雨が呼ぶ絆
―4―
 再び洞窟の奥に腰を下ろしながら、彼女は小さくふうとをついた。
どんな人間が来たのかと興味本位で見に行ってみれば、年端もいかぬ少年だったとは。こんな雨の中一人で何をしていたのやら。
子供心からの好奇心でこの洞窟を訪れたとは考えにくい。試しに探検してみるなら、わざわざ天気の悪い日を選びはしないだろう。
彼はこの洞窟のこと、そしてここに住む自分のことを親から聞かされていなかったのか。
あの村に住む人間の親ならば、絶対に近づかないように釘を刺しておくのがむしろ自然なように思える。
彼がここへ至った経緯は判断しかねるが、雨に濡れた姿が哀れに感じられたので雨宿りさせてやることにはした。
少年は未だに入り口でへたり込んだまま動こうとしない。
もちろん彼女にそんな気はなかったのだが、無意識のうちに圧迫感を与えてしまっていたのかもしれない。
ただ、こんな暗がりで見知らぬポケモンの姿を目の当たりにした割には、なかなか冷静だったのではなかろうか。
泣きわめいて話が通じない状態にならなかったことは褒めるべき点であろう。
 ふいに少年が立ち上がった。凹凸のある洞窟の床は不慣れならしく、いつ転んでもおかしくない不安定な足取りでゆっくりとこちらに近づいてくる。
何をするつもりなのか見ていると、自分のすぐ傍まで来て何か言いたげな瞳を投げかけてくる。もう足元が震えてはいなかった。
「どうした?」
 彼女が問いかけると、少年は少しだけ息を整えてから口を開いた。
「えっと、君は……なんて言うポケモンなの?」
 そういえば彼は最初自分を見たときにポケモンかどうか疑問を抱いていたようだった。
少年が彼女の種族を知らなかったということは、やはり親や他の村人からは注意を促されていなかったのだろう。
「私は、アブソル。そう呼ばれているよ」
 自分が村人の間でどういうポケモンだと認識されているか。それは彼に今教えなくても良いこと。
悪戯に不安を煽るのも考え物だ。少年があの村で生活している以上、そう遠くない将来知ることになるであろうから。
「そっか。ありがとう、アブソル。雨宿りさせてくれて」
 まだぎこちなさは多少残っているものの、大分はっきりと声が耳に届くようになってきた。
そんなことよりも、わざわざ自分に礼を言うために傍までやってきたというのだろうか。
アブソルが立ち上がって数歩距離を詰めれば簡単に少年に触れてしまえる間隔だ。
会って間もない相手への警戒をこうも簡単に解いてしまえるのは、子供ならではの無邪気さ故か。
彼の意思をはかりかねたアブソルはじっと少年の瞳を見つめてみる。
目は心を写す鏡。彼の目を見れば少年が何を考えているのか、少しは分かるような気がしたのだ。
まだ幼さを残していて随分とあどけない瞳の中にも仄かに芯の強さを匂わせるものがある。
「誰かに何かをしてもらったらちゃんとお礼を言いなさいって、お母さんがいつも言ってるから」
「そうか、偉いな」
「へへ」
 少年は照れくさそうに笑う。アブソルの前で彼が初めて見せた笑顔だった。
屈託のない笑みはこちらまで穏やかな気持ちにさせてくれる。こんな心がほっとするような感覚は本当に何年振りだろうか。
人間の子供とちゃんと接するのは初めてだが、子供が無邪気というのは種族が違っても変わらない。
少年の眩しい笑顔や覚束ない一挙一動を見ていると、もう何年も前に独り立ちしていった自分の子供のことを思い出す。
今頃どこで何をしているのだろうか、元気でやっているのだろうか、と。
とうの昔に見送った者へいらぬ心配をしてしまうのは老婆心かもしれないな。
彼女が感慨に耽っていると小さなくしゃみの声で現実に引き戻される。見ると、少年が小さく肩を震わせていた。
「大丈夫か?」
「うん。でもちょっと寒い、かな……」
 無理もない。肩や髪を濡らした少年の様子から察するに、雨が降り出してからこの洞窟に駆け込んできたのだろう。
気温が低い季節ではないとはいえ体が湿っていれば温度以上に寒く感じてしまうはず。
あいにく雨はまだ降り続いてる。このまま彼を放っておくと風邪をひいてしまいそうだ。
「近くに来ないか。少しは暖かいと思うぞ」
 アブソルは腰を下ろしたまま自分の横腹の辺りに視線を送る。少年が身を預けるとすればそこが一番都合が良さそうに思えた。
もう警戒されてはいなさそうだが、さすがに身を寄せるとなると抵抗があってもおかしくはない。
断られることそ想定しつつもアブソルは少年に問いかけていた。一人で居させるにはあまりにも頼りない幼い少年。
久しく動いていなかった母性本能が彼によってつき動かされていたのかもしれない。
「え、いいの?」
「ああ。お前さえ良ければ私は構わないよ」
「ありがとう」
 少年の表情がぱっと明るくなる。そしてアブソルの元に歩み寄り、脇腹にもたれ掛るような形で地面に腰を下ろした。
彼があっさりと提案を受け入れてくれたことよりも、その堂々とした態度に少々面食らってしまったくらいだ。
目の前のポケモンは危険ではないと判断して心を許してくれたのだろうか。会ってからまだ数分しか経っていないというのに。
いや、それは自分も同じことか。彼女も会って間もない少年に気を許してしまっている。
何の偏見もなく真っ直ぐに自分を見てくれていた彼に心のどこかで安心感を覚えてしまったらしい。
身を寄せてきた少年の体温がアブソルに伝わってくる。誰かが傍にいる感覚は、こんなにも安堵できることだっただろうか。

ラング ( 2012/09/27(木) 20:19 )