第1章
第1話:伝説の始まり
ここに1冊の本がある。
いつ作られたのかは分からない。
何が書かれているかも分からない。
しかし、これだけははっきりしている。
運命の歯車は、今まさにしっかりと噛み合い、ゆっくりと音を立てながら廻り始めたのだ――




「―――?」

スゥは何かを感じ取って立ち止まった。

「誰か呼んだ?」

そんな気がしてきょろきょろと辺りを見回してみても、それらしきポケモンの影は無い。
赤紫と、ベージュの2色をもつ滑らかな体毛。
イタチのようにほっそりとした身体と、頭と背中に炎の出る穴を持つマグマラシのスゥはおかしいなというように首を傾げ、彼女の前を歩いていたレントラーに尋ねた。

「レイ隊長、あたしのこと今呼びはりました?」
「いや、呼んでないが…どうかしたか?」

挙動不審な彼女の行動に困って立ち止まる上司の後ろから、今回の依頼者であるタネボーが心配そうにこちらを覗いている。

「…いえ、たぶん気のせいやと思います。すいません」
「そうか、ならいいな。少し急ぐぞ。『ひかりのいずみ』はもうすぐだ」
「はい!」

一行が足を踏み出しかけたその時、大地が揺れた。


ドオオォォン!!


「何事だ!?」
「隊長、あれ!!」

スゥが前足で空を指す。
そこには今まで無かった筈の太い光の柱が天を突くように延びていた。
彼女たちが呆気にとられているうちに、それは発生したときと同じように唐突に掻き消える。

「今のは…」
「『ひかりのいずみ』の方角だな。スゥ、行くぞ!!」
「は、はい!!」

土を蹴立てて走りだしたレイに一足遅れて、タネボーを伴ったスゥもその後を追って行った。





『ひかりのいずみ』とは、ポケモン進化時において、重要な役目を果たす場所である。
普通に生活しているだけでは決して為すことができない、進化への最後の条件を満たす神秘の力が働いているため“聖域”として長く崇められ、どんな悪党でもこの泉には手出しをしないというのが暗黙のルールとなっていた。

「もし“主様”の気まぐれだったら良し、何か異変があったのならば…!!」

入り口に着いたレイ達は、勢いもそのままに中へと跳び込む。
そこで見たものは、いつもとなんら変わりない泉の姿だった。

「“主様”!!いらっしゃいませんか!!」

レイが大音量で呼ばわる。
が、しかし、いつもなら頭に直接響いてくるような不可思議な声が、今日は返事を返さない。

「不在か……?」

胡乱気に呟くレイとは裏腹に、スゥはあるものを見つけてひっと息を飲んだ。

「隊長、来て下さい!!」

それは泉のほぼ中央。頭上を覆う木々がそこだけ途切れて、木漏れ日が一筋差し込んでいる場所に、何やら小さな塊があった。
苦手な水を意に介することなく、スゥはばしゃばしゃとしぶきを跳ねあげてそれに近づいて行く。
水面に波紋が生じ、合わせて漂う紅い色がゆらゆらと舞った。

「大丈夫!?」

浮かんでいたのはイーブイだった。
その目は力なく閉じられ、声をかけても身じろぎひとつしないことから察するに、意識は無い。
そしてその四肢や背中、脇腹には幾つもの傷があり、流れ落ちる液体が水を紅く染めていた。
スゥはさっと青ざめてその身体を慌てて引き寄せる。
脈はあり、息はしているようなのだが。

「…これは、ひどいな……」

追いついたレイが真剣な表情でイーブイを見つめていた。

「隊長、生きてますけどこのままじゃ危ないです」
「ああ、そのようだ。――スゥ、お前はただちにこの子を連れてギルドまで戻るんだ。一刻を争う」
「は、はい!!…でも、依頼はどうするんですか?」
「こちらは私に任せるんだ。心配ない。――頼んだぞ」
「はいっ!!」

答えて、イーブイの下に身体を滑り込ませて背負うようにして持ち上げる。
水に濡れているはずなのに、ひどく軽く感じた。
陸に上がり、首元についているバッジに前足で軽く触れる。

「脱出!!!」

高らかに宣言すると同時に、彼女の姿は白光に包まれて見えなくなった。

しると ( 2013/11/04(月) 16:09 )