花言葉をあなたに
玄関のドアを開けると眩しい日差しが私に降り注いでくる。春の陽気とはいえ、しっかり帽子を被っていないと日焼けしてしまいそうだ。庭の端の方に置かれた籠からじょうろを取り出すと、私は水道の下まで持って行き蛇口を捻る。勢いよく水が流れ落ちて中を満たしていった。今日は母が用事で出かけているので庭の花に水をやっておくようにと頼まれていたのだ。毎日何気なく見ていた我が家の庭もこうしてじっくり眺めてみると、様々な種類の花で彩られておりなかなかに美しい。
母の趣味はガーデニング。趣味の領域にしてもなかなかいい仕事をしているようで。庭の花ってこんなに綺麗だったんだな。花の種類にそんなに詳しくない私でも、チューリップやパンジーといったメジャーな花の名前くらいは分かる。しかしちょっとマイナーな花となるとまるで見当が付かない。小さくて黄色い花、とか赤くて細長い花、といった曖昧な認識になってしまうのだ。おそらく母は庭の花をすべて網羅しているはず。今までそんなに目を向けていなかったけど、帰ってきたらなんて名前なのか聞いてみようかな。そんなことを考えながら私はじょうろを傾けて水を注いでいく。花の部分に直接水を掛けるのではなく根の方へ水が当たるように。庭は大して広くなくても花の量が多いと水が足りなくなってくる。何度か蛇口の元へ戻り水を注ぎ足しつつ、まだ終えてない方の花へ移動していく。
「冷たっ」
庭の中では少しだけ開けた芝生の個所。そこへ差し掛かった途端、私の隣で大きな黄緑の塊がのそりと動き出す。遠くから見れば小さな丘が動き出したのかと錯覚してしまいそうなくらい。じっとしていると緑の景色の中に溶け込んでしまう。長く伸びた首元に開いている桃色の花だけが唯一、黄緑を彩るアクセントとなって存在感を放っている。のんびり気持ちよく日向ぼっこしていた所に文字通り水を差され、ちょっぴり不機嫌そうな顔が私に向けられた。
「あ、ごめん。掛かっちゃった?」
何となく眠たそうな目をしたままこくこくと頷くメガニウムのラニ。草タイプなのに水を嫌がるってのもちょっと変な話。でもこの時期だと真水はまだまだ冷たいか。真夏のかんかん照りの日はじょうろでなくホースで豪快に水浴びさせたりしたこともある。彼女曰く、水も嫌いじゃないけど今の季節はお日さまの方がいいんだそうだ。草タイプは寒いのが苦手だからなのかな。
母のおかげで寒い季節以外、庭はいつも花で溢れかえっている。チコリータの頃からこの芝生の所はラニのお気に入りの場所。ラニは単色の草タイプということもあって、たくさんの花に囲まれていると気持ちが落ち着くらしい。メガニウムに進化した今、うちの庭では窮屈かもしれないけど。晴れた日はよくここで日向ぼっこをしている。今日も私が水やりを始めるより先に、庭に出してほしいと頼まれたくらいだ。それほどまでにラニはこの庭が大好きなのだろう。そういえばラニがメガニウムに進化してから、心なしか花が長く咲くようになったって母が言っていたっけ。メガニウムの吐息には植物を元気にさせる効果があると図鑑で読んだことがある。この庭もラニの恩恵を受けているのかもしれない。本当にポケモンには人間の想像を超えた不思議な力がある。トレーナーの私ですらラニの能力に驚かされることが少なくないのだから。再び目を閉じて日向ぼっこを続行させたラニの周りをぐるりと一周。水を掛けてしまわないようある程度慎重に私はじょうろを運んでいった。これで一通りは水をやり終えられたかな。案外時間が掛かってしまった。小ぢんまりとした庭だと思っていたのに、こんなに広く感じたのは初めて。あまり手馴れていない水やりだったけど、これだけ土を湿らせれば十分なはず。さて、じょうろを元の位置に戻そうとして振り返るとラニがそこに立っていた。あれ、どうしたんだろう。いつもなら気が済むまでもっと日向ぼっこしてるのに。今日は随分と早いな。
「ねえ、アオイ。私の花言葉って何かな?」
「花言葉?」
「うん、花言葉。お母さんが教えてくれたんだ。チューリップには博愛、パンジーには思慮深いとか、花それぞれに意味があるんだよね」
いきなり何を言い出すんだろうと思っていたけど、そういうことか。母が水やりをしている最中もラニは庭で日向ぼっこをしているときが何度もあった。きっとその時に花言葉について教えてもらったのだろう。そういえば私も昔、この花にはこんな意味があるんだよって母から教えてもらったことがあるような気がする。それが何の花だったのか覚えてない辺り、私はラニほど花言葉に思い入れを感じなかったのかもしれない。
「私もほら、花を咲かせてるし。メガニウムの花言葉って何かないのかな?」
なるほど。それで気になったのね。確かにラニの首元には桃色と白と黄色の入り混じった、いい香りの花が咲いているけど。草ポケモンに対する花言葉があるなんて私は聞いたことがなかった。それに草ポケモンは種類が豊富で、ナッシーやモンジャラみたいに花を持たない子も結構いる。でも、花だけじゃなくて樹木にも花言葉ってあるみたいだし、それを考えると草ポケモンに花言葉があっても別におかしくはないか。
「うーん、私は知らないわね。たぶん、草ポケモンに花言葉ってないんじゃない?」
「そっかあ……残念」
酷く落胆したように項垂れるラニ。それと同時に頭の触覚だけでなく、首元の花までもが少しばかり萎れてしまったように感じる。ラニはチコリータの頃から自分の気持ちははっきりと表に出すタイプだった。それは成長した今でも変わらず、というか。メガニウムに進化してからは感情が花にしっかり現れるため更に顕著になった気がする。首元の花は彼女の感情表現の一つなのだ。
「草ポケモンじゃなくて、お花に生まれてれば私も花言葉がもらえたのかなあ」
足元の黄色いパンジーを見つめながら、ラニはぽつりと呟く。自分に当てられた言葉がないことが大層残念だったらしい。私は草ポケモンじゃないから分かりかねるけど、花を持つ身としては花言葉は大きな意味を持つものなのだろうか。
「じゃあもし生まれ変わるとしたら、ラニはどんな花がいい?」
「え、んーと……」
暫し頭を捻るラニ。自分がなってみたい花をいざ考えるとなると、なかなか出てこないのかもしれない。もし私だったらどんな花になりたいと思うだろうか。そもそも花の種類をあんまり知らないからなあ。だけど一日や一週間で枯れてしまうような花だと寂しいので、せめて一つの季節の間くらいは咲き続けられる花がいい。
ラニの場合なら、メガニウムの花のようにしっかりとした花を付けるヒマワリとかアジサイが似合いそうな。これは完全に外見から判断した私の勝手なイメージではある。彼女が憧れるのがスミレやタンポポのような小さい花の可能性だってあるんだし。
「私は……私は生まれ変わってもやっぱり草ポケモンになりたいな。花言葉がもらえないのは残念だけど……」
そう言いいながら私の方へ頭を近づけてくるラニ。私より二十センチ以上差があるので普段は見上げなければいけない。でも、ラニの方から頭を近づけてきてくれれば。今のように顔と顔がすぐ近くで話をすることが出来る。
「お花は自分で動けないでしょ。私はいつだってこうやってアオイの所に行けるし」
更に頭を前に出して、丁度ラニの鼻先が私の胸元に当たるくらいの位置で、目を細めて嬉しそうにラニは頭を摺り寄せてくる。やれやれ、メガニウムに進化してもまだまだ甘えん坊なところは変わらないな。そう思いながらもラニが愛おしく感じられているのもまた事実。時折こうして私に甘えてくるラニが堪らなく可愛いのだ。私はそっと彼女の頭を撫でてやる。日の光をたっぷりと受けた彼女の肌はほんのりと温かかった。確かに花に生まれていたらこんなことは出来ないな。私もラニがメガニウムに生まれてきてくれて、そして私の元に居てくれて本当に良かった。
「そうだ。私がラニの花言葉を考えてみるのはどうかな?」
ないなら作ってしまえばいいんだ。別に草ポケモンに花言葉があったっていいよね。
「えっ本当、やったー。楽しみにしてるね!」
まるでお日さまのような眩しさで屈託なく笑うラニ。見ている私まで幸せな気分になれそう。彼女に送るなら純真とか素直とか、真っ直ぐな部分を表す言葉が似合うかもしれない。確か母が花言葉も載っている植物図鑑を持っていたはず。それを眺めながら後からじっくりと、ラニのための花言葉を考えることにしよう。
END