?」
「…さっき一度目を覚ましました。けど何だか精神不安定やったみたいで…暴れられました」
「それでさっきの絶叫、か。下の広間まで筒抜けだったぞ。他のポケモンたちの間でちょっとした騒ぎになっていたから、とりあえず大丈夫だと宥めておいたが」
「あっ、どうもありがとうございます、助かります」
「それにしても、だ……」
話しながら、レイはちら、と彼が眠る部屋のドアに鋭い視線を走らせた。
「何がどうなって、あれだけボロボロの状態になったのだろうな」
倒れていた現場を実際に見たスゥを含め、全員がうーむと唸る。
「とりあえず、今はそっとしておきましょうー。時間が経ったら落ち着きますよ、きっとー」
セレナの言葉に、拭えない一抹の不安を抱えながらも、スゥはうんと頷いた。