第10話:敗北
「どけ!!!」
“すいへいぎり”で目の前のポケモン達を弾き飛ばしながらレイは吼えた。
視界が開けたのも束の間、新たなゴローンの群れが現れ、行く手を阻む。
「これはちょっと…普通じゃないわね。通常のフロアにこんなに野性ポケモンが発生するなんて、このレベルのダンジョンではありえない…!」
「――サクラ!一気に突破するぞ!いいな?」
ちらり、と一瞬だけこちらに投げかけられた視線の意味を正確に理解したサクラが身を翻し、レイの傍らに伏せる。
それを確認したレイの身体が、青白い閃光を纏ってぶわりと大きく膨れた。
「“ほうでん”!!」
相性の不利さえも捻じ曲げる程の強力な電撃に、流石の群れも沈黙させられた。
すかさず、2匹は地を蹴って先を急ぐ。
レイが首元につけたバッジに向けて、声を張った。
「アカリ!あの子達のバッジ電波の発信場所の特定は済んでるか?」
それに応えて、ギルドで待機しているエーフィの声が、搭載されている小型スピーカーから流れてくる。
『ええ。あともう1つ下、B8Fよ』
「…了解。サクラ、階段の位置は?」
その言葉に、サクラのこげ茶色の瞳が光った。
彼女の持つ“カンのよさ”が、正しい方角を教えてくれる。
「ここを曲がった、右側の部屋よ!」
目的の階に降り立った2匹は、素早く背中合わせになり、周囲の様子を探った。
壁の先をも見通すレントラーの鋭い瞳が、長い通路の先にいる、茶色の背中を捉える。
「――いた!!あれは、アルトか!?」
開けた部屋の中央に、まるで呆けたように天井を仰いだままのイーブイが座り込んでいる。
駆け寄ってきたレイは、スゥ、ヴェン、ルーンの3匹が彼の目の前に力なく転がっているのに気づいてぎょっとして息をのんだ。
まるで彼女の接近が鍵となったかのように、アルトの身体が傾ぎ、地面に倒れ込む。
「おい!しっかりしろ!――おい!!」
“アイリス”の4匹と、それに対峙するスカンプー。
両者の間には、えも言えぬ緊張感が漂っていた。
「聞いたことのない組織名やな。どっかの弱小ギルドかなんかか?」
「それに何だ?名前も胡散臭ぇしよ。異大陸の出身か?いっちょまえに“名字”みてぇの持ちやがって」
ルーンが一歩前に出て相手を威嚇する。
海を渡った彼方にある他の大陸においては、ここと違って姓名をセットで名乗る文化があるため、彼の指摘は正論かと思われたのだが。
「ううん、違う違う。“デウ”も“ヴィス”も両方ともれっきとしたボクの名前。でもあえて言うなら“今は”…うーん、デウの方かな?」
あくまでも無邪気にうそぶき、最後に「てへっ」と可愛らしく小首をかしげて見せる。
「それにしてもラッキーだったなぁ。たまたまグミ拾いに来たら“サツキ”に会うなんてさ。“みんな”にも知らせてあげないと!」
「やめてぇッ!!」
金切り声をあげたアルトを見て、デウはふう、とため息をついた。
「…ねえ、“サツキ”。帰っておいでよ。今ならまだ、許してもらえるよ?確かにみんな怒ってるけど、帰ってこない方がもっと怒っちゃうよ?」
「誰があんたなんかにアルトを渡すか!こんなに怯えとるのに…!」
答えぬアルトに代わって噛みつくスゥ。
瞬間、デウの態度が一変した。
「−−黙れ。ボクは“サツキ”と話してるんだ。部外者は口を出すな」
ざわりと彼の体毛が逆立ち、周囲を紫色のオーラが取り巻き始める。
「ねぇ、もう一度だけ訊くよ、“サツキ”。帰って来る気はあるの?」
「い…嫌だ…嫌だ…。もう…あんな目に遭うのは…。あんな扱いを受けるのは…!」
「てんめぇ…一体アルトに何しやがった!?」
ルーンの尻尾の先にある宝珠がまばゆい光を放ち、電撃がデウの方へと走った。
それを彼は物ともせずひょいと避けるが、それをきっかけとしてルーンとスゥが行動を始める。
「“ニトロチャージ”!!」
「“でんげきは”!!」
赤と黄色の帯が螺旋を描いてスカンプーに迫りくる。
蛇のようにうねるそれは、相手に逃げる暇を与えず、その体を正確に捉えたが、当のデウは、全く堪えていない様子で平然と起き上がった。
「…なあんだ、この程度?面白くないの」
しかしそこへ。
「隙あり。“みずのはどう”!」
ただでさえじめじめとしている洞窟の至る所にある水たまりが微かに震えた。
そしてデウに最も近いところから突如、衝撃波が生まれ、彼を突き抜けた。
脳を揺さぶられ、視界がゆがんで転倒する。
一瞬“こんらん”したが、すぐさま頭を振って自分を取り戻し、攻撃を仕掛けたもう1匹の存在をぎっとにらみつける。
「よくも…!!」
ヴェンがホタチを構えて、静かな瞳でこちらの方を見ていた。
「…必要なのは、“サツキ”だけ。他の奴らはどうなろうと構わない…だったね」
デウは冷徹につぶやきながら、またもや自分に迫りくる他の2匹の姿を視界の隅に捉えた。
「…進歩がないって、致命的だよね。ちょっとの間、ここで“苦しんでてもらえるかな”?」
大量の“スモッグ”が彼の体から湧き出し、スゥとルーンはそれに呑まれた。
毒状態にこそならなかったものの、それは彼らの視界を塞ぎ、目や耳に作用して鋭い痛みを与える。
苦悶の表情でのたうつ仲間の姿に、ヴェンの顔が一瞬引きつる。
ふわ、と一陣の風が吹いた。
「ボクは邪魔する奴には容赦しない。…後悔するといいよ」
デウがヴェンの構えた腕を死角にして、懐へと入り込んでいた。
前足の爪が紫色に不気味に光っている。
「“どくづき”!!」
微塵も躊躇わず、デウは猛毒をまとうそれでもって、ヴェンの脇腹を撃ち抜く。
ヴェンは短い悲鳴をあげた。
リアクションとしてはひどく淡白なものだったが、彼は地面に倒れ伏して、そのまま動かなくなる。
「…ヴェンッ!?」
スモッグの切れ目からその光景を目にしたスゥが叫ぶ。
早急に彼を助けに行かなくては、と痛む体に鞭打って立ち上がろうとした2匹に、そっとスカンプーの前足が添えられた。
「――とどめ」
状況を理解する前に、2匹をすさまじい衝撃が襲った。
視界が鮮やかな紫で染められ、意識が呆気なく持っていかれる。
「…さてと」
毒の霧が晴れた。
おそるおそる、といった風に顔を上げたアルトの瞳が凍りつく。
目の前に転がる、仲間たち。
それとひどく対照的な、満面の笑みを浮かべたスカンプー。
デウが、至って軽い足取りでこちらへ歩を進めた。
「これで邪魔者はいなくなったね。やっとボクら2匹っきりになれたよ。…さ、行こう?」
反射的にアルトは足を引いた。そのまま自分のすぐ近くに伏しているヴェンの元に寄り添う。
デウの瞳が剣呑に細くなった。
ぶわりと一瞬彼の体毛が逆立つが、それはすぐに治まる。
「ねぇ、“サツキ”。昔もそうやって言うこと聞かないで、痛い目にあったのはいくらなんでも覚えてるよね?――今度も、少し“おしおき”しないと分からないのかなぁ?」
デウの尾先の毛が硬質化し、地面をたたいてその威力を示す。
鋭い音で威嚇しながら、彼は一歩、また一歩とアルトの方へと近づいてきた。
すると。
ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ―――――
けたたましい音があたりに鳴り響いた。
流石にデウがぎょっとした表情になり、音の出どころを探して視線を走らせる。
発信源は、アルトの傍らのミジュマル。
ヴェンは薄く億劫そうに眼を開けるとデウの姿を捉え、べーっと舌を出す。
彼がいつの間にか胸元に着けていたバッジを外し、“緊急救援信号”を発信していたのだ。
しかしその行動によって体力が尽きたようで、再び目を閉じてしまった。
「余計な真似をしてくれたね…!」
苦々しげにヴェンを睨むデウ。
「そっちの隊長と出くわすには、今はまだ時期が早いかな。今日は退いてあげるよ。でもね…」
スッと自然な動作でアルトの横を通り過ぎながら、デウは彼の耳に囁いた。
――アルトが最も聞きたくなかった、トラウマのその名を。
「ボクらは必ずキミを再び手に入れてみせる。その日が来るのを楽しみにしているよ。ボクも、――“フェーリ”も、ね」