雨が呼ぶ絆
―2―
 砂利道の両端は村外れと同じような荒れた草地になっていた。草地を少し越えた先には山の木々が顔を覗かせ始めている。
木と木の間はまだ日があるのに薄暗く、何となく嫌な雰囲気だなと感じはしたが。
自分がそこに入るわけでもないので少年はそれほど気に留めずに歩いていく。
村の舗装された道に比べれば、もちろん砂利道に多少の歩きづらさはあったものの。
少年は進み続けることに恐怖や不安を抱きはしなかった。その砂利道が、侵食してきた草に覆われ始めるまでは。
どれくらい歩いたのだろう。いつの間にかむき出しの地面はほとんどなくなっていた。彼の踝辺りまでの短い草が足元に広がっている。
これまで見えていた道、頼りにしていた道が希薄になってしまうと、途端に少年は心細くなってきた。
うっすらと続いている道の先も何か目印になるような物があるわけでもなく、ずっと草地が続いている。
山の木々も少しずつ道の方へ迫ってきているし、このまま進めば本当に暗い木々の間を進まなければならなくなるのではないか。
どうしよう、と思わず少年は後ろを振り返る。幸いここに至るまで別れ道などはなかった。今から引き返せば村に戻るのは難しいことではない。
いやいや自分の決意はこんな簡単に揺らぐものじゃないと再び前に向き直った少年の鼻先に、冷たい雫がぽつりと落ちる。
はっと少年が空を見上げると、いつの間にやら雲行きが怪しくなっており、空は重々しい灰色に覆われていた。
周囲が薄暗いのは木々が近くにあるせいだとばかり。前と足元しか見ていなかった少年は天候の変化に気付かなかったのだ。
よりにもよってこんな時にどうして。間の悪さに苛立ちを覚えていても天気は待っていてくれなかった。思いつきの家出である。傘の準備などあるはずもない。
そうこうしている間にも一滴、また一滴と雨はぽつぽつと勢いを増し始め、草の上、木々の上、そして少年の上に容赦なく降り注いできた。
迷っている場合ではなかった。このままでは濡れて風邪をひいてしまう。どこか、どこか雨宿りできるところを探さなければ。
きょろきょろと辺りを見回したところ、右手側の草地の奥、山の木々の隙間にひっそりと。ぽっかりと口を開けた暗闇が少年の目に入ってきた。
木々の生えそろう地帯を少し奥に進むと山の岩壁が露出した個所があり、そこの壁面に出来た空洞らしい。
薄暗くて嫌な感じだから出来るだけ見ないようにしていたため、少年はさっきまで気がつかなかったのだ。
膝の高さまである草むらを掻き分けて進み、彼は洞窟の前に立つ。想像以上に奥行きがあるらしく、どこまで暗闇が続いているのか分からない。
天井の高さは少年をゆうに越えており、身を屈める必要はなさそうだ。問題は洞穴が暗いということだった。
留まりのない暗がりは少年の恐怖を増幅させる。闇の奥から得体のしれない何かが出てきそうで、彼は思わず身を震わせた。
しかし、頭や肩や背中にまで降りしきる冷たい雨に彼の心は揺らぐ。ここに非難すればひとまず雨は凌げるだろう。
闇は確かに怖かったがこのまま雨に打たれ続けるのは、今の彼には暗闇に自ら飛び込むよりも耐え難いことだったのだ。
勢いを増しつつある雨から逃げるかのように、少年は洞窟へと駆け込んでいった。

   ◇

 湿った空気を感じた。自分の首周りの長い毛に湿気が絡みついてくるのが分かる。
ここは洞窟の中。普段から空気は外よりも湿ってはいるが、どうやらそれだけが原因ではなさそうだ。
洞内だけではなく、空気自体がいつもよりじっとりと重苦しい。これは間違いなく、近いうちに一雨来る。
食料を調達しに森へ出かけようかと思っていたのだが、この様子だとしばらく後にした方がよさそうだった。
雨の降る風景や、しとしとと心に沁み入ってくるような音は風情があって嫌いではなかったが、何せこの体毛だ。
水気を吸いやすい割には乾きにくいと来ている。一度濡れると完全に水分が蒸発するまでかなりの時間を要するのだ。
彼女は上げかけた腰を再び下ろし蹲る。特にすることもないのでこれから降るであろう雨が止むまで一眠りしよう。
と、目を閉じた矢先に雨の音が外に響き渡り始めた。やはり降りだしたか。短時間で一気に強くなる、通り雨の類だろう。
それほど長時間は降らないとは思うが、こんな中外に出ていたら間違いなくずぶ濡れになっていた所だ。洞窟にとどまっていて正解だったな。
「……?」
 間も無くして、何者かの気配を感じた。すぐ近くだ。彼女は顔を上げて、感覚を研ぎ澄ませる。
雨で跳ね返った土の匂いが少し紛らわしかったが。この匂いはポケモンではない、人間だ。まさか、村人なのか。
彼らがこの洞窟に近づくなどあり得ないと思っていたが。この周辺に人間がいるとなると、あの村の住民しか思い当たらなかった。
 ここに住み始めてからもう長い時間が経つ。初めのうちは恐れおののいていた村人も、今は彼女が危険な存在ではないと気付いている。
種族故に新たな土地では招かれざる客である場合が多い彼女にとって、村人たちの反応は特別珍しいものでもなかった。
何度か戦いを挑まれたこともあったが、村人の手持ちのポケモンを軽くあしらうくらいの実力は兼ね備えていた。
相手に怪我をさせないように配慮するのはなかなか骨が折れたが。そのおかげで、村人たちを諦めさせることは出来たのだ。
村人とて馬鹿ではない。納得はしていない者も多いが、彼女は自分たちがどうこう出来る相手ではないと悟ったのだろう。
それ故か、村人との距離はいつまで経っても埋まらなかった。外で偶然出くわしたとしても、お互いに話しかけたりせず決して目も合わさない。
また、彼女も村人や畑の見張りをしているポケモンに危害を加えたり、木の実を奪ったりするようなことはしない。
自分より明らかに体格のいいウインディやリングマが、出会った途端におどおどして目を反らす光景はなかなか滑稽ではあったが。
そう。彼女と村人との間では、お互いに干渉し合わないことがいつしか暗黙の了解となっていた。そのはずだった。
しかし、この足音の主は洞窟へと近づいてくる。さらには入り口に足まで踏み入れてきたではないか。
入ってきたのは入り口までで、奥へと踏み込んでくる様子はなさそうだったが。それにしても。彼女は驚きを隠せずにいた。
雨宿りをするにしても先住者のいるこんな薄暗い洞窟を選ぶとは、かなり厳しい選択だ。よほど切羽詰まっていたのだろうか。
予想だにしない来訪者に不思議な興味が湧く。雨が止むまですることもないし、どんな人間か見ておいてもいいだろう。
彼女はゆっくりと腰を上げると、不用意に足音を立てないように慎重に、洞窟の入口へと向かっていった。

ラング ( 2011/10/29(土) 19:18 )