雨が呼ぶ絆
―6―
 アブソルは頭を起こした。少しだけぼんやりしている。少年に釣られて、自分も眠ってしまっていたのだろうか。おぼろげながら外の様子を覗っていた記憶はある。どうやら、夢と現実の間を行ったり来たりしていたらしい。
外を見るともう雨は止んでいた。しんと静まり返った冷たい夜の空気が体毛をすり抜けて伝わってくる。教えると言っておきながら、自分も一緒になって寝ていては世話がない。軽く自嘲しながら、アブソルは少年の肩を鼻先でつついた。
「雨が止んだぞ」
 まだまだ眠そうにしながらも、少年はうっすらと目を開ける。体を起こして小さく伸びをした。
ポケモンならまだしも、人間がこんな硬い地面の上で眠るのは慣れていないだろうに。よっぽど疲れていたようだ。
「そっか。今日は本当にありがとう。アブソルのおかげで僕、お父さんやお母さんと仲直りできそうだよ」
「それはよかった。家族を大切にな、少年」
「うん!」
 少年は駆け足で洞窟の入口へと向かって行く。まだ走れる元気が残っているなら十分だ。夜の暗がりを恐れている様子もない。
初めて見たポケモンであるはずの自分にも臆することなく近づいてきたりと、彼は見た目以上に肝が据わっているようだ。
出口まで後数歩の所で少年はふいに立ち止まり、こちらを振り返る。おや、どうしたのだろう。何かやり残したことでもあるのだろうか。
「……どうした?」
「あのさ、また会いにきてもいい?」
 一瞬、彼が何を言ったのか分からなかった。数秒の間、時が止まっていたような気さえする。言葉の意味を飲み込むのに僅かながらの間を要した。
村の人間だけでなくポケモンですら、自分のことを避けて。蔑ろにしているというのに。もう一度会いたい。それは何かの冗談ではないのか。
「なぜ、そう思った?」
「なぜって……今日はアブソルと会えてよかったし、またいつか一緒にお話できたらなあって」
 彼からはアブソルに対する恐れや怯えといったものが全く感じられなかった。最初こそ震えていたが、それは未知なるものへの不安や恐怖。
普段、自分に向けられている視線とはまるで別のもの。純粋に自分のことを一匹のポケモンとして、彼は見てくれているのだ。もしも村人達が少年のような心の持ち主ばかりならば、という考えが頭を過ぎったが、それは叶わぬことだと分かっている。一度根付いた思想や意識は一朝一夕で変わるようなものではない。長命な種族であるアブソルはそれをよく知っていた。
「やめておけ。村人達は、私と会うことを快く思わない。お前が周囲からおかしな目で見られることになるかもしれないぞ?」
「どうして?」
「今は分からずとも、いつか必ず理由が分かる時がくる。近い将来、必ずな……」
 あの村で暮らしている限りは、村人たちが気を許せない存在である自分のことは嫌でも少年の耳に入ってくるだろう。もしかすると彼の母親から教えられる可能性だってある。別におかしなことではない。村に住む大人ならば、子供が危ない場所へ近づかないように注意するのは至って自然な振る舞いだ。
正直なところ、自分の本心としてはまた少年と話してみたいとは思ってはいた。誰かが側にいて、何気ない会話をするということ。久々の感覚はアブソルの心に確かな安らぎを与えてくれていたのだ。しかし少年のことを考えると、安易に頷くわけにはいかなかった。自分たちと違う者、自分たちが理解できない者に対して人間は冷たい態度や攻撃的な態度を取る。アブソルが身をもって感じてきたことだ。彼が自分と同じような境遇になってしまうことは避けたかった。
「アブソルが気にしてること、あんまり分からないけど……僕はまた会いたいって思ってるんだ。だから、だめかなあ?」
 周りの目などは気にしない、己がこうしたいと思った方向へ突き進む。まさに子供らしい素直な発想だ。そんな真っ直ぐな少年の瞳を見ていると、自分があれこれ思考を巡らせていたことがすべて杞憂だったのではないかと感じてしまう。自分に会いに来ることは村からすれば好ましくないことであろう。だが少年の純粋な気持ちを無視してまで、彼を遠ざけることはしたくなかった。
「……好きにしろ」
 自らは頭を縦に振らず、今後の動向を少年に任せたのは少なからず後ろめたさがあったから。こう言えば彼がどう出るかは察しがつく。少年のようには自分に正直になりきれはしなかったが、最大限の願望を含めた返答が出来たのではないだろうか。もう一度会ってみたかった。
「ほんとに? じゃあ約束だよ、また会って話をするって」
 少年の顔がぱあっと明るくなった。夜の暗闇をすべて跳ね返してしまいそうなくらい。こうも分かりやすい反応だと見ていて微笑ましい。
約束、か。彼が約束を破られることを何よりも嫌うのは、今までの話で分かりきっていること。必ずなんて保証はどこにもないのに、安易に約束など交わしてしまってもいいものかどうか。しかしここで首を横に振れば、せっかく晴れた彼の表情をみるみるうちに曇らせてしまうのは想像に容易い。ちゃんと両親と仲直りする決心もついたことだし、少年には清々しい気持ちのままで洞窟を去ってほしかった。
「分かった。約束だ、少年」
 満面の笑みで頷くと、少年はこちらへ再び駆け寄ってくる。何をするつもりなのかと見ていると、自分の手を差し出してきた。小さな手だった。触れることを躊躇わせるほどに。自然と守ってやりたくなるような、そんな手。
「指切りしよう。人間は大事な約束の時にはこうするんだ。アブソルも手、出して」
「あ、ああ」
 アブソルも言われるがままに自分の前足を差し出した。爪で少年の手を傷つけないよう、慎重に。
人間の決め事のようなものを信じたわけではなかったが、それをしておけば本当に約束が守れそうな気がしたからだ。
「指切りげんまん嘘ついたらはりせんぼんのーますっ、指きった!」
 何かの呪文のような言葉。アブソルには皆目意味がわからない。それでも少年は満足げに指を離した。
「約束するときはこれを言うんだ。げんまんはげんこつ一万回のこと。でも、本当に叩いたり針を飲ませるわけじゃないよ。嘘をついたらそれくらいのつもりでいなさいってことだと思う」
 なかなか面白い例えだ。確かに約束を守ることは大切だし、それぐらいの気負いがあってもいいかもしれない。最初は半信半疑ではあったが人間の決め事も興味深いものがあるものだなと、アブソルは感じたのだ。
「なるほど。では私からの約束だ。今後どんなに親と喧嘩をすることがあっても、もう家出なんて考えるのはやめておけ。いいな?」
「うん……約束する」
 頷き、手を再び差し出そうとした少年。また、指切りを交わすつもりだったのだろう。しかしアブソルはゆっくりと首を横に振った。
「お前は約束は守る子だ。ならば、指切りは必要ないだろう?」
 少し戸惑った様子の少年だったが、やがて静かに頭を縦に振る。
「……そうだね。もう僕、家出したりしないよ」
 あえて指切りを交わさないことで、強まる覚悟もある。そう思ってアブソルはあえて手を差し出さなかった。少年の意志の篭った瞳を見る限りだと、どうやら少なからず効果はあったようだ。
「それじゃ、ばいばい。アブソル」
「ああ、元気でな」
「うんっ!」
 最初の返事よりも、更に生き生きとした声が洞内に響き渡った。いそいそと忙しない駆け足の音もすぐに聞こえなくなり、辺りには夜の静寂が訪れる。本当にあっという間の出来事で、まだそこには少年がいるような感覚がアブソルの中に残っていた。静かな洞窟の中など当たり前の日常であるはずなのに、妙な心苦しさを覚えてしまう。それだけ少年の存在が大きかったらしい。
「礼を言うのは私の方だったのかもしれないな」
 自分でも不思議なくらい、穏やかで暖かい気持ちにさせられた。寂しさが残りはしたものの、それを十分に埋め合わせてくれるくらいの充実感。孤独にはとっくの昔に慣れていたつもりでいたのに。自分の中にも他者の存在を許容し、求める心がちゃんと残っていたということか。
「ありがとう……」
 アブソルは小さく呟く。彼に届きはしないと分かっていても、言葉にしておきたかったのだ。自分の前足をじっと見つめ、アブソルは蹲ると静かに目を閉じた。約束を交わした少年の小さな手を思い起こしながら。

 END
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■筆者メッセージ
あとがき

このお話は7年くらい前に別所で投稿した小説にアレンジを加えてリメイクしたものです。
ポケモンの二次創作ではなく、ドラゴンが存在する世界観での一次創作でした。ストーリーの流れは同じで、話の中で登場したドラゴンがアブソルへと置き換わっているような感じです。
伝説ポケモンと言われても違和感が無いくらいの容姿、そして人々から疎まれる災いポケモンという設定のアブソルはまさにぴったりでした。
連載から完結まで随分時間が経ってしまいましたが、最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
ラング ( 2014/10/19(日) 19:23 )